神津島の北北東約14kmにある,式根島はその大半が1個の溶岩円頂丘からなる.ここでは,この円頂丘を式根島火山(Sk)と呼ぶことにする.溶岩流出に先立って形組成されたと思われる火砕丘及び(あるいは)放出されたと思われる火砕物の存在は確認されていない.式根島火山稜円頂丘溶岩は東西約3km,南北約2.3km,周囲約8km,面積約3.8km2で,東北東へ緩く傾斜し,低平・台状である.その厚さは110m以上である.しかし細かく見ると,円頂丘溶岩の表面は小起伏に富み,中でも北北西-南南東に伸びる山稜が目立つ.これらは粘性の高い溶岩の流神方向に直交するしわの名残と見てよいであろう.溶岩の表層部は軽石質かつ塊状であるが,カンビキ浦の西岸, 黒石と呼ばれている海食崖には黒曜岩質の部分が露出している.しかし,この黒曜岩は斜長石や石英斑晶の周囲に生じている割れ目のために容易に細かく砕け,石器を作れるような良質のものではない.流理構造の系統的な測定は行わなかったが,直交したり,ねじまがったりしており,単純なものではない.平床岩の南約0.2kmの海岸近くで,この円頂丘溶岩(黒雲母流紋岩)中に露頭面で約15×15cmの角張った花崗岩質捕獲岩が見いだされた.捕獲岩の奥行は4cm程度であった.
黒雲母流紋岩:南海岸,地鉈温泉,円頂丘溶岩.この岩石は灰白色で,白色部がパッチ状に含まれる.斑晶として乳白色の斜長石や無色透明の石英が含まれるが,石基部との識別はしにくい.ほかに黒雲母が散点的に認められる.
黒雲母流紋岩中の黒雲母トーナル岩(NI 75052705):東海岸,平床岩の南約0.2km,溶岩中の大きさ約15×15×4cmの角張った捕獲岩.全体の色調が,灰色の,黒雲母流紋岩中に含まれる白色・糖状の岩片で,黒雲母を散点的に含む
円頂丘溶岩は局部的に火山砕屑性堆積物(v)に覆われる.この堆積物は主として軽石質及び緻密ガラス質の流紋岩(円頂丘溶岩と同質)の火山灰ないし火山礫からなり,無層理であるか弱い層理を有する. 固結度は低い.“氷長石化”で特徴付けられる変質を受けた流紋岩角礫をまれに含む.野伏港の南東約 0.2km,新道と旧道とが交差する付近(民宿,かめのこう,しんどう入口)の新道の切り取り(第27図の531,第28図 野伏三叉路から野伏港に下る道路西側の切り取り(806A) b地点)では,円頂丘溶岩の破砕された表層部にアバッ卜した形で,全体の色調が,桃色で,軽石質及び緻密ガラス質の流紋岩火山灰ないし火山礫(まれに火山岩塊)からなる,層理不明白な堆積物,すなわちここでいう活火山砕屑性堆積物が覆っている.この堆積物の表層部35cmは明褐色砂質ロームで炭化木小片を含み,又,上面から15-25cmの層準に縄文時代前期後葉の諸磯c式土器片・黒曜石片(斑晶の少ない良質のもので,石器製作過程で生じた片.式根島には産しない)・径約10cmの流紋岩礫(人間がどこからか運んで来たと思われるもの)などが含まれていた.その上位には,白色ないし黄白色火山灰(厚さ22cm)―炭化木小片を含む灰褐色火山灰(5cm),葉理の発達した黄白色火山灰ないし細粒火山礫(45 cm)―暗褐色砂質ローム(20cm)が重なる.この堆積物は上述のように下位の円頂丘溶岩にアバットすること、層理の発達が悪いことなどから,“流れ”の堆積物と思われるが,露頭が見られていることから,その供給源や堆積機構については不明の点が多い.ここでは,組成因には無関係な火山砕屑性堆積物という言葉を使用しておいた.後の堆積物に覆われ,必ずしも露頭が十分ではないので,地質図ではその分布が確かな地域だけを地紋で示してある.構成礫は主として軽石質及び緻密ガラス質の黒雲母流紋岩で,ほかに極めてまれに粘土壌化などの変質を受けた凝灰岩(?)や“氷長石化”で特徴付けられる変質を受けた流紋岩が含まれる.
(図幅第28図)
(図幅第29図)
円頂丘溶岩あるいは火山砕屑性堆積物を覆って,何枚かの飛砂及び(あるいは)流砂(後述)と思われる堆積物がある.更にこれらを覆って,神津島天上山火山形成の際の火山灰層と新島向山火山形成の際の軽石層とがある.
野伏の三叉路から野伏港に下る道路の西側切り取り(第27図の806A地点,第28図)では,円頂丘溶岩の塊状表面を,厚さ140cm,一こと構造の明褐色砂質ロームが覆っている.砂質ローム層の上部には炭化木片が散在する.その上位には,全体の色調が白褐色で,斜交層理の発達した火山灰(厚さ29-68cm) ―暗褐色砂質ローム(6cm),斜交層理の発達した軽石質火山礫(最大径4cm,平均径1cm,石質岩片を含む厚さ260cm)が順に重なる.又,小浜港の南約0.1kmの道路切り割り(第28図の527b地点)では,軽石質及び緻密ガラス質で,斜長石や石英の斑晶の目立つ流紋岩火山礫を多く含む火山灰(厚さ100 cm以上)を一こと構造の明褐色砂質ローム(125cm)と暗褐色砂質ローム(5cm)が覆っている.その上位には,黄白色火山灰(27cm)―暗褐色ローム(4cm),級化層理の発達した軽石質及び石質火山灰ないし火山礫(約350cm)が順に重なる(第33図も参照のこと).これら2地点で見られる砂質ロームは下にある溶岩や火山砕屑性堆積物がその位置で風化して生じたものだけではなく,ほかから移動して堆積したものも含まれるであろう.
北海岸,吹,江の南東にあるヘリポートの切り取りでは,向山軽石層・天上山火山灰層の下位に,時に斜交層理の見られる,黄色あるいは橙色がかった,よごれた感じの流紋岩質砂層が露出している.この砂層の中には,第29図で示すように,連続性の悪い暗色帯(風化帯)が何枚か見られる.これら暗色帯は上下の境界が不明白で,炭化木小片を含むことが多く,又,縄文土器片や黒曜石片が出土することがある.少なくとも一時的にはこれらの部分が当時の地表であったと見て間違いないであろう.時に斜交層理の見られることから,飛砂及び(あるいは)流砂の堆積物であろう.非常に粗鬆な堆積物であるの で,砂の移動に際して容易に下位の砂が風化部を含めてのり取られ,暗色帯(風化帯)が連続しなくなっ たと見られる.ここでは,下位にあると想定される円頂丘溶岩との関係は,残念ながら,不明である. ― 11)粉末X線回折法を用いて追認.
bs:飛砂及び(あるいは)流砂;Tj:天上山火山灰層;My:向山軽石層
(図幅第30図)
天上山火山層としたものは黒雲母流紋岩質で,島内では厚さ20-30cm,まれに100cm前後に達することがある(第29図).上述のように,806A地点やヘリポートでは,もとの地形の凹凸に沿って砂層を覆い,狭い範囲内では厚さもほぼ一定であるが,斜交層理が見られることから,通常の降下堆積物とは考えられない.“流れ”の要素を含む堆積物と見る方が穏当であろう.鮫島(1957)は明確な根拠を示さずにこの堆積物を天上山火山灰層としている.しかし,この火山灰層は黒雲母流紋岩質で,後述するように,ヘリポートの東南東側切り取りで,直下の褐色砂中から8世紀終末の年代を示す土師器及び灰砂片が,上部の黒土中からは9世紀中頃の年代を示す土師器及び須恵器片が出土したことから,続日本後紀巻第七及び巻第九に記述されている承和5年(西暦838年)の上津島(神津島天上山形成の)噴火の堆積物と見て差し支えない.
単位:cm
(図幅第31図)
向山軽石層としたものは天上山火山灰層を覆い,島の東北東部の小浜付近で一番厚く約350cm,西南西に行くに従って薄くなり,カンビキ浦と御釜(みかわ)湾とを結ぶ付近で50cmに減少する(第31図).この軽石層はヘリポートなど大きな切り取りで見られるように,天上山火山灰層が示すもとの地形の凹凸に沿って堆積し,狭い範囲内では厚さもほぼ一定であるが,斜交層理がしばしば認められることから“流れ”の堆積物,すなわち火砕サージ(あるいはイグニンブライト被覆)堆積物と見てよいであろう.構成物質は黒雲母流紋岩軽石が主体で,ほかに緻密ガラス質の黒雲母流紋岩片があり,異質岩片として珪化,粘土壌化,アルバイト化などの変質作用を受けたデイサイト,斜方輝石が完全に粘土壌化したドレライトなどが含まれる.主体を占める軽石の粒径は東北東部では最大5cm程度,平均2-3cmであるが,西南西へ行くに従って減少するようである.
単位:cm
(図幅第32図)
石白川の海抜10m前後の低平地や東海岸の2・3の小湾入の奥部には,軽石質及び緻密ガラス質の黒雲母流紋岩火山灰ないし火山礫からなり,少量の角閃石流紋岩や異質岩片を含む,葉理の発達した堆積物か露出している.石白川海岸の西端では,この堆積物は円頂丘溶岩にアバットしている.旧新島本村役場支所の東方にある井戸(正確な位置は不明.恐らくこの堆積物に掘のされたもの)では,深度約8m の底部から海岸で見られるものと同じ円礫とともに貝殻が出土したといわれている(1960年8月,当時の肥田支所長談).これらは低所を埋めた火砕流堆積物であろう.
この軽石層は東北東(新島の向山)に向かって厚さも粒径も増大すること,上述のようにその直下から 9世紀中頃の土師器及び須恵器片が出土することから,日本三代実録・日本紀略・扶桑略記などに記述されている,仁和2年(西暦886年)の安房国南方海上(新島における最新の火山,向山)の噴火(例えば一 色,1973)の際の堆積物と見て差し支えない.火砕サージ(あるいはイグニンブライト被覆)堆積物と考えられる,向山軽石層から採取した軽石質本質岩塊について,以下に簡単な記載を行う.
黒雲母流紋岩(NI 60080901a):式根島中学校北北東約0.25km,火砕サージ(あるいはイグニンブライト被覆)堆積物中の軽石質本質岩塊.この岩石はやや黄神んだ白色,長く伸びた気孔が発達している. 斑晶として乳白色の斜長石・無色透明の石英のほかに,黒雲母が目につく.
式根島の表層部を構成する上記堆積物の地質柱状図は 第32図に,柱状図作組成位置は第28図に示されてい る.これらについて以下に若干の記述を行う.ヘリポートの切り取り面での柱状図作成位置は拡大して 第27図に示されている.
1:縄文時代早期末葉土器片及び黒曜石片;2:縄文時代前期後葉土器片及び黒曜石片
3:縄文時代前期後葉ー末葉土器片及び黒曜石片;4:縄文時代前期末葉土器片及び黒曜石片;5;土師器及び灰釉片;6:土師器及び須恵器片
(図幅第33図)
(図幅第34図)
ヘリポートの526 c 地点(ヘリポート拡張のための平されて現在はない)では,下位から軽石質及び石 質流紋岩火山礫(火山礫は列をなして並んでいる)を含む黄白色砂(厚さ100cm以上)―炭化木小片・土器片(そのうちの1片は縄文時代前期諸磯c式か十三菩提式に同定される)・黒曜石片を含む明褐色砂質ローム(30cm),軽石質及び石質流紋岩の細礫を含む帯白色砂(32cm)―炭化木小片を含む褐色砂(10 cm),帯灰白色火山灰(16cm)―帯褐灰色火山灰(4cm),層理の発達した白色軽石質及び石質火山灰ないし火山礫(100cm,上部は風化)と重なっている. ヘリポートの北北東切り取り中央部付近の913a地点では,下位からやや橙色がかった軽石質及び石 質の砂礫(125cm以上)―炭化木小片を含む明褐色砂質ローム(19cm,下底部から縄文時代早期末葉條 痕文土器片1点及び黒曜石片出土),やや橙色がかった白色砂(68cm,下位層との境界不明白)―下より 暗い色調の砂(3.5cm)―やや橙色がかった白色砂(22.5cm)―炭化木小片を含む褐色砂(13cm),明褐色砂(41cm,下位層との境界不明白)―炭化木小片を含む暗褐色砂(16cm),帯,白色細粒火山灰(25 cm)―黒土(5cm),層理の発達した黄白色ないし白色軽石質及び石質火山灰ないし火山礫(約100cm,上部は風化して褐色を呈する)と重なっている.
更に,ヘリポート切り取りの東南東壁北端近くの912b地点では,下位から白橙色砂(60cm以上)― 縄文時代前期末葉の十三菩提式土器片・黒曜石片を含む褐色砂質ローム(15cm),下より明るい色調の砂質ローム(30cm,下位層との境界不明白)―8世紀終末の年代を示す土師器及び灰砂片を含む褐色砂 (20cm,帯黄灰色部を斑点状に含む.北北東壁東部には径30cm前後の玉石からなる配石遺構がこの層準に見られた),灰白色火山灰(30cm)―9世紀中頃の年代を示す土師器及び須恵器片を含む黒土(8 cm),層理の発達した黄白色軽石質火山灰ないし火山礫(28cm以上)と重なっている.
式根島には縄文時代早期末葉,前期後―末葉,中期と,人々が時折渡来したが,砂の定着が悪く,生活環境は決して良くなかったと思われる. 式根島の湾入部には砂及び礫からなる海浜堆積物が小規模ではあるが分布している.地質図には,主体を占める式根島火山溶岩円頂丘と火山砕屑性堆積物のみが示されている.