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草津白根火山地質図 解説地質図鳥瞰図
1:まえがき - 草津白根火山周辺の地質 - 草津白根火山の地質

まえがき

 草津白根火山は,群馬県の北部と長野県との県境近くに位置し,上信越高原国立公園の中にあって四季を通じて観光・登山・スキーなどの客が訪れている.この火山はわが国でも有数の活動的な火山であり, 文化2年(1805年)以来1982年まで,13回の噴火が記録されている.近年の活動は,湯釜・水釜等の白根火砕丘周辺での水蒸気爆発に限られているが,この地域での噴気活動はいまなおさかんである.草津白根火山は,硫黄の産地としても知られている.現在はすべて閉山したが,かつては5つの硫黄鉱山が稼行していた.現在でも,湯釜の底には,溶融した硫黄がたまっている.また,殺生河原,万座沢などでは,硫黄臭の強い噴気が盛んであり,その周囲には,昇華した硫黄や,硫気変質作用をうけて,黄褐色化した岩石がみられる.この火山の周囲には,草津・万座の温泉地があり,豊冨な湯量と強い硫酸酸性泉とで有名である.加えて,白根火砕丘のすぐ近くを,自動車道が通っている為,毎年多くの観光客が,湯釜の火口壁まで訪れその景観を楽しんでいる.しかし,前述したように,湯釜周辺の火山活動は,いま活発であり,昭和7年におきた水蒸気爆発では,死傷者を生じている.また殺生河原,万座沢等では硫化水素ガスによって人的被害を生じており,その対策も重要である. この火山地質図は,草津白根火山についての地質学的,火山化学的研究の結果をまとめたものである.同火山の将来の研究のためばかりでなく,噴火防災・地域開発・観光などにも利用されれば幸いである.


草津白根火山周辺の地質

 群馬・長野県境の地域には,多くの第四紀火山があり,それらは,いずれも安山岩 類からなる成層火山である.草津白根火山の周囲には,南に浅間,烏帽子,西に四阿,御飯,北に志賀(志賀高原),高社, 毛無・焼額,苗場,東に榛名,小野子,子持などの第四紀火山が分布しており,日本で最も火山が密集している地域の1つで ある( 第1図).その中で歴史時代に噴火活動の記録があるのは,浅間火山と草津白根火山である.

 この地域の基盤をなす岩石は,新第三紀の火山岩類であり,草津白根火山の周囲に広く分布している.これらの火山岩類の厚さは1,000m以上あるらしい.多くは安山岩質の溶岩類からなり,広域的に熱水変質 作用や珪化変質作用をこうむって,緑色や褐色のみかけを呈している.この地質図の中に分布する岩石は,新第三紀の火山岩から草津白根火山の最も新しい噴出物までを通じ,すべて安山岩質ないしデイサイト質の火山岩である.そのため,どこまでが草津白根火山よりも古い(つまり基盤の)岩石で,どこからが草津白根火山の岩石であるのかは容易には決めにくい.ここでは,広域に分布して,かつ,変質作用の影響が著しい岩石を基盤と考え,その上位にのり現在の草津白根火山の周囲だけに分布している岩石(松尾沢溶岩類など)を草津白根火山に属する岩石と考える.

 基盤岩類は,草津白根火山の北西側で最も高く,群馬・長野県境の稜線,すなわち標高約2,000mの高さまで露出している.一方,東側及び南側では低く,草津温泉の北方元山付近や石津の南の三原付近などでは,標高約1,100m以下にしか見られない.従って,草津白根火山は,東及び南側へゆるく傾いた基盤地形の上に発達したと考えられる.この火山の山頂部である白根山・本白根山の西側では,基盤の安山岩類は,西側の谷に向かって急な斜面をつくっている.これらの岩石は,箸しい熱水及び珪化変質をこうむっているため,侵食をうけやすい.そのために,新鮮な草津白根火山の岩石が,上部を覆って保護している部分まで侵食が進み,現在のように,新期の草津白根火山噴出物のすぐ西に,急な斜面ができたのであろう.

 白根火砕丘のすぐ北側の横手山付近には,基盤の安山岩の上に,東側になだらかな斜面をもつ,安山岩の溶岩類が分布している.この斜面の溶岩地形の保存状態は,草津白根火山の古期溶岩(米無溶岩,独活ヶ沢溶岩 など)とよく似ているので,それらとほぼ同じ頃に噴出したのであろう.しかし,この溶岩の噴出口は,あきらかに現在の草津白根火山の噴出中心から北にはずれているので,この溶岩は草津白根火山とは別の,横手火山を形成する溶岩と考える.横手山のさらに北側には,火山地形が非常に明瞭で,従って形成年代がかなり新しいと思われる志賀(志賀高原)火山がある.


草津白根火山の地質

 草津白根火山は,その西端にある新期活動の噴出口である3つの火砕丘群(0.33km3)と,そこから東及び南側に放射状に流出した新旧の溶岩類(約7 km3)と,さらにその東及び南の裾野に扇状に広く分布する大量(10 km3)の火砕流堆積物とから構成されている.草津白根火山は,先に述べたように,東及び南にゆるく傾いた基盤岩の上に発達したので,その噴出物(溶岩及び火砕流堆積物)は,噴出口より東側ないし南側に流出している.従って,噴出口が西側の端にあるという非対称な形態をしている.各噴出時期の噴出物の分布からみると,この火山の歴史を通じて,火口の位置は,現在の本白根火砕丘と白根火砕丘とを結ぶ線上に固定されていたようである.

 草津白根火山の最初期の活動は今から約200万年前頃に起こった.現在の本白根山あたりを活動中心として,松尾沢溶岩類が噴出し,それにより1つの成層火山を形成していたらしい.長い侵食の時間を経て約70万年前に洞口溶岩が噴出した.洞口溶岩は,現在は太子火砕流におおわれてしまって露出面積が小さく,噴出当時の溶岩の分布は分からない.

 洞口溶岩の噴出後,太子火砕流とよばれる大規模な火砕流の流出が起こり,広くこの地域一帯に堆積した.この火砕流は,露頭での見かけが変化に富んでおり,ほとんど固結していない非溶結部から,堅く 固結した強溶結部までが連統して露出している.この火砕流は,本白根農場や仙ノ入などの比較的平坦な台地を形成している一方,谷沢川や小雨川にみられるように,河川の両岸に50m以上の急崖を形成している.

 太子火砕流の噴出のあとの草津白根火山の溶岩類は,大きく3つの活動時期(古期,中期,新期)に分けられる.古期溶岩類(米無溶岩・独活ヶ沢溶岩)は,本白根山のあたりを噴出中心として流出しており,現在では,本白根山から,西及び南にのびるゆるやかな斜面を形成している.現在,米無山の東側は今井川に面する急崖となっているが,この急崖が何の作用で作られたかはまだわかっていない.

 この急崖の形成後,中期溶岩類(青葉溶岩・平兵衛池溶岩・双子山溶岩円頂丘・白根溶岩)の活動が起こった.青葉溶岩は,数枚の溶岩流から構成されている.複数の火口からほぼ同時に東方ないし東南方向に流 出したと考えられ,扇状の分布を示す.一枚の溶岩流の厚さは100m以上であるために,何段ものほぼ平坦な面が階段状につみかさなった地形をつくっている.平兵衛池溶岩も青葉溶岩と同様に厚い数枚の溶岩流からなり,岩質も似ている.しかし,分布が独立していることと,溶岩の表面地形がやや新鮮であることから,青葉溶岩とは別の独立した地質単位として考えられ,やや新しい時代に噴出した可能性がある.山頂部では,これらの青葉溶岩と平兵衛池溶岩の上に白根溶岩の流出と双子山溶岩円頂丘の形成とがあった.以上の中期溶岩類の流出のあと,草津町のあたりを中心に火山灰が厚く(4-5m)堆積した.この火山灰の噴出源はまだよくわかっていない.草津白根火山か浅間火山のいずれからか噴出したものであろう.その後,再び少量ながら火砕流(谷沢原火砕流)が噴出し,草津町の北に扇状の平坦な台地(谷沢原)を形成した.中期溶岩類と谷沢原火砕流の活動の後,草津白根火山はしばらく(約20-30万年程度)活動が静穏な時期があったと考えられる.

 約11,000年前,草津白根火山の南隣りの浅間火山で大規模な噴火が起こり,大量の軽石が草津町方面にも降った.この軽石層は,嬬恋降下軽石とよばれ,浅聞山から遠ざかるほど厚さが薄くなり,仙ノ入あたりでは 厚さ90cm以上あるが,草津町の中心部では,50-70cmの厚さになっている(図4を拡大する 第2図).やや風化した黄色の粗粒(径1-3cm)な軽石がびっしりつまった層が,道路の切り割りでよく観察できる.

 草津白根火山の新期火山活動は,嬬恋降下軽石の噴出とほぼ同じ時期に開始された.新期の各溶岩流は,それより古い溶岩類に比べ,明瞭な溶岩地形(溶岩堤防・溶岩じわなど)がみられ,空中写真によって これらの溶岩類が,どこから噴出し,どういうふうに流下したかを容易に読み取ることができる(図4を拡大する 第3図).これらの新期溶岩の中で,殺生溶岩は,前述の嬬恋降下軽石の上にのっているので,11,000年よりも新しいことが分かる.他の新期溶岩についても,地形の新鮮さからみて,ほぼ同時期,つまり約10,000年前ごろ噴火しただろうと考えられる.新期溶岩類の噴出口付近では,本質物質や類質物質の放出があり,南北に並ぶ3つの火砕丘群が形成された(本白根・白根各複合火砕丘と逢ノ峯火砕丘).その後,草津白根火山の活動は,弓池から白根火砕丘にかけての地域に限られるようになり,水蒸気爆発によって,大小の爆発火口が形成された.この活動は,現在まで統いている.


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