江戸時代の噴煙活動とその火口
記録 磐梯火山では,江戸時代に活発な噴煙活動が起きていたことが古文書に記述されている.例えば,天明七年頃の発行とされる東國旅行談(壽鶴齋,1787頃)には,「陸奥国猪苗代という所に…..大山あり磐大山と名付く,嶮々たる高峰の嶺より炎火立ち昇り烈々として其の烟雲と等しく天を焦す勢いなり,傍に淵あり水波灘々とし時々なみさかだち,風を起こし邊をはらう気色尋常の事にあらず….」とあり,高さの異なる二つの峰(おそらく大磐梯山と櫛ヶ峰)の間の鞍部(沼ノ平)から炎火が昇る挿絵が付けられている(第32図).同様な火山活動を示唆する記述は,享保四年(1719年)頃に完成したとされる仙台藩の地誌『奥羽観蹟聞老志巻之十一下』中にもあり,「是所所謂磐梯山也嶺上見焦烟湛湖水碧鱗疊紋山下有毒石觸之者乃死土人曰之殺人石盖殺生石之属乎」と云う(佐久間,1883).
火口 挿絵と「傍に淵あり」の記述から考えると,沼ノ平の北にある沼ノ平火口( 第22図, 第28図)やその周辺で活発な噴煙活動が起きていた可能性が大きい(浜口・植木,2012b;山元,2018).沼ノ平火口は,琵琶沢岩屑なだれ堆積物上の直径約100 mの円形の火口で,その北東縁は1888年火砕堆積物に埋められている.しかし,火口の周辺で琵琶沢岩屑なだれ堆積物と1888年火砕堆積物の間に,本火口噴出物と確認できたものはない.従って,噴出物が堆積物として保存されるほどの規模の噴火は起きていなかったものとみられる.
沼ノ平火口と同様に,琵琶沢岩屑なだれ発生後に形成されたものとして天狗岩の南側にある直径約80 mの天狗岩火口が存在する( 第22図).この火口も火口底や周辺には1888年噴火で放出されたとみられる火山岩塊が多数分布しているが,明瞭なこの火口由来の噴出物が確認できず,地質学的に痕跡を残さないような規模の噴火で形成されたものとみられる.この火口が江戸時代の噴煙活動に関係していたかどうかは不明であるが,鏡沼火口列や沼ノ平火口と同様に歴史時代の活動で形成された可能性が大きい.
沼ノ平での噴気活動を描写したものと考えられる.天明七年出版とされる東國旅行談(壽鶴齋,1787年頃)中の挿絵.国会図書館デジタルコレクション(http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/9369178)から出力.