神津島・祇苗島・恩馳島・式根島及びこれらに伴う小島は,伊豆ー小笠原海溝の西方約220km,海溝軸と平行に配列する低アルカリソレイアイト系列(久野,1968)の火山,大島・三宅島・八丈島などで示される火山前線(volcanic front)よりも24-39km西方にある流紋岩の単組成火山群である.大島・三宅島・八丈島などが玄武岩及び安山岩を主とする複組成の(polygenetic)組成層火山であることと極めて対照的であり,火山学的にも岩石学的にも多くの興味を持たれてきた.
地史
神津島・祇苗島・恩馳島及び式根島は,海底地形図( 第1図)から分かるように,大室ダシから銭洲を通り更に南西へ伸びる小海通(その南西部は銭洲海通と呼ばれている)の上に載っている.この小海通は褶曲によって生じたもので,神津島と式根島との間にはそれを胴切りにする西北西-東南東方向の断裂と思われる海底地形が見られる(第7図).神津島において同一時期の溶岩円頂丘と思われる神戸山・穴の山及び花立の西北西-東南東配列,同じく高処山・大沢及び松山鼻の北西-南東配列も同種の構造に支配されているのかも知れない.火砕堆積物中に含まれる異質岩片や銭洲の露頭の観察から,神津島・祇苗島・恩馳島及び式根島を構組成する第四紀の流紋岩単組成火山群の基盤の少なくとも一部は,伊豆半島に広く分布する中新世の湯ヶ島層群及び中新世―鮮新世の白浜層群に類似した,各種の変質火山岩及びそれらに伴う深成岩類とみてよいであろう.神津島の北海岸,おおやせに露出する“氷長石化作用”を受けたデイサイトはこれらの時期のものであるかも知れない.
海上保安庁水路部発行(1960)20万分の1海底地形図(大陸棚の海の基本図)Nos. 6362, 6364 及び 6419による.水深の単位:m
(図幅第11図)
神津島には少なくとも16個の流紋岩単成火山(火砕丘+溶岩円頂丘/厚い溶岩流)が存在する.溶岩円頂丘あるいは厚い溶岩流はその規模が大きいもの(長浜火山溶岩流)で長さ4 km,厚さ150 mを超え,小さいもの(花立火山溶岩円頂丘)では基底径0.4-0.45 km,厚さ100 mである.海食崖で観察される,一般に古期の溶岩は紫蘇輝石流紋岩・カミングトン閃石流紋岩・黒雲母流紋岩などと各種であり,相互の新旧関係は新しい火砕物に覆われたり,露頭が悪かったりして不明のことが多い.一方,主として島の内部,高所に分布する新期の溶岩(及びそれらに伴う火砕物)はほとんどすべて黒雲母流紋岩である.火砕物には層相から見て降下,火砕流,火砕サージ(pyroclastic surge 4))あるいはイグニンブライト被覆 (ignimbrite veneer 5))など,色々な運動・堆積機構によって生じたものが含まれている.今までに公表された,K-Ar 法(Kaneoka and Suzuki,1970,Kaneoka et al.,1970),フイッション・トラック法 (Kaneoka and Suzuki,1970;福岡・磯,1980),水和層(谷口,1980),14C法(一色ほか,1965; Yamasaki et al.,1968;Kobayashi et al.,1971,後述),出土土器の型式(麻生,1959,宮崎・ほか,1973; 武蔵野美術大学考古学研究会,1980;東京都島嶼地域遺跡分布調査会,1981)及び古文書(続日本後紀) によると,神津島を構成する流紋岩単組成火山群の活動は今から数万年あるいは10万年ぐらい前から始まり,それら活動の時間間隔は不確かであるが,1144年前(西暦838年)まで断続的に起こった.本島における最新の活動,天上山の形成に際しては,中部地方から関東や近畿の一部にかけての広範囲の地域に 降灰があったと続日本後紀に記されている.
神津島の東岸沖約1.5 kmにある祇苗島は北西-南東の長さが約1.1 km,幅約0.4 kmの範囲内にある大小5個の小島からなり,すべて同質の黒雲母流紋岩からなる.又,同島前浜の西南西約5.8 kmにある恩馳島は北東-南西の長さが約1 km,幅約0.5 kmの範囲内にある比較的大きい2個の岩礁とそのほか多数の小岩礁からなり,すべて同種の無斑晶状流紋岩で,石質の部分と黒曜石質の部分とがある.
式根島はすでに述べたように,表面に凹凸はあるが,全体としては東北東へ緩く傾斜する低平・台状の黒雲母流紋岩溶岩円頂丘で,部分的に成因不明の流紋岩質火山砕屑性堆積物が その上に載る.これらは何枚かの飛砂層に覆われ,更に,層相から見て,火砕サージ堆積物あるいはイグニンブライト被覆堆積物と考えられる黒雲母流紋岩質細粒火砕物と同質の粗粒火砕物とに覆われる. 前者の細粒火砕物はある方向に向かって厚くなるという傾向は見られず,細粒であることから遠方から 由来したもので,後者の粗粒火砕物は東北東へ向かって層厚が厚くなることから約5km離れた,新島南端にある向山火山形組成の際の火砕物と考えられる.飛砂層からは縄文時代早期から中期にかけての土器片が,細粒火砕物直下の褐色砂からは8世紀終末の土師器及び灰釉片が,同火砕物上部の風化帯からは9世紀中頃の土師器及び須恵器片が出土している.これらの事実は細粒火砕物を神津島天上山生組成 (西暦838年;続日本後紀)の際の噴出物,その上位の粗粒火砕物を新島向山生組成(西暦886年:例えば一色,1973)の際の噴出物とすることを支持する.
本地域に含まれる流紋岩単成火山稜活動は恐らく数万年あるいは10万年ぐらい前から始まった. 当初,火山活動の場が海底であったか,陸上であったかについての積極的な証拠は得られていない.しかし,火砕物の爆発的放出に始まり,溶岩円頂丘の形成あるいは厚い1枚の溶岩流の流出で終わる一輪廻の活動で小型の火山,面房(紫蘇輝石流紋岩)・長浜(カミングトン閃石流紋岩)・観音浦(黒雲母流紋岩)・ ハシルマ(紫蘇輝石流紋岩)及び砂糠山(無斑晶状流紋岩)の5火山が形組成された(第8図).これらの活動 の順序については,観音浦火山がハシルマ火山や砂糠山火山より以前のものであるという以外は何も分かっていない.又,個々の火山についても溶岩流出に先立つ火砕物についての情報に乏しい.これら火山が風化・浸食を受けた後に,黒雲母流紋岩マグマを主体とする活動が西暦838年まで断続して起こり,少なくとも11個の単成火山が形成された.これらの火山活動の様式は火砕物の放出(火砕丘の形成)に引き続く溶岩円頂丘の形成であり,天上山火山の形成で代表されるものである.天上山の火砕物は下位岩層の風化面や浸食面を覆っていることが野外でしばしば観察されることから識別は容易であるが,それより下位の火砕物はそのような識別が困難であり,従来 Chichibu-yama ejecta あるいは Chichibu- yama ejecta-bed(Tsuya,1929),秩父山軽石層(津屋,1930),秩父山火山砕屑岩(谷口,1977)などと一括されていた.溶岩円頂丘は孤立している場合が多く,又,それに先立ってそれぞれの噴出中心から放出される火砕物の野外及び顕微鏡下での識別が困難なため,単成火山の形組成順序を正確に知ることはできない.ここでは,溶岩円頂丘の浸食の程度及びそれを覆う火砕物の厚さを目安にしておおよその順序を推定した(第8図).最も古期のものは北半部にある221 m山,262m山(これのみ普通角閃石含有紫蘇輝石流紋岩)及び那智山で,那智山溶岩円頂丘の西,東北東に開いた弧状の山稜は円頂丘噴出に先立つ火砕丘の火口縁の名残であるかも知れない.次の活動は南半部に移り,松山鼻,大沢及び高処山稜溶岩円頂丘が引き続いて噴出した.これら円頂丘の南西にある,秩父山を含む,東に開いた弧状の山稜は上記の場合と同じように円頂丘噴出に先立つ火砕丘の火口縁の名残であるかも知れない.火山活動は再び北半に移り,じょうご山,花立―穴の山―神戸山,そして天上山の順に流紋岩単成火山が形成された. 溶岩円頂丘表面の風化の程度などから,これらのうちでじょうご山がやや古く,花立,穴の山及び神戸山はその後ほぼ同時に噴出したものらしい.神津島で最新の天上山は続日本後紀に詳述されているように承和5年7月5日(西暦838年7月29日)が始まった噴火によって形成されたものである.
年代目盛りは谷口(1980)の水和層年代を参考とした.矢印は年代の不確かさを示す
(図幅第12図)
神津島の東岸沖約1.5 kmの祇苗島(黒雲母流紋岩)及び同島前浜の西南西約5.8 kmの恩馳島(無斑晶状流紋岩)も独立した溶岩円頂丘の名残であるが,それらの噴出年代は測定されていないし,神津島を構成する流紋岩単組成火山群との関係も不明である.
神津島の北北東約14 kmにある式根島は東北東へ緩く傾斜する低平・台状の黒雲母流紋岩溶岩円頂丘であり,神津島を構成する流紋岩単組成火山群との関係は明らかではないが,この円頂丘を覆う飛砂から 縄文時代早期後半の茅山式古型式土器片が出土することから,7,200年前よりも前に形成されたものである.
4)Fisher, R. V. (1979)Models for pyroclastic surges and pyroclastic flows. Jour. Volcanol. Geotherm. Res. , vol. 6, p. 305- 318
5)Walker, G. P. L. , Wilson, C. J. N. and Froggatt, P. C. (1981)An ignimbrite veneer deposit: the trail - marker of a pyroclastic flow. Jour. Volcanol. Geotherm. Res. , vol. 9, p. 409-421.