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九重火山地質図 解説地質図鳥瞰図
3:形成史

3.1:概要
 九重火山の周辺には九重火山より古い火山岩類(2〜0.3Ma)が分布している.東側には,鹿倉(かくら)安山岩(約2Ma),時山(ときさん)安山岩(0.7Ma),上峠(かみとうげ)流紋岩及び中峠火砕流堆積物(0.6 Ma),花牟礼(はなむれ)山火山(0.5 Ma)がある.西側には涌蓋(わいた)山火山群(1.0〜0.3 Ma;大岳安山岩を含む)や柴やかた峠安山岩(0.6 Ma)などがある.これら火山岩類の一部もかつては九重火山に含まれていた(納富,1920; 松本,1983)が,鎌田(1997)は,九重火山を宮城火砕流堆積物(約130 ka)の上位にあるものと定義し,東は黒岳から西は猟師山までの範囲とした.本報告においても鎌田 (1997)と同じ範囲を九重火山と呼ぶが,その活動開始時期は,宮城火砕流堆積物よりも古い約200 kaであることが判明した(後述).涌蓋火山群とは少なくとも約10万年の時間間隙が存在する.

 本地質図では,九重火山の噴火ステージを第1期から第4期まで以下のように定義する.全体の層序,位置関係及び年代値を 第2図 に示す.

 第1期は,九重火山活動開始から飯田火砕流より前の活動である(200〜54ka).西部地域の山々(黒岩山,合頭山,猟師山)と中部地域の山々の一部(沓掛山,鳴子山,硫黄山)が形成された.第2期は,飯田火砕流の噴火活動(54 ka)であり,降下火山灰,降下軽石,火砕流の噴出があった.第3期は,飯田火砕流よりあとの火山活動で中部地域の扇ヶ鼻,星生山,中岳,三俣山などと東部地域の基底部(台の山など)が形成された(54〜15ka),第1期から第3期は,一部を除きいずれも普通角閃石斑晶を含む安山岩,一部デイサイトの火山活動である.第4期は,およそ15 kaから東部地域の平治岳で始まった苦鉄質マグマの噴出以降の活動期で,主に九重火山東部で平治岳,大船山,北大船山,黒岳などが形成されたほか,中部でも火砕流の発生があった.第4期は普通角閃石斑晶を含まない苦鉄質マグマの活動が多く認められるのが特徴である.また,マグマ噴火のほか中部地域で小規模な(マグマ)水蒸気噴火があった(15〜0 ka).

 第4期の噴出物量は約 0.45×10t/1000年であり,第3期の約 0.29×10t/1000年から増加している( 第3図).

3.2:九重火山起源の降下テフラ
 九重火山起源の降下テフラのうち,複数の露頭で単層として観察できる降下テフラを 第4図 に示す.この他にも土壌中に上下の境が不明瞭な岩片濃集層が複数あり,降下テフラの可能性がある. 第4図 には火砕流堆積物の層準と年代も示した.このうち規模が大きなテフラについて簡単に述べる.

 九重第1降下軽石(Kj‒P1)は九重火山から東の大分県内に広く分布し,噴出量約 6km3 に達する角閃石デイサイト質のプリニー式噴火による降下軽石である(小野,1963; 町田,1980; 長岡・奥野,2014).後述するように,九重火山最大規模のプリニー式噴火による降下軽石層で,噴火年代は14C年代により約 54 ka 頃と考えられている(奥野ほか,2013a)( 第5図A).

 長湯降下スコリア(Kj‒Ng)は輝石安山岩質の降下スコリアで,九重火山から阿蘇火山東部の九重第1降下軽石上位の褐色ローム層中に発達する暗色帯直下付近にあり,竹田市長湯周辺から豊後大野市大野町にかけて東南東方向に分布軸を持つ( 第5図B).暗色帯の上位には姶良 Tn火山灰(AT:29ka)がある.噴出源は現在の平治岳から台の山付近と考えられるが,その周辺には 30 ka 頃の輝石安山岩の露出はなく,おそらく台の山火山の下位に給源火山が存在すると推定される.Hayakawa(1985)の方法で求めた噴出物体積は約 0.2 km3で,暦年較正後の長湯降下スコリアの14C年代は30 kaである.

 更新世末頃以降,九重火山東部での活動が活発化し,山麓付近まで分布する降下テフラが多く見られるようになる.このうち段原(だんばる)降下スコリア(Kj‒DS;太田,1991)は,山麓の広い範囲で黒色土壌中の2層準に散在して存在するオレンジ色のスコリアが特徴的な降下スコリア層で,大船山に近づくと次第に枚数が増え,少なくとも5層の降下スコリア層が認められる.噴出源は分布と岩石学的特徴の類似から北大船火山の段原火口で,活動時期は5.6〜5.4 kaと推定される.このほか米窪(こめくぼ)火口起源の安山岩質の米窪降下スコリア(Kj‒KS)と玄武岩質安山岩のガラン台降下スコリア(Kj:‒GS:1.7〜1.6 ka)が大船山山腹に分布しており,等層厚線を地質図に示した.

 九重火山山頂周辺部には後述する水蒸気噴火に伴う変質火山灰が複数枚存在する(伊藤ほか,2014).このうちやや規模の大きな変質火山灰層として3.9〜3.5 kaの九重水蒸気噴火堆積物6(Kj‒ph6;伊藤ほか,2014)があり,等層厚線を地質図に示した.

3.3:第1期(飯田火砕流以前の活動)
 第1期の噴出物は,西部地域の猟師山火山,合頭山火山,黒岩山火山と,中部地域の沓掛山火山,鳴子山火山,硫黄山溶岩からなる.これらの火山体の多くは,飯田火砕流堆積物に覆われている.猟師山火山は,約200 ka に形成され開析が進んでいる.頂部に複数の溶岩ドームがあり裾野は火砕岩から構成されている.沓掛山火山は,沓掛山周辺の開析が進んだ普通角閃石安山岩‒デイサイトからなる山体と南側へ流下した複数の普通角閃石安山岩の溶岩流から構成され,およそ160 ka の K‒Ar 年代値を示す.黒岩山火山からは約 85 ka の K‒Ar 年代値及び80〜30 ka のTL年代が得られている.黒岩山の北方には,黒岩山起源の豊後渡(ぶんごのわたし)火砕流堆積物(鎌田,1997)が小規模に分布する.鳴子山火山は普通角閃石安山岩の開析された成層火山体である.山麓部において九重第1降下軽石や九重D降下火山灰に覆われ,約 90 ka の K‒Ar 年代値が得られている.硫黄山溶岩は,星生山東側にあるデイサイト溶岩で約150 ka の K‒Ar年代値が得られており,沓掛山火山と同年代である.

 第1期の活動期間中に宮城火砕流堆積物と下坂田火砕流堆積物が九重火山から噴出している.宮城火砕流堆積物は本地質図南東側に分布するほか,地質図外の産山村上田尻周辺から竹田市炭竈(すみかまど)周辺にかけて分布する(小野ほか,1977; 鎌田, 1997).下坂田火砕流堆積物も範囲外の竹田市上坂田から下坂田にかけての尾根に分布する(小野ほか,1977).宮城火砕流堆積物と下坂田火砕流堆積物の噴出年代は,阿蘇火砕流堆積物との層序関係と年代測定値から,それぞれ約 130 ka,約 110 ka と考えられる( 第2図).これら2つの火砕流堆積物と飯田火砕流堆積物は,いずれもデイサイト軽石とごく少量の安山岩スコリアから構成され,互いに全岩化学組成も酷似しており,層序関係が不明な場合には区別が困難なことが多い.本地質図南東部の宮城火砕流堆積物は,普通角閃石デイサイト軽石と,少量のスコリアや縞状スコリアを含み,非溶結ないし弱溶結である.厚さ2〜3mの褐色ローム層を挟んで九重第1降下軽石に覆われるほか,本地質図外南方の竹田市久住町神馬(かんば)付近で,阿蘇3火砕流堆積物に覆われる.宮城火砕流堆積物とほかの第1期噴出物との直接の層序関係は不明であるが,年代値から,第1期の火山活動の途中で宮城火砕流が噴出したと考えられる.

3.4:第2期(飯田火砕流噴火)
 飯田火砕流堆積物は,九重火山最大の噴火活動による噴出物であり,現在の九重火山中部付近から噴出したと考えられている(鎌田・三村,1981).飯田火砕流の噴火活動は,小規模な降下火砕物群からなる前期,火砕流噴火のクライマックスである中期,及び,九重第1降下軽石とそれと同時期あるいはそれ以後の小規模な火砕流噴火を起こした後期に区分される( 第6図).

 前期の噴火活動は,小規模なスコリア噴出から始まった.それに引き続き石質火山灰の放出があり,成層した青灰色の降下火山灰(九重 D降下火山灰;Kj‒D)が堆積した.九重D降下火山灰中には,2枚の軽石混じりの灰白色火山灰層が挟まれる.このうち下位の火山灰層は,九重火山北西部に分布するやや発泡の悪い軽石を主体とする軽石層(湯坪降下軽石;Kj‒Yu)に対比される.中期では,デイサイト軽石を大量に含む大規模な火砕流が噴出した(飯田火砕流堆積物下部).飯田火砕流堆積物下部は,軽石のほか,冷却節理を持つ同質の岩塊を大量に含む場合があることから,噴火の最中に溶岩ドームの形成と破壊を繰り返した可能性が高い.

 後期では,プリニー式の噴煙が立ち上り,主に東方に厚く九重第1降下軽石(Kj‒P1)を堆積させた.久住高原などでは,飯田火砕流堆積物(下部)を直接九重第1降下軽石が覆う様子が観察される.九重第1降下軽石の軽石は安山岩ないしデイサイトで大量の暗色包有物を含む特徴がある.九重第1降下軽石降下中あるいはそれ以降に発生したと考えられる飯田火砕流堆積物上部は,九重第1降下軽石と酷似した軽石と暗色包有物を含む.黒岩山周辺や瀬の本周辺など,給源に近い場所ではサージ状あるいは弱く成層した岩相を示すが,山体から離れるにつれ塊状無層理の岩相へと変化し,上部と下部の識別が困難になることが多い.

3.5 第3期(飯田火砕流以降〜約15,000年前までの活動)
 第3期の噴火活動では,54〜15 ka の間に扇ヶ鼻火山,星生山火山,中岳火山,三俣山火山及び台の山火山が形成された.これらの火山は山頂部に溶岩ドームや厚い溶岩があり,山腹に火砕流堆積物を伴う.また,九重火山南山麓の飯田火砕流堆積物や宮城火砕流堆積物の上面に薄い火砕流堆積物が数枚認められる( 第7図).寒ノ地獄火砕流堆積物(鎌田,1997; 長岡・奥野,2014)は,九重火山北麓と南麓に分布する軽石と少量のスコリアからなる火砕流堆積物である.白丹火砕流堆積物(鎌田,1997)は,白色の特徴的な普通角閃石デイサイト岩塊を含む火山岩塊火山灰流堆積物であり,約 46 ka に噴出した.寒ノ地獄火砕流堆積物と白丹火砕流堆積物は,分布と岩質から扇ヶ鼻火山付近から噴出したと考えられる.中組牧場火砕流堆積物は,普通角閃石安山岩を含む火山岩塊火山灰流堆積物であり,長岡・奥野(2014)の室火砕流堆積物に相当し,約33 ka に噴出した(川辺ほか,2014).分布,岩質及び年代から中岳火山のいずれかの岩体が給源と思われる.なお,白丹火砕流堆積物及び中組牧場火砕流堆積物は,地質図には表示していない.

 扇ヶ鼻火山は,普通角閃石デイサイトの3つの溶岩ドームないし厚い溶岩流(岩井川岳(いわいごだけ)溶岩,扇ヶ鼻溶岩,肥前ヶ城溶岩)と,普通角閃石安山岩の扇ヶ鼻南溶岩及び扇ヶ鼻南火砕流堆積物からなる.岩井川岳溶岩,扇ヶ鼻溶岩及び肥前ヶ城溶岩は,K‒Ah火山灰(7.3 ka)に覆われる露頭がないことから K‒Ah火山灰より若いとされてきた(鎌田,1997)が,TL年代は30〜90 kaを示すことから,第3期の噴出物とした.また,扇ヶ鼻南斜面の溶岩(扇ヶ鼻南溶岩;太田,1991)は,約35ka のK‒Ar年代とTL年代を示し,扇ヶ鼻南斜面の火砕流堆積物は九重第1降下軽石を覆うことから,これらも第3期の噴出物とした.

 岩井川岳溶岩は,普通角閃石デイサイトの溶岩ドームあるいは厚い溶岩からなり,一部では安山岩とデイサイトが入り交じった縞状溶岩部分がある.扇ヶ鼻溶岩は,普通角閃石デイサイトの溶岩ドームである.肥前ヶ城溶岩は,普通角閃石デイサイトの溶岩ドームであり,南斜面に同質の火砕流堆積物を伴う.星生山火山は沓掛山の山体の上位にあり,基底部のデイサイト溶岩とそれを覆う安山岩溶岩からなり,50〜30 ka のTL年代値が得られている.北側斜面には,火山岩塊火山灰流堆積物である諏蛾守越(すがもりごえ)火砕流堆積物(長岡・奥野,2014)がある.長岡・奥野(2014)は,これを三俣山火山の一部としたが,分布の形状などからここでは星生山由来と判断した.

 中岳火山は,中岳,久住山,稲星山,白口(しらくち)岳などのいくつもの峰々から構成される.いずれも普通角閃石安山岩で化学組成も酷似する.また,南麓基底部には,厚い溶岩流である展望台溶岩がある.峰々の形成順序は明らかではないが,稲星山山頂部の北に開いた火口地形(東千里ヶ浜)があり,その内側に中岳の山体があるように見える.稲星山は,山頂部に溶岩があり,南側には火砕流堆積物を主体とする斜面が広がっている.溶岩から約 46 ka の K‒Ar年代値が得られている.稲星山山頂の南東側には小規模な崩壊地形があり,これに対応して山麓に稲星越岩屑なだれ堆積物が分布する.岩屑なだれ堆積物中の木片の暦年較正後の14C年代は約21kaである(川辺ほか,2014).久住山は,山頂部の溶岩ドームと南側へ伸びる2本の溶岩流からなる.このうち,西側の溶岩流の上面には,火山岩塊火山灰流堆積物が分布し,山頂の溶岩ドームが崩落したと考えられる.中岳及び白口岳は厚い溶岩からなり,中岳の山頂部付近にはいくつかの火口がある.これら火口の周囲には,冷却節理をもつ最大数 10 cm の岩塊が散在する.

 三俣山火山は,いくつもの峰と山麓の溶岩からなる複雑な地形をしている.下位から,西峰を中心とする三俣山噴出物下部,指山溶岩,湯沢山溶岩,本峰を中心とする三俣山噴出物上部に区分される.西峰及び本峰は,溶岩ドームとそれを取り囲む火砕流斜面からなる.三俣山北西側に分布する松の台岩屑なだれ堆積物は,鎌田(1997)では泉水山起源とされていたが,小林ほか(2008)は三俣山起源とした.構成岩塊の全岩化学組成は,泉水山とは異なり,三俣山火山噴出物の組成と一致する(星住ほか,2013).崩壊地形が現存していないのは,三俣山火山成長途中で火山体崩壊が起きたためであろう.松の台岩屑なだれ堆積物中の木片の14C年代は約 20 ka(川辺ほか,2014),岩塊の K‒Ar 年代が36±12 kaであり,両者は誤差の範囲で一致する.

 平治岳の北麓から北東麓及び大船山,立中山の下位に,男池(おいけ)溶岩,台の山溶岩,北尾根溶岩,古期大船溶岩などの普通角閃石安山岩‒デイサイト溶岩が分布する.このうち台の山溶岩には小規模な火砕流堆積物も伴う.これらは第4期初めの平治岳火山の苦鉄質噴出物に褐色ローム層をはさんで覆われていることから,第3期の噴出物と考え,一括して台の山火山とした.台の山溶岩の北には,よしが池岩屑なだれ堆積物(小林ほか,2008)が分布する.台の山溶岩に覆われるような分布を示すこと,岩屑なだれを構成する岩石と男池溶岩の組成が似ていることから,台の山火山が活動途中に崩壊したものと推定する.

3.6 :第4期(最近約15,000年間の活動)
 更新世末の約 15 ka から九重火山東部で苦鉄質マグマの活動が始まった.玄武岩質安山岩の七里田(しちりだ)降下火山礫(長岡・奥野,2014)の噴出に続き,平治岳降下スコリア(Kj‒Hj)が噴出,ついで玄武岩質安山岩溶岩流を流出し,平治岳成層火山体をつくった.同時期に九重火山中部では字見台(あざみだい)火砕流堆積物(長岡・奥野,2014,13 ka; 川辺ほか,2014),鍋割坂火砕流堆積物など火山麓扇状地堆積物に挟まれる火砕流堆積物が認められるが,給源は不明である(地質図では省略).

 完新世に入ると鬼界アカホヤ火山灰の降下(7.3 ka)以降,立中山で玄武岩質安山岩マグマの活動があり,火砕丘を形成した.

 その後,主に普通角閃石安山岩を噴出する大船火山と,普通角閃石を含まない北大船火山の活動が起こった.まず南側の大船火山で安山岩マグマの活動が始まり,輝石安山岩の板切(いたきり)溶岩の噴出後,現在の大船山山頂付近から普通角閃石安山岩の岳麓寺(がくろくじ)溶岩の噴出が起こった.

 岳麓時溶岩を覆う6.7〜6.4 ka 頃のブルカノ式噴火によるA1降下火山灰(Kj‒A1)の堆積後,北大船火山の段原(だんばる)火口で 5.6 ka に普通角閃石を含まない輝石安山岩の活動が始まり,溶岩流と火砕物の噴出があった.この活動ではプリニー式噴火が発生し段原2及び3降下スコリアが堆積した.この後,再びブルカノ式噴火によるA0降下火山灰(Kj‒A0)の堆積を挟み,5.4 ka に再び段原火口からプリニー式噴火が起こり輝石安山岩質の段原1降下スコリアと溶岩の噴出があった.大船山西麓に直径300 m ほどの火口地形があり,周辺に段原火口からの溶岩と古期大船溶岩の岩片が飛散している.立中山の東にも大船火山起源の大船東溶岩に覆われる鉢窪火砕丘が存在し,地形から見ていずれも段原火口の活動とほぼ同時期の活動と思われる.

 その後大船火山からの普通角閃石安山岩マグマの噴出が活発化し,それぞれ異なる全岩化学組成を持つ一番水溶岩,大船南溶岩,大船東溶岩が噴出した.大船東溶岩の南斜面には,崩壊に伴う大船火砕流堆積物が作る斜面が認められる.

 大船東溶岩噴出後,北大船火山段原火口の南側の米窪火口で再び輝石安山岩マグマの噴出が始まり,米窪降下スコリア(Kj‒KS)が噴出,火砕丘も形成した.米窪火口の最後の活動は1.7〜1.6 ka の玄武岩質安山岩マグマの活動で,ガラン台降下スコリア(Kj‒GS)を主に南東方向に堆積させるとともに,火口東山腹に溶岩流が流下,現在の米窪火口地形が作られた.ガラン台降下スコリアは大船東溶岩を覆っているが,大船山頂溶岩ドームの溶岩上には認められない.米窪火口を大船山頂溶岩ドームが覆っているように見えることと合わせ,大船山頂溶岩ドームの活動はガラン台降下スコリア噴出後まで続いたと考えられる.大船山頂ドームは東側への滑落地形があるほか,御池(おいけ)などの爆裂火口が少なくとも2つ存在する.御池近傍には爆発で吹き飛ばされたと見られる岩塊が分布している.1.6 ka にはさらに東側で安山岩マグマの活動が始まり,黒岳火山を形成した(Kamata and Kobayashi,1997).黒岳火山を構成する溶岩ドームは地形からいくつかの溶岩ローブに区分できる.黒岳周辺の白水鉱泉付近や上峠付近には,流走距離は長くないが黒岳溶岩ドームの崩落,崖錐成長に伴う火砕流堆積物(黒岳火砕流堆積物)が見られる.

3.7:小規模水蒸気噴火
 九重火山では,最近およそ 3.5 ka 以降,水蒸気噴火が少なくとも6回以上発生しており,硫黄山周辺を中心として水蒸気噴火堆積物が地表及び地表浅所の黒色土壌中に見出すことができる(伊藤ほか,2014).また,中岳から久住分れ及び星生山周辺には,直径100〜200 m 程度の火口状地形が複数認められるが,これらは水蒸気噴火を発生した火口と考えられる.

 堆積物として保存され,層準及び噴火年代の概要が判明している水蒸気噴火堆積物は7層である.そのうち,分布範囲がある程度推定されているものは,九重水蒸気噴火堆積物6と九重水蒸気噴火堆積物3である( 第8図).

 九重水蒸気噴火堆積物6(Kj‒ph6)は,最も広範囲で認められるもので,久住分れから硫黄山周辺だけでなく,坊ガツルや雨ヶ池周辺,岳麓寺溶岩上でも確認される.特に久住分れ周辺では層厚数10cm以上の変質した岩片をともなう黄白色から白色の粘土層として地表付近に分布する.3.9〜3.5 ka の14C年代を示す.噴出源は,その分布から,久住分れ避難小屋が立地している直径100 m 弱の円弧状の火口跡と考えられている.また,この水蒸気噴火は火山泥流を伴い,沓掛山の鞍部,北千里ヶ浜からその東部の低地及び,中岳南斜面において白色粘土質の土石流堆積物が認められる(地質図では省略).これらは,斜面上に堆積した水蒸気噴火堆積物が二次的に流下した可能性がある.九重水蒸気噴火堆積物3(Kj‒ph3)は,白色‒黄白色の粘土質火山灰で,北千里ヶ浜から硫黄山周辺で認められる.噴火年代は,1.8〜1.6 ka である.北千里ヶ浜の南東部では変質岩片を含む粘土質火山灰として,斜面上に分布することから,噴出源は北千里ヶ浜の南東部と推定される.歴史時代の噴火年代を示す水蒸気噴火堆積物としては,14〜15世紀及び10〜12世紀の噴出物が,北千里ヶ浜周辺で確認されているが,分布域の特定までには至っておらず,いずれも噴火規模は小さかったと推定される.これら以外に,小規模な水蒸気噴火堆積物と思われる変質岩片を含む砂質堆積物が坊ガツルを始め各地で観察されるが,確認される地点が断片的であり,詳細は不明である.おそらく,極めて小規模な水蒸気噴火により放出されたもののため,堆積物としての認定が困難となっていると推定される.


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