4.2 新期榛名火山
4.2.11 二ッ岳渋川火砕流堆積物(Sbf)及び降下テフラ(地質図では略)
地層名
本図幅地域北東部には,二ッ岳付近では,5世紀末から6世紀にかけて発生した2回の大規模な噴火の噴出物が分布する(第37図).
As-C:浅間Cテフラ,As-B:浅間天仁テフラ,Hr-FA:榛名二ッ岳渋川テフラ,Hr-FP:榛名二ッ岳伊香保テフラ.
(図幅第6.20図)
新井(1979)は6世紀頃に二ッ岳付近から噴出したテフラが,数十年の間隔をおいて噴出した2枚の噴出物からなることを見出し,下位の火砕流堆積物を二ッ岳第1火砕流堆積物,上位の火砕流堆積物を二ッ岳第2火砕流堆積物と命名し,また二ッ岳第1火砕流に伴う降下テフラを二ッ岳降下火山灰層(FA)と命名した.早田(1989)は,6世紀の1回目の大規模な噴火に伴うこれら一連のテフラを一括して榛名-渋川テフラ層(Hr-S)と命名し,岩相からS1~S12に細分した.本報告では,1回目の噴火を榛名二ッ岳渋川噴火と呼び,この噴火による一連のテフラのうち,火砕流堆積物を榛名二ッ岳渋川火砕流堆積物,降下テフラを榛名二ッ岳渋川降下テフラと呼ぶ.
この噴火の推移は早田(1989), Soda (1996)によって詳細にまとめられている.それによると,噴火初期にはマグマ水蒸気噴火が発生し,細粒の火山灰が榛名山東山麓に降下した.続いて軽石質火砕流が榛名山東麓の谷沿いに流下し,それに伴う火砕サージは榛名山東山麓の扇状地面を覆い,その一部は利根川を越えて現在の前橋市付近まで到達した.「渋川」図幅内の渋川市行幸田にある中筋遺跡は本噴火により被災・埋没した古墳時代の集落遺跡である(渋川市教育委員会,1987).
模式地
渋川市大野の黒沢川沿い.吉岡町上野原の滝沢川沿い.
層序関係
浅間Cテフラの上位に,最大数10cmの腐植質土壌を挟んで堆積する.上位は数cmの腐植質土壌を挟んで榛名二ッ岳伊香保テフラに覆われる( 第36図).
分布
火砕流堆積物は二ッ岳から主に北東から南東側の広い範囲に分布する.また付随する降下火山灰層は北関東の広い範囲で確認されている.粗粒の軽石質火砕流堆積物は榛名山東麓の谷沿いに厚く堆積しており,本図幅内では滝沢川,黒沢川などの谷沿いに分布している.
岩相・構造
本層は,下部の暗紫色の細粒降下火山灰層と,それを覆う灰白色軽石質火山砂礫~火山角礫層からなる.早田(1989)の区分では,下部の細粒火山灰層はS-1~S-4,上部の軽石質火山砂礫~火山角礫層はS5~S12に相当する.
本層下部の暗紫色細粒火山灰層は二ッ岳から約3.7km離れた水沢付近で1.2m,約7.4 km離れた御幸田付近で約40cm程度の層厚をもつ細粒砂~シルトサイズの火山灰からなる.弱い成層構造が認められ,またしばしば径5mm程度の火山豆石が含まれる.また細粒で発泡の悪い角閃石安山岩軽石が少量含まれる.軽石粒子の形状は亜円礫から亜角礫状である.下部の細粒火山灰層は地表をマントルベッディングすることから,降下火山灰として堆積したと考えられる.高崎市箕郷中野付近では,下部の細粒火山灰層のみが認められる.
本層上部の灰白色軽石質火山砂礫~火山角礫層は,谷沿いで厚さ5m以上の塊状の軽石流堆積物として認められる(第38図).図幅内に二ッ岳渋川火砕流堆積物(Sbf)として分布を示した範囲は,おおよそ層厚1m以上で塊状の軽石流堆積物の分布範囲に相当する.二ッ岳付近から噴出・流下した塊状の軽石流堆積物は,古期扇状地堆積物の上面を下刻する谷に沿って流下した.黒沢川に沿って流下した軽石流堆積物は,渋川市入沢付近まで,南東に流下した堆積物は滝沢川に沿って伊香保町水沢付近から渋川市有馬付近まで分布する.また北東方向に流下した堆積物は「中之条」図幅内の沼尾川に沿って分布し,その末端は祖母島付近で吾妻川を越えてその北岸まで分布する.これらの谷を埋める厚い軽石流堆積物には,上方粗粒化する厚さ2~3mのフローユニットが複数認められる場合が多い(第38図).またフローユニットの間には,厚さ数cm下の細粒火山灰に乏しい降下軽石層が認められることがある.本層に含まれる軽石は白色で,比較的良く発泡している.軽石の形状は亜円礫から亜角礫状である.模式地付近では軽石の最大径は約25cmである.石質岩片の量は比較的少なく,10%程度かそれ以下であることが多い.岩片は緻密な角閃石安山岩が多く,輝石安山岩も含まれる.またしばしば茶褐色に変質した輝石安山岩が含まれる.
粗粒な軽石塊に富む軽石流堆積物の部分.軽石塊の粒径等の違いによって,複数のフローユニットが識別できる.中央やや右下部に1mのスケールあり.渋川市大野の黒沢川沿い.
(図幅第6.21図)
地形的に比較的高い場所では,上部層は厚さ20~40cm程度の成層した火山砂礫層として分布する(第39図).細かい平行葉理が発達し,やや粗粒の軽石粒が集中するレンズ状の薄層が認められることなどから,火砕サージとして堆積したと推測される.この火砕サージ堆積物は榛名山の東麓から,利根川の東岸にかけての広範囲に分布する(早田,1989) .図幅中には,数10cm以下の厚さのサージ堆積物が認められるおおよその範囲を点紋で示した.渋川市行幸田の中筋遺跡では,厚さ約27cmの降下火山灰層の上を厚さ約43cmの成層した火砕流堆積物が覆っており,火砕流によって倒壊・焼失した住居跡が検出されている(渋川市教育委員会,1987).また,本層中からは火砕流によりなぎ倒された樹木が各地で見出されている(Soda,1996).また,本層の下部には,しばしば数10cmの角閃石安山岩の岩塊が散在しており,一部は下位の地層にめり込んでいるのが観察される(Soda, 1998).
細粒の軽石粒を含む成層した,サージ堆積物の部分.渋川市行幸田.
(図幅第6.23図)
本層を構成する軽石は斜方輝石普通角閃石安山岩である(第40図).斑晶の大きさは斜長石斑晶が最大10mm,角閃石斑晶が最大6mm程度である.本層を構成する軽石の全岩SiO2量は61.2~62.1重量%である.
本テフラの体積は,火砕流堆積物が約0.5km3,降下テフラが約0.3km3 と推定される(Soda,1996).
Pl:斜長石,Hb:普通角閃石,Op:斜方輝石.写真の横幅約2.5mm.GSJ R94153
(図幅第6.22図)
地質年代
考古資料との関係から,本テフラの噴出時期は6世紀前半と推測された(町田ほか,1984;坂口,1986など).早川ほか(2009)は二ッ岳東山麓の本テフラに埋没した樹幹を用いてウイグルマッチング年代測定を行い,489/+3/-6 calADの年代を報告している.したがって,本層の堆積年代は5世紀末と考えられる.