4.2 新期榛名火山
4.2.12 二ッ岳伊香保降下テフラ(地質図では略)
地層名
6世紀頃に二ッ岳周辺から発生した2回の噴火による噴出物のうち,新井(1962)は上位の噴出物に属する降下軽石層を二ッ岳浮石層(FP)と命名した.新井(1979)は,沼尾川沿いに分布する火砕流堆積物のうち,2回目の噴火に伴う火砕流を二ッ岳第2火砕流と呼び,これと同時に噴出した降下軽石層を二ッ岳降下軽石層(FP)と改称した.早田(1989)は,一連の噴出物を榛名二ッ岳伊香保テフラ層(Hr-I)と総称した.本報告では,この6世紀頃の2回目の大規模噴火を榛名二ッ岳伊香保噴火と呼び,この噴火によるテフラのうち,降下テフラを榛名二ッ岳伊香保降下テフラ,火砕流堆積物を榛名二ッ岳伊香保火砕流堆積物(後述)と呼ぶ.
この噴火の推移は早田(1989)によってまとめられている.それによると,まず噴火の初期に大量の降下軽石が噴出し北東方向に飛散した(町田・新井,2003など).「沼田」図幅内の渋川市子持の黒井峯遺跡は二ッ岳伊香保噴火の降下軽石によって被災・埋没した古墳時代の集落の遺跡として知られている.降下軽石は宮城県内でも確認される.降下軽石の噴出の末期には軽石質火砕流が発生し,榛名山東麓の沼尾川,滝沢川などの谷沿いに流下した.一連の噴火の最後には二ッ岳溶岩ドームが形成された.
模式地
渋川市総合公園西方地点.
層序関係
榛名二ッ岳渋川テフラの上位に数cmの腐植質土壌を挟んで堆積する( 第36図).上位には数cm~数10cmの腐植質土壌を挟んで浅間天仁テフラ(AD1108)が認められる.
分布
本テフラは榛名二ッ岳から主に北東方向に分布する(第41図).二ッ岳から約2.7km離れた模式地付近では,約10mの降下軽石層として認められる.本図幅北端部の伊香保温泉北東で降下軽石層の最大層厚は約4mである.分布主軸は榛名山から北東に伸び,渋川市子持の黒井峯遺跡付近を通り沼田方面に伸びている(早田,1989).本テフラはさらに遠方の北関東から南東北の広い範囲で確認されている(町田・新井,2003).
(図幅第6.24図)
岩相・構造
噴出源である二ッ岳近傍の,伊香保温泉湯元付近では,伊香保降下テフラの層厚は15mを超え,細粒物を含む淘汰の悪い軽石層として堆積する(早田,1989).軽石の最大径は35cmを超える.大型の軽石塊の内部は高温酸化によって淡赤色を呈する.また本層には灰色緻密な角閃石安山岩岩塊が多く含まれる.
噴出源から1km程度以上離れた榛名山北東山麓では,本テフラは淘汰の良い粗粒(径5cm以上)な降下軽石層として認められる(第42図).軽石の粒度や構成岩片の種類などから,大きく下部層,中部層及び上部層に区分できる.早田(1989)の区分では,下部層はI-1~I-5,中部層はI‐6,上部層はI-7~I-14に相当する.
模式地付近では,下部層の層厚は約2.0mで,淘汰の良い降下軽石からなる.下部層は灰色軽石や縞状軽石を多く含むことで特徴付けられる.中部層は模式地付近で約6mの層厚を有し,粗粒で淘汰の良い降下軽石からなる.中部層は伊香保降下軽石の層厚のうちおよそ60%を占める.中部層の軽石は白色~淡黄色を呈する.二ッ岳から2km以内の露頭では,径10cmを超える大型の軽石の内部は高温酸化により淡桃色を呈することが多い.上部層は模式地付近で2.5mの層厚を有し,淘汰の良い降下軽石からなる.同一地点では中部層に比べて軽石の粒径がやや小さい.また軽石の色調は中部層に比べてやや灰白色である.また上部層基底部には赤色の火山灰混じりの降下軽石層が発達する.二ッ岳から約2kmの範囲では,上部層は軽石質の榛名二ッ岳伊香保火砕流堆積物と互層する.
A:渋川火砕流堆積物の上面を覆う榛名二ッ岳伊香保降下テフラ.淘汰の良い降下軽石層からなる.スケールは1m.渋川市大野の黒沢川沿い.
B:榛名二ッ岳伊香保降下テフラの拡大図.角礫状の白色軽石からなる.
渋川市伊香保.
(図幅第6.25図)
模式地付近では石質岩片の量は比較的少なく,10%程度かそれ以下であることが多い.岩片は緻密な斑状の角閃石安山岩が多く,古期榛名火山噴出物と思われる輝石安山岩も少量含まれる.またしばしば茶褐色に変質した輝石安山岩が含まれる.本層を構成する軽石の岩質は斜方輝石普通角閃石安山岩である(第43図).斑晶の大きさは斜長石斑晶が最大4mm,角閃石斑晶が最大2mm程度である.本層の下位に発達する渋川テフラに含まれる軽石と全岩組成はほぼ同一だが,本層中の軽石は渋川テフラの軽石に比べ斑晶サイズが小さく,また風化すると黄白色を呈することで両者を区別できる.本層を構成する軽石の全岩SiO2量は57.8~63.2重量%である.本層の基底部に発達する灰色軽石は,それより上部を構成する白色軽石よりも全岩SiO2量が低く,60重量%以下であるのに対し,本層の主体部を構成する白色軽石の全岩SiO2量は 60重量%以上である.本層の降下軽石の岩石学的特徴及びマグマプロセスについては,大島(1975)やSuzuki and Nakada (2007)による研究がある. 本テフラの体積は,降下テフラが約1.3km3 と推定される(Soda,1996).
Pl:斜長石,Hb:普通角閃石,Op:斜方輝石.写真の横幅約2.5mm.GSJ R94166.
(図幅第6.26図)
地質年代
本テフラの噴出時期は,考古資料との関係から6世紀中葉または後半と推測されている(町田ほか,1984;坂口,1986).渋川市子持の黒井峯遺跡は6世紀中頃の集落遺跡で,本降下軽石によって埋没している.
本図幅調査では,二ッ岳から東北東に5km離れた渋川市明保野御蔭及び東方に7km離れた渋川市行幸田で本層の基底部から採取した炭化植物片の炭素14年代測定を行い,いずれも1480±30 yrBPの炭素14年代を得た(下司・大石,2011).この年代の暦年較正年代は555~615 AD(68.2% probability)である.したがって,本層の形成年代は6世紀後半から7世紀初頭であると考えられる.