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桜島火山地質図(第1版) 解説地質図鳥瞰図
2:歴史時代の噴火

 歴史に記録が残されている桜島の噴火で,もっとも古いものは708年(和銅元年)である.それ以来現在までは約1,300年であり,推定された桜島の年令のうち,最後の約1/10を示すことになる.

 歴史時代の噴火のうち,詳細不明の8世紀の噴火を除くと,文明・安永・大正の各噴火が軽石噴出と溶岩流出とを伴う大噴火であり,噴出物量はそれぞれ1 km3以上である.昭和の噴火(1946年)は溶岩流出のみで,噴出物量は以上のものの1/10以下である.


8世紀の活動

○708・716・717年:噴火
○764年(天平宝字8年):大噴火.三島を生じたとあるが,場所は現在不明.
○766年:噴火.その後700年間活動の記録がない.


文明の噴火及びその後安永の噴火まで

○1468年:噴火
○1471年(文明3年):黒神村で噴火.噴石,(B1?)の流出.
○1473年:噴火
○1475年(文明7年):野尻村で噴火.燃崎生成.
○1476年(文明8年):島の南西側に溶岩流出.噴石・降灰.死者多数.
○1478年:噴火?
○1642・1678・1706・1742・1749・1756年:噴火の記録.


安永の噴火及びその後大正の噴火まで

○1779年(安永8年):11月8日,数日前から地震頻発,当日朝から海岸の井戸沸騰流出,海水紫に変色.11時頃から南岳山項火口から白煙,14時頃から南岳南側山腹爆発,16時頃北東側中腹からも爆発,翌日朝まで激しい爆発が統き,その後南・北東両側火口から溶岩流出,死者153.
○1780年(安永9年),1781・1782年(ともに天明元年):出現した新島及び周辺海中で爆発,津波,死者・行方不明等.
○1783・1785・1790・1791・1794・1797・1799年:噴火,降灰.
○1860年:噴火
○1899年(明治32年):噴煙


大正の噴火

○1914年(大正3年):1月10日から地震.1月12日早朝南岳項上から白煙.南海岸脇・有村等で熱湯を噴出.10時頃南岳南西山腹(高さ570m)から噴火,約10分後南東側山腹(高さ470m)からも噴火始まる.噴煙上昇8,000以上,爆発の極盛時は13日0-1.5時位.放出された火山灰・軽石で黒神部落はほとんど埋没.20時頃西側火口から,14日朝南東側火口から溶岩(T1)流出始まる.西火口からの溶岩流出は数日で止ったが,溶岩は流下を統け,1月末旧海岸線から1.2km前進して停止した.南東の溶岩(T1)は瀬戸・脇・有村部落を埋没,1月29日瀬戸海峡を埋めて大隅半島と連結,南東側火口群からは2月頃から再び溶岩(T2)を流出,海岸線の前進は年末まで続く.1915年3月末から4月始めに溶岩前縁からの二次溶岩(T’2)の流出が起こった被害は埋没・全壊家屋120,死者63,降灰は仙台,秋田に達した(図1を拡大する 第1図).放出火山灰,軽石は0.6 km3,溶岩は1.1-1.6 km3.噴火後鹿児島湾北部(姶良カルデラ)を中心に土地の水平移動及び最大2.5mの沈降.


昭和の活動

○1935・38年(昭和10・13年):噴煙,降灰.
○1939年(昭和14年):10-11月.南岳東南東山腹(高さ750m)で噴火,降灰.小規模な火砕流発生.
○1940-45年(昭和15-20年):ときどき噴火,降灰.
○1946年(昭和21年):1月からときどき噴火,降灰.3月9日南岳東斜面(高さ800m)から溶岩流出.溶岩は東と南に分流,4月5日黒神海岸に,5月21日有村海岸に達した.死者1.噴出物量0.08 km3
○1948・50・54年(昭和23・25・29年):ときどき噴火.
○1955年(昭和30年):10月南岳山頂で爆発.死者1.
○1956年(昭和31年)以降1980年(昭和55年)まで:南岳山頂火口の活動,消長を繰り返しながら継続している.


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