鳥海火山の地質に関する研究は中島(1906),安斎(1950),Onuma(1963a),柴橋・今田(1972),柴橋(1973),後藤(1981)及び林(1984a)がある.中島(1906)は鳥海火山を新火山と旧火山に区分した.Onuma (1963a) は西鳥海と東鳥海の二つの火山体に区分し,それらは指交関係にあるとした.安斎(1950)は,初期火山体,笙ヶ岳火山錐,猿穴火山体及び新山溶岩錐に分けた.柴橋・今田(1972)及び柴橋(1973)は初期火山体,西鳥海火山体,猿穴火山体及び東鳥海火山体の四つに分けた.後藤(1981)の研究は詳細は公表されていないが,全体を 6 つのステージに区分した.安斎(1950)以後の研究は初期の噴出物が現在の鳥海火山の全周囲の山麓に分布し,それが古い成層火山を形成していたという点で共通している.その後,林(1984a)により詳細な研究が行われ,火山活動全体がほぼ解明された.林(1984a)は鳥海火山 を三つのステージに大きく区分している.ステージ I では古期の成層火山体が形成されたが,林(1984a) は初めてその形態や規模を明らかにした.ステージ II は主に西鳥海火山,ステージ III は猿穴火口と東鳥海火山の活動であるとした.
その後,周辺の岩屑堆積物分布域の5万分の1地質図幅が整備され,5万分の1地質図幅「鳥海山及び吹浦地域の地質」(中野・土谷, 1992)が整備された.中野・土谷(1992)はステージ II をのぞき,林(1984a)の火山体区分をほぼ踏襲した.中野・土谷(1992)で先行する火山活動とされた噴出物についてはその後にK-Ar年代測定がなされ(林, 1994),それらも鳥海火山に含めることでほぼ決着している.それを含めK-Ar年代測定が進み,鳥海火山のマグマ噴出率の変化も検討されている(伴ほか, 2001).
鳥海火山の岩石学的研究としては,林信太郎による一連の研究が最も重要である.鳥海火山の岩石はカルクアルカリ安山岩と少量の玄武岩からなる.岩石と活動順序の関係は小藤文次郎が中島(1906)の中で指摘しているのが最初である.「旧火山に於ては火山完成に近づくに従い益々角閃石を増加し...(略) ... 新火山溶岩に於いては一も角閃石の存在せるものなくかつ旧火山丘に於けるよりもかんらん石を減ずるの傾あるが如き...(略)...酸性岩に多く含るる角閃石が基性岩に好んで出づるかんらん石と量の増減を同軌一にするは岩石学上の常規を脱す,この異常は果してこの火山の特質なるかな,将来火山学者の注目すべき要点なりとす」と述べている.その後,岩石記載はOnuma(1963a)や林(1984b),岩石の化学分析は主にOnuma(1963b)と林(1984b)により行われている.石川(1958)は,かんらん石と角閃石の共存する岩石は玄武岩マグマに地殻の同化あるいは酸性マグマの混合が起こった結果として生成されたとした.Onuma(1963b,1964)は,カルクアルカリ系列の安山岩は高アルミナ玄武岩系列の岩石の地殻物質の同化作用により生成されたとし,角閃石斑晶の有無は同化作用の違いのみでなく,同化する以前のマグマの化学組成に依存するとした.また,林・青木(1985)は造岩鉱物の化学組成,林(1986)は微量元素組成を発表し,それらの検討から,かんらん石斑晶を含まない安山岩は玄武岩マグマの結晶分化,かんらん石斑晶を含む安山岩はマグマの混合により形成されたことが明らかになった(Hayashi, 1985).そのほか,林・藤巻(1984), 林・大友(1987)及び林(1990)の研究があるほか,近年では大場ほか(2012b, 2013),Nakamura et al. (2007) ,佐藤ほか(2013),Takahashi et al. (2012, 2013)や神谷ほか(2015)などの研究報告がなされているが,いずれも詳細は公表されていない.
鳥海火山の山麓に広く分布する岩屑堆積物の地形及び成因に関する研究もいくつか行われている.水野(1962)は北麓に分布する岩屑堆積物を,新しい象潟“泥流”と由利原一帯の古い“泥流”に分けている.このうち,完新世の山体崩壊による堆積物,象潟岩屑なだれ(象潟泥流)堆積物は詳しく研究されており,加藤(1977, 1978),大沢ほか(1982)や宇井ほか(1986)などが記載し,含まれる木材の14C年代から3,000-2,600年前の堆積とされてきた.これは近年,年輪年代法により紀元前466年であることが明らかになった(光谷, 2001;奈良文化財研究所埋蔵文化財センター, 2007).その後の研究としては,山後ほか(1998)や吉田(2012)が流れ山の特徴などを検討している.また,それより古い岩屑堆積物は北麓の由利原では加藤(1984)や大沢ほか(1988)が,南麓の堆積物については土谷(1989)が記載している.また,宇井(1972)は火砕岩中の岩塊の帯磁方位を測定することにより,八幡町大台野と遊佐町東山付近の火砕岩が高温の火砕流堆積物であることを明らかにしている.鳥海山周辺の岩屑堆積物とその供給源についての関係は加藤(1986)及び井口(1988)により記述されている.なお,東鳥海馬蹄形カルデラ形成後の北麓(象潟平野)の堆積物については南ほか(2015)が詳しく解析している.
鳥海火山の有史時代の活動については中島(1906),大森(1918, p. 154-159)及び植木(1981)によりまとめられたが,その後,植木・堀(2001)により修正が加えられた.西暦871年の噴火については林ほか(2000)及び林(2002),西暦1800-1804年噴火については林(2001,2014),林・相澤(2002),林ほか(2013)に述べられている.また,1804年6月4日の象潟地震と噴火の関係ついては土岐田(2001)の検討がある.また,1974 年の噴火に関しては宇井・柴橋(1975)や Ui et al.(1977)などに詳しく述べられている.完新世の噴火については林ほか(2006),大場ほか(2012a)の研究があり,大場(2012a)は過去4,500年間では平均83年に1回以上の頻度で小規模な噴火が繰り返されていることを示した.