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伊豆大島火山地質図 解説地質図鳥瞰図

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第4図 
カルデラ形成期以降の伊豆大島火山噴出物の模式柱状図
各噴出物の厚さはおおよその噴出量に比例している.
4:カルデラ形成以降の伊豆大島火山活動史

 カルデラ形成・後カルデラ火山では,噴出量が数億tの規模の噴火が大きく分けて12回起きている( 第2表 , 第4図).噴火間隔はおよそ100-150年ほどで,噴出量は19世紀以降の中・小規模噴火(噴出量数千万t以下)より一桁大きい.各噴火は一般に山頂での大規模な溶岩噴泉によるスコリアの降下で始まり,溶岩流出を経て,降灰期と続く.降灰期の降下火山灰層は山頂部付近では火砕流堆積物に移行し,マグマ後退による竪坑状火孔再生に伴う爆発的な(マグマ)水蒸気爆発による堆積物と考えられる.各部層の中には短い活動休止期を示すと考えられる風成堆積物が挟まっている場合があり,数年-十数年ほどの休止期を挟んで噴火したこともあったらしい.また同じ部層内の堆積物でも噴出口が異なっていることがある.

S2部層(5-7世紀?):S2の噴火活動は,山頂部からのスコリア放出→島内数ヶ所からの割れ目噴火→山頂部での大規模な水蒸気爆発と火砕流の発生と推移した.水蒸気爆発に伴う噴石は人頭大のものがカルデラ外2-3kmの所まで飛散し,火砕流はほぼ全島を覆っている.S2期の年代に関しては,これまで放射性炭素年代測定により,1,500年から1,300年前くらいとされている.
S2とS1の間には,島内東部の狭い範囲に薄い降下スコリア層と層理のはっきりした石質凝灰岩層があり,S'と呼ばれている.

S1部層(7世紀?):山頂火口からの降下スコリア層→水蒸気爆発による細粒降下火山灰層(火山豆石を含む)と推移した.S2部層より規模は小さい.

N4部層(8世紀?):厚い降下スコリア層とそれを覆う細粒で層理の発達した火山灰層からなり,降下スコリア層の全層厚は島内東部で2-3mの厚さに達する.降下スコリア層は薄い風成堆積物や火山灰層を間に挟み,6枚のスコリア層が識別できる.これらのスコリア層の等層厚線分布や側火山分布から,短い(数-十数年程度)の休止期問を挟んで,それぞれ異なる噴出口から噴火したものと考えられる.噴出口は山頂付近のほか,カルデラ南西縁,西山腹にあり,西山腹の火口からは元町の火山博物館裏まで溶岩流が流下している.また南山腹にもN4期とされるスコリア丘(松ノ窪)がある.

N3部層(9世紀):下位から降下スコリア層→降下火山灰層と重なる.山頂と南東山腹での噴火がいったん休止した後,南東山麓で割れ目噴火が起きたらしい.この時形成されたのが爆裂火口波浮港とその北北西に位置するスリバチ火口である.波浮港火口から放出された噴石は波浮港周辺半径約1kmの範囲に飛散した.N3部層上部には838年神津島天上山噴火あるいは886年新島向山噴火起源の火山灰層と考えられる流紋岩質火山灰薄層が挟まれており,N3期の噴火が9世紀に起きたことがわかる.

N2部層(10あるいは11世紀?):山頂部からの降下スコリア・細粒火山灰の層理の発達した互層からなる.スコリア層は下部に多い.細粒火山灰層中には火山豆石が含まれることがある.この時期の溶岩流,側火山は知られていない.

N1部層(12世紀?):N2部層と同じく,山頂火口からの降下スコリアと細粒火山灰互層からなり,火山灰層中には火山豆石が含まれることがある.南山腹にはN1期に形成されたと考えられる2つのスコリア丘があり,そこから2本の小規模な溶岩流が流出している.

 N1部層とY6部層の間には不整合が発達する.

Y6部層(13世紀?):山頂火口からの降下スコリア層→細粒降下火山灰層と重なる.この時期の側火山,溶岩流は知られていない.

Y5部層(14世紀(1338?)):北西山腹の2つの噴火割れ目からスコリア放出と溶岩流の流下が起こり,現在の元町付近を溶岩が埋め尽くし海まで達した.その後山頂部からのスコリア,細粒火山灰の噴出が起こった.Y6最上部の土壌から鎌倉時代後半の陶磁器片が出土したこと,1338年の噴火記載(竺仙録)があることから,Y5は1338年噴火記録に対比されている.

Y4部層(15世紀(1421年?)):山頂火口からのスコリア噴出とほぼ同時に,南山腹に北西-南東方向に伸びる長さ約4kmの噴火割れ目を形成し,岳ノ平スコリア丘,大穴・小穴噴火口などができた.この割れ目火口から溶岩流が差木地・間伏へ流れたほか,噴火割れ目が海に達するイマサキでは,スコリア放出に続いてマグマ水蒸気爆発が起こりタフリングを形成した.またカルデラ内でも溶岩流の噴出があり,カルデラ北縁からわずかにあふれだしている.これらを覆って細粒火山灰が噴出した.1421年5月5日の日付があるいくつかの文献に「伊豆大島焼,其響如雷,海水如熱湯,魚多死」との記述があることから,Y4の噴火はこの記録に対比されている.

Y3部層(16世紀(1552年?)):山頂火口からの降下スコリアの噴出に続いて,溶岩流がカルデラ内に流出した.溶岩流はカルデラ北東からあふれ出し,現在の泉津の東から大島公園にかけての地点で海に達した.細粒火山灰層がそれらを覆っている.元町薬師堂に納められている木札にこの噴火を記述したと思われる記載がある.

Y2部層(1684-1690年):1684年3月29日(新暦)に山頂火口から噴火が始まり,溶岩噴泉,スコリア噴出があった.4月中旬には溶岩流が東側に流れ,海に達して現在の長根岬の溶岩扇状地を形成した.その後降灰が翌年まで続き,その厚さは25-100cmに達した.その後,小規模な活動が7年後の1690年まで続いた.

Y1部層(1777-1792年,安永の大噴火):1777年8月31日(新暦)夕方から三原山山頂火口で噴火が始まり,溶岩噴泉,スコリア噴出が起こった.翌1778年4月19日に三原山北西麓から溶岩流の噴出が始まり,北東に流下した.噴出点ではパホイホイ溶岩の溶岩丘を作っている.このあとしばらく活動は穏やかになったが,11月6日に激しい地震,鳴動を伴って,ふたたび三原山南西側へ溶岩流が流出し,カルデラ南西壁を越えて,現在の都道近くまで達した.さらにl1月14日あるいは15日に北東方向へ溶岩流が流下し,現在の大島公園付近で海に達した.12月中旬にもやや激しい活動があった.このあと1783-86年,1789年ごろにしばしば降灰があり,1792年に一連の噴火活動が終息した.降灰は1.2-1.5mの厚さに達した.


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