最近3000年間の活動
焼岳火山では,焼岳周辺の数多くの場所で,腐植土壌に挟まれる11枚の降下火山灰が識別できました.これらの火山灰は,峠沢に沿う登山道脇で最も良く露出しているので,焼岳-峠沢テフラ群(Ykd-T)と呼ばれています(及川ほか,2002).
焼岳峠沢テフラ群の柱状図(及川ほか,2002)
このテフラ群中のYkd-TNkは,層相,層位,年代値から最新のマグマ噴火(中尾火砕流堆積物と焼岳円頂丘溶岩)に伴う火山灰と考えられます.Ykd-TNk火山灰は,下位の粘土質火山灰(Ykd-TNka)と上位のガラス質火山灰(Ykd-TNkb)に分けられる,その間に噴火の休止期を示す証拠がないことから,この活動は水蒸気噴火に始まりその後マグマ噴火(溶岩ドームの形成,崩落による火砕流の発生)に以降したと考えられます(及川ほか,2002).また,Ykd-TNkの上位にサグ構造をつくる火山岩片があることから溶岩ドーム形成直後,水蒸気噴火などでそのドームを吹き飛ばすような噴火があったことが示唆されます(及川ほか,2002).
その他の10枚の火山灰は,Ykd-Tの下位に2枚(Ykd-Tl1〜2),上位に8枚(Ykd-Tu1〜8)あり,いずれも新鮮なマグマが放出された証拠は無く,すべてその前後にマグマ噴火を伴わ ない水蒸気噴火の産物であると判断できます(及川ほか,2002).つまり,明治以降の噴火に似た噴火は過去にも起きていたと考えられます.
多数のテフラ直下の腐食土層の14C年代測定値と古記録とあわせて噴火年代を推定すると,Tu1が続日本記の658年(天武天皇十四年)の噴火記録,最上位のTu8が1907-39年噴火記録に対応し,Tu7が武者(1942)に採録された1746年(延享三年)に越中能登に火山灰を降らした噴火記録に対応する可能性があると考えられます(及川ほか,2002).
その他,1584ないし85年(天正十二ないし十三年)と1626-28年(寛永三〜五年)にも噴火記録がありますが伝説めいたもので噴火記録としては問題があります.しかし,その前後の年代を示すテフラ(Tu5とTu6)も発見されました(及川ほか,2002).これら伝説めいた記録と同時期に,飛騨地方で大きな被害の出た天正大地震(1585年)が起きました.そのため伝説めいた記録は,この時期の活発な噴火活動や地震の記録がごちゃ混ぜになり,伝説として伝わったものと考えられます.
もっとも最近の噴火,1962年の噴火のテフラは,火口のごく近傍以外には堆積物として残っておらず,今回発見した11枚のテフラには含まれていません.Ykd-T I およびYkd-Tuの11枚のテフラは,いずれも山頂から1-2km程度離れた山麓で認識できることから,1962年の噴火より規模の大きな噴火であると考えられます(及川ほか,2002).