命名 新称.開聞岳の山体にはほとんど浸食谷が発達しておらず,また山体表面を厚く開聞岳テフラに覆われている.海食崖に露出する溶岩及び火砕岩も,比較的新しい時代のものしか露出しておらず,内部構造を知ることはほとんどできない.本報告では,標高650 m付近に北縁が残っている鉢窪[はちくぼ]火口を山頂火口とする未区分の火山体を,開聞岳主山体と呼ぶ.
模式地 開聞岳北-東斜面登山道
分布・層厚 開聞岳の鉢窪火口に至る比高650 mの円錐形山体の大部分を構成する.南側斜面は,874年及び885年噴火噴出物に表層を覆われる.
層序関係 874年及び885年噴火噴出物に表層を覆われる.
岩相 海食崖にわずかに露出するのみであり,内部の構成物,構造はほとんど不明である.開聞岳テフラの等層厚線図,溶岩流の層序・分布などからみて,主として現在の鉢窪火口付近から発生した,スコリアの噴出と山麓に分布するような玄武岩溶岩の流出を繰り返して成長した成層火山体であると思われる.
鉢窪火口は,北半分しか火口縁が残っていないが,直径800 m程度と推定され,伊豆大島の三原山火口とほぼ同程度の大きさの火口と推定される.後述するKm12a4に対比される874年火砕流・土石流堆積物の分布範囲が山体南側に偏っていることからみて,Km12a4噴出時には,現在不明瞭になっている火口南半分はすでに低くなっていたらしい(藤野・小林,1997).
鉢窪火口の形成に関しては,火口径が山体に比べてやや大きめであるとされその成因についていくつかの議論があった.中村(1967,1971,1984)は山体崩壊による馬蹄形火口と考え,開聞岳南東の海底の馬蹄形崩壊地形内の小起伏が発達した流れ山地形( 第3図)を作る堆積物と横瀬火砕丘を構成する凝灰角礫岩層が崩壊堆積物であるとした.しかし,海底の馬蹄形崩壊地形(開聞海底崖)の比高は150 m近く,流れ山地形は,幅約5 km,長さ15 km以上にわたる範囲に分布し,鉢窪火口起源とするには大きすぎ,またおそらく溶岩流地形と考えられる開聞岳南斜面の延長部が,開聞海底崖の西部を覆うような海底地形を示す.また鉢窪火口は,玄武岩マグマのドレーンバックとそれに伴う山頂部での地下水が関与した爆発的な噴火で形成される伊豆大島三原山(火口径約800 m;一色,1984;川辺,1998)や三宅島雄山(火口径約700 m;津久井ほか,2005)などの玄武岩火山の山頂火口径と比べても,特別に大きいわけではない.開聞岳は伊豆大島などと同様の玄武岩火山であり,開聞岳テフラが水の関与が大きなテフラが多く含まれることを考えると,鉢窪火口も伊豆大島三原山などと同様のメカニズムで十分形成されうると考えられる.
地質年代 Km12に対比される874年噴火噴出物に覆われることから,874年噴火までに形成された火山体と考えられる.