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十勝岳火山地質図 解説地質図鳥瞰図
4:歴史時代の噴火

 記録が残る19世紀以降,十勝岳火山群では中央火口と62火口で噴火が起こり,1926年,1962年,1988-89年にはマグマの噴出を伴った.これらはいずれも爆発的な噴火で,噴出物の岩質は玄武岩質安山岩である.歴史時代における噴火の総噴出量は 0.006 km3 DRE (岩石換算) と見積もられている.噴火記録を第1表にまとめる.これら噴火の経緯は多田・津屋 (1927),勝井ほか (1963b),石川ほか (1971),Katsui et al. (1990) が詳しく記述している.

4.1 19世紀の噴火
 19世紀の1857年と1887年に噴火があったらしい.松浦武四郎は1857年 (安政四年) に十勝岳の西山麓に達した際,「山半腹にして火脈燃立て黒烟天を刺上るを見る」と,石狩日誌に記述している.また安政の頃に中富良野に在住した人が,「泥流の為に (水害といふ者もある) 家族三人を惨死せしめた」と,1926年噴火後に語ったとある (十勝岳爆發罹災救濟會,1929).1887年 (明治20年) に硫黄鉱床調査を行った大日方は,「石狩河畔ニ於テ到處望見セル所ニシテ年々大噴出ヲ爲ス┐數回ニ及ヒ時トシテ忠別近傍迄灰ヲ降ラス┐アリト伝フ」 (┐は事の意) と,調査の2年後に報告 (大日方,1891) している.これは前後の文脈から噴火の伝聞を述べている.これら1857年と1887年に相当する噴火堆積物は現在までに認められていない.

4.2 1926 - 28年噴火
 1926〜28年に起こった一連の噴火は,1926年 (大正15年) 4月5日の小噴火から始まった.その1ヶ月半後の5月24日,正午過ぎ (12:11) と4時間後の夕刻 (16:17) に噴火は最盛期を迎えた.この後活動は一旦休止したが,3ヶ月半後の9月8日に噴火が再び起こり,噴煙柱は高度 4,600 m に達した.小噴火は1928年12月までの2年近く,断続的に続いた.

 噴火最盛期となった5月24日の噴火では,降下火砕物の放出とともに中央火口丘が崩壊し,岩屑なだれが発生した.更に泥流が美瑛川及び富良野川に沿って流れ,噴火開始から25分余りで 25 km 遠方の上富良野市街に達した.5月24日の噴火で144名,9月8日の噴火で2名の死者・行方不明者がでている. 噴火当時に確認された1926年噴出物の分布は 第4図 の通りである.噴出量は降下火砕物が 1.3×104 m3 ,山体崩壊による崩壊量が 2×106 ないし 4×1063 と見積もられている.一方,現存する堆積物は降下火砕物,岩屑なだれ堆積物,泥流堆積物,熱水サージ堆積物からなり (上澤,2008),山体崩壊に加え熱水噴出が起こったことは明らかである.本地質図では岩屑なだれ堆積物を1926年岩屑なだれ堆積物 (Cm) として示した.降下火砕物は中央火口壁に層厚100 cm 以下で露出し,また泥流堆積物は流下した河川沿いを中心に数cm厚で所々に確認できるが,これらの分布は狭いため本地質図では省いた.

4.3 1962年噴火
 1962年噴火は,グラウンド火口の西壁縁に新たにできた62火口で起こった.噴火は6月22日22時過ぎに始まり,一旦休止した後, 約4時間半後の翌23日未明〜正午過ぎに最盛期を迎えた.噴出物は降下火砕物からなる.この時の噴煙柱高度は約12,000 mに達し,降灰は北海道東部一帯を覆って ( 第5図),約650 km離れたウルップ島南方沖まで達した.その後小規模な噴火が約1ヶ月後の7月末まで継続した.噴出量は6月22日22時過ぎの第1回目の噴火が9.7×1023 ,翌23日未明〜正午過ぎの第2回目の噴火が 7×107 m3 と見積もられている.

 1962年噴火では,火口周辺に小規模な火砕丘 (62) が形成され,火口から東南東方向には降下スコリア (Tk-8) が分布している.この噴火では62-0〜4火口と呼ばれた5つの火口が形成されたが,現在では62-2及び62-3火口のみが残り,他の火口は埋積されている ( 第2図).

4.4 1988 - 89年噴火
 1988-89年噴火は62-2火口で起こった.噴火は1988年12月16日の水蒸気噴火で始まり,12月19日には網走まで火山灰が達するマグマ水蒸気噴火が,12月24日にはごく小規模な火砕流と火砕サージが発生した.翌年1月から2月にかけてもマグマが関与した噴火をしばしば行い,3月5日まで約3ヶ月間噴火は継続した.この間の火山灰は東北東-南東方向に降灰し,最大のもの (12月19日) でも1.2×105 m3 と少量であった.1988-89年噴火の総噴出量は6〜7×1053 と見積もられている.

 1989年2月8日に噴出した火山弾は,最大径 20 m に達し,62-2火口の東側に散在する.本地質図では径数m以上をもつ火山弾の降下範囲を示した.


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