阿土山火山(At1 及び At2)
新島の北部山地の東側にある阿土山(あっちやま)(海抜約200m)及びその付近を構成する火砕丘・火砕サージ堆積物(At1)及び溶岩円頂丘(At2)を阿土山火山と呼ぶことにする.この火山は津屋(1938)の淡井浦灰砂層+アツチ山熔岩,宮地( 1965) のアッチ山ホマトロイデに相当する.火砕丘の山頂火口は溶岩円頂丘の北西側に少なくとも4 個あり,すべて東から南へ開口している.これらのうち,最新の火口は最も南東にあるもので,その径は復元すると約500m である.4 個の爆発火口は短期間おいて順次形成されたものであろう.
溶岩円頂丘部分は南北径1.3km,東西径1.1km,平面形は長円で,厚さは約150mである.その表面は,その後の被覆が2m程度と薄いので,もとの小起伏地形を残している.
若郷(渡浮根)港から都道211 号線に登る道路の切り通し(北面する崖)では,若郷火山火砕サージ堆積物の表面に刻まれた深さ2 ないし3m の数個の凹所( 立体的な形態は不明) を埋め立てるように,阿土山火山の粗粒火砕物(層理不明瞭)が堆積しており,その上に層理の明瞭な細粒火砕物が載っている.
同港の東北東0.6km,都道211号線の西側にある宅地北側の切り取り( 巻末付図,3523a 地点)では,第19図に示すような露頭が観察された.その層相は第12表に示されている.
若郷(渡浮根)港の東北東0.6kmの宅地北側の切り取り(3523 a地点)数字は第12表のそれに対応.t:崖錐堆積物
(図幅第26図)
(図幅第16表)
若郷前浜南端の海食崖の1604b 地点( 巻末付図)では,第13表に示すような関係が観察される. ここでは,若郷火山噴出物との間に,堆積機構不明の2 単元〔第13表の(2)と(3)〕が挟まっている.
(図幅第17表)
(図幅第18表)
(図幅第19表)
阿土山東側の海食崖の4527a 地点( 巻末付図.北緯34°24.1′,東経139°17.5′)では,第18 表に示すような関係が観察される.
阿土山林道沿いの切り取りの1605b 地点では,第15表に示すような関係が観察される.
また,3523a地点の近くでは,火砕堆積物中に部分的に斜交層理が観察された.
旗城鼻火山溶岩円頂丘との直接の関係は崖錐に覆われて不明であるが,この火山の噴出物がそれを覆 うように分布している.
上述の事実から,阿土山の形成史は次のように組み立てられる.
今からおよそ1,600 年前,若郷火山の火砕サージ堆積物からなる陸地とそれに接する海浜で,爆発的な噴火が起こった.爆発は始め特に激しく,若郷火山に由来する玄武岩片とともに,径数十cm に達す るような流紋岩岩塊を放出し,流れとして移動させて,小起伏に富む若郷火山の山腹の凹所を埋め立てた.その後,活動が比較的穏やかになり,火山礫や火山灰の降下に移行した.しかし,最後には,再び爆発活動が激しくなった.爆発は4個あるいはそれ以上の複数の中心から起こった,このような爆発的活動に引き続いて,最後に形成された火口から溶岩が流出し,火口の一部を覆って,平頂丘状の溶岩円頂丘を形成した.溶岩円頂丘形成後には爆発活動は起こらなかった.
阿土山火山の溶岩中には,流理の方向に伸びた,長径40cm に達する暗色の包有物がかなり顕著に認められる.これら包有物は鉱物組成や組織の点からも,当時地表近くに堆積していた若郷火山の玄武岩 片から由来したものとは考えられない.より冷たく,より珪長質なマグマの中に取り込まれた苦鉄質マグマ物質と考える方がよい.
火砕丘や火砕サージ堆積物を構成する本質物質及び円頂丘溶岩は,すべてよく似た黒雲母流紋岩である.
黒雲母流紋岩:新島東岸北部,淡井浦南端.円頂丘溶岩からの落石.この標本はやや灰色がかった白色,軽石質で,長石・石英及び黒雲母の斑晶が目につく.
黒雲母流紋岩中の包有物:新島東岸北部,淡井浦南端.流紋岩落石中に 含まれる.この標本は暗灰色,ぎらぎらした感じの岩石で,長さ3mm に達する長石斑晶を散点的に含 む.厚さ2mm 前後の,より暗色・細粒の周縁相が見られる.鏡下写真は第20図,
阿土山火山円頂丘溶岩に含まれる.新島東岸北部,淡井浦南端
(図幅第VII図版1)