流紋岩単組成火山
Tsuya(1929)あるいは津屋(1930)によれば Chichibu-yama ejecta-bed あるいは秩父山軽石層(以下 の記述では後者を使用することにする)を鍵層として,その堆積以前に流出した第一期溶岩(最下部溶岩),同層堆積中に流出した第二期溶岩(那智山及び高処山溶岩),更に同層を覆う第三期溶岩(丈五郎山・雷山・穴木山及び神戸山溶岩)の3つに区分している.しかし,添付された地質図を見ると第一期のε2-Lava,ε1-Lava〔津屋(1930)の地質図では,第一期溶岩Iεに一括されている〕及びγ-Lava が秩父山軽石層の少くとも一部を覆う(秩父山軽石層にはさまれる)様に表現されている.又,谷口(1977)によれば,彼の秩父山火山砕屑岩は白色―肌色の降下堆積物と火砕流堆積物とからなる下部層と,肌色―黄色― 褐色の主に降下堆積物からなる上部層とに区分される.彼はこの秩父山火山砕屑岩を鍵層として,Tsuya (1929)及び津屋(1930)の区分を倣った形で,流紋岩(ソーダ流紋岩)の活動をその噴出以前(第I期),噴出中(第II期)及び噴出後(第III期)の3つの活動期に区分した.更に第II期を秩父山火山砕屑岩下部層の噴出時期である前期と上部層の噴出時期である後期の2つの時期に細分した.第I期に属するものは,島の東―中部に分布し黒雲母流紋岩からなる砂糠山溶岩及び那智山溶岩,北―西部に分布し角閃石流紋岩からなる名組湾溶岩及び沢尻湾溶岩,北部に分布し紫蘇輝石流紋岩の走る間溶岩,南部に分布し同じく紫蘇輝石流紋岩の面房溶岩である.第II期前期のものは島の北部にあり,黒雲母流紋岩からなる丈五郎山及び阿波命の2個の溶岩円頂丘であり,第II期後期のものは島の南部にあり,同じく黒雲母流紋岩からなる松山鼻・大沢及び高処山稜3溶岩円頂丘である.第III期のものは北部にあり,黒雲母流紋岩からなる神戸山・アナギ山・雷山及び島内で最も新しい承和5年(西暦838年)形成の天上山稜4個の溶岩円頂丘である.しかしながら,それぞれの溶岩円頂丘と秩父山火山砕屑岩との露頭における記載に乏しく,又,下部層と上部層との間に認められることがあるとする“斜交不整合関係”も,腐植土がはさまれないことから,火山砕屑岩堆積時の構造,斜交層理である可能性が強い.
津屋(Tsuya,1929;津屋,1930)論文も谷口(1977)論文も具体的な露頭での関係の記載に乏しいが,大きく見ればこのような区分でよいのかも知れない.