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第四紀火山>活火山>三宅島
三宅島火山地質図 解説地質図鳥瞰図
4:2000年噴火・山頂陥没

 1983年の噴火の際に大きく沈降した山体は,一転して南西山腹を中心に膨張と隆起-マグマの蓄積-が続いた( 第4図).1990年代後半には沈降分をほぼ回復し,近い将来に噴火が起こる可能性が高いと警戒されていた.

 2000年6月26日18時30分頃から,活発な地震活動と山体の急激な膨張が観測され,19時33分緊急火山情報が発令された.翌日未明を境に山体は収縮・沈降に転じた.6月28日朝には阿古沖の海底で小噴火があっただけで陸域では噴火は起こらなかった.地震の活動中心は三宅島から北西30kmにある神津島・新島近海に向かって移動していった( 第5図).この変動はマグマの上昇とそれに引き続く側方への貫入をとらえたものである.7月8日にはじめて小規模な噴火が山頂部で起こり,同時に雄山山頂付近直径1kmが陥没した.陥没部分は日々拡大し,8月末には八丁平カルデラに重なる位置に,直径1.6km,深さ450mに達し,カルデラとよべる大きさとなった.陥没火口では7月14~15日,8月10日に水蒸気爆発が起こった.8月18日夕方には直径50cmの岩塊が3.5km離れた都道にまで噴きとばされる噴火がおこり,そのときの噴煙は15,000mにまで上昇した.8月29日早朝には,30℃程度で時速10km以下と低温・低速度の“火砕流”が発生して北麓,南西中腹に流下した( 第6図).2000年噴出物の見かけ体積の総量はおよそ0.01km3(中田ほか,2001)と,1940年,62年,83年に匹敵する噴出量であったが,その過半は既存の溶岩,変質した溶岩の砕屑物であって,本質物の割合は最も高い8月18日噴出物で40%程度である(宇都ほか,2001).一方,陥没した体積は噴出物の50倍以上に相当する0.6km3であった(中田ほか,2001).2000年8月下旬からは噴煙及び二酸化硫黄などの火山ガスの放出量が増加したため,9月には全島民が島外に避難した.その後は,大量の火山ガスの放出が続き,年数回程度ごく小規模な噴火が発生している.

 一連の火山・地震活動は1km3におよぶ大量のマグマが三宅島の地下の溜まりから北西へ移動したために陥没したと考えられる.神津島・新島2島間の距離はマグマの貫入と横ずれ変動によって1m近く伸びた( 第7図).


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