榛名火山地域の地質研究は,岩崎(1897)による榛名火山及び周辺の地質調査,藤本・小林(1938)による秋間丘陵の新第三系の研究などによって始められ,その後多くの研究がなされてきた.本図幅地域の地質の概要は,20万分の1「長野」図幅(中野ほか,1998),群馬県10万分の1地質図(群馬県地質図作成委員会,1999),土地分類基本調査(群馬県農業局農業基盤整備課編,2005)などにまとめられている.また,各自治体地域の地質の概要については,安中市誌編纂委員会(1964),渋川市誌編さん委員会(1987),榛名町誌編さん委員会(2007),倉渕村誌編さん委員会(2007)等によってまとめられている.
榛名火山の地質は岩崎(1896),大島(1986),早田(2000),中村(2005)などによってまとめられている.大島(1986)は榛名火山の形成史を5期に区分し,多数の火山体のユニット名を提唱した.また中村(2005)は古期榛名火山の成層火山体の内部構造について議論し,榛名カルデラ付近を中心とする環状の割れ目群とそれに沿って貫入・噴出した貫入岩体・溶岩の存在を提唱した.
新期榛名火山の噴出物については,主に後期更新世の火山灰層序学の観点から多くの研究がなされてきた.新期榛名火山の噴出物に関しては,新井(1962)によって榛名火山周辺には2つの火砕流堆積物が分布することが認識され,それぞれ白川Pyroclastic flow deposit,沼尾川Pyroclastic flow depositと命名された.新井(1962)は,白川Pyroclastic flow depositが,群馬県中部に広く分布する八崎軽石(HP)と同一の噴火による噴出物であることを見出した.その後,新井(1979)は,沼尾川Pyroclastic flow depositが数10年の時間間隔を挟む2枚の噴出物であることを認識し,下位の6世紀前半頃に噴出した火砕流堆積物を二ッ岳第1火砕流堆積物,上位の火砕流堆積物を二ッ岳第2火砕流堆積物と命名した.さらに,新井(1979)は,二ッ岳第1火砕流の噴火に伴う降下テフラを二ッ岳降下火山灰層(FA),二ッ岳第2火砕流堆積物に伴う大規模な降下軽石層を二ッ岳降下軽石層(FP)と命名した.その後,これらのテフラに埋没した多くの遺跡の発掘調査により,これらの噴火が古墳時代の6世紀頃に発生したことが明らかにされた.早田(1989), Soda (1996)はこれらの6世紀の噴出物の分布や層序を詳細に調査し,その噴火推移を復元した.大島(1986)は榛名山全体の地質をまとめ,新井(1962)による白川Pyroclastic flow depositに相当する,榛名川沿いの上室田付近に分布する火砕流堆積物を室田火砕流と呼んだ.また,大島(1986)は,榛名カルデラ形成後山頂部に噴出した榛名富士,蛇ヶ岳,相馬山,水沢山,二ッ岳の溶岩ドームを識別した.
榛名山東麓から赤城山麓にかけての地域には,新期榛名火山から噴出したいくつかの降下テフラが分布する(新井,1962;関東ローム研究グループ,1965;鈴木,1990;竹本・久保,1995など).このうち,八崎軽石(HP)は,榛名山山麓に分布する白川火砕流堆積物と同時の噴出物であり,その噴出年代は約5万年前である.約3.5万年前に噴出し榛名山北東山麓に降下したテフラは,新井(1962)によって八崎火山灰(HA)と命名された.本テフラはその後さまざまな地点で確認され,それぞれ箱田(早田,1996),三原田(竹本・久保,1995),榛名中郷(矢口,1999)などの名称で呼ばれている.また,6世紀頃に噴出した二ッ岳渋川テフラの直下には,小規模な火山灰層が認識されており,榛名有馬火山灰(Hr-AA)(新井,1979;町田ほか,1984;早田,1989)と命名されている.