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第四紀火山>活火山>富士山
富士火山地質図 解説地質図鳥瞰図
第1図
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第1図 富士火山噴出物の層序
a=1,000年.数字は海洋酸素同位体ステージ. 東山麓テフラ層序は町田(1964)による.AT=姶良Tnテフラ;Hk-TP=箱根東京テフラ;On-Pm1=御岳第1テフラ.山元(2014)による.
第3図
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第3図 南西山麓で掘削されたコアの柱状図と地点図
H-Tnk=田貫湖岩屑なだれ堆積物.山元ほか(2005)による.
第4図
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第4図 火山麓扇状地Ⅲ堆積物
富士宮期火山噴出物及び富士黒土の暦年代.山元(2014)に加筆修正.青木SP-4溶岩流は,Aoki D-1コア(第3図)の深度58~76mに伏在する溶岩.
第5図
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第5図 火山麓扇状地Ⅲ堆積物(vf3)を不整合に覆う富士宮期白糸溶岩流(F-Srt)
静岡県富士宮市,白糸の滝.
第6図
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第6図 富士山南半の富士宮期溶岩流の層序関係
青木SP-4溶岩流は,Aoki D-1コア(第3図)の深度58~76mに伏在する.最下位に示した田貫湖岩屑なだれ堆積物は星山期最末期の堆積物.山元ほか(2007)を修正.
第7図
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第7図 村山降下スコリア堆積物の分布及び推定火口位置
数字は降下堆積物の層厚で,単位はcm.山元(2014)を修正.本堆積物は付表1及び地質図に示していない.
第8図
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第8図 須走-b期の代表的火山噴出物の層序
灰色矢印は降下堆積物.*は地質図には示されていない.年代未確定の噴出物は含まない.
第9図
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第9図 須走-c期の代表的火山噴出物の層序
灰色矢印は降下堆積物,黒矢印は火砕流堆積物.年代未確定の噴出物は含まない.*は地質図には示されていない.降下テフラの記号(Os: 大沢降下スコリア,S-10〜22)は宮地(1988)による.**はYamamoto et al. (2005) による火砕流堆積物の区分.
第10図
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第10図 大沢降下スコリア堆積物の分布
数字は降下堆積物の層厚で,単位はcm.山元(2014)を修正.
第11図
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第11図 S-22降下スコリア堆積物の分布
数字は降下堆積物の層厚で,単位はcm.
第12図
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第12図 須走-d期火山噴出物の層序
破線枠は時代未確定の噴出物.滝沢火砕流は地質図上では一括して表示したが,口絵6-Cに示すように時間間隙を挟む滝沢火砕流A及び滝沢火砕流Bより構成される.
第13図
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第13図 宝永降下火砕堆積物の分布
数字は降下堆積物の層厚で,単位はcm. 宮地・小山(2007)を修正.
4:地質記載

 富士火山噴出物の地質記載を,第2章で述べたステージ区分に沿って,星山期(約10万年前〜Cal BC 15000年),富士宮期(Cal BC 15000〜Cal BC 6000年),須走-a期(Cal BC 6000〜Cal BC 3600年),須走-b期(Cal BC 3600〜Cal BC 1500年),須走-c期(Cal BC 1500〜Cal BC 300年),須走-d期(Cal BC 300年以降)の順に記載する. 付表1 に,本地質図で図示した岩相層序単元(約200ユニット)について,凡例記号,分布域,岩相(岩石名),噴火年代,全岩化学組成(平均)及び津屋(1968,1971)による富士火山地質図との対比を取りまとめた.本章では,層序的下位にあたる星山期,富士宮期,須走-a期及び須走-b期の噴出物については,紙面の都合上,特徴的な岩相層序単元に限って記載する.一方,富士火山の中で層序的上位にあたる須走-c期及び須走-d期の噴出物については,個々の岩相層序単元についてやや詳しく記載する.これら岩相層序単元の名称については,津屋(1968,1971)の地質図凡例を踏襲しながら,適時再定義している. 付表2 には,本地質図作成にあたって著者らが実施した放射性炭素年代測定結果を示した.

4.1 星山期火山噴出物
 約10万年前の古期富士テフラ層の噴出開始時(町田,1977)から,玄武岩溶岩流の大量流出の始まるCal BC 15000年頃までを星山期とする(山元ほか,2007;山元,2014).この時期の噴出物は,基本的に津屋(1940,1968,1971など)の古富士火山に相当している.火山活動の開始が約10万年前とされた根拠は,富士山東山麓でのテフラ層序において,約10万年前の御岳第1テフラ(On-Pm1;町田・新井,2003)の直上から玄武岩降下スコリア堆積物がほぼ連続的に累積するからである( 第1図;町田,1977,2007).東山麓の須走や湯船原での古期富士テフラ層の層厚は80m前後で,ほぼ整合的に重なる数10 cm厚のスコリア粗粒火山礫の降下堆積物とスコリア混じりの薄い風成層の互層が数100枚ほど互層している(町田,1964;上杉ほか,1980).この星山期降下スコリア堆積物群は,より山側の地域では,小山町の須走口旧馬返から小富士に至る沢沿い(通称:グランドキャニオン)に模式的に露出している( 第2図).ほぼ連続的に重なる降下スコリア堆積物からなる岩相は,星山期に玄武岩マグマの爆発的噴火が繰り返されたことを意味していよう.

 星山期の火山体は,その山麓扇状地の堆積物が,東山麓の湯船原から足柄周辺,南西山麓の羽鮒・星山丘陵に分布することから,当時すでに現山体に匹敵する規模を有していたことは確実である.しかしながら,この期の山体は後述するように複数回の山体崩壊を経験していること,富士宮期・須走期火山噴出物に大半が被覆されていることから,特に山体構成物の特徴については断片的な知見しか得られていない.本地質図では星山期の噴出物を未区分星山期噴出物186として一括した.玄武岩溶岩流と火砕物の互層からなる火山体近傍相は,北東山腹の小御岳神社南西の2,386 m峰から山麓に向かって滝沢林道や吉田登山道沿いに露出し,この期の溶岩流のまとまった分布地域となっている.このほか,東山腹の小富士林道沿いから須走口や,東山腹標高2,100〜1,900 mの獅子岩や南東山腹標高2,700〜2,600 mの赤岩にも給源近傍相が露出し,須走期に形成された現在の火山体からの地形的な突出部となっている.一方,南西山腹の標高1,050 mで掘られた箱荒沢横穴では,地表下300 m以深に火砕岩・溶岩からなる星山期の火山体構成層が伏在し(Tsuya, 1962),これに挟在するガラス質火山灰は姶良Tnテフラ(AT:町田・新井,2003)であることが確認されている(安田ほか,2007).また,輿水ほか(2007)は,河口湖及び本栖湖の湖底から採取したボーリング試料を解析し,本活動期に流下したと考えられる溶岩流を記載している. さらに,高橋ほか(2003)によれば,滝沢林道や吉田登山道沿いの本活動期に対比される噴出物は1.8万年前より若いとされた.

 星山期の火山麓扇状地堆積物には,南西山麓で滝戸溶岩流187(山本ほか,2002)などの溶岩流も挟まれているが,その量はごく僅かである.富士宮市青木地区の青木D-1掘削調査(下川ほか,1996)では,深度250〜550 m間すべてが星山期に相当する火山麓扇状地堆積物からなり,溶岩流は1枚も挟まれていない( 第3図).また富士宮市が掘削した山宮観測井でも深度75〜190 mの星山期に相当する火山麓扇状地堆積物中には,2枚の溶岩流が挟まれるだけである( 第3図;山元ほか,2005,2007).町田(1977)は,南西山麓に分布する星山期の火山麓扇状地堆積物をテフラ層序から新旧2つに分けているが,本地質図も基本的にこの区分を踏襲しており,火山麓扇状地Ⅳ堆積物189と火山麓扇状地Ⅲ堆積物188がこれらに相当する.この区分では,前者の離水時期が約6万年前頃,後者の離水時期がCal BC 18000年頃となる(山元ほか,2007;山元,2014).ただし,火山麓扇状地Ⅳ堆積物と火山麓扇状地Ⅲ堆積物の違いは,火山活動を直接反映したものではなく,気候変動を反映したものである可能性が大きい.すなわち,両火山麓扇状地堆積物の累積と離水は海洋酸素同位体ステージ(MIS)の4と2に対応しており( 第1図),日本各地でこの時期の河川地形面が形成されている.また,羽鮒・星川丘陵を構成する星山期の火山麓扇状地堆積物は,丘陵の東縁を切る富士川河口断層帯による南西隆起の変位を受けている(Yamazaki, 1992).なお,北東山麓の都留市田原以北の猿橋溶岩流157に被覆される土石流堆積物は本期の火山麓扇状地堆積物相当と推定されるが,地質図では省略した.

 星山期には少なくとも3回の山体崩壊が発生している.その1つはCal BC 18000年頃に発生した南西山麓の田貫湖岩屑なだれ( 口絵7-D)で,その堆積物184は富士宮市田貫湖周辺の丘陵や南西山腹の地下に分布する(山元ほか,2005,2007).東山麓では2万年前頃(関東ローム研究グループ(1964)の16,500±400 yBP(δ13C未補正)を暦年較正)に発生したMf2,姶良Tnテフラ降下直後の2.8万年前頃(Kigoshi and Endo (1963)の24,100±400 yBP(未補正)を暦年較正)のMf1と呼ばれた2枚の岩屑なだれ堆積物が分布する(町田,1964).Mf2は本地質図の馬伏川岩屑なだれ堆積物185に相当し,御殿場市市街地と箱根火山の間の丘陵地を構成している.またMf1は小山町湯船原の丘陵の土台を構成するもので,湖成堆積物の粗大な粘土の礫を取り込んでいることが特徴となっている(町田,1996).Mf1自体は引き続く厚い降下堆積物や岩屑なだれ堆積物に被覆されており,その露出地域は今回の地質図の範囲外となっている.

 星山期火山噴出物は,長径3 mm以下の斜長石斑晶を含む玄武岩を主とし,その石基にはかんらん石が多い特徴を持つ.また,星山期の玄武岩は,液相濃集元素に乏しいことで,大局的には富士宮期・須走期の玄武岩とは区別が可能である(高橋ほか,1991;富樫ほか,1991;富樫・高橋,2007).ただしこの化学組成のギャップは,田貫湖岩屑なだれを生じた山体崩壊による不整合により強調されたものである可能性が大きい.西麓の広見コアや南山腹の吉原コアで確認された地下に伏在する星山期末期から富士宮期へと至るマグマの組成変化は連続的で,化学組成のみから両者を分けることは難しい(富樫ほか,1997;宮地ほか,2001).また,前出のグランドキャニオンに露出する古期富士テフラ層の全岩化学組成とメルト包有物を分析した Kaneko et al. (2010) は,大量の深部マグマ溜まり由来の玄武岩マグマと少量の浅部マグマ溜まり由来の安山岩マグマの混合が卓越していたことを明らかにした.

4.2 富士宮期火山噴出物
 富士山麓を広く覆う溶岩流の大量流出がおきた Cal BC 15000〜Cal BC 6000年頃を,富士宮期とする( 第4図;山元ほか,2005,2007).この時期の噴出物は,津屋(1940,1968,1971など)の新富士火山旧期噴出物に相当している.溶岩流はいずれも玄武岩のアア及びパホイホイ溶岩で,東山麓を除くほぼ全域に流下した.特に南西山麓では火砕物の卓越する星山期堆積物から,溶岩が主体の富士宮期堆積物への岩相変化が顕著である( 第3図;山元ほか,2005,2007).また,アア溶岩は玄武岩溶岩にしては層厚の大きなものが多く,数10 mに達するものもある.一方,町田(1964)の古期富士テフラ層の噴出は Cal BC 7800年頃まで続いており(山元ほか,2005),その最上部はこの富士宮期に噴出したものと見られる.ただし,古期富士テフラ層が主に分布する東山麓では,テフラと富士宮期溶岩流の層序関係は直接確認することができないため,ほぼ連続的に噴火が繰り返された古期富士テフラ層内に星山期・富士宮期境界を設定することができていない.津屋(1940,1968,1971など)が考えた,彼の古富士火山と新富士火山の間には,顕著な休止期はなかったものとみられる(町田,1964,2007).以下,時計回りに南西山麓から富士宮期火山噴出物を概観する.

 富士宮期の噴出物が最も広範囲に分布する南西山麓の溶岩流は,地表に露出するもので下位から水神溶岩流183,芝川溶岩流182,横手沢溶岩流181,半野溶岩流179,白糸溶岩流178 第5図),狩宿溶岩流176,精進川溶岩流175,猫沢溶岩流174,青見溶岩流167,外神溶岩流148,馬見塚溶岩流146,鞍骨沢溶岩流145,北山溶岩流144などからなる層序が確立されている( 第6図;山元ほか,2007;山元,2014).箱荒沢溶岩流180及び万野溶岩流177は噴出年代がはっきりしない.これらのうち外神溶岩流以下の溶岩流は富士川河口断層帯によって西ないし南西上がりの変位を受けている.富士宮市街地南西の大宮断層沿いでは Cal BC 8500年頃の外神溶岩流に約80 mの垂直変位(Yamazaki, 1992)が認められるので,その変位速度は約8 m/千年となる.南西山麓の火砕丘としては檜塚火砕丘121があるが,これに付随する溶岩流は確認されていない.

 本活動期の噴出物が次に広い西山麓では,下位から富士見橋溶岩流166,猪之頭溶岩流165,麓溶岩流164,朝霧高原溶岩流163,富士丘溶岩流162,ニッ山噴出物128, 永山噴出物126,サワラ山火砕丘119,犬涼み山噴出物118が分布する.これらのうちニッ山噴出物以下の層準にある溶岩流が,富士川河口断層帯によって西上がりの変位を受けている.最下位の富士見橋溶岩流は芝川溶岩流の上位にあるパホイホイ溶岩で,富士宮市人穴から猪之頭にかけて南北方向5 kmにわたって点在する.猪之頭溶岩流,朝霧高原溶岩流,富士丘溶岩流は無斑晶ないし無斑晶状の岩質を持つ.ニッ山噴出物を構成する溶岩流にはしばしばスコリアラフトを伴う.犬涼み山噴出物は地表で認められる富士宮期の最上位噴出物である.西山麓では,猪之頭溶岩流からCal BC 9200年頃( 付表2の136),麓溶岩流から Cal BC 8800年頃(同134),犬涼み山噴出物からCal BC 6000年頃(同121)の放射性炭素年代が得られている( 第6図).

 北西山麓では下位から本栖湖溶岩流130,本栖溶岩流129,朝霧溶岩流127が分布するが,いずれも噴火年代は未詳である.このうち朝霧溶岩流は前述のニッ山噴出物を地形的に覆い,しばしばスコリアラフトを伴う.いずれの溶岩流も大型の斜長石斑晶に富むが,本栖溶岩流は単斜輝石斑晶を含む特徴を持つ.また,本栖湖湖底のボーリング試料では,本栖湖溶岩流より下位の溶岩流も認められている(輿水ほか,2007).

 北山麓には船津溶岩流153,沼溶岩流152,鳴沢溶岩流151,大田和溶岩流150,大嵐溶岩流149が分布する.これらの溶岩流の区分は津屋(1968)にしたがった.北西山麓と同様に噴火年代は未詳である.いずれも大型の斜長石斑晶に富むかんらん石玄武岩で,類似した岩質を持つ.このうち,最下位の船津溶岩流は,河口湖南岸に広く露出し,北山麓では斜長石斑晶の粒径が特に大きく,その量も多い.

 北斜面から北東山麓には,屏風岩溶岩流161,小御岳橋溶岩流160,丸山噴出物159,梨ヶ原溶岩流158,猿橋溶岩流157,忍野火砕丘群156,鷹の巣橋火砕丘155,桂溶岩流154が分布するが,一部を除きこれらの層序関係は明らかではない.大型の斜長石斑晶に富むものが多いが,一部には無斑晶状の玄武岩も伴う.猿橋溶岩流は,火山体から約40 km離れた北東の大月市まで達する富士山でも最長の流下距離を持つ溶岩流である.上流域約半分はその後の噴出物に覆われているが,岩質から判断して,山体近くの滝沢林道沿い,雁ノ穴西方及び忍野八海西方に局所的にする溶岩を猿橋溶岩流に対比した.桂溶岩流(Cal BC 8800年頃; 付表2の135)は猿橋溶岩流を覆い,津屋(1968)によって小御岳神社付近の溶岩流がこれに対比されていたが,小御岳神社付近及びその北方に,溶岩流のほか同質の火山弾やアグルチネートが分布している.また,小御岳神社北方に,ほぼ同岩質の鷹の巣橋火砕丘や桂溶岩流相当のアグルチネートの給源と考えられる南北性の数本の岩脈も見られることから(中野ほか,2009),桂溶岩流の給源は小御岳周辺にあったと推定される.なお,猿橋溶岩流については遠藤・村井(1978)により8,530±170 yBP(未補正)の放射性炭素年代が報告されているが,上位の桂溶岩流の年代値と整合的ではない.

 南東山麓では下位から三島溶岩流173,二子溶岩流172,裾野溶岩流171,下和田溶岩流170,馬場溶岩流169,舟窪台溶岩流168,太郎坊溶岩流147,次郎右衛門塚噴出物132,アザミ塚噴出物131が分布する.このうち,三島溶岩流,裾野溶岩流,下和田溶岩流,太郎坊溶岩流の層序は 第6図の通りである.南東山麓で最下位の三島溶岩流は,東富士演習場の大野原付近より露頭があらわれ,三島市の楽寿園まで続く大規模な溶岩流であり,Cal BC 9600年頃の放射性炭素年代が得られている(付表2の137).楽寿園南側の小浜池周辺の掘削調査により,三島溶岩流の下位にもさらに溶岩流の存在が確認されている(土,1985).途中には,駒門風穴をはじめとする溶岩洞穴が見られる.南東山麓の火砕丘には,次郎右衛門塚火砕丘及びアザミ塚火砕丘があり,トレンチ調査により約1万年前前後の噴火年代が推定されている(高田・小林,2007).

 南山麓では大淵溶岩流143,入山瀬溶岩流142,片蓋山曽比奈噴出物141,元村山溶岩流140,三ツ倉溶岩流124,八王子町溶岩流123,笹場溶岩流122からなる層序が確立された( 第6図).大淵溶岩流は,富士川河口付近では,扇状地堆積物の地下90 m付近に埋没している(村下,1977). このほかに元村山東溶岩流139,今宮溶岩流125,西臼塚噴出物120がある.片蓋山曽比奈噴出物は,片蓋山火砕丘と富士市に広がる曽比奈溶岩流からなり,無斑晶状の特徴を示す.また,三ツ倉溶岩流からはCalBC 6200年頃(付表2の123)の放射性炭素年代が得られ,富士宮期の中では層序的上位に相当する.南山麓の火砕丘として,東茗荷火砕丘138,茗荷岳火砕丘137,富士宮口馬返火砕丘136,北東高鉢山火砕丘135,高鉢山火砕丘134,黒塚火砕丘(黒塚噴出物133),西臼塚火砕丘120があり,これらの噴火年代はトレンチ調査によって推定されている(高田・小林,2007).

 富士宮期の噴火口位置は,確認できるもので富士火山の東方を除いて広い範囲に及んでいる.例えば,Cal BC 10000年頃には南西山麓の標高450 mを中心とした割れ目火口から村山降下スコリア堆積物( 付表1には示していない)が噴出し( 第7図;山元,2014),給源近傍ではスコリア流とみられる堆積物が確認されている(嶋野ほか,2013).また,Cal BC 6000年頃,中腹で檜塚の火砕丘を形成した.西山麓では標高1,600〜1,200 mにかけて,Cal BC 8000〜Cal BC 6000年頃にサワラ山,永山,二ッ山,犬涼み山の火砕丘が形成された.北中腹には丸山火砕丘や鷹の巣橋火砕丘が形成された.北東山麓の忍野火砕丘群は大臼,小臼,臼久保橋及び膳棚(上杉ほか,1992;上杉,1998;中野ほか,2007)の4つの小規模な火砕丘の総称である.小臼・大臼・臼久保橋火砕丘はこの順にCal BC 9600年頃からCal BC 7100年頃にかけて形成された( 付表2の126,131,137).これらと膳棚火砕丘の層序関係は明らかではない.南東山腹では,Cal BC 8500〜Cal BC 7000年頃の次郎右衛門塚及びアザミ塚,南山腹には,Cal BC 8500〜Cal BC 6000年頃に形成された東茗荷岳,茗荷岳,高鉢山,黒塚,西臼塚などの大型の斜長石斑晶を多く含む玄武岩からなる火砕丘群があるほか,無斑晶状玄武岩からなる片蓋山がある.

 富士宮期の噴出物の岩質は,下位の星山期のものとは大きく異なり,最大長径が4〜12 mmの大型の斜長石斑晶に富む玄武岩が卓越している.そのため,野外での富士宮期噴出物の認定は容易である.半野溶岩流や猪之頭溶岩流,富士丘溶岩流,曽比奈溶岩流などのように無斑晶状のものもあるが,その量は僅かである.前述のように星山期と富士宮期の玄武岩は液相濃集元素の含有量に違いがあるとされていたが(富樫ほか,1991,2007;高橋ほか,1991;山本ほか,2004),西麓及び南麓で掘削されたボーリングコア(防災科技研の吉原観測井・広見観測井)では両時期のマグマ組成は連続的で(富樫ほか,1997;宮地ほか,2001),化学組成のみから層序を分けることは難しい.むしろ富士宮期溶岩流のFeO*/MgO比は,下位のものが1.7〜2.3,上位のものが2.2〜2.8と明らかな違いがあり,この組成変化は富士宮期途中のCal BC 9600〜Cal BC 8600年頃におきている(山元ほか,2007).

4.3 須走期火山噴出物
 富士宮期の最末期噴出物(犬涼み山噴出物)の噴火年代であるCal BC 6000年頃以降を,須走期とする.この時期に,須走の頭文字Sで始まる名称を持つ東山麓で見られる玄武岩質降下スコリア堆積物群(泉ほか,1977;上杉ほか,1979,1987;宮地,1988)が噴出した.この活動期は,以下のように,須走-a期から須走-d期の4つに細分される.須走-a期は,Cal BC 6000〜Cal BC 3600年頃の活動低下期で,S-0からS-4の小規模な玄武岩質降下スコリア堆積物群が噴出した.また,この期に町田(1964)の富士黒土層の大部分が形成されている.須走-b期は,Cal BC 3600〜Cal BC 1500年頃で,S-5からS-9の玄武岩質降下スコリア堆積物群が噴出した.この期には山頂及び山腹からの玄武岩溶岩流の流出が相次ぎ,現火山錐が形成された.津屋(1968,1971)の新富士中期溶岩の大部分は,須走-b期に噴出している.須走-c期は,Cal BC 1500〜Cal BC 300年頃で,S-10からS-22の玄武岩質降下スコリア堆積物群が噴出した.この期には,山頂及び山腹での爆発的噴火が卓越していた.須走-d期は,Cal BC 300年頃以降で,S-23以降の玄武岩質降下スコリア堆積物群が噴出した.この期には山腹割れ目噴火が卓越し,山頂噴火は発生していない.津屋(1968,1971)の新富士新期溶岩は,須走-c期及び須走-d期に噴出している.

4.3.1 須走-a期火山噴出物
 富士火山の山麓部には層厚1〜1.5 mで,富士火山起源の火山噴出物をあまり含まない黒色の腐植土層が堆積しており,富士黒土層と呼ばれている(町田,1964).富士黒土層基底部からは,南西山麓で Cal BC 6800年頃( 付表2の125),南麓でCal BC 6100年頃(同122),東山麓でCal BC 7900年頃(同129),東北東山麓でCal BC 7600年頃(同127)の放射性炭素年代が得られている(山元ほか,2005).このように富士黒土層の形成開始時期は場所により異なるものの,富士宮期末から火山活動は低下傾向にあったことは確実である.町田(1964,2007)は富士黒土層が示す富士火山の活動低下期の存在を重要視し,この上下で津屋(1968,1971)とは異なる古期富士火山と新期富士火山を提案しており,本地質図もこの考え方にしたがい,火山活動が静穏な須走-a期を設定した.

 富士黒土層の下部には約7,300年前のK-Ah(鬼界アカホヤ)テフラの降下層準が確認されており,その前後から須走期のS-0からS-4の玄武岩質降下スコリア堆積物群の活動が開始している(宮地,1988).しかし,その降下スコリア堆積物群の規模は小さく,須走-a期に流出した溶岩流はこれまでに確認されていない.そのため本地質図では須走-a期の噴出物を図示していない.

4.3.2 須走-b期火山噴出物
 活動低下期の須走-a期から活動様式が変化し,規模の大きな降下スコリア(S-5降下スコリア堆積物)を噴出し始めるCal BC 3600年頃から,現火山錐がほぼ完成したCal BC 1500年頃までを,須走-b期とする.津屋(1968,1971)は,彼の新富士火山噴出物のうち現火山錐の山腹をつくる玄武岩溶岩流を中期噴出物としていたが,その大部分はこの期に噴出している. 

 須走-b期の噴出物は,富士火山の東山麓を除いて山腹から山麓に広く分布し( 口絵1),ほとんどが玄武岩からなる.噴出物の多くは噴出源未詳の溶岩流からなり,火砕丘を伴う側噴火による溶岩流も認められる.僅かに火砕流堆積物も分布する. 第8図に須走-b期のうち代表的な噴出物の層序をまとめた.

 最も卓越するのは現火山錐を構成する噴出物で,これらは厚さ数mの玄武岩溶岩流と火砕物の互層からなる.大沢上流部( 口絵4-A)や宝永火口断面( 口絵5-A)によく露出している.これを地質図上で細分することは困難であることから,未区分須走-b期噴出物73として一括した( 第8図).

 山腹から山麓に分布する噴出源未詳溶岩流は,未区分須走-b期噴出物を除き,南東から時計周りに記述すると,南東から南で下位より境沢溶岩流114,須山溶岩流113,天昭教溶岩流111,勢子辻溶岩流109,ガラン沢溶岩流108,幕岩噴出物99,日本ランド溶岩流83,南西から北西で風祭川溶岩流105,大久保沢溶岩流104,アカイ沢溶岩流88,赤焼溶岩流86,根原溶岩流97,岩樋溶岩流92,十万石林道溶岩流91,滑沢溶岩流90,北方で焼間ガ原溶岩流107,精進口二合目溶岩流106,富士ヶ嶺溶岩流98,二ッ山林道溶岩流80,サワラ山北林道溶岩流77が分布する.また北東は,須走-b期の噴出物分布に乏しく,侭堀橋溶岩流93のみが分布する.このうち,風祭川溶岩流,大久保沢溶岩流,アカイ沢溶岩流,赤焼溶岩流,滑沢溶岩流は,標高1,500 m以上の現火山錐から流れ下った溶岩流である.

 砂沢上流の幕岩には,富士宮期の溶岩流,降下火砕物と K-Ahテフラを挟む土壌を覆って,須走-b期の幕岩噴出物と須走-d期の噴出物が露出する(Miyaji et al., 1992).幕岩噴出物は,下位から,溶岩流,火砕丘の一部,2枚の溶岩流が重なる.火砕丘の下位より Cal BC 2100年頃の年代が,火砕丘を覆う溶岩流基底からCal BC 2300年頃の年代が得られている( 付表2の104,105).幕岩噴出物を覆う須走-d期の溶岩流の基底には,溶岩樹型が見られ,放射性炭素年代として約1,400 yBPが報告されている(Miyaji et al., 1992).そのほかの溶岩流の年代としては,富士ヶ嶺溶岩流の Cal BC 2300年頃( 付表2の103),滑沢溶岩流の Cal BC 2100年頃(同97),日本ランド溶岩流の Cal BC 1700年頃(同95),サワラ山北林道溶岩流の Cal BC 1500年頃(同94)が得られている.

 火砕丘を伴う側噴火による溶岩流として,南東から南にかけて平塚噴出物112,南西から西で二子山天母山噴出物103,塒塚噴出物100,白塚噴出物87,菖蒲沼噴出物84,西から北で西幸助丸噴出物96,八軒山噴出物95,幸助丸噴出物89,戸嶺噴出物85,北西臼山噴出物81,東剣噴出物78が分布する.噴火年代としては,二子山天母山噴出物のCal BC 3500年頃( 付表2の115)が得られている.

 これら以外に,付随する溶岩流が確認されていない火砕丘として,南東ないし南で東臼塚火砕丘110,北西ないし北で弓射塚火砕丘116,西剣火砕丘115,北西奥庭火砕丘102,臼山火砕丘82,北西弓射塚火砕丘79,神座山火砕丘76,栂尾山火砕丘75,鹿の頭火砕丘74が認められる.多くの火砕丘の頂部付近では,地表から火砕丘を構成する噴出物までトレンチ調査が実施され,広域火山灰や富士山起源の降下火砕堆積物との相対層序から,噴火年代が推定されている(高田・小林,2007;石塚ほか,2007).

 また須走-b期には,西,南西,南山腹と北東山腹において,玄武岩質の火砕流堆積物も認められる.このうち西山腹の大沢左岸標高1,500 m付近には,田島ほか(2006)が岩樋火砕流と呼ぶ火砕流堆積物が露出し,同堆積物中の炭化木片から3,990±60 yBP(Cal BC 2500年頃)が報告され,著者らも同一露頭から Cal BC 2800年頃( 付表2の114)の補正年代値を得ている.また,南西山腹の標高800〜950 mの風祭川沿いでは,大久保沢溶岩流と火山麓扇状地Ⅱ堆積物の間に,4,130±50 yBPの年代値を持つ玄武岩質の火砕流堆積物が存在する(北垣ほか,2007).ほぼ同じ Cal BC 2700年頃の年代値( 付表2の113)を示す火砕流堆積物は,南山腹の標高1,700m付近にも分布する.これら火砕流堆積物の露出する範囲は狭く,互いの分布も離れているため,一連の噴火による堆積物かは明らかでない.しかし,3ヶ所で得られた年代値はほぼ同じ値を示すことから,Cal BC 2800〜2700年頃に西から南西ないし南山腹にかけて広く火砕流が流下したことは間違いない.本地質図ではこれら西から南山腹にかけて分布する火砕流堆積物を須走-b期火砕流堆積物101と一括した.一方,北東山腹にも,Cal BC 2200年頃の年代値( 付表2の98)を持つ玄武岩質の間堀川火砕流堆積物94が分布する.これは間堀川沿いのほか,雁ノ穴南の割れ目火口の側壁に露出が認められ,前述の侭堀橋溶岩流に覆われる.

 西–南西山麓に分布する火山麓扇状地Ⅱ堆積物48の基底部から得られた放射性炭素年代値は,いずれもこのCal BC 2800年頃の火砕流発生直後から扇状地の形成が始まったことを示している(山元ほか,2005;田島ほか,2006).

4.3.3 須走-c期火山噴出物
 S-10降下スコリアの噴出した Cal BC 1500年頃からS-22降下スコリアの噴出した Cal BC 300年頃までを,須走-c期とする( 第9図).この時期には,山頂及び山腹での爆発的噴火が卓越した.

釈迦ノ割石アグルチネート72(Sc-Syk)
 山頂部を覆うサブプリニー式噴出物で,富士山頂部北側の白山岳西の釈迦ノ割石から久須志岳 に厚く露出する火砕物である.全体に良く溶結した灰色のアグルチネートからなり,玄武岩石質岩片に富む層を複数挟む.玄武岩石質岩片に富み成層した岩相は,南西山麓に分布する大沢降下スコリア堆積物(町田,1964;山元,2014; 第10図)と対比可能で,本質物の岩質(単斜輝石斜方輝石含有かんらん石玄武岩)も類似している.

大室山片蓋山噴出物71(Sc-Omr)
 北西山麓の大室山と片蓋山を給源とする溶岩流と火砕物の総称である.津屋(1968,1971)の大室山溶岩流,片蓋山溶岩流と中期寄生火山噴石丘の一部に相当する.片蓋山山頂部でのトレンチ調査結果により,大室山及び片蓋山の両火砕丘は一連の噴火で形成されたと考えられることから(鈴木ほか,2007),一括して大室山片蓋山噴出物と再定義する.大室山と片蓋山は約2 kmと近接し北西–南東方向に配列する.最高点はどちらも標高1,468 mで,大室山が比高300 m,片蓋山が比高160 mを持つ.このうち大室山は富士山で最も大きい火砕丘である.これらを給源とする大室降下スコリア堆積物(町田,1964;宮地,1988)は北西から北麓,さらに北東山麓に広く分布し,堆積物には粒度の違いがつくる成層構造が認められる.どちらの火砕丘基部からもアア溶岩が流出している.大室山火砕丘から流出した溶岩流にはスコリアラフトを伴うことがある.

ガラン噴出物70(Sc-Gar)
 北北西斜面,精進口登山道1,900 m付近に見られるガラン火砕丘と北東に流れ下る溶岩流からなる.本噴出物は,S-22降下スコリア堆積物に覆われる.火砕丘は北西側に開いた火口を持ち,開いた火口の北西側で剣丸尾第一火砕丘の山腹火口に切られている.

六番林道溶岩流69(Sc-Rbr)
 南西山腹の標高1,400〜1,100 mの大宮・六番林道周辺に分布する玄武岩質安山岩のアア溶岩で,津屋(1968,1971)の富士宮口二合目から五合目の第二層溶岩流(親シラズ溶岩流)の一部に相当する.間に7〜5 cm厚の褐色土壌層を挟んで,S-22降下スコリア堆積物に覆われる.一方で,大沢降下スコリア堆積物には覆われない.

腰切塚火砕丘68(Sc-Kos)
 南南東斜面,水ヶ塚公園の西側に接する腰切塚を噴出源とする降下火砕物で,トレンチ調査の結果より,S-13(砂沢)降下スコリア堆積物(町田(1964)や宮地(1988)ではZu)直下に位置する(高田・小林,2007).従来は新富士中期に区分され(津屋,1968),また4,500~3,000年前の活動時期と推定されていた(宮地,1988).

高山火砕丘67(Sc-Tky)
 南方斜面に位置し,円錐型の南側のピークと南北に延びた北側のピークよりなり,それぞれ,火口を持つ.本火砕丘は,トレンチ調査の結果,S-22降下スコリア堆積物,S-18降下スコリア堆積物及びそれより下位の数枚のスコリア層に覆われているが,S-13(砂沢)降下スコリア堆積物には覆われていない(高田・小林,2007).本火砕丘の活動を,津屋(1968)は新富士旧期に,宮地(1988)は2,500~2,000年前と推定していた.

浅黄塚火砕丘66(Sc-Ask)
 南南東斜面の表富士周遊道路北側に位置し,南西に開いた火口を持つ.トレンチ調査では,浅黄塚火砕丘はS-17降下スコリア堆積物に覆われ,S-13(砂沢)降下スコリア堆積物には覆われない(高田・小林,2007).後述する御殿場岩屑なだれ堆積物との層序関係は不明である.従来は,津屋(1968)によれば新富士中期に,宮地(1988)によれば2,500~2,000年前とされていた.

大平山桟敷山噴出物65(Sc-Ohsj)
 北西山麓の標高1,900〜1,600 m付近に,南東–北西方向に並ぶ大平山と桟敷山の2つの火砕丘を噴出源とする噴出物で,東側に広がる降下火砕物と北山麓に流れ下るアア溶岩を含む厚いシート状の溶岩流からなる.本噴出物は,大室降下スコリア堆積物を覆い,S-22降下スコリア堆積物に覆われる(石塚ほか,2007).溶岩流は,西剣火砕丘で二股に分かれ,その末端は標高1,350 m付近まで達する.岩質は無斑晶状である.

北天神火砕丘64(Sc-Ktj)
 北西山麓の標高1,200 m付近に小規模に分布する火砕丘で,貞観噴火による青木ヶ原溶岩流に囲まれる.分布は幅数100 m程度の狭い範囲に限られ,火砕丘は北北西–南南東方向に延びる.千葉ほか(2007)の北天神火口列に相当する.露頭断面では,地表上位から約15 cm厚の黒色土壌を挟んで,その下位に100 cm厚以上の礫支持の黒色スコリア及びスパターとして認められる.下限は不明である.後述する須走-d期の天神山伊賀殿山火砕丘を形成した割れ目火口列の北北西延長に位置するが,天神山伊賀殿山噴出物とは斜方輝石斑晶を含まない点などで岩質が異なる.大室降下スコリア堆積物を覆い,貞観噴出物に覆われることから,本火砕丘の噴火は3,000〜1,100年前の間となる.本地質図では便宜上須走-c期に区分した.富士山北北西側では最も山麓側の噴火地点である.

御殿場岩屑なだれ堆積物63(Sc-God)
 山頂部の東側で2,900年前に発生した大規模山体崩壊によりもたらされた堆積物で,東山麓の御殿場周辺に広く分布する(宮地ほか,2004).本堆積物はS-14降下スコリア堆積物とS-15降下スコリア堆積物の間に位置している(宮地,1988).

未区分須走-c期噴出物62(Sc-ud)
 山頂部からその西側の大沢崩れ源頭部に分布する火砕物・溶岩と北西山麓の溶岩流を一括している.山頂部では少なくとも大内院南西の溶岩湖や2つの山頂サブプリニー式噴出物,2つのストロンボリ式噴出物を含んでいる.大沢源頭部付近などで須走-b期の噴出物を著しい傾斜不整合で覆っており,今の大内院のような旧山頂火口を埋めているものとみられる.西側山腹に分布する須走-c期火砕流堆積物の一部や八軒溶岩流の給源近傍相を含むものとみられる( 第9図).北西山麓では北天神火砕丘の西側に,青木ヶ原溶岩流に囲まれて溶岩堤防として僅かに分布する.大室降下スコリア堆積物に覆われていないことは確実であるが,層序及び噴火年代に関する情報は得られていない.

八軒溶岩流61(Sc-Hac)
 北西から西山腹の標高2,350〜950 m付近にかけて広く分布するアア溶岩流である.津屋(1968,1971)の八軒溶岩流Iに相当する.S-18降下スコリア堆積物に覆われ,大室降下スコリア堆積物を覆う.溶岩流は複数の支流に分かれ,それぞれの支流で複数の溶岩ローブを持つ.特徴として短冊状斜長石が多数包有されるポイキリティック組織を持つ小型(~0.3 mm径以下)の斜方輝石斑晶を産する.本溶岩流は上流で崖錐堆積物などに覆われるが,分布から山頂付近が給源と推定される.

須走-c期火砕流堆積物60(Sc-Pfl)
 町田(1977)の大沢火砕流-2,3堆積物,Yamamoto et al. (2005) のSYP1〜4堆積物,前田・宮地(2012)の大滝火砕流堆積物に相当し,須走-c期に北西から西山腹,南西山腹にかけての標高約2,000 m以下に流下した玄武岩ないし玄武岩質安山岩の火砕流堆積物を一括した.下流域では再堆積で生じた土石流堆積物に漸移するが,本地質図ではこれらを一部含めて分布域とした.分布と産状から山頂噴火と推定され,少なくとも4枚の火砕流堆積物からなり,噴出年代はCal BC 1500〜Cal BC 600年と幅広い( 付表2の74〜77,81,87,93;Yamamoto et al., 2005;田島ほか,2006;前田・宮地,2012).Cal BC 1500年頃のSYP1については,東山麓に分布するS-10降下スコリアと層序的に対比可能である( 第9図).SYP2〜4については,山頂部の未区分須走-c期噴出物のいずれかの噴出物に相当する可能性が高い.

板妻溶岩流59(Sc-Itz)
 東南東山麓,御殿場市板妻に分布するアア溶岩流である.間に22 cmの褐色火山灰土を挟んでS-17降下スコリア堆積物に覆われる.大型の輝石斑晶が目立つ特徴がある.本溶岩は上流で印野丸尾溶岩流に広く覆われ,給源は不明である.

滝沢1溶岩流58(Sc-Tak1)
 北東山麓,北富士演習場内を流下する溶岩流である.上流部は露出せず,給源は不明である.滝沢2溶岩流に覆われる.津屋(1968)では新富士旧期とされたが,上杉(1998)によればS-16-1降下スコリアとほぼ同時期とされる.

滝沢2噴出物57(Sc-Tak2)
 北東斜面,滝沢林道沿いの小滝橋の南に位置する,南北方向の火口列を持つ小規模な小滝橋西火砕丘と,そこを給源とする滝沢2溶岩流から構成される.津屋(1968)では新富士旧期とされたが,上杉(1998)によればS-16-2あるいはS-17降下スコリアの直上とされる.

資材道火砕丘56(Sc-Szd)
 北東斜面,焼山の北方に位置し,資材道沿いに露頭が確認できる小規模な火砕丘である.ここを給源とする溶岩流は確認されていない.地形的に焼山噴出物よりも古いことは確実であるが,層序及び噴火年代に関する情報は得られていない.

小滝橋火砕丘55(Sc-Ko)
 北東斜面,滝沢林道沿いの小滝橋を北限とする,南北方向の火口列を持つ火砕丘である.ここを給源とする溶岩流は確認されておらず,また,噴火年代に関する情報は得られていないが,滝沢2噴出物を覆う.

銀明水噴出物54(Sc-Gnm)
 山頂部を覆うサブプリニー式噴出物のうち,三島岳噴出物の下位に位置する.良く発泡したスコリアや火山弾からなり,中央部は強溶結する.銀明水付近や白山岳北方のほか,山頂部東側の伊豆岳の周辺で特に厚く分布している.東山麓に分布するS-17’もしくはS-17降下スコリア堆積物に相当するとみられる.本噴出物の二次流動溶岩は山頂部から西南西山腹を標高1,220 mまで流れ下り,津屋(1968,1971)では角木沢溶岩流と呼ばれていた.

白山岳西噴出物(地質図では省略)
 山頂部の北西部に局所的に分布するかんらん石玄武岩の粗粒降下火砕物からなり,小内院の西壁で層厚約4 mともっと厚い.最大径90 cmの座布団状あるいは紡錘状火山弾に富み,基質を赤色スコリアの火山礫が埋めている.銀明水噴出物と三島岳噴出物の間に挟まれている.

三島岳噴出物53(Sc-Msd)
 山頂部を覆うサブプリニー式噴出物のうち,荒巻噴出物の直下に位置する.良く発泡したスコリアや火山弾からなり,中央部は強溶結する.東山麓に分布するS-18降下スコリア堆積物に相当する.本噴出物の二次流動溶岩は山頂部から西南西山腹を標高1,160 mまで流れ下り,津屋(1968,1971)では主杖溶岩流と呼ばれていた.

荒巻噴出物52(Sc-Arm)
 山頂部の東側に位置する伊豆岳から荒巻にかけて層厚2 m前後で分布する牛糞状あるいは紡錘状火山弾に富む金属光沢を持った極めて発泡の良い降下スコリア堆積物からなる.東山麓に分布するS-20降下スコリア堆積物に相当するほか,大内院の北に露出する溶岩湖も本噴出物の一部である.

金明水火砕丘51(Sc-Knm)
 山頂部,小院内の南東にある小丘を構成する強溶結した扁平な火山弾やスパターからなる.大型の斜長石斑晶が目立ち,小院内の北に露出する岩脈と岩質がよく似ている.荒巻噴出物と剣ヶ峰噴出物の間に挟まれる.

大砂走り溶岩流50(Sc-Osb)
 南東斜面,宝永火口の北東壁に露出する大型の斜長石斑晶の目立つアア溶岩流で,層厚は約1.8 mである.荒巻噴出物と剣ヶ峰噴出物の間に挟まれる.

剣ヶ峰噴出物49(Sc-Kng)
 山頂部を覆うサブプリニー式噴出物のうち,最上部を構成する.良く発泡したスコリアや火山弾からなり,中央部は強溶結する.東山麓に分布するS-22降下スコリア堆積物( 第11図)に相当する.本噴出物の二次流動溶岩は山頂部剣ヶ峰周辺から西南西山腹表層を構成しながら複数の支流に分かれ,標高1,070 mまで流れ下っており,津屋(1968,1971)では富士山頂最上層溶岩流,剣ヶ峰最上層溶岩流,桜沢溶岩流と呼ばれていた.山頂部に限れば安井ほか(2003)のSWD1に相当する.

火山麓扇状地Ⅱ堆積物48(vf2)
 須走-b期後半から成長が始まった火山麓扇状地Ⅱ堆積物は,須走-c期の火砕物を母材としてさらに成長を続けている.このうち西麓から南西山麓にかけてのものは,岩塚・町田(1962)の上井出扇状地砂礫層,田島ほか(2006)の上井出扇状地堆積物に相当している.南西山麓の青木D-1コア( 第3図)では本堆積物からは Cal BC 2800年頃から Cal BC 300年頃の放射性炭素年代値が得られている( 付表2の61,111など;下川ほか,1996;山元ほか,2011).本堆積物が構成する扇状地面の離水時期は複数回あり,須走-b期のF2降下スコリア堆積物の直前,須走-c期の大沢降下スコリア堆積物の直前,S-22スコリア降下堆積物の直前,S-22降下スコリア堆積物の直後であるが,離水時期の異なる堆積物は互いに重なり合い,これらを地形的に区別することは難しい.南西山麓ではS-22降下スコリア堆積物の直前に離水した面が大半を占めている.一方,東山麓ではS-22降下スコリア堆積物の直後に離水した面が広い.

4.3.4 須走-d期火山噴出物
 S-22降下スコリアの噴出した Cal BC 300年頃以降を須走-d期とする.この時期には,山腹割れ目噴火が卓越した( 第12図).なお,特に北東部の降下テフラ層序については上杉らの研究(たとえば,上杉ほか,1987;上杉,1990)が多数あるが,溶岩流との層序関係・対比が不明なものが多いため,基本的にここでは降下テフラについては触れない.

富士宮九合目溶岩流47(Sd-Fj9)
 富士山南斜面九合目付近で新たに区分したもので,火口近傍のスパターと,小規模の溶岩流からなる.富士宮登山道九合目の西の沢を越えた尾根上の標高3,380 m付近から2,900 m付近まで分布する,細長い小規模な溶岩流である.本溶岩流を供給した岩脈も見られる.岩質は,かんらん石玄武岩である.

富士宮八合目溶岩流46(Sd-Fj8)
 富士山南斜面八合目付近で新たに区分したもので,火口近傍のスパターと,小規模の溶岩流からなる.噴火割れ目は標高3,270 mから3,230 m付近と思われる.本溶岩流は,剣ヶ峰噴出物を覆い,富士宮登山道八合目池田館の上部の標高3,270 m付近から,見かけ上,沢を挟んで二股に分かれて分布する.東のローブの末端は標高3,150 m付近,西のローブの末端は標高2,920 m付近である.岩質は,少量の単斜輝石を含むかんらん石玄武岩である.

土丸尾溶岩流45(Sd-Tsm)
 北東山麓,北富士演習場西部に分布する,須走-d期初期のアア溶岩流である.かんらん石斑晶に富み,単斜輝石は斜長石あるいはかんらん石と集斑晶をなす岩質上の特徴がある.上流側は火山麓扇状地I堆積物などに覆われ,噴出源は不明である.

滝沢林道溶岩流44(Sd-Tkr)
 北東山麓,北富士演習場の西端付近に露出が限られる,新たに区分したアア溶岩流である.表面地形の新鮮さから土丸尾溶岩流より若い噴火年代と推定するが,上流側は滝沢火砕流堆積物に覆われ,また,局所的な分布であるために噴出源が不明であり,噴出年代も特定できていない.岩質は,ごく少量の輝石斑晶を含むかんらん石玄武岩である.

小天狗噴出物43(Sd-Ktg)
 南東斜面,宝永山の南東に分布する溶岩流が主体で,S-22降下スコリア堆積物を覆う.明瞭な火砕丘は形成されていないが,標高1,520〜1,650 m,1,750〜1,800 mの尾根が噴火割れ目の一部と思われる.

二ッ塚噴出物42(Sd-Ftz)
 南東斜面上に並んだ2つのスコリア丘からなり,山側のものの頂部が標高1,926 m(比高76 m),麓側のものの頂部が標高1,802 m(比高92 m)である.この二ッ塚が給源と考えられている降下スコリア(Ftz; 口絵6-A)は東山麓に広く分布し,堆積物には粒度の違いがつくる成層構造が顕著に認められる.また,スコリア丘の基部からはアア溶岩が流出している.

雄鹿噴出物41(Sd-Ojk)
 東南東斜面,御殿場口登山道のすぐ北東側,標高3,600〜3,100 mの岩稜最上部をつくるスパター丘と,これを給源とし東山腹の東富士演習場内標高780 mの御殿場市土屋台(陸上自衛隊滝ヶ原駐屯地東)まで流れ下るアア溶岩流である.スパター丘は3〜4 m厚の赤褐色ないし赤色の牛糞状火山弾とスコリアからなり,中央部が溶結している.このスパター丘は,剣ヶ峰噴出物(アグルチネート)を直接覆っている.

幻の滝溶岩流40(Sd-Mbt)
 東斜面にある獅子岩北側の沢沿いに,標高3,150 mから1,850 mにかけて分布する厚さ2〜3 m前後のアア溶岩である.さらに上部の斜面は岩屑に覆われるため,給源火口は特定できていない.剣ヶ峰噴出物を覆い,かつ海苔川溶岩流に覆われる.

赤塚印野丸尾噴出物39(Sd-Inm)
 南東斜面の標高1,470 mから1,130 mに並ぶスコリア丘群,山頂側から順に,上の赤塚(頂部標高1,477 m),赤塚(頂部標高1,271 m),馬ノ頭(頂部標高1,221 m)と,これらから標高600 m付近まで流下したアア溶岩(印野丸尾溶岩流)からなる.これらのスコリア丘はいずれも東ないし南東に開いた非対称な火口を持ち,発泡の極めて良いスコリアで構成されている.スコリア・溶岩とも斑晶含有量が2%前後の無斑晶状である.

滝沢火砕流堆積物38(Sd-Tpf)
 北東斜面に分布する火砕流堆積物で,下位の滝沢火砕流Bと上位の滝沢火砕流Aに区分されるが(田島ほか,2007など),これらを滝沢火砕流堆積物と一括する.田島ほか(2013)によれば,噴出地点は吉田登山道の標高約3,000 m付近とされる.本火砕流堆積物の分布は田島ほか(2007,2013)や上杉(2003)などにも示されるが,本地質図では概ね層厚10 cm以上堆積したと推定される範囲を分布域として示した.上位の滝沢火砕流Aと下位の滝沢火砕流Bの間には土壌を挟むS-24-3〜5の3枚の降下テフラが挟まれ,2回の火砕流噴火には時間間隙が存在する( 口絵6-A).下位の滝沢火砕流BはS-24-2降下テフラを覆う.

青沢溶岩流37(Sd-Aos)
 南西斜面の青沢の右岸,標高1,950〜1,800 m付近から流出し,山宮浅間神社(標高380 m)まで下っている溶岩流である.この神社では,本溶岩流の末端崖が御神体となっている.斑晶量の少ない玄武岩のアア溶岩で,塊状部はあまり発泡していない.給源付近の青沢右岸には,本溶岩流で埋められた凹地形が沢と平行に並んでいる.凹地形周辺の地表には,最大径約30 cmの表面が赤褐色の火山弾が散らばっている.

高鉢駐車場降下スコリア堆積物36(Sd-Tkc)
 南麓で南に細長く広がり,剣ヶ峰噴出物の上位に位置する降下スコリアで,宮地(1988)の大淵スコリアに相当する.本スコリア堆積物は,神津島天上山テフラ(西暦838年)の下位に位置し(Kobayashi et al., 2007),西暦500〜600年前後の噴出物と推定する.宮地(1988)は本スコリア堆積物の噴出源を南山腹の標高1,649 mの高鉢山に想定したが,高鉢山山頂部では,S-22降下スコリア堆積物より下位のスコリア群が堆積していることがトレンチ調査により確認された(小林・高田,2003).噴出火口は,高鉢山の北方,高鉢山駐車場付近で富士山スカイラインを挟むように南北に並ぶ,直径100 mの2つの火口状凹地付近と考えられる.この付近では,降下スコリアの厚さが最も厚く1 m以上に達し,スコリア径が最も大きく,20 cm以上に達する火山弾なども多く見られる.本スコリア堆積物は溶岩流を伴わず,また,噴出源に大型のスコリア丘を形成していない.

西二ッ塚噴出物35(Sd-Nft)
 南東斜面,宝永山の南東1.5 kmにある宝永噴出物に覆われた火砕丘であるが,火砕丘構成物自体は露出していない.南東斜面を中心に間に5〜8 cmの褐色土壌を挟んで赤塚印野丸尾噴出物の直上に分布する無斑晶状玄武岩の発泡の良いスコリアが,この火砕丘の噴出物と考えられている(宮地,1988).

赤塚西火砕丘34(Sd-Akn)
 南東斜面,二ッ塚の麓側スコリア丘の南斜面(標高1,790 m地点)から,赤塚の西南西700 m(標高1,340 m地点)に南東に延びる割れ目火口地形を構成する.大半が宝永噴出物に覆われるが,最下端では層厚30 cm前後の扁平な火山弾からなる降下火砕物となり,その直下には間に土壌を挟まず西二ッ塚噴出物が確認できる.火口群はおそらく一連の噴火噴出物とみなしているが(山元ほか,2011),その全てを露頭で確認しているわけではない.

海苔川溶岩流33(Sd-Nrk)
 東斜面,須走口に至るふじあざみラインの南側の沢(海苔川源流部)と幻の滝の間の標高2,950 mから1,250 mにかけて分布する厚さ2〜4 mのアア溶岩である.標高2,400 mよりも上流域では,溶結構造が顕著に表れ二次流動したアグルチネートとなり,直下の噴出物の地形的な凹凸をマントル被覆するようになる.したがって,顕著な火口地形や火砕丘は認められないものの,溶岩流上流部そのものが本溶岩の給源と判断される.

雁ノ穴噴出物32(Sd-Gam)
 北東山麓,北富士演習場北西端に近い雁ノ穴から北方に分布する溶岩流を主体とし,津屋(1968,1971)の雁ノ穴丸尾溶岩流に相当する.雁ノ穴の南には,南北方向に500 m程連続する直線上の割れ目があり,その周囲に同質の厚さ2 m以下の薄い溶岩流の分布が確認できる.地形的には割れ目沿いに明瞭な火砕丘を形成していないが,この溶岩流の表面では多数の10~20 cm大のスパターや火山弾が倒木の根の裏に確認され,少なくともここが給源割れ目火口であることを示す(千葉,2014).これらを一括し,雁ノ穴噴出物と呼ぶ.雁ノ穴周辺の火砕丘状の高まりは,噴出口とする考え(小川,2000)とホルニト地形とする考え(千葉,2014)がある.これらの火口状凹地の内壁には薄い層状に累重した溶岩片が見られるのみで,スパターやスコリアなどの火砕物が認められない.通常の火砕丘よりも急斜面を持つ高まりの一部には,その中心に垂直な溶岩樹型がある.そのほかの高まりの多くはホルニトであろう.

焼山噴出物31(Sd-Hnm)
 北東斜面に30個以上の小火口が連なり,南端の焼山から北東方向に800 m程に渡り連続する火口列を持つ焼山火砕丘群( 口絵7-A),及び,ここを給源とする下流側の檜丸尾1溶岩流(津屋,1968)から構成される.また,岩質の類似から,津屋(1968)の梨ヶ原丸尾溶岩流も本噴出物に含めた.中流域は山麓扇状地堆積物に覆われ,分布の連続性が確認できないが,マフィック斑晶量にばらつきがあるものの化学組成は均質であることから同一噴出物であると判断した.本溶岩流の流出により下流域では右岸側の大明見,小明見などに堰止めによる湖沼が一時的に形成された(上杉,1998).

燕沢噴出物30(Sd-Nak)
 北東斜面の滝沢林道沿い,粗粒なスパターの累重する燕沢火砕丘及び3本のアア溶岩流から構成され,津屋(1968)の中ノ茶屋丸尾溶岩流と燕沢溶岩流Iのほか,さらに東側に流下している溶岩流を含む.これらの溶岩流は,分布域や岩質から同一の噴火堆積物であると判断した.放射年代値としてCal AD 480〜Cal AD 620 年が得られている( 付表2の40,41).燕沢沿い右岸上部の露頭では,並列する高まりの内壁にはスパターやスコリアなどの火砕物を挟まずに薄い層状に累重した溶岩片が見られ,火口列そのものあるいは溶岩流中心部に向かって垂れ下がっており,火砕丘から二次流動し,溶岩流に移化する部分に見られる構造かもしれない.

ふじあざみライン溶岩流29(Sd-Fa)
 須走口登山道六合目標高 2,650 m付近から,ふじあざみライン道路沿いの標高1,150 mにかけて分布する層厚2 〜 4 mのアア溶岩である.岩質は長径3 mm前後の斜長石斑晶に富むかんらん石玄武岩で,極めて岩質のよく似た須走口2溶岩流に覆われている.しかし,両溶岩流の間には須走口馬返5・6スコリア降下堆積物が挟まれ,野外での識別は困難ではない.

須走口1溶岩流28(Sd-Sub1)
 須走口登山道六合目標高2,650 m付近から,ふじあざみライン道路沿いの標高1,150 mにかけて分布する層厚2 〜 4 mのアア溶岩である.岩質は長径3 mm前後の斜長石斑晶に富むかんらん石玄武岩で,極めて岩質のよく似た須走口2溶岩流に覆われている.しかし,両溶岩流の間には須走口馬返5・6スコリア降下堆積物が挟まれ,野外での識別は困難ではない.

大流丸山噴出物27(Sd-Onm)
 北西斜面の大流下流,六合目付近から分布する溶岩流及び火砕物で,溶岩流は大平山で東西にローブが分かれている.西側のローブは,富士スバルラインを横切る.噴火口は,四合目から六合目の高標高側は不明確であるが,低標高側には割れ目火口が点在し,大平山の北西山麓にも小火口が見られる.

焼野噴出物26(Sd-Yak)
 西斜面,津屋(1968,1971)の焼野溶岩流,西丸尾溶岩流及び新期寄生火山噴石丘の一部を合わせたものに相当し,斑晶として少量の斜長石を含むが,無斑晶状の火砕物及びアア溶岩流の総称である.給源は標高2,500〜2,000 m付近の北西–南東方向に配列した割れ目火口である.ここから流れ下った溶岩流は複数の支流をつくり,滑沢や大沢前沢などを谷埋めして,上井出林道の標高960 m及び大沢の標高1,400 mまで達している.

御庭奥庭第一噴出物25(Sd-Onw1)
 北西山腹に分布する火砕物及びアア溶岩流の総称で,津屋(1968,1971)の御庭第一溶岩流と御庭奥庭第二溶岩流の一部に相当する.給源は山頂部の標高3,500 m付近から富士スバルライン標高1,850 m付近まで達した割れ目火口である.火口列は奥庭標高2,050 m付近で雁行している.火口は北西–南東方向に配列し,水平距離で約4.5 kmに及ぶ.ここから流れ下った溶岩流はいくつかの支流をつくり,標高1,850 m付近まで達している.

御庭奥庭第二噴出物24(Sd-Onw2)
 北西山腹の津屋(1968,1971)の御庭奥庭第二溶岩流に相当する,火砕物及びアア溶岩流の総称である.御庭奥庭第一噴出物の割れ目火口とほぼ並行に配列した標高3,100 mから1,300 m付近の割れ目火口が給源である.これら火口の水平距離は8 kmに達し,富士山の火口列としては最も長い.溶岩流は標高1,180 m付近まで達している.御庭奥庭第一噴出物を覆い,神津島天上山テフラ(西暦838年)に覆われる(Kobayashi et al., 2007).

白大竜王氷池噴出物23(Sd-Kri)
 北西山麓に位置する津屋(1968,1971)の白大竜王・氷池溶岩流と新期寄生火山噴石丘の一部を合わせたものに相当する,火砕物及びアア溶岩流の総称である.標高1,500 mから1,300 m付近の割れ目火口が給源で,これらから溶岩流が僅かに流下している.御庭奥庭第二噴出物を覆い,神津島天上山テフラ(西暦838年)に覆われる.

鑵子山噴出物22(Sd-Kan)
 南東山麓に位置し,降下スコリア,スパター及び溶岩流からなる(宮地,1988).本スコリアは神津島天上山テフラ(西暦838年)の直下に位置し(Kobayashi et al., 2007),西暦700年ないし800年前後の噴火と思われる.噴出火口は,スコリア丘である鑵子山と,その北に続くスパターからなる北鑵子山(宮地,1988)である.

大流噴出物21(Sd-Oon)
 北斜面の標高約3,000 m付近から2,700 m付近まで延びる割れ目噴火口より噴出した火砕物及び溶岩流で,溶岩流は標高2,000 m付近まで確認できる.割れ目噴火口周辺には火砕丘群が見られる.

鷹丸尾溶岩流20(Sd-Tam)
 北東山麓,津屋(1968)の鷹丸尾溶岩流及び檜丸尾2溶岩流を合わせたものに相当し,800–802年噴火による溶岩流とされ(上杉ほか,1995;小山,1998b;中野ほか,2007),神津島天上山テフラ(西暦838年)の直下に位置する(Kobayashi et al., 2007).ただし,上杉(2003)ではそれを否定し,12世紀以降の可能性も指摘している.本溶岩流中のマフィック斑晶は量比に変化が見られるが(上杉ほか,1995),化学組成上は均質である.小山(1998b)は小富士西方に本溶岩流の給源とされる割れ目火口(西小富士火口)を想定したが,鷹丸尾溶岩流の最上流部はこの地点よりも西方に給源が想定されること,また,割れ目火口と見なした地形は須走口2溶岩流の微地形であり,西小富士火口の存在は否定される.上位の溶岩流に覆われるため,本溶岩流の給源は不明である.なお,本溶岩流の末端付近(忍野村)にはかつて“古忍野湖”が存在していたが,湖成堆積物の最上部には本溶岩流との間に,約6,000 年前以降の降下火山灰が確認されている(上杉,2007).

天神山伊賀殿山噴出物19(Sd-Ten)
 北西斜面,天神山と伊賀殿山をつないだ割れ目噴火口群より噴出した火砕丘及び溶岩流で,下位に神津島天上山838年噴火の火山ガラスの濃集を確認したので,西暦838年以降,貞観864年噴火までの時期の噴火で形成されたことが明らかであり,800–802年噴火の可能性(小山,2007)は否定される(Kobayashi et al., 2007).

南ガラン塚水ヶ塚噴出物18(Sd-Mzt)
 南東斜面,宝永山の南南東に位置する火口付近のスパターと水ヶ塚檜丸尾溶岩(津屋,1968)からなる.本噴出物の直下に神津島838年噴火の火山ガラスが濃集していることから(Kobayashi et al., 2007),西暦800年代中頃に噴火したものと考えられる.本噴出物の溶岩流は,南ガラン塚から流れていること,南ガラン塚上には同岩質のスパターに囲まれる火口列が存在することから,南ガラン塚の噴火割れ目から噴出したと考えられる(高田・小林, 2007) .

貞観噴出物17(Sd-Aog)
 北西山麓に広く分布する,津屋(1968,1971)の青木ヶ原丸尾溶岩流と氷穴溶岩流,新期寄生火山噴石丘の一部を合わせたものに相当する溶岩流及び火砕物の総称である.貞観年間の西暦864–866 年に噴出した.本地質図での分布は,詳細なレーザ測量に基づく千葉ほか(2007)の結果をほぼ踏襲している.給源は標高1,500〜1,070 m付近の北西-南東方向に配列した割れ目火口で,山頂側から氷穴火口列,長尾山火口,石塚火口及下り山火口と呼ばれ,それらの火口間の距離は5.7 kmに達する(千葉ほか, 2007).これらの火口からは溶岩流が流出しており,そのうち氷穴火口列からの溶岩流が最上位とされる(高橋ほか,2007).溶岩流の形態はアア溶岩とパホイホイ溶岩からなり水底溶岩を伴う(小幡・海野,1999;荒井ほか,2003;高橋ほか,2007).溶岩流の最大層厚は御殿庭(標高963 m)で135 mである(荒井ほか,2003).本噴出物の総噴出量は約1.3±0.2 km3(マグマ換算)と見積もられている(千葉ほか,2007).神津島天上山テフラ(西暦838年)を覆う(Kobayashi et al., 2007).

東臼塚南噴出物16(Sd-Hum)
 南南東斜面から山麓に位置する火口付近のスパター及び溶岩流からなり,津屋(1968)では東臼塚を噴出源とする新富士中期の溶岩流として記述されていた.小川(1986)は本溶岩流の時期を新富士新期と改めたが,噴出口を津屋と同じく東臼塚と判断したため,東臼塚溶岩流と命名した.しかし,東臼塚山頂のトレンチ調査では,東臼塚スコリア丘は新富士中期の活動により形成されたものであることが明らかとなった(小林・高田,2003).また,本噴出物は東臼塚スコリア丘の山腹最下部付近から南に続く約2 km程度の割れ目から噴出したことも明らかとなった.したがって,本地質図では東臼塚南噴出物を須走-d期に含める.溶岩流は小天狗溶岩流を覆う.また,溶岩流の直下に神津島838年噴火の火山ガラスが濃集していることから(Kobayashi et al., 2007),西暦800年代後半に噴火したものと考えられ,得られた年代値( 付表2の19)とも矛盾しない.

須走口馬返6火砕丘15(Sd-SU6)
 東斜面に位置する本火砕丘は須走口ブル道沿いの標高2,650 mから2,300 mにあり,スパターや火山弾で構成され,一部は溶岩流として二次流動している.海苔川溶岩流以下の溶岩の凹凸をマントル被覆し,かつ須走口2溶岩流に覆われるため,スパター丘としての地形は明瞭ではないものの,分布から判断してほぼこのブル道沿いに給源の割れ目火口があったものと考えられる.

鷹丸尾林道溶岩流14(Sd-Tmr)
 北東斜面に位置し,鷹丸尾溶岩流を覆って分布する,新たに命名された溶岩流であるが,年代に関する明瞭な根拠はない.岩質は,小型の短冊状斜長石が多数包有されるポイキリティック組織を持つ斜方輝石斑晶に特徴づけられる.上流側は須走口2溶岩流に覆われ,噴出源は不明である.

大淵丸尾噴出物13(Sd-Obu)
 南山麓に位置し,火口付近のスパターと溶岩流からなり,高鉢駐車場降下スコリア堆積物及び東臼塚南溶岩流を覆う.神津島838年噴火の火山ガラスがこの直下に濃集していることから,西暦900年前後の噴火と思われ,得られた年代値( 付表2の15〜18)と矛盾しない.この溶岩流は標高1,030 mから790 mまでの約3 kmに及ぶ割れ目火口列から噴火したが,その末端の位置は山頂から13 km強の距離である.

不動沢噴出物12(Sd-Fud)
 南斜面に位置する火口付近のスパター,降下スコリア及び溶岩流からなる.溶岩流に焼かれた多くの炭化物から,Cal AD 1000年程度の炭素同位体年代が得られている( 付表2の11〜13;山元ほか,2005).また,本溶岩流の下には神津島天上山838 年噴火の火山ガラスが濃集している(Kobayashi et al., 2007).噴出源は,富士宮口登山道の西側の沢,標高2,850 m付近から,富士宮口新五合目を経て,表富士周遊道路の1,370 m付近までの長さ4 kmに及ぶ南北方向の噴火割れ目である.宮地(1988)の西浅黄塚は,不動沢の最南端の火口である.岩質は,斜長石斑晶に富み,小型の短冊状結晶が集合した集斑状であることが多い特徴を示すかんらん石玄武岩で,他の玄武岩と容易に区別できる.剣丸尾第一噴出物に類似する.

剣丸尾第一噴出物11(Sd-Ken1)
 北斜面の標高2,900 mから1,700 m付近まで続く噴火割れ目より噴出し,火口付近のスパター,降下スコリア及び溶岩流からなる.高標高の火口から本溶岩流の末端の上暮地付近までの距離は20 km弱になる.岩質は不動沢噴出物と酷似するかんらん石玄武岩であり,斜長石は短冊状結晶が集合した集斑状であることが多いのが特徴である. 剣丸尾第一噴出物と不動沢噴出物は山頂をまたがる南北の同時期の割れ目噴火の可能性がある(高田ほか,2007).溶岩流の分布及び年代と古文書を組合せ,西暦937 年に噴火したと考えられている(小山,2007).ただし,不動沢噴出物から得られた放射年代値( 付表2の11〜13)は西暦937 年より新しい年代を示している.

日沢噴出物10(Sd-Nis)
 南斜面,宝永火口の西側に位置する火口付近のスパター,降下スコリア及び溶岩流からなる.富士宮口新五合目の駐車場の東端では,本溶岩流が不動沢噴出物を覆う.本溶岩流の噴火割れ目は,標高3,200 m付近から,富士宮登山道六合目,雲海荘の西側を経て標高2,250 m付近まで,長さ2 kmにわたり南北走向に並ぶ.御中道の五合目から七合目では,本溶岩流が不動沢噴出物の割れ目火口列内に流れ込んでいる.岩質は剣丸尾第二噴出物と類似する,斜長石を含むかんらん石玄武岩で,全体の斑晶量は少ない.

剣丸尾第二噴出物9(Sd-Ken2)
 北斜面に位置し,吉田大沢最上部の標高3,480 m付近から,精進口登山道の四合目の標高2,000 m付近まで延びる長さ約3.5 kmの噴火割れ目より噴出した火砕物及び溶岩流である.小御岳神社北方の富士スバルライン付近で同時代の火砕流堆積物が分布するが(地質図では省略. 付表2の9の採取地点など),本噴出物の一部である.溶岩流の末端は,山梨県富士山科学研究所敷地内の南端である.岩質は日沢溶岩と類似するかんらん石玄武岩である.岩質と年代( 付表2の7〜10)を考慮すると,剣丸尾第二噴出物と日沢噴出物は,山頂をまたがる南北の同時期の割れ目噴火の可能性がある(高田ほか,2007).小山(1998a)は西暦1033年噴出物の可能性を指摘したが,確実ではない(小山,2007).

三角山神社溶岩流8(Sd-San)
 南東山麓の東富士演習場内で新たに区分した溶岩流である.分布から推定される噴出源は,三角山神社の南東,次郎右衛門塚と砂沢の間である.東富士演習場の平塚道付近の溶岩流には,多数の溶岩樹型が見られる.岩質は,斑晶量の多いかんらん石斜方輝石玄武岩である.

須走口2溶岩流7(Sd-Sub2)
 東斜面,須走口登山道から北東斜面にかけて分布する,須走口1溶岩流と岩質の酷似したアア溶岩で,須走口八合目の標高3,350 m付近から多数の支流に分かれ,東のふじあざみライン沿いでは標高1,760 mまで,北東の北富士演習場内では標高1,360 mまで流下している.東に流れた溶岩流は層厚1〜2 mと薄いが,北東の北富士演習場内の溶岩流は3〜6 mと厚くなる.須走口八合目の南斜面では,須走口馬返7降下堆積物の溶結したスパターに側方変化する.また,須走口六合目から八合目の登山道沿いでは薄いフローユニットが重なったマウンド状の溶岩地形がしばしば認められ,この付近にも溶岩の供給源が伏在しているものと見られる.なお,安井ほか(2003)の示した火砕成溶岩(SB1〜3)は本溶岩流の一部に相当する.

須山胎内溶岩流6(Sd-Syt)
 南東斜面の火口付近のスパターと溶岩流からなる噴火割れ目は,須山胎内の上部,登山道沿い1,500 m付近のスパター群である.本溶岩流は,周遊道路の須山胎内入口の駐車場の東側に見られる.溶岩流末端は,表富士周遊道路から三角山神社入口の林道を入った林道分岐点付近である.岩質はかんらん石斜方輝石単斜輝石玄武岩である.大型の斑晶を含み,全体の斑晶量も多い.

宝永噴出物5(Sd-Ho)
 西暦1707年の宝永噴火で噴出した火砕物である.噴火の最初にはデイサイト質の軽石が放出され,これに安山岩質のスコリア,玄武岩質のスコリアの噴出が続いた(宮地・小山,2007).給源の南東山腹には山頂側から宝永第一,二,三火口が形成され,第一火口の中央部には北側が半壊した直径150 m,高さ15 mの玄武岩火砕丘が生じている( 口絵7-B).降下火砕物は東方に降下し( 第13図),噴出物量は1.7 km3(マグマ換算で0.68 km3)である(宮地・小山,2007).なお,泉ほか(1977),上杉ほか(1987)などでは宝永噴出物に対しS-25の記号が付与された.

火山麓扇状地Ⅰ堆積物4(vf1)
 S-22降下スコリア堆積物の噴出以降に形成されたものである.このうち,西山麓の大沢崩れ下流に形成された現在活動中の火山麓扇状地Ⅰ堆積物は,岩塚・町田(1962)の大沢扇状地砂礫層,田島ほか(2006)の大沢ラハール堆積物に相当する.岩塚・町田(1962)は本堆積物基底部の木片から950±60 yBPの放射性炭素年代値を,田島ほか(2006)は本層最下部の土壌から850±60 yBPの放射性補正年代値(Cal AD 1200年)を得ている.したがって,上流の大沢崩れは約1,000年前から土砂生産を開始したと考えられている.一方,東〜南東山麓に分布する火山麓扇状地Ⅰ堆積物のほとんどは宝永噴火のスコリアを母材としており,宝永噴火を契機に大きく成長を始めたものとみられる.なお,山頂北方,吉田口登山道の馬返付近には多数の巨大な溶岩塊が認められることから,本堆積物の一部は岩屑なだれ堆積物を含むと考えられ,剣丸尾第二噴出物とほぼ同時代あるいはより上位とされる(上杉,2003).


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