開聞岳火山の地質の研究は,井上(1910)が最も古いものの一つである.Matumoto(1943)も開聞岳火山の記載を行っている.桑代(1966)は,本地域に分布する開聞岳火山起源の降下テフラの記載を行い,24のテフラ層を識別し,さらに88のフォールユニットに細分して詳細な記述を行った.さらに桑代(1967)で遺跡と降下テフラとの関係から,噴火時代の推定を行い,桑代(1968)では開聞岳火山の形成過程を論じた.中村(1967)も開聞岳火山のテフラを土壌帯により18のテフラ層に区分し,噴火による熱エネルギー放出量を論じ,さらに中村(1971)で開聞岳火山の岩石学的記載を行い,開聞岳火山の成長史,岩石の化学組成変化からマグマ溜りの進化を論じた.波多江ほか(1976)は,開聞岳火山の噴出物量と時代関係について論じた.成尾は一連の論文(成尾,1984,1986,1988,1992a,b;成尾ほか,1997)で開聞岳火山の活動を主要な4回に区分し,開聞岳テフラと遺跡の関係について研究して当時の噴火災害の実態を明らかにした.藤野・小林(1997)は,開聞岳火山起源のテフラ層序の新たな区分を行った.すなわち,噴火休止期を示す腐植質ローム層を基準として,開聞岳起源のテフラ層を12のテフラ層に区分し,下位からKm1〜Km12と命名した.さらにそれに基づいて,テフラと溶岩流の層序関係を明らかにした.