富士山
宝永噴火
- 発生地域: 日本 伊豆弧衝突帯
- 噴火規模: VEI 5
- マグマ組成: 玄武岩質
- 噴火トレンド: 減衰型
※VEIは産総研 1万年噴火イベントデータ集による
0.68 km3 DRE
最高噴煙高度: 15 km
主要な噴出物等
- 降下火砕物
- 溶岩
あり
なし
前兆現象・噴火開始
噴火に先行して2回の巨大地震がその地域で起こった.1回目は噴火の4年前に相模湾付近で起こった元禄関東地震(M8.2)であり,その2か月後に富士山で複数回にわたって鳴動があった.2回目は噴火の49日前に南海トラフで起こった宝永地震(Mw8.7)であり,翌日富士宮付近を震源として最大余震が起こった.これ以降富士山周辺とみられる有感地震の活動が増加していった.
噴火推移
宝永噴火は1707年12月16日に富士山南東斜面で発生し,翌1708年1月1日まで16日間続いた.噴火開始は12月16日10時ごろと考えられる.噴火開始時にはデイサイト質の軽石を噴出し,噴煙柱高度は15 kmに達した.16日午後4時ごろには黒色スコリアの放出に変わった.噴火は12月16日の夜に入り再び激しくなり,火口から約10 km離れた須走村にも直径 10 cm以上の多数の火山岩塊が落下し,家屋の半数が焼失した.噴火強度は17日の午前6~7時頃にやや低下した.その後20日朝ごろまで継続した.その後,小規模な噴火を断続的に繰り返した.25日午後3時ごろから再び噴火が活発化し,27日ごろまで多量のスコリアを放出した.その後噴火活動は衰え,1708年1月1日未明の爆発を最後に一連の噴火は終了した.噴出量は0.68 km3 DREであり,うち当初の白色軽石は0.05 km3程度であった.
日付時刻 | 継続時間(h) | VUC | 内容 | 出典 |
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1707/10/28 14:00 | -1 | 南海トラフを震源とする宝永地震 Mw8.7 | 内閣府防災 (2006) 1707 富士山宝永噴火. 災害教訓の継承に関する専門調査会報告書 | |
1707/10/28 14時頃 | 約49日間 | 1 | 富士山中で10-20回/日の群発地震も里では無感 『土屋伊太夫噴火事情書』 | 内閣府防災 (2006) 1707 富士山宝永噴火. 災害教訓の継承に関する専門調査会報告書 |
1707/10/29 05時頃 | -1 | 時刻不詳。未明。富士宮市付近を震源に宝永地震の最大余震 | 内閣府防災 (2006) 1707 富士山宝永噴火. 災害教訓の継承に関する専門調査会報告書 | |
1707/12/03 | 2 | 富士山東麓では連日鳴動 | 内閣府防災 (2006) 1707 富士山宝永噴火. 災害教訓の継承に関する専門調査会報告書 | |
1707/12/15 12時頃 | 約24時間 | 2 | 地震活動の激化 | 内閣府防災 (2006) 1707 富士山宝永噴火. 災害教訓の継承に関する専門調査会報告書 |
1707/12/16 10時頃 | 約9.2日間 | 4 | 時刻不詳。10-12時頃。噴火の開始。 | 内閣府防災 (2006) 1707 富士山宝永噴火. 災害教訓の継承に関する専門調査会報告書 |
1707/12/16 10時頃 | 約72時間 | 2 | 広域における断続的空振 | 内閣府防災 (2006) 1707 富士山宝永噴火. 災害教訓の継承に関する専門調査会報告書 |
1707/12/16 15時頃 | 約12時間 | 5 | 激しい空振・雷鳴・噴煙目撃・降灰。 | 内閣府防災 (2006) 1707 富士山宝永噴火. 災害教訓の継承に関する専門調査会報告書 |
1707/12/16 16時頃 | 3 | 噴火の一時的な小康状態 | 内閣府防災 (2006) 1707 富士山宝永噴火. 災害教訓の継承に関する専門調査会報告書 | |
1707/12/16 16時頃 | 4 | 噴出物の色が白色から黒色へ変化 | 内閣府防災 (2006) 1707 富士山宝永噴火. 災害教訓の継承に関する専門調査会報告書 | |
1707/12/17 07時頃 | 約5.0時間 | 3 | 噴火の一時的な小康状態 | 内閣府防災 (2006) 1707 富士山宝永噴火. 災害教訓の継承に関する専門調査会報告書 |
1707/12/17 17時頃 | -1 | 大き目の地震(近傍ではない?) | 内閣府防災 (2006) 1707 富士山宝永噴火. 災害教訓の継承に関する専門調査会報告書 | |
1707/12/17 21時頃 | 2 | 大き目の地震 | 内閣府防災 (2006) 1707 富士山宝永噴火. 災害教訓の継承に関する専門調査会報告書 | |
1707/12/18 07時頃 | 3 | 噴火の一時的な小康状態 | 内閣府防災 (2006) 1707 富士山宝永噴火. 災害教訓の継承に関する専門調査会報告書 | |
1707/12/20 07時頃 | 約5.0時間 | 3 | 噴火の一時的な小康状態 | 内閣府防災 (2006) 1707 富士山宝永噴火. 災害教訓の継承に関する専門調査会報告書 |
1707/12/21 07時頃 | 3 | 噴火の一時的な小康状態 | 内閣府防災 (2006) 1707 富士山宝永噴火. 災害教訓の継承に関する専門調査会報告書 | |
1707/12/23 12時頃 | 3 | 噴火の一時的な小康状態 | 内閣府防災 (2006) 1707 富士山宝永噴火. 災害教訓の継承に関する専門調査会報告書 | |
1707/12/25 17時頃 | 約36時間 | 5 | 噴火の勢いの盛り返し | 内閣府防災 (2006) 1707 富士山宝永噴火. 災害教訓の継承に関する専門調査会報告書 |
1707/12/31 20時頃 | 4 | 爆発的な火山弾放出 | 内閣府防災 (2006) 1707 富士山宝永噴火. 災害教訓の継承に関する専門調査会報告書 | |
1708/01/01 05時頃 | 4 | 時刻不詳: 未明に最後の爆発 | 内閣府防災 (2006) 1707 富士山宝永噴火. 災害教訓の継承に関する専門調査会報告書 |
長期的活動推移
富士山は太平洋プレートとフィリピン海プレートの沈み込み帯の海溝三重点付近に位置する大型の成層火山である.噴出物の殆どはSiO2 50%前後の玄武岩質である.山元ほか(2007)のステージ区分では,星山期(100-18 ka),富士宮期(15- 6 ka),須走期(6 ka-現在)に活動期間が大別されている.
歴史時代は少なくとも8から11世紀に至るまでは数十年おきに噴火が起こっていた.主なものとしては,800-802年の噴火ではスコリア流出と溶岩噴出により足柄路が埋没.864 -66年には貞観噴火(1.2 km3 DRE)が起こり,北西山腹の長尾山から青木ヶ原溶岩が流出した.12世紀以降は顕著な噴火は減るものの,1435/36年と1511年にも噴火があったとみられる.その後と現在までの間には1707年の噴火しか知られていない.ただし主に山頂火口における噴気活動の消長は20世紀に至るまでたびたび起きている.
引用文献
宮地直道・小山真人(2007)富士火山1707年噴火(宝永噴火)についての最近の研究成果. 荒牧重雄・藤井敏嗣・中田節也・宮地直道・編. 富士火山. 山梨県環境科学研究所, 339ー348. https://www.mfri.pref.yamanashi.jp/yies/fujikazan/dlfujikazan.htm
高田亮・山元孝広・石塚吉浩・中野俊 (2016) 富士火山地質図. 特殊地質図, 12. 産業技術総合研究所 地質調査総合センター. https://gbank.gsj.jp/volcano/Act_Vol/fujisan/index.html
中央防災会議 災害教訓の継承に関する専門調査会 (2006) 1707 富士山宝永噴火報告書. http://www.bousai.go.jp/kyoiku/kyokun/kyoukunnokeishou/rep/1707_houei_fujisan_funka/ (accessed 3.4.20).
山元孝広・石塚吉浩・高田亮 (2007) 富士火山南西山麓の地表及び地下地質:噴出物の新層序と化学組成変化. 荒牧重雄・藤井敏嗣・中田節也・宮地直道・編. 富士火山. 山梨県環境科学研究所. 97ー118. https://www.mfri.pref.yamanashi.jp/yies/fujikazan/dlfujikazan.htm