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桜島火山地質図(第1版) 解説地質図鳥瞰図
4:山体の侵蝕 - 一回の大噴火と噴火のくり返し

山体の侵蝕

 陸上の火山は常に侵蝕の作用にさらされている.特に桜島火山では,中腹以上の急傾斜の部分が,主に火砕物の固結していない累積によってできているので,侵蝕をうけやすい.山腹に一旦細い谷(雨裂)ができると,大雨のたびに谷は深く削られ,また谷頭が上方へ延びる.そして大量の土砂を土石流として流し出して,山麓の緩斜面に堆積させて扇状地を形成する.北岳の西面には谷が深く切りこみ,谷の出口には広い扇状地が発達している.北岳北面の山麓部では前縁の崖を残して溶岩流の表面はこのような扇状地礫層に覆われかかっている.一方,島の西-南西面では,大正溶岩をはじめ南岳の新しい溶岩類が扇状地礫層を覆ってその上を流下しており,侵蝕と火山活動による山体の形成とがくり返して行われていることを示している.


一回の大噴火と噴火のくり返し

 大正(1914年)や安永(1779年)の大噴火の際には,まず噴煙柱が高く上昇して,火口の東方に大量の軽石・灰を降らせた.10数時間-1.5日の噴煙活動がおさまるとともに溶岩の流出が始まった.爆発はマグマの中に溶けていたガス成分(主に水蒸気)が急激に分離して高い圧力を発生することによっておきるので,噴火の初期には分離したガスがマグマの破片(軽石・火山灰)を伴って放出され,大部分のガスの分離が終ると溶岩の流出に移るのである.噴火活動のこのような順序は桜島火山に限らず,多くの火山で一般的に見られる.軽石・火山灰の噴出・降下が溶岩の流出よりも前なので,大正噴火の軽石・火山灰層は大正溶岩の下にあって,上にはない.安永・文明等の各活動期の軽石層と溶岩も同様な関係にある.桜島火山の各溶岩はみかけがよく似ていて,野外で区別することは容易ではなく,実際には軽石層との積み重なりの関係を調べることによって各溶岩の時代を明らかにすることができる(第4図 第4図).

 桜島の東方の大隅半島には桜島火山から噴出した軽石層が何層もみられる.軽石層は大噴火の産物であるが,軽石層と軽石層との間には,活動がそれほど激しくない時期に降下した細かい火山灰がはさまっている.火山灰は一般に風化により土壌化して赤土になっているので,露頭面では軽石と赤土とが層状に交互して見えるのが普通である.

 軽石層の下に黒土があることがある.土が黒いのは噴火によって埋没した植物に由来する炭質物を含むためである.この炭質物あるいは炭化した植物片そのものの中の放射性炭素(14C)を使ってこの植物が埋没して死滅した年代,すなわち直上の軽石層が堆積した年代を求めることができる.


 各々の軽石層の1層ごとの厚さを測定して分布を示したのが図4を拡大する 第2図である.これらのうち上から3層までは,それぞれが大正・安永・文明の噴火の噴出物であることが知られているが,それ以下のものは一部を除いて噴出年代が判っていない.また文明以前の各層が桜島火山のどの溶岩と同時期に噴出したのかもまだ明らかでないが,大正・安永・文明の各活動と同様に,軽石の噴出に引き続いて溶岩が流出し,1回の噴火の総噴出量は1-2km3におよんだものと思われる.このように火砕岩と溶岩が積み重なることによって桜島は成長してきた.昭和(1946年)の噴火は軽石の噴出を伴わず,溶岩の流出量は約0.08km3であって,噴出物量からみた活動の規模は文明・安永・大正などの1/10-1/20である.


 桜島火山からの軽石・火山灰の噴出が時間的にほぼ一様の割合で起こってきたと仮定して,これらの軽石・火山灰の噴出の開始を推定してみる(図4を拡大する 第5図)と,桜島火山の現在のような活動は約13,000年前に始まったことがわかる.


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