1962-63(昭和37-38)年噴火
1962-63年噴火は,一色(1962),Yamada(1962),Murai(1962)などの噴火記録が残されています.
この噴火は,1962年(昭和37年)6月17日21時55分に山頂北側斜面に新たな割れ目火口を形成(1962火口)し始まりました(火口写真).この爆破により割れ目火口のすぐ北側に位置する焼岳小屋が大破し,2名の負傷者がでております.噴火活動は,6月17日がもっとも大きく,火山灰が60kmはなれた上田や小諸にも降灰しました.
この最初の噴火の翌日18日と19日に噴火口から泥流が流れ出て白水谷,峠沢に流れ下りました.この泥流は,降雨などに よって火山砕屑物が二次移動したものでなく,火口から直接流れでたものです(Yamada,1962;小坂・小沢,1962).この泥流や火山灰 からは焼岳の地表付近の噴気変質では認められないモンモリナイトが発見されたことから,熱水変質により形成された地下の泥漿(でいしょう)溜りのようなものが爆発したと考えられています(小坂・小沢,1962).
6月22日には降雨による泥流が発生し,7月12日には降雨による泥流が発生 し梓川を堰き止めました.小爆発や降雨による泥流はその後も散発しましたが,1963年6月29日の小噴火を最後にこの噴火活動は終わりました.
現在,1962-63年噴火によって噴出した堆積物は,火口の周りの極限られた地点でしか認められません(図3).その一方, 1907-39年の噴火活動による堆積物は,火口から数km離れた地点においても黒色土壌中に火山灰層として認識できます.このことは,1962-63年噴火程度の噴火の痕跡は,火口から数km程度はなれた地点では地層として認識できない事を物語っています.
現在その噴火による堆積物が認められる範囲(ピンク色).
赤太線は 1962-63年噴火の火口.地形図は国土地理院発行2万5千分の1地形図
「焼岳」の一部を使用.及川ほか(2002)に基づき作成.