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富士火山地質図 解説地質図鳥瞰図
1:はじめに - 2:地質概説 - 3:研究史

1: はじめに

 富士火山は,日本列島の陸上最大の複成火山であるが,活動的な奈良時代から平安時代に比べると,西暦1707年の宝永噴火以後,300年間以上にわたって静穏を保っている.しかし,宝永噴火相当の噴火がおこれば,富士火山周辺はもとより,首都圏に降灰が及ぶ可能性がある.宝永噴火のような事例はあくまで1つの可能性であり,富士火山誕生以降,過去10万年の噴火史を顧みれば,全く異なる噴火がおこる可能性もある.今後の多様な噴火の可能性を理解して噴火に備えるためには,過去の噴火時期,噴火場所,マグマの種類,噴出量,噴火様式に関する定量的な噴火履歴情報が必要である.富士火山地質図(津屋,1968)の出版以後約半世紀の歳月が経ち,その後,多くの研究が行われ,年代測定法の進歩や地表踏査以外の様々な手法が開発されてきている.この富士火山地質図(第2版)は,地表踏査を基本として,必要に応じて掘削調査やトレンチ調査を行い,また,最新の炭素同位体年代測定法や航空機による測量データとその解析技術を活用しながら,定量的な火山噴出物層序や,詳細な山腹噴火口位置及び溶岩流分布などの情報をとりまとめた,富士火山の噴火履歴の基礎情報であり,富士火山の噴火予知研究や災害軽減の取り組みに資するものである.


2: 地質概説

2.1 テクトニックセッティング
 富士火山は島弧の火山であるが,3つのプレートが交差する複雑な場所に形成された火山である.日本列島は北米プレートとユーラシアプレートにまたがっており,この2つの陸側のプレートに,南からフィリピン海プレートがぶつかり東西に分かれて沈み込んでいる伊豆半島の付け根付近に,富士火山は成長している.富士火山のマグマは太平洋プレートの沈み込みにより発生し,間欠的に地震をおこして沈み込みを続けている変動の大きいフィリピン海プレート内を上昇している.富士火山の下では低周波地震という流体に関与した地震が深さ15 km付近で発生している(鵜川,2007).富士火山の安定なマグマ溜りはちょうどこの下のおよそ20 km前後にあり,玄武岩質マグマを供給し続けていると考えられている(鵜川,2007;藤井,2007).このような富士山の特異なセッティングが,陸上では日本で最大の玄武岩の複成火山であること,そして,噴火間隔,噴出量,噴火場所,噴火様式に多様性があることの原因と考えられる(高田,2015).

2.2 周辺の地質
基盤岩類(B)
 富士火山の西山麓には,主として,中新世の堆積岩類と安山岩類からなる富士川層群,前期から中期更新世の別所礫層が分布し,北西から北麓,さらに北東 山麓には,主として,中新世の堆積岩類と玄武岩類からなる西八代層群及び丹沢層群 が分布している(尾崎ほか,2002;松田,2007;杉山ほか,2010).上記のうち,中新世の地層には,西側で佐野川,北側で芦川,東側で 丹沢などの各花崗閃緑岩体が貫入している.

岩淵火山噴出物(Iwb)
 富士火山の南西麓には,前期から中期更新世の岩淵火山の噴出物が分布する(杉山ほか,2010).主として,玄武岩から安山岩質の溶岩類と火砕岩類が分布する.

箱根火山噴出物(Hkn)
 富士火山の南東麓には,中期更新世から完新世の箱根火山の噴出物が分布する(杉山ほか,2010).主として,玄武岩から安山岩質の溶岩類と,デイサイトから流紋岩質の火砕流堆積物が分布する.

愛鷹火山噴出物(Ast)
 富士火山の南麓には,中期から後期更新世の愛鷹火山の噴出物が分布する(杉山ほか,2010).主として,玄武岩から流紋岩質の溶岩類及び火砕岩類が分布する.山麓には火山麓扇状地堆積物が広がる.

先小御岳火山噴出物(PK)
富士山北東斜面の吉田大沢下流(大堀沢)では,小御岳火山噴出物の最下位溶岩流に不整合に覆われる1枚の無斑晶状玄武岩質安山岩溶岩が露出する.化学組成上の特徴から,これを中田ほか(2007),Yoshimoto et al. (2010) の先小御火山噴出物(約27〜16万年前:K-Ar年代)に対比した.

小御岳火山噴出物(K)
富士火山北斜面5合目,富士スバルライン終点にある小御岳神社の北方及びその東方,大堀沢において富士火山噴出物に不整合に覆われる火山噴出物であり,厚さ2 m以内の多数のアア溶岩が累重する複成火山である(津屋,1938a).また,泉ヶ滝付近にも小規模に露出する.岩質は玄武岩ないし玄武岩質安山岩であり,大きさ3 mm以下の斜長石斑晶が卓越し,マフィック斑晶を合わせて斑晶量は30〜45 %に達し,富士火山噴出物とは容易に区別ができる.化学組成では富士火山に比べて明らかにK2OやTiO2などに乏しく,また,大堀沢(玄武岩質安山岩)と小御岳神社北方(玄武岩及び玄武岩質安山岩)でも有意な差が認められる.小御岳神社北方からは7.6±1.3万,10.9±1.6万年の2つのK-Ar年代値が報告されている(中野ほか,2009;吉本ほか,2009).

2.3 富士火山の特徴と噴火史概略
2.3.1 富士火山の特徴
 日本列島の陸上の火山の中では富士火山は特別に大きく,日本の他の大部分の火山はその体積が100 km3以下の火山が多い中で,山体の体積は400〜500 km3と見積もられている(Takada et al., 2007, 2013).また,玄武岩マグマを長期にわたり噴出し続けているのも際立った特徴である.

 富士火山は,その噴火に多様性があることが指摘されている.その1つに,ときどき多量のマグマを噴出する時期があることがあげられる.例えば,約1万年前には1 km3を超える量の溶岩を噴出する噴火が何回かおこった.有史の貞観噴火では,西暦864年から2年以上にわたり合計約1.5 km3の青木ヶ原溶岩が噴出している(千葉ほか,2007;高橋ほか,2007).一方,西暦1707年の宝永噴火では,爆発的噴火で約0.7 km3の火砕物が噴出したが,噴火は約2週間で終了した(Miyaji et al., 2011).

 次の多様性として,富士火山は,山頂だけでなく山腹で多くの割れ目噴火をおこしており( 口絵2),割れ目噴火が卓越する時期と山頂噴火が卓越する時期があることが指摘されている(宮地,1988;Takada, 1997).噴火割れ目の方向は,統計的には,フィリピン海プレートが押す方向である北西-南東が卓越するが,北東や南西方向へ放射状の噴火割れ目も発達している.噴火割れ目の分布をみると,山頂から13 km強の距離までの範囲内で割れ噴火が発生している(高田ほか,2007).

 また,富士山のような広い裾野を広げる複成火山は,ハワイのような楯状火山とは違い,溶岩流の噴火だけでは形成されない.山頂での爆発的噴火の結果,急な斜面を持つ円錐形の山体が形成され,火山性の扇状地が広大な裾野をつくる.富士火山では,山体崩壊も過去数回発生しており,日本の火山では高頻度である(山元ほか,2002).

2.3.2 富士火山のステージ区分
 津屋(1940,1968)の層序で最も重要な点は,富士山を古富士火山と新富士火山に区分したことである.その根拠は,1)古富士火山噴出物は富士川河口断層系により明瞭な変位を受けるが,新富士火山噴出物はそうではないことによる構造地質学的な違い,2)新富士火山噴出物は侵食された古富士火山噴出物を谷埋めする層序関係の違い,3)山麓の古富士火山噴出物は火山砕屑物が卓越するのに,新富士火山噴出物は山麓でも溶岩流が卓越する活動様式の違いであり,津屋は両者の間には活動沈静期があったものと考えていた.一方,町田(1977)は,山麓の火山灰層序より,富士黒土層を境に,古期富士と新期富士に分類していた.このため,津屋と町田のステージ区分には食い違いが生じており,火山体構成物と遠方火山灰の対比を含めた富士火山の噴火史再構築が必要とされていた.本研究では,山体構成物である溶岩流,火砕丘堆積物,岩屑なだれ堆積物,火砕流堆積物と遠方の降下火山灰について,相対的層序と放射性炭素年代を総合的に検討した.その結果,約1.7万年前頃の溶岩大量流出を境に,それ以前を星山期(約10万年前〜Cal BC 15000年),それ以後を富士宮期(Cal BC 15000〜Cal BC 6000年),さらに,町田(1977)の富士黒土層以降を須走期と定義した山元ほか(2007)のステージ区分を踏襲する.須走期の命名は,泉ほか(1977)及び上杉ほか(1979,1987)による.須走期は,富士黒土層の須走-a(Cal BC 6000〜3600年),それに重なる須走-b(Cal BC 3600〜Cal BC 1500年),須走-c(Cal BC 1500〜Cal BC 300年),須走-d(Cal BC 300年以降)に分けられる( 口絵1).

 なお,津屋(1968,1971)を踏襲した地質ユニット名のうち,一部についてはその名称の場所が特定できないか現存しないため,地質図に地名を表記していない場合がある.以下の地質ユニット名の右肩数字は 付表1のユニット番号に相当する.

2.3.3 歴史時代の代表的な噴火
 6世紀には,青沢溶岩流37が南斜面を流れ下り,溶岩流末端の山宮には,富士山本宮浅間大社の起源である社のない神社が建立された.浅間大社の本殿は,その後平安時代に現在の場所(富士宮市湧玉池付近)に移築された.

 奈良時代から平安時代には,富士山の活動が活発であった.特に北西山腹,南東山腹,東山腹では多くの割れ目噴火がおきている.特に,西暦700〜900年頃は,北西–南東方向の割れ目噴火が頻繁に発生した.北西山腹では,焼野噴出物26,御庭奥庭第一噴出物25,御庭奥庭第二噴出物24,白大竜王氷池噴出物23,天神山伊賀殿山噴出物19の噴火,そして,古文書に記載されている青木ヶ原溶岩流17を噴出した貞観噴火(西暦864–866年)が次々に発生した.南東山腹では,同時期に鑵子山噴出物22の噴火がおきている.

 西暦900〜1000年頃は,割れ目噴火の卓越方向が,東臼塚南噴出物16,大淵丸尾噴出物13と,北西–南東から南北へシフトした(山元ほか,2005;高田ほか,2007).そして,2回にわたり山頂を挟み南北に長さ12 km,8 kmに及ぶ割れ目噴火がおこった.北山腹では,剣丸尾第一噴出物11と剣丸尾第二噴出物9に,南山腹では不動沢噴出物12と日沢噴出物10にそれぞれ対応している.

 現在,放射性炭素年代測定で最も新しい年代を示す溶岩流は,2002年度のトレンチ調査(小林・高田,2003)で記述された須山胎内溶岩流6で,溶岩流の底より採取された炭化物より,2σで Cal AD 1030〜1220年の年代( 付表2の1)が得られている(山元ほか,2005).

 一方,東–北東山腹は,長期間にわたり,割れ目噴火の活動は活発であった(山元ほか,2011).例えば,北東山腹では,『日本紀略』に記述された西暦800年の延暦の噴火に相当する鷹丸尾溶岩流20が,現在の忍野村と山中湖付近まで流出している.

 鎌倉時代以後は,火山活動は静穏になっていった.いくつかの小噴火や噴煙の記録は古文書などにあるが,それらの記録が事実であっても堆積物を残すような規模でないと考えられる.

2.3.4 宝永噴火
 西暦1707年(宝永四年)の宝永噴火は,富士火山の噴火の中で唯一,詳細な記録が残されている噴火である.宝永噴火は,南東山腹で発生した爆発的噴火で,山腹には3つの火口が形成された( 口絵8-C).この噴火では,最初期に富士山ではまれな珪長質マグマが少量放出され,その後,玄武岩質マグマが噴出した.宝永噴火の49日前の10月28日には,フィリピン海プレート境界部での宝永東海地震(M=8.4)が発生していることも注目される.この地震後,富士山周辺では,地震が頻発していた.12月15日には地震が増加し,12月16日には午前中に大地震が1回発生し,同日の昼過ぎに噴火が始まった.噴火は盛衰を繰り返して約2週間続き,翌年1月1日未明に終了した(宮地・小山,2007).

 宝永噴火では多くの災害が,しかも長期間にわたり発生した.小山町須走で層厚1 m以上の火山礫が積もり,家屋の焼失や倒壊がおこった.農地に積もったこの1 m厚以上の火山礫は,その後,地元住民の努力で「天地返し」を行い農地に復興させた.急峻な丹沢山地では,降雨ごとに火山礫と火山灰が土石流となり,酒匂川(鮎沢川の下流)に流れ込み,河床を上昇させた.その結果,酒匂川では約100年にわたり大雨ごとに洪水氾濫が続いていた.さらに,遠方では,神奈川県厚木市で30 cm厚,横浜市で20 cm厚,東京では数 cm厚の火山灰が堆積し,横浜以西では用水路や排水路の閉鎖がおきている(井上,2007).


3:研究史

 富士山の地学的研究は,明治時代に始まり(Wada,1882;鈴木,1886a, b),鈴木(1887)により20万分の1地質図幅「富士」が出版された.一方,ナウマンは富士山を地学的見地から総括的にまとめた(1888;全訳は山田・矢島,2013).その後,富士山を含む地域では,石原(1925)により5万分の1富士山地質図が,沢村(1955)により7万5千分の1沼津図幅が出版された.

 富士火山としての火山学的研究は,津屋により溶岩流の分布を中心に多くの研究が行われた(津屋,1937,1938ab,1940,1944;Tsuya,1955,1962など).その集大成として,5万分の1富士火山地質図が地質調査所から刊行された(津屋,1968).一方,火山灰の層序を用いた富士火山全体の噴火史が町田により初めて明らかとなった(町田,1964,1977).その後,特に東山麓を中心に,火山灰層序の詳細な記載が進められ,地学見学案内書としてまとめられている(上杉,2003).一方,火山灰層序を駆使して火山体近傍の山腹噴火口の相対的な活動時期を盛り込んだ富士火山の噴火史が宮地(1988,2007)により研究された.富士火山は地域ごとに詳細な踏査研究が行われ,それぞれの成果が公表されている(例えば,小川,1986).富士火山はプレート境界近くに成長しているため,周辺の活断層調査などの研究報告(例えば,Yamazaki,1992)なども,富士火山の層序構築に活用されている.

 地表調査では露頭に限界があり,最近では,ボーリング掘削調査(宮地ほか,1995,1998,2001;中田ほか,2007;山元ほか,2007;Yoshimoto et al., 2010),トレンチ調査(高田ほか,2007;石塚ほか,2007;中野ほか,2007;鈴木ほか,2007;Kobayashi et al., 2007)が行われ,微量の放射性炭素年代測定を併用し,定量的な噴火史構築が進められた(山元ほか,2005).また,航空レーザ測量を用いた赤色立体地図が作成され(千葉ほか,2007),溶岩流の地形分類や山腹火口群の分布調査に大きな成果をあげている.一方,有史の噴火史に関しては,古文書の解析も進展し(つじ,1992),古文書の記述と噴出物との対比なども試されている(小山,1998a,2007).


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