西之島近海における海底噴火は、変色海域が確認されたことにより遅くとも1973年4月には始まっていたことがわかっている。5月になると海面上に白色噴煙がたち始め、6月には岩礁が見え隠れするようになる。海底噴火地点は南に移動し、8月には噴石の放出、9月中旬には海面上に噴石丘の形成が確認された。そして9月末には海面上での最初の溶岩流出が観察された。この頃、明瞭なコックステールジェットを持つマグマ水蒸気爆発が頻繁に目撃されている( 第13図)。その後も噴出中心は移動しつつ、10、11月頃までは新島の成長に伴う拡大と海食による縮小が繰り返された(第14図)。その頃までの海面下での噴出位置は当初の位置から南方向へ(第15図の1から3)、さらに西南西方向(第15図の4から6)へと移動した。11月以降は後戻りするように、それまでとは逆方向(東北東)に噴出中心が移動した(第2火口)。12月になると第2火口を中心に活動が活発で陸域の拡大が続き、12月21日に「西之島新島」(最高高度52m)と命名された。その後も活発な活動を続け、噴出中心はさらに北方向へ移動し、翌2月には第3及び第4火口が、3月には第5火口が形成され、5月には大量の溶岩流出でさらなる陸域の拡大が確認された(第14図)。6月上旬には新島と旧島の接続が認められ、噴火もほぼ休止した。これまでの噴火の経緯は小坂(1991)により 第1表のようにまとめられている。総噴出量は海面下を含め約4000万トン(海上保安庁水路部・文部省総合研究班、1976)、あるいは、約0.037立方キロ(城戸ほか、1975)と見積もられている。
第13図 西之島のマグマ水蒸気噴火(小坂撮影)
A:噴石丘が形成されており、コックステールが顕著 左後方に旧島 1973年9月14日
B:尾を引きずって噴石が落下している 高さ約200m 1973年10月9日 右後方に北の岩礁群の一部が見える
(海野・中野(2007)の第4.10図)
1973年9月14日から翌1974年7月7日までの地形変遷を表している
(海野・中野(2007)の第4.11図)
噴火終了直後の地形図(1974年7月7日;青木・小坂,1974)に海底噴火地点(小坂,1974c)と火口名を記入