第四紀火山
新島は少なくとも12 個の流紋岩単成火山(火砕丘+溶岩円頂丘あるいは厚い溶岩流),1 個あるいは2 個の安山岩単成火山(現在観察されるのは降下火砕物だけ)及び1 個の玄武岩単成火山(火砕サージ堆積物)からなる.西暦886年に形成された向山火山など新しい単成火山では,火砕丘がほとんど全部あるいは一部残されているが,古いものでは侵食により完全に失われている.溶岩円頂丘あるいは厚い溶岩流 はその規模が大きいもの(向山火山溶岩円頂丘)で長径2.5 km,厚さ200 m,小さいもの(丸島峰溶岩円頂丘)では長径0.5 km,厚さ200 m である.野外で確認できる流紋岩の噴出順序は,岩種からみると,紫蘇輝石カミングトン閃石普通角閃石流紋岩→カミングトン閃石流紋岩→黒雲母流紋岩である.流紋岩単成火山形成の経過は,向山火山で見られるように,火砕サージ(あるいは火砕流)の発生→火砕丘の形 成→溶岩円頂丘の形成あるいは厚い溶岩流の流出という順序をたどったと思われる.これら単成火山の 形成年代については,二・三のものについてのみ14C 法による測年結果(一色・磯部,1976;一色,1980b)や考古学的資料があるだけで,特に古い火山体についての資料は皆無である.
式根島は表面に凹凸はあるが,全体としては東北東へ緩く傾斜する低平・台状の黒雲母流紋岩円頂丘で,部分的に成因不明の流紋岩質火山砕屑性堆積物がその上に載っている.これらは何枚かの飛砂層に覆われ,更に,層相から見て,火砕サージ堆積物と判断される黒雲母流紋岩質細粒火砕物と同質の粗粒火砕物とに覆われる.前者の細粒火砕物はある方向に向かって厚くなるという傾向は見られず,また細粒であることから遠方から由来したもので,後者の粗粒火砕物は東北東へ向かって層厚が大になることから,約5km離れた,新島南部にある向山火山形成の際の火砕物と考えられる.飛砂層からは縄文 時代早期から中期にかけての土器片が,細粒火砕物直下の褐色砂からは8 世紀終末の土師器及び灰釉片が,同火砕物上部の風化帯からは9世紀中頃の土師器及び須恵器片が出土している.これらの事実は,細粒火砕物を神津島天上山生成(西暦838 年;続日本後紀;富樫,1984)の際の噴出物,その上位の粗粒 火砕物を新島向山生成(西暦886 年;例えば一色,1973)の際の噴出物とすることを支持する.
地内島は大平島・ナダラ板・ナツハダなど周辺の岩礁とともに1個の溶岩円頂丘を構成していたものである.岩質は紫蘇輝石カミングトン閃石普通角閃石流紋岩で,風化帯によって識別される16枚の流紋岩質及び安山岩質火山砕屑性堆積物に覆われていることからみて,流紋岩単成火山のうちでも古い時期のものと判断される.しかしながら,その生成年代を示す直接の証拠は得られていない.
早島は黒雲母流紋岩溶岩円頂丘の残骸で,成層した軽石層に覆われることが海上から望見される.しかし,上陸できなかったので,その詳細な堆積構造や岩質は確認されていない.恐らく向山火山の火砕サージ堆積物であろう.早島についてもその生成年代を示す直接の証拠は得られていない.