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第四紀火山>活火山>三宅島
三宅島火山地質図 解説地質図鳥瞰図
1:はじめに - 2:三宅島火山の地形

1:はじめに

 三宅島火山は,東京の南200kmに位置する日本でも有数の活発な火山であり,1085年以来多数の噴火記録が残されている.2000年6月26日に17年ぶりに始まった火山活動は大規模なマグマの貫入に始まり,火山灰や低温“火砕流”の噴出,陥没カルデラの形成,多量の二酸化硫黄ガスの放出をともなうもので,三宅島では有史時代に例のないものであった.放出された二酸化硫黄ガスの濃度が環境基準を超えたため,同年9月には,約3,800名いた住民全員が島外避難を強いられた.4年半を経て,2005年2月からようやく帰島を開始した.

 この火山地質図はこれまでに行われた三宅島火山の噴火の歴史,地質・岩石に関する研究の結果をまとめたものである.基礎資料として今後の研究や帰島後の防災・復興計画,噴火予知に活用されることを願っている.


2:三宅島火山の地形

 三宅島火山は海底部分も含めると南北25km×東西15km,南北にややのびた広がりを持つ.水深約400mの海底からたちあがり,海面上には最高点783m,直径約8km,ほぼ円形の三宅島が現れている.西-北山腹には標高350m付近に桑木平[くわのきたいら]カルデラとよばれる陥没地形の縁が認められる.この外側斜面には,深い谷が刻まれており,地表に現れている火山体のうちでもっとも古い.桑木平カルデラの内側には後桑木平カルデラ火山が成長し,その標高700m付近には南北1.8km×東西1.6kmの八丁平 [はっちょうだいら]カルデラと呼ばれる陥没があった.つまり2重のカルデラをもつ火山体ができていた.その中に後八丁平カルデラ火山にあたる雄山[おやま]が成長したが,2000年夏にまたも山頂周辺が落ちこんで,新たなカルデラが形成された.

 三宅島火山では,山頂噴火のほか,山腹に放射状に新たな火口が並ぶ割れ目噴火も頻繁に起こった.その結果,線状に配列するスコリア丘や,海岸近くのマグマ水蒸気爆発で開いたマール (爆裂火口)を数多く見ることができる.大路[たいろ]池のある古澪[ふるみお],1763年に形成された新澪[しんみお]池(跡)などはこのようなマールの例である.また,谷に沿って流下した流動性に富む溶岩は山麓・海岸で溶岩扇状地や岬をつくっている.新しい溶岩が流下しなかった西-北海岸には比高50m以上の海食崖が連続する.


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