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有珠火山地質図(第2版) 解説地質図鳥瞰図
まえがき - 1:有珠火山周辺の地質 - 2:有珠火山の概観

第2版(2007年)へのまえがき

 有珠火山地質図の 第1版発行(1981年)から四半世紀が過ぎたが,この間,有珠火山の調査研究は進み,また2000年噴火も起こった.そこで,主に2000年噴火に関する記述を増補した第2版を今回作成した.紙面の制約から1977~78年噴火に関する記述を一部割愛したほか,最近の知見に基づき一部の記述・用語の最小限の修正を行ったが,2000年噴火以外の部分は地質図も含め 第1版から基本的に大きく変えていない.本地質図の内容については, 第1版から引き継いだ部分は曽屋・勝井・新井田・堺が,第2版で改訂した部分は東宮が担当した.特に大きく改訂されたのは第3章および第5章である.

 なお, 第1版の内容は地質調査総合センターの活火山データベースにおいて今後とも閲覧可能である.


第1版(1981年)へのまえがき

 支笏(しこつ)・洞爺(とうや)国立公園の一部を占める有珠火山は,1663年(寛文(かんぶん)三年)から今日まで7回(第2版注:1981年当時)の噴火を記録しており,わが国における最も活動的な火山の一つである.近年になって有珠火山に生じた明治新山(1910年),昭和新山(1943~45年)及び有珠新山(1977~78年)は,粘性の高い珪長質マグマによる特異な火山活動の産物として注目されている.有珠火山の周辺には,優れた火山地形,肥沃な火山性土壌,豊かな温泉の湧出などがみられ,観光,農・林・水産業などの開発がさかんである.観光客は年間500万人に及んでいる.しかし火山地域の開発には,噴火災害や山体の崩壊・泥流(土石流)などの災害に対する考慮も必要である.このことは,1977~1978年の噴火を通じて改めて得られた教訓の一つである.この火山地質図は,有珠火山についてのこれまでの地質学的研究の結果をまとめたもので,有珠火山の将来の研究ばかりでなく,噴火防災・地域開発・観光などのために利用されることがあれば幸いである.


1:有珠火山周辺の地質

 北海道南西部の内浦湾(噴火湾)の北辺には,澄明な湖水をたたえる洞爺湖がある.洞爺湖はほぼ円形のカルデラ湖で,直径約10km,湖面海抜84m,水深平均 110m(最大179m)で,中央に輝石角閃石安山岩の溶岩ドーム群からなる中島火山があり南側に有珠火山が噴出している.ブーゲー異常分布では,洞爺カルデラは低重力異常型に属し,カルデラ中心部は周縁より相対的に約11mgal低い.

 洞爺湖の周辺には,この地域の基盤を作る新第三紀の変質安山岩及び輝石安山岩などが広く分布している.壮瞥(そうべつ)町滝之上(たきのうえ)付近から洞爺湖東岸にかけては,更新世初期に噴出したと考えられる壮瞥火砕流堆積物(流紋岩質,大部分非溶結)と滝ノ上火砕流堆積物(安山岩質,大部分溶結)が分布している.長流(おさる)川東岸には,滝ノ上火砕流堆積物をおおって,礫,砂及び泥からなる上長和(かみながわ)層(中期更新世)が露出している.上長和層は洞爺湖町泉(いずみ)地区周辺の丘陵地にも分布している.以上の更新世の地層は,有珠火山の基底にも広く分布し,昭和新山ではこれらの地層が押し上げられて地表に露出している.

 更新世後期には,現在の洞爺湖の中心付近で大規模な軽石噴火が起こり,洞爺カルデラが形成した.このときの噴出物が洞爺火砕流堆積物で,北方へはニナルカ台地をへて羊蹄(ようてい)山の基底から日本海の岩内(いわない)海岸まで,また南方へは有珠山の基底から伊達(だて)市にかけて流下堆積している.これら洞爺火砕流堆積物の総量は20km3以上に及び,広域に分布する火山灰は150km3を超える(町田・新井,2003).長流川下流左岸の火砕流台地では上下2枚のフローユニットが認められ,下位が淡紅色火山灰流,上位が帯紅灰白色の軽石流(いずれも非溶結)からなっている.これらの岩質は輝石流紋岩である.洞爺火砕流堆積物の年代は,様々な放射年代値,他の広域テフラとの層位関係,酸素同位体層序に基づき,11.2~11.5万年前(町田・新井,2003)と推定されている.( 第1表 第1図


2:有珠火山の概観

 有珠火山は,洞爺カルデラの南壁上に生じた二重式の火山で,直径約1.8kmの外輪山をもつ玄武岩-玄武岩質安山岩の成層火山(基底直径6km,比高約 500m)と,その側火山(ドンコロ山スコリア丘),及び3個のデイサイト溶岩ドーム(小有珠(こうす),大有珠(おおうす),昭和新山)と多数の潜在ドーム(西山(にしやま),金比羅山(こんぴらやま),西丸山(にしまるやま),明治新山,東丸山(ひがしまるやま),オガリ山,有珠新山,2000年隆起域,ほか)から構成されている.潜在ドームは粘性の大きなマグマが地表を隆起させて生じたもので,この実例は 1910年に明治新山の形成によって初めて明らかにされた.有珠山の溶岩ドームは,いずれも粘性の極めて高いデイサイトマグマが地表を隆起させて潜在ドームを作り,さらに引き続き溶岩が地表に突出したもので,その表面は滑り面をもつ赤い天然レンガで被覆されているのが特徴である.これらのドーム群は,山頂及び北麓を通る北西-南東方向の2帯に配列している.ドームのいくつかは歴史時代に生じたことが記録からも明らかである.

 有珠山の形成史は約1~2万年前にさかのぼる( 第1表).まず,洞爺カルデラの南壁で玄武岩-玄武岩質安山岩の溶岩,スコリア(有珠外輪山溶岩)が噴出した.これらの噴出物は,はじめ洞爺カルデラの内側に流下し,山体成長とともに外側にも流下して,円錐状の成層火山を作った.この時期に,北東麓の洞爺カルデラ壁沿いでは小さなスコリア丘(ドンコロ山)を生じている.その後,7,000~8,000年前,有珠山の山頂部は大きく崩壊して現在の磐梯(ばんだい)山のような姿になり,岩屑は南麓に広く流下して大小の流れ山を作った(善光寺(ぜんこうじ)岩屑なだれ堆積物).この岩屑なだれ堆積物は,有珠外輪山溶岩のほかに,洞爺火砕流堆積物や上長和層をもまきこんでおり,複雑な海岸線をもつ有珠湾を作り,また各所で採石されている.この堆積物の上位には,縄文早期から晩期までの人類遺跡が発見されている(若生(わっかおい)貝塚).有珠火山の周縁にはその後,数千年の間,この火山を起源とする火山噴出物が見当たらず,有珠火山は長い間活動を休止していたと考えられる.この間に,地下に極めて珪長質なマグマが作られ,1663年(寛文三年)の軽石噴火(プリニー式噴火)に始まる歴史時代の活動が起こった.有珠火山では歴史時代に軽石・火山灰噴火,水蒸気爆発などを繰り返し,火砕サージや火砕流をも発生し,さらに上述のような多数の溶岩ドームや潜在ドームを生じている.


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