那須火山地質図 解説目次
1:はじめに - 那須火山周辺の地質 - 那須火山の概要
2:那須火山の岩石
3:茶臼岳火山の噴火史と噴火様式
4:1408-1410年の噴火活動 - 近年の噴火活動
5:火山活動の監視体制 - 将来の活動の予測
6:謝辞 - 文献(火山地質図での引用)
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4:1408-1410年の噴火活動 - 近年の噴火活動
1408-1410年の噴火活動
茶臼岳火山の最も新しいマグマ噴火ユニットは,すでに述べたように室町時代初期の史書「神明鏡」にある1408-1410年の噴火記録に対応する噴出物である.古記録を要約すると,1408年2月24日(応永15年1月18日)に那須山で噴火があり,同日空から硫黄が降って,那珂川の水が数年黄色く濁った.1410年3月5日(応永17年1月21日)には那須山がまた噴火し,雷のような鳴動がして,噴石や埋没で死者180余名,牛馬に多数の被害があったようである(震災予防調査会,1918).一方,江戸時代に書かれた「本朝年代記」や「続史愚妙」には那須山が応永11年1月11日(1404年)と応永17年1月21日に噴火したとの簡単な記述があるが,これは明らかに2次記録であり,応永11年は応永15年の誤りである公算が大きい.また,松田(1901)は震災予防調査報告第36号で応永4年1月11日(1397年)と応永17年に茶臼岳火山の噴火があったとしているが,日付が同じであるので応永11年をさらに応永4年と誤記したとして間違いないであろう.したがって,1397年と1404年の噴火は実在しなかったものと考えられる.
1408年の噴火記録は,マグマ噴火に先行した水蒸気爆発を記述したものと見られる.水蒸気爆発の降下火砕物には,熱水変質で白-黄色化した火山灰が大量に含まれており,茶臼岳から5km程度離れた東山麓でも堆積物が確認できる.降下火砕物の岩石換算体積は7.5×10-3km3であった.また,茶臼岳北側の峰の茶屋から明礬沢上流部にはこの噴火で生じた変質火山灰の多い土石流堆積物があり,その構成物は余笹川を通じて那珂川に流れ込んだのであろう.古文書ではこの噴火の後,2年後の噴火まで記録がなく,茶臼岳がどのような状態にあったのかはいっさいわからない.しかしながら,1408-1410年ユニットの水蒸気爆発の堆積物には明瞭な成層構造が認められ,しかも層の数が山頂に向かって増すことから,これがただ一回の噴火で形成されたものとは考えられない.おそらく,水蒸気爆発の活動は消長を繰り返しながら1410年噴火の前まで継続していたのであろう.
1410年の噴火記録そのものは何らかの土砂災害の発生を示唆しており,ブルカニアン噴火による火砕物の大量噴出(岩石換算体積は3.6×10-2km3)に対応する公算が大きい.しかし,これによる降下火砕物の分布主軸や火砕流の流下方向は茶臼岳から西の山中に向いており,噴火の直接の被災域に180名を越える集落が当時あったとは考えにくい(三斗小屋宿は1682年の日光地震の後,松川新道の開通時に開かれた).古文書からは噴火災害の発生場所が特定できないので詳しいことはわからないが,一つの可能性として土石流の発生が考えられている(奥野充・那須火山調査グループ,1996).すなわち,那珂川上流部を埋めた火砕流堆積物が,融雪または降雨によって再移動し,土石流として那珂川を10kmほど流下したとすれば,南山麓の川沿いの集落が相当破壊されよう.1410年噴火ではブルカニアン噴火に続いて,山頂火口から岩石換算体積6.2×10-3km3の溶岩の流出があったが,記録としては残されていない.
近年の噴火活動
1410年噴火の後,茶臼岳火山の活動記録は1846年(弘化3年)8月の噴火まで途絶え,この間400年ほどは静穏な状態にあったようである.1846年の噴火が茶臼岳のどこで起きたのかはわからないが,これ以後茶臼岳では活発な噴気活動が始まったらしい.この噴火に対応する堆積物は火山近傍でも見出せず,噴出量が岩石換算で10-4km3以下の水蒸気爆発による微噴火であった公算が大きい.
噴出物が地層として残る顕著な小噴火は1881年(明治14年)7月1日に発生している( 第4図).この噴火は水蒸気爆発で,噴出物は熱水変質をうけた火山礫と黄色の火山灰からなる.死傷者はなかったものの,変質火山灰の流れ込んだ那珂川では魚の大量死が起きている.降下火砕物の岩石換算体積は1.5×10-3km3で,火口から2kmはなれた那須岳スキー場でも堆積物の層厚は5cm程度ある.記録によると降下火砕物は強い西風に運ばれ,茶臼岳から約20km離れた白河市でも降灰があったと言う.茶臼岳山頂西側の火口(無間火口)と北西側の火口はこの噴火で形成されたものである.
1881年噴火後の茶臼岳火山の活動は次のとおりである.噴気・噴火地点はいずれも1881年火口の中に限定されている.また,噴火に伴う堆積物は火口近傍でも残っておらず,水蒸気爆発による微噴火であったとみられる.1881年火口では活発な噴気活動が現在も続いている.
1942年(昭和17年)10-12月 茶臼岳西側の噴気活発化.
1943年(昭和18年)12月 茶臼岳西側の噴気活発化.黒灰色煙を噴出する.
1953年(昭和28年)10月24日,29日 微噴火.茶臼岳西側の噴気地帯に小火口を新生し,降灰は南6kmに及ぶ.
1960年(昭和35年)10月10日頃 微噴火.茶臼岳北西側の噴気地帯に直径2-3mの小火口を新生.
火口付近に人頭大の火山岩塊を飛ばし,火口の北0.8kmまで少量の降灰.
1963年(昭和38年)7月10-11日 異常音響;11月20日茶臼岳西側の噴気地帯で微噴火,付近に降灰.
1977年(昭和52年)1月30-31日 地震群発.
1985年(昭和60年)9月9-12日;9月27-29日;12月16日 北山麓で地震群発.
1986年(昭和61年)3月12日 茶臼岳山頂北方数kmで地震群発;7月1-4日南西山麓で地震群発.