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草津白根火山地質図 解説地質図鳥瞰図
2:歴史時代の噴火

 草津白根火山の噴火活動については,近隣の浅間火山とは対照的に,古い歴史記録が残されていない.最も古い記録は,1805年(文化2年)の湯釜の活動である.歴史時代の活動は,白根火砕丘の周囲の,いくつか の爆発火口(湯釜・水釜・涸釜・弓池)周辺での水蒸気爆発に限られており,溶岩流,火砕流などの流出は知られていない.以下に記す約180年間の13回の噴火のうち,10回は1882年から1942年までの61年問に起きている.

1805年(文化2年)の噴火

湯釜での水蒸気爆発であったらしく,西方の長野県側に大量の降灰をもたらし,樹木を枯らしたらしい.

1882年(明治15年)の噴火

1805年の噴火以来,77年間,草津白根火山は平穏であったようで,湯釜周辺には草木が茂っていた.同年の7月初め頃から鳴動があり,8月6日午後2時頃湯釜西方で爆発,多くの爆発火口を生じ,大小の岩塊・火山 灰及び泥を放出,湯釜中央部に硫黄の小丘形成.活動は数日間続き,以後湯釜・水釜・涸釜は酸性泉となる.

1897年(明治30年)の噴火

1月以来たびたび鳴動があり,6月初めから頻繁となる.7月7日午後から鳴動烈しく,翌8日午前4時頃,湯釜北東壁爆発,巨大岩塊を放出し付近数100mに降灰.1時聞後,南西岸で爆発し,熱湯及び泥土を約150mの 高さに噴き上げ,3時聞続く.7月31日午前5時,再び爆発し,硫黄製練所の人夫1名負傷.直径10m内外の噴気孔が数ヶ所に生じ,長さ約10mの割れ目を生じた.8月2日午前2時頃鳴動が盛んになり夜明けに爆発.9日午後2時頃に再爆発し1名負傷.16日まで鳴動.小爆発続く.

1900年(明治33年)の噴火

10月7日に小爆発.詳細は不明.

1902年(明治35年)の噴火

7月15日午後4時頃,弓池北東岸が爆発.円錐形の爆発火口が生じ,水蒸気を噴き岩塊を飛散させた.8月20日同所で小爆発.9月4日前記火口の外側に小爆発火口を生じ,万座温泉で約3cmの降灰.9月17日午 後7時,同所で再び爆発,20分閻の活動でかなりの降灰.同23・24日にも爆発があり,12月頃まで,活動続く.以後弓池の水は酸性化し,飲用不能となる.

1905年(明治38年)の噴火

10月に小爆発.詳細は不明.

1925年(大正14年)の噴火

1月22日,湯釜の北壁上部が爆発し,火山灰及び岩塊を放出,直立の急崖に長さ20m幅7mの爆発火口を生じた.火山灰は,南東3kmの地点まで10-20cmの厚さで堆積.

1927年(昭和2年)の噴火

12月29日午前7時及び30日午前9時に鳴動があり,31日午前11時に爆発.湯釜北壁の下底に長さ100mの割れ目を生じ,南東壁外側斜面にも大小の割れ目が多数生じた.岩塊・火山灰・泥土及び ガスを多量に噴出し,湯釜の水位が14m低下した.

1932年(昭和7年)の噴火

10月1日午後2時,前兆現象を伴わず突如爆発し,湯釜北東壁に大小10余個の爆発火口が群生した.最大の火口は径50m,割れ目は,湯釜の南東壁を越え外側に延び,長さ500mに達し,各所で水蒸気及びガスが盛 んに噴出した.硫黄採掘の人夫が噴石のため2名死亡し,7名負傷した.4日午前2時半,再び爆発し黒煙柱が昇り,夕刻まで殺生河原方面に降灰が続いた.6日午前3時頃黒煙上昇が認められ降灰が盛んであった.8日午前6時40分に小爆発があり,14日午前3時湯釜外側の割れ目に沿い径2m内外の噴気孔を7個生じ,猛烈な黒煙を上げた.16日から17日まで数回の小爆発と降灰があった.

1937年-39年(昭和12-14年)の噴火

37年11月27日に湯釜内において爆発を起こし,38年2月16日までに10数回の爆発をくりかえした.その後やや平静化したが,10月5日の小爆発後再び活動的となり39年3月4月5月と著しい爆発がくりかえされた.とくに39 年4月中の爆発は著しく草津町,長野原町方面に多くの降灰をもらした.

1942年(昭和17年)の噴火

2月2日,湯釜で小爆発を起こし,噴煙を上げた.火口付近の施設が噴石により破損した.

1976年(昭和51年)の噴火

3月初旬,水釜の北壁付近で,小爆発を起こし大小の岩塊を放出した.

1982年(昭和57年)の噴火

10月26日午前9時頃,湯釜及び涸釜の西壁で小爆発.涸釜は少量の黒灰を放出し約20分で鎮静した.湯釜は数ヶ所から黒灰を放出,北西の強風にあおられ南東方向に降灰をもたらし,殺生河原付近まで降灰した .また最大で人頭大の大小の岩塊を水釜火口原方向に弾道放出した.
 12月20日ごろ再び火山性微小地震が頻繁に発生した.12月29日午前4時半ごろ微動が発生,午前5時半すぎ水蒸気爆発を起こした.噴煙は最大700mまで上昇し,北東約4kmまで降灰した.又,東及び西方向に最大径40cmの大小の岩塊を放出した.翌83年1月初めの時点で,噴煙・微動とも続いている.


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