1:はじめに
2:周辺の地質概要と御嶽火山の地形及び火山噴出物以外の第四系
3:御嶽火山の活動史
4:記録に残る噴火
5:化学組成 - 6:噴気活動・温泉
7:監視体制と最近の活動- 8:防災上の注意点
文献
Geology of Ontake Volcano
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3:御嶽火山の活動史
御嶽火山の火山層序の研究は多数あり,近年の代表的なもののみでも山田・小林(1988),木村(1993),竹内ほか(1998),Kimura and Yoshida(1999),松本盆地団研グループ(2002),竹下(2004),及川ほか(2014),及川ほか(2015)がある.また御嶽火山起源の遠方に降灰したテフラ層序の研究も小林ほか(1967)以降に多数あり,近年の代表的なものだけでも,古期については竹下ほか(2005,2007),新期については竹本ほか(1987),木村(1987),木村ほか(1991)などの研究がある.しかし火山体の層序やテフラ層序は研究ごとに相違が認められ,統一見解は得られていない.そのため本火山地質図では,既存研究を参考にしつつ,航空レーザー測量結果に基づく高密度DEMや斜め空中写真などを用いた地形判読と地表地質調査を組み合わせた調査を行い,さらに年代測定(山﨑ほか,2023)などを新たに行い,以下に示す方針で再区分した地質ユニットを地質図に示した.
古期については,松本盆地団研グループ(2002)と竹下(2004)の層序に基づき,噴出中心や岩質・岩相が大きく変わるところを境に地質ユニットを区分して地質図に図示した.活動時期についてはKioka et al.(1998)と松本・小林(1999)の放射年代値に基づき区分した.
新期についても,噴出中心や岩質・岩相が大きく変わるところを境に地質ユニットを再区分して地質図に示した.各地質ユニットの活動時期はMatsumoto and Kobayashi(1995),松本・小林(1999),山﨑ほか(2023)の放射年代値を用いて本火山地質の地質ユニットを基に整理した.降下テフラ層序については,広域テフラとの層位的関係を整理した木村(1987),Kimura and Yoshida(1999)に従い,各テフラ層と火山体を構成する地質ユニットの活動年代とに矛盾がないように対比を行った(
第2図).本地質図で使用するテフラの名称は町田・新井(2003)に従い,それで命名されていないものについてのみ木村(1987)の名称に給源火山名の「御嶽」をつけて用いた.
第1表にはそれらの名称を含めてテフラの特徴をまとめた.完新世の活動やその年代に関しては,特に断りのない限り,及川ほか(2014)や及川ほか(2015)に従っている.
3. 1 古期御嶽火山
古期御嶽火山の活動は,噴出物の特徴と層序,年代測定値に基づき,降下テフラを噴出する爆発的な活動が優勢な湯川火山岩類からなる古期第1期(約78~64万年前)と溶岩を流出する活動が優勢な王滝(おうたき)火山岩類からなる古期第2期(約64~39万年前)に大別される.さらに古期第1期は,降下テフラ層に含まれる苦鉄質鉱物の組み合わせの変化により,古期第1a,b,c亜期に細分され,それに対応して湯川火山岩類は下部,中部,上部に細分される.一方,第2期は活動の休止期間と噴火中心の位置に基づき古期第2a,b,c亜期に細分され,それに対応して王滝火山岩類を下部,中部,上部に細分する.
古期御嶽火山の中心部は,新期御嶽火山の噴出物に広く覆われるため,具体的な山体の形状は不明である.しかし,各亜期の火山岩類に分布範囲の偏りが認められるため,富士山のような円錐型の成層火山ではなく,新期御嶽火山のように火口の位置を変えながら成長した複式成層火山であったと考えられる.なお,以下の火山岩類の体積は現存する地質ユニットの体積であり,侵食された部分や遠方に降下したテフラの体積は考慮していない.
湯川火山岩類下部(古期第1a亜期:約78万年前)は,火山体東の湯川中流域において基盤岩を覆って局所的に分布する.角閃石を多量に含むデイサイト・流紋岩質の降下軽石層を複数枚挟む火山砕屑岩類からなる.本火山岩類に挟まれる降下軽石層のうち,湯川テフラ5(YUT5)は,房総半島国本層中の御嶽白尾(びゃくび)Eテフラ(Byk-E)に対比され(Takeshita et al., 2016),それはチバニアン期のGSSPの基準層となっている(Suganuma et al., 2021).
湯川火山岩類中部(古期第1b亜期:約78~70万年前)は,主に古期御嶽火山体の南東部を構成し,北東,北西及び南西側の山麓にもわずかに分布する.体積は約8 km3DREである.本火山岩類は,主に火山砕屑岩類からなり,それらに挟まれる多数のデイサイト質の角閃石輝石降下軽石層で特徴づけられる.このほか本火山岩類には,小規模な玄武岩質安山岩・安山岩溶岩も複数枚挟まれる.
湯川火山岩類上部(古期第1c亜期:約70〜64万年前)は,主に古期御嶽火山体の東〜北部を構成するが,一部は南東及び北西側の山麓にも分布する.体積は約5 km3DREである.本火山岩類は,主に火山砕屑岩類からなり,それらに挟まれる多数の玄武岩質安山岩・安山岩質の輝石かんらん石降下スコリア層と小規模な玄武岩質安山岩・安山岩溶岩で特徴づけられる.北側及び南東側の山麓では,やや大規模なデイサイト溶岩や安山岩溶岩が火山砕屑岩類を覆い,これらの溶岩の作る地形面が認められる.
王滝火山岩類下部(古期第2a亜期:約64〜58万年前)は,主に古期御嶽火山体の北西〜南西部を構成し,一部は東側及び南東側の山麓にも分布する.体積は約8 km3DREである. 本火山岩類は,やや大規模な安山岩・デイサイト溶岩で特徴づけられ,火山体の東・西部では小規模な玄武岩・玄武岩質安山岩溶岩もみられる.
王滝火山岩類中部(古期第2b亜期:約53〜44万年前)は,王滝火山岩類下部を覆って,古期御嶽火山西部を構成する.体積は約4 km3DREである.本火山岩類は,大規模な安山岩・デイサイト溶岩で特徴づけられ,それらの溶岩の作る地形面は比較的良好な状態で残っている.
王滝火山岩類上部(古期第2c亜期:約44〜39万年前)は,三笠山と小三笠山の南〜南東側で湯川火山岩類中部を覆って古期御嶽火山南東部を構成する.現存する体積は約4 km3DREである.本火山岩類は,主に斜長石斑晶の目立つ安山岩質の三笠山溶岩からなる.
3. 2 新期御嶽火山
新期御嶽火山の活動は,主に噴出中心の位置や岩質から5つの活動期に分けられる.それらは下位から順に,非常に大規模なデイサイト・流紋岩質の降下軽石を複数回降下させた継母火山の形成期(新期第1期),現在の奥ノ院から摩利支天山を山頂とする安山岩成層火山である摩利支天火山の形成期(新期第2期),四ノ池付近を噴出中心とする安山岩成層火山である四ノ池火山の形成期(新期第3期),一ノ池を噴出中心とし最高峰である剣ヶ峰を形成した安山岩成層火山の一ノ池火山の形成期(新期第4期),三ノ池や五ノ池火口などを形成した完新世の活動期(新期第5期)である(
第2図).完新世の噴出物の詳しい分布は,防災上重要であるため,個別の噴火を認識して細分して示しているが,それ以前の地質ユニットにいては細分が困難な場合が多いので,活動期・亜期ごとに一括した.これらの層序を基に
第3図に降下テフラも含めた新期御嶽火山の噴出量・時間積算ダイヤグラムを示す.マグマ噴出率は,新期第1期の継母火山形成期に一番高く,新期第2〜3期の摩利支天及び四ノ池火山形成期まで比較的高かったが,新期第4期の一ノ池火山形成期以後は低くなっていることが読み取れる.
3.2.1 新期第1期:継母火山の形成期
継母火山は,約10万年前の御嶽第1テフラ(On-Pm1)の活動で開始し,その後約8万年前までに,下位から御嶽Pm1B,御嶽藪原,御嶽潟町,御嶽伊那,御嶽王滝,御嶽奈川,御嶽辰野テフラと命名されているVEI=6~5の規模のデイサイト・流紋岩質軽石を降らせる活動を行った(
第2図,
第1表).これらの降下テフラ層は,広域に分布する鍵層となっており,特にOn-Pm1は中部・関東・南東北に広く分布する代表的な広域テフラである.なお,On-Pm1の下位には,御嶽上垂(かみだれテフラ)(町田・新井,2003)と命名されている降下軽石の存在が知られているが,確認された分布が限られて詳細が不明であるため御嶽山起源であるかの判断も難しいため,本地質図では新期御嶽火山の活動に含めていない.
これら降下テフラ層の形成と同時期に,継母岳を最高所とする白川溶岩類や,御嶽伊那テフラに対比されるにごりだき濁滝火砕流堆積物などで構成される継母火山が成長した.白川溶岩類は本地質図では一括して示しているが,木村(1993)では3つに細分されており,最下位の溶岩とその上の溶岩の間に御嶽王滝及び御嶽奈川テフラが,最上位の溶岩とその下の溶岩の間に御嶽辰野テフラが挟まることが報告されている(地質図では略).火山体の体積は約5 km3DREである.また,山麓には御嶽Pm1Bに対比される大洞(おおぼら)火砕流堆積物(竹内ほか,1998)や御嶽王滝テフラの直下に位置する滝越火砕流堆積物(木村,1993)などの軽石流堆積物(分布は地質図外)を流下させた.なお,山田・小林(1988)などの先行研究では,古期と新期の火山体の境界部付近に継母火山の活動によるカルデラ壁があると推定されたが,古期も含めた各山体を構成する地質体の分布からは,その境界付近にカルデラ壁と考えられる構造は確認できない.第1期では,On-Pm1の活動のような非常に大規模な火砕噴火が頻発したことから,継母火山体の活動期にカルデラが形成された可能性は高いが,その位置ははっきりとはしない.
3.2.2 新期第2期:摩利支天火山の形成期
約8万年前を境に,新期御嶽火山は安山岩を噴出する活動に移り変わった.その初期である約8~5万年前の間には,現在の奥ノ院から王滝頂上を作る尾根と摩利支天山の間を主な噴出中心とする摩利支天火山が形成された.摩利支天火山の体積は約6 km3DREである.奥ノ院および摩利支天山周辺の崖には,火山体の構造(主に溶岩・火砕岩の傾斜)が著しく異なる不整合状の境界が認められ,その形成年代は上下の火山岩の年代値からおよそ7~6万年前と推定される.本地質図では,これらの不整合を境に,摩利支天火山を形成する溶岩・火砕岩類を,下位の濁河(にごりご)火山岩類と,上位の奥ノ院火山岩類に区分した.また,火山体内の東部には,層位的に両火山岩類の間に位置する,最大で100 mほどの厚い溶結凝灰岩からなる百間(ひゃっけん)滝火砕流堆積物が分布している.この火砕流堆積物は厚い降下スコリア層形成直後に噴出したもので大部分が溶結している.火砕流堆積物直下の降下スコリア層は御嶽三岳(みたけ)テフラに対比されている(木村,1993).なお,新期御嶽火山では,VEI=5クラスの火砕噴火は,この御嶽三岳テフラの噴火以降発生していない.奥ノ院及び濁河火山岩類は,主に溶岩と火砕物の互層で形成されており,山頂周辺では強溶結した火砕物がしばしば観察される.なお,テフラ層序とそれらの年代観から,濁河火山岩類の形成時期には御嶽千本松,御嶽S0が,奥ノ院火山岩類の形成時期には御嶽屋敷野及び御嶽Lw.SLの各テフラが噴出したと考えられる(
第2図,
第1表).また地質図外であるが,約7.2万年前に王滝村氷ヶ瀬(こおりがせ)付近まで流れ下った伝上川(でんじょうがわ)溶岩(濁河火山岩類)や,約6.5万年前に飛騨市小坂町の厳立を形成した厳立(がんだて)溶岩(奥ノ院火山岩類)など,山頂から直線距離で10 kmを超える距離まで達する長大な安山岩溶岩が谷沿いに流れ下る活動もあった(
第1図).
この火山体形成の後半には大規模な山体崩壊が発生し,東側の柳又(やなぎまた)から末川(すえかわ)沿いに岩屑なだれ堆積物を堆積させた.末川沿いの段丘状の台地の上に小丘状の流れ山地形が認められる.この岩屑なだれ堆積物は下流にいくにしたがって徐々に泥流の層相を示すようになり,木曽川沿いに顕著な段丘面を構成し濃尾平野まで達している.この岩屑なだれ・泥流堆積物は木曽川泥流堆積物(Quaternary research group of Kiso Valley and Kigoshi, 1964;木曽谷第四紀研究グループ, 1967;藤井,1976)とよばれ,上流側の岩屑なだれ堆積物は開田(かいだ)岩屑なだれ堆積物(Takarada et al., 1999)ともよばれている.岩屑なだれ堆積物から泥流堆積物への遷移は連続的なことから,本地質図ではこの堆積物を,開田岩屑なだれ・木曽川泥流堆積物とよぶ.この堆積物の直下から広域テフラである大山倉吉(DKP)が報告されているので(竹本ほか,1987),DKPの年代(Albert et al., 2018)から,この岩屑なだれ・泥流堆積物の発生は約6万年前と考えられる.摩利支天火山は,活動の最中に崩壊などもあったためか,それ以後の火山体に比べて浸食が進み火山地形の保存が悪い.
3.2.3 新期第3期:四ノ池火山の形成期
摩利支天火山の活動終了後,約4~3万年前の間に,現在の四ノ池を山頂火口とする四ノ池火山が活動し,摩利支天火山の北側に円錐状の火山体(最高峰:継子岳)を形成した.この火山を形成する火山岩類が四ノ池火山岩類で,その体積は約5 km3DREである.なお,山頂部の東外側斜面には,四ノ池火山岩類の中に不整合が認められるが,それら上下の地質ユニットの年代値はほぼ同じで顕著な休止期間がないため,この不整合を境に地質ユニットの細分は行っていない.山体を構成する四ノ池火山岩類は主に溶岩で構成されているが,降下火砕物や火砕流堆積物も存在し,規模の大きな火砕噴火も発生している.特に山頂から東に約6 km離れた山麓にある,尾ノ島の滝を作る溶岩の下位には層厚10 mを超える火砕流(スコリア流)堆積物が認められる.また,VEI=4クラスの規模の降下テフラを降らすような噴火も複数回発生し,御嶽SL,御嶽Up. SLなどのテフラ層を山麓や伊那・松本盆地に堆積させた(
第2図).これらテフラ層は,スコリア質の火山礫と火山灰層が互層するような層相を示すため,断続的に続く複数回の噴火によってつくられたものであると推定される.なお,地質図外であるが,北側の日和田高原から高根ダムに至る平坦地をつくる安山岩の日和田溶岩も四ノ池火山岩類に含まれ,四ノ池から谷沿いに約12 km流れ下っている(
第1図).
3. 2. 4 新期第4期:一ノ池火山の形成期
約3万年前からおそらく更新・完新世境界(約1.17万年前)頃までの間に,一ノ池火口を山頂火口とし剣ヶ峰を最高点とする一ノ池火山体を形成した.この火山を形成する火山岩類が一ノ池火山岩類で,その体積は約0.4 km3DREである.この火山体は安山岩溶岩・火砕岩で構成され,摩利支天火山の浸食された山頂部を埋めるように成長し,南側と西側の谷沿いに山頂から直線距離にして最大4.5 km,6.5 kmほどの長さの溶岩を複数流した.火砕噴火も発生したが,この火山体形成期のテフラ層は山麓では認識されていない.この火山体の形成期に二ノ池の北東側の高まりを縁とする火口も形成されたが,二ノ池と一ノ池の間の火口状の地形は,その地形をつくった火砕物が見つからないので浸食地形と考えられる.
3. 2. 5 新期第5期:完新世の火山活動
完新世のマグマ噴火は,主に三ノ池・五ノ池火口とのその周辺で発生したが,噴出中心が分散しているため,それまでの活動のような顕著な火山体は形成されなかった(
第4図).各噴火の噴出物や年代については,次のようにまとめられる.
約1.1万年前にカラ谷降下軽石・火砕流堆積物を形成する噴火があった.この噴火では安山岩質の降下軽石を四ノ池火山の北から北東側の山体上に積もらせた直後,良く発泡した火山岩塊を含む層1 m以下の火砕流堆積物を継子岳から北側に3 kmほどの距離まで流下させた.降下軽石,火砕流堆積物とも現存する分布がわずかである(
第4図)ため地質図では省略している.北麓のみ分布することから,噴出物の給源は継子岳北側であると推定されるが,詳しい火口などは未発見である.噴火年代は,テフラ直下の土壌の14C年代値に基づく.
約1万年前かそれより少し古い時期に,黒沢口登山道沿いの黒岩付近を火口とする噴火があり,黒岩火砕物層を形成した.黒岩火砕物層は,火口の周囲に1 mを超える大型のパン皮状火山弾を放出すると共に,スコリア流堆積物や降下スコリア層を火口の東側に堆積させた.現存量は約1×106 m3DREである.
約8,700〜8,600年前には,三ノ池火口から行場山荘テフラ層と三ノ池溶岩を形成する噴火があった(
第4図).この一連の噴火は御嶽火山の完新世における最大のマグマ噴火である.降下テフラ層である行場山荘テフラ層は,節理で囲まれた多面体状の形状をなす三ノ池溶岩と同質の火山礫及び火山岩塊を含む青灰〜灰色の砂質火山灰層ないし火山岩塊火山灰層で構成される.総量は約1×106 m3DRE.黒沢口登山道沿いの行場山荘〜女人堂間では黒岩火砕物層の上位に褐色の古土壌層を挟んで重なり,四ノ池では湖成層の上位に重なるのが観察できる.三ノ池溶岩は火口から最大4.7 km流れ下った体積0.5 km3DREの安山岩溶岩である.この溶岩は,大きく3つの溶岩ローブからなる(
第4図).溶岩ローブは,行場山荘テフラ層に覆われるものと覆われていないものがあることから,溶岩の流出中にテフラの放出があったと考えられる.噴火年代は,行場山荘テフラ層中の細粒の炭化木片の14C年代値に基づく.
約6,200年前には,火山岩塊から火山礫サイズの安山岩質スコリアで構成される降下テフラ層,女人堂テフラ層が噴出した(
第4図).このテフラ層は黒沢口登山道沿いの行場山荘〜女人堂の間で,行場山荘テフラ層の上位に位置するのが確認できる.このテフラの確かな給源火口は不明であるが,分布及び層厚変化の傾向から,三ノ池及び五ノ池の周辺付近である可能性がある.三ノ池付近を噴出源とするとこのテフラ層の総量は約1×106 m3DREとなる.噴火年代は,直下の土壌の14C年代値に基づく.
本地質図外であるが,約5,900年前に発生した火砕流(スコリア流)が濁河川(にごりごがわ)の濁滝付近の右岸側段丘面上で確認されている(
第4図).噴火年代は,火砕流堆 積物直下の土壌の14C年代値(鈴木ほか,2007)に基づく.本地質図ではこの火砕流の堆積物を,濁河川火砕流とよぶ.確認された地点が限られているが,周囲の地形的状況から濁河川上流の五ノ池火口を起源とする火砕流堆積物と推定される.濁河川火砕流堆積物は,濁河川の濁滝付近の左岸側の段丘上のみで認められる.
五ノ池火口の周囲には,五ノ池スコリア層(木村,1993)で構成される小さな火砕丘が存在する.このスコリア層は,五ノ池火口周辺のほか,三ノ池火口内部の西側斜面にも分布し,一部は溶結している.なお,五ノ池スコリア層と同じ五ノ池火口からの噴出物である濁河川火砕流堆積物中のスコリアの全岩化学組成は若干異なるがほぼ同じである.五ノ池周辺の地表には五ノ池スコリア層のみ認められることから,濁河川火砕流堆積物の形成後,五ノ池スコリア層の噴火が発生したが,両者はほぼ同時期の噴火により形成されたと考える.現存する噴出物量は約2×104m3DREである.
このほか,完新世に水蒸気噴火が多数発生したため,山体表層の土層中に複数の粘土質テフラ層が挟まる.テフラ層直下の年代値を基に整理すると,約8,700年前から1979年の噴火までの間,VEI=2以上の水蒸気噴火が13回発生したと考えられる.個々のテフラ層を確認できる場所が限られているため,各テフラ層の正確な分布や層厚変化などは不明な点が多いが,地獄谷や二ノ池周辺の小火口地形はこれら水蒸気噴火によって形成された可能性が高い.



