1973-74年噴出物は1973年から翌1974年にかけて噴出した溶岩及び火砕物であり、基本的に陸上での火山噴出物である。複数の噴出中心を持つが( 第15図)、噴火開始以降の波浪浸食でその大部分が失われており、2003年時点で残存するのは、第1及び第3火口から流出した溶岩、さらに第5火口の噴石丘及び溶岩の一部である。なお、地質図の基図として1991年測量による地形図を使用しており、2003年調査時点では海岸線が変化しているが、地質図はこの地形図に合わせて作成してある。
第1火口丘には少なくとも2つの火口地形が存在した。2003年時点では、溶岩はその末端(北端)が波打ち際にわずかに残されていたほか、沖合約100mに位置する高度7mの岩礁( 第6図B)として残存しているのみである。噴出火口はより南方沖合に存在した。
第3火口丘には3つの火口が存在した。溶岩流は樹枝状に枝分かれし、2003年時点、海岸沿いでは下位に塊状の溶岩、上部に厚いクリンカーが載り、海食によりえぐられたトンネル状の地形、天然橋(洞門)も見られる。全域で溶岩流表面にアアクリンカーの発達が著しい。開裂折り目構造(crease structure)などの溶岩流表面の構造が保存されている( 第11図A)。火口丘そのものは海食ですべて失われている。
第11図 西之島1973-74年噴火による溶岩の産状
A:開裂折り目構造(crease structure)
B:溶岩流末端、スケールは1m C:板状節理
(海野・中野(2007)の第4.9図)
第5火口丘には2つの火口地形が存在した。北西側の火口が先に形成されており、南東側の火口が遅れて形成されている。このうち北西側の噴石丘は一部残存し、火道部分が尖塔状に露出し、噴石の累重が見られる。直径2-3mの火道跡では円筒状の空洞の周囲に溶岩が薄く張り付いている様子が観察できる。南西側の火口から流出した溶岩上部には厚いアアクリンカーが発達し、塊状部には明瞭な板状節理が発達している( 第11図C)。
1973-74年噴出物の岩質はいずれも斜方輝石含有単斜輝石安山岩である( 第12図)。斑晶は大きさ1.0mm以下の斜長石、0.6mm以下の単斜輝石、0.3mm以下の斜方輝石、0.4mm以下の不透明鉱物からなり、その多くは自形ないし半自形を呈し、集斑状をなすことがある。斑晶量は、斜長石が4%以下、輝石は合わせて2%以下である。石基は斜長石、単斜輝石、斜方輝石、不透明鉱物及び褐色ガラスからなる。
第12図 西之島火山噴出物の顕微鏡写真
1973-74年噴出物はGSJ R81921(地質標本館登録番号)Aは開放ニコル、Bは直交ニコル Pl:斜長石、Cpx:単斜輝石、Opx:斜方輝石
(海野・中野(2007)の第4.6図)