上高地の誕生 - 焼岳火山群による梓川の流路変更 -
焼岳東麓の上高地には,山の中にも関わらず広々とした平坦な地形が広がっています.この平坦地の形成は,焼岳火山群の活動と深い関係があります.また,その上高地を流れる梓川上流部の流路も,焼岳火山群の活動によって,岐阜県側から長野県側に変化しました.
上高地は焼岳東麓より上流の梓川沿い発達した平坦な地形(谷底平野) に位置する
陰影図はカシミール3Dを使用し国土地理院数値地図 50mメッシュ(標高)を使用し挿画)
焼岳火山群が形成 される以前,上高地付近を流れる梓川上流部は現在のように長野県側(東側)ではなく岐阜県側(西側)に流れていたと考えられます(例えば,加藤,1912;小林,1966;植木ほか,1998;岩田,2006).これは,岐阜県側にある12万 年前以前に堆積した礫層 に,現在 の上高地周辺にしか存在しない岩石の礫が含まれていることからわかっています(原山,1990;植 木ほか,1998;及川,2001).さらに,およそ70万年前には,現在と異なり焼岳周辺の河川(古梓川)はまっすぐ東に,高山の方向へ流れていたと考えられています(植木ほか,1998;田村・山崎,2000).この当時の上高地は現在のように谷底に広い平地が無く,急峻な谷をつくっていたと考えられます(加藤,1912b).
古梓川の流路の大きな変更は,約70万年前と3万年前に起きた
約3万年前以降,西に流れていた古梓川の上流部は東に流れるようになった
陰影図はカシミール3Dを使用し国土地理院数値地図 50mメッシュ(標高)を使用し挿画)
では,現在のように梓川上流部が長野県側に流れるようになったのはいつからでしょうか?
梓川上流部が長野 県側に流れるようになったのは,梓川沿いの段丘堆積物の礫組成,古地形の復元や焼岳火山群の火山活動史から約3万年前以降と考えられています(及川,2001)(*1).現在の上高地から岐阜県側にかけて流れていた古梓川沿いでは,焼岳火山群の活動が約12万年前から開始しました.この火山の活動により,たびたび古梓川は堰き止められ,その流路が変化したと考えられます.おそらく,現在の上高地周辺に湖ができたこともあったのでしょう.
約3万年前,新期焼岳火山群の白谷山火山の活動により梓川の谷は堰き止められ,行き場を失った梓川が長野県側に流れるようになりました(及川,2001).この後,たびかさなる新期火 山の活動によって梓川が堰き止められ,それより上流に土砂の堆積が進み,幅広い谷底平野,現在の上高地が形成されました.
最近の地質時代でもっとも顕著な堰き止めは,焼岳火山の下堀沢溶岩(約4千年前(14C: yr BP)の活動によるものです.その堰き止めによって釜トンネンル付近の梓川はさらに東に流路が押しやられ,現在の位置におちついています.この堰き止めの結果,中の湯から釜トンネル脇の梓川は深いゴルジュを形成しています(岩田,2006).
また,焼岳火山における最新のマグマ噴火,2300年前(cal. yr BP)の噴火により発生した中尾火砕流堆積物も大正池下流の梓川の両岸に厚く堆積しています(下堀沢と梓川の合流点付近:地質図参照).そのため,この噴火によっても梓川は一時的に堰き止められたのでしょう.
ごく最近でも焼岳火山の活動によって梓川は何回も堰き止められました.有名なものは1915年の大正池の形成ですが,1962年の噴火の際も6月22日に大正池の上流で梓川を一時堰き止めました(Yamada,1962).また,1995年におきた中の湯水蒸気爆発の際も一時的な堰き止めを起こしました(三宅・小坂,1998).
このように,焼岳火山の度重なる活動で梓川は堰き止められています.この堰き止めによって梓川の上流部が堆積域となることにより,上高地周辺の平坦地が 形成されているのです.
*1:梓川の流路変更は,旧期焼岳火山群の活動によって10万年前頃に おきたという考えもある(岩田,2004:2006).