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浅間火山地質図 解説地質図鳥瞰図
3:軽石流堆積物 - 軽石流に伴う降下軽石層 - 前掛山 - 東麓の軽石 - 前掛火口

軽石流堆積物

大窪沢・嬬恋軽石流堆積物(P1,P2)
小浅間山の場合と同様に,仏岩溶岩流と同時に降下軽石や軽石流が,同じ火口から噴出された可能性が大きい.仏岩火山体の南東麓に少量みられる,SiO2に比較的富む軽石流(大窪沢軽石流堆積物,P1)がその例である.また,浅問山の北麓には,大窪沢軽石流堆積物とも,後に述べる小諸軽石流堆積物とも全岩組成が異なる軽石流堆積物が点在している.これを嬬恋軽石流堆積物(P2)と呼ぶことにするが,その火口の位置ははっきりしない.おそらく仏岩溶岩流の火口と同一かそれに近い場所から噴出したものであろう.

小諸軽石流堆積物(P3,P4)
 一方,現在の浅間山南および北麓には,広い地域にわたって,大量の軽石流堆積物が分布するが,これらは仏岩溶岩流の時期よりも,かなり後に噴出したと思われる.これを小諸軽石流堆積物と総称するが,地質図に示したように,第1および第2小諸軽石流堆積物に分けられる.堆積物に含まれる炭化木片の14C年代はそれぞれ,約14,000年および11,000年を示す.第1小諸軽石流堆積物の直上には厚さ最大20cmに達する黒色風化土が存在する.第1・第2小諸軽石流堆積物の分布を 第2図に示す.両軽石流堆積物共に,忠実に地形の低い部分に沿って流下していることがわかる.また,堆積物は,噴出口の方へ近づくと厚さが薄くなり消失してしまう.大規模な堆積が始まる勾配は約6°である.

 第1小諸軽石流堆積物(P3)の規模は第2小諸軽石流堆積物の約3倍あり,占める面積も広い.噴出した火口は現在の前掛山の火口付近にあった.当時の地形は,西に開析された黒斑山,東に仏岩溶岩流の山体をひかえ,南と北に低く開いていたと考えられ,噴出した多量の火山灰と軽石の大部分は南と北へ流下して,ゆるい傾斜の裾野へ展開した.南へ向かった流れは湯川の谷を埋めつくし,堰とめ湖をつくった.北へ向かった流れは吾妻川の谷を埋めた.噴出した火山灰と軽石のごく一部は黒斑火口を経て蛇堀川を流下した.ごく少量のものが黒斑山の火口壁および,仏岩溶岩流の山体を乗り越えた.

 第2小諸軽石流堆積物(P4)と下位の第1小諸軽石流堆積物の間には,一般に顕著な不整合はみられない.また多くの露頭では,間にある土壌がけずりとられて,両者の区別が困難な事が多い.小諸城趾から小諸発電所にかけては,両軽石流堆積物の間に顕著な不整合がみられ,両者の噴出時期の間に,深さ30m以上の谷が刻まれた事を示している.

南軽井沢湖成層と佐久湖成層(L)
 南東に流下した第1小諸軽石流堆積物のために湯川が堰とめられ,南軽井沢の平坦地の一部を満たして,一時的に浅い湖が生じた.軽石質粘土,細砂などを主とする葉理の発達した湖底堆積物が発達し,厚さは最大15m以上に達する.佐久盆地でも同様の堆積物が各所にみられ千曲川,湯川が一時せきとめられたことを示している.


軽石流に伴う降下軽石層

 関東平野北西部に分布する火山灰,軽石層のうち,浅間火山の軽石流の時期に対比されるものは,板鼻黄色軽石(略称YP)である.この軽石層の主体部が,浅間火山の佐久・平原軽石流の時期に噴出した軽石・火山灰の堆積物に対比される.これは多くの部層に分かれるが,その内で特に顕著な一つが,浅間火山から北東方に伸びた主軸をもって広く分布する.これを嬬恋降下軽石と呼ぶが,層序的には嬬恋軽石流堆積物の直上に来る.浅間北東麓一帯では,厚さ100~150cmである.

 高度山・浅間牧場・千ヶ滝地域から南軽井沢にかけて,多くの露頭で特徴ある雑色の火山灰の細かい互層がみられる.千ヶ滝地区では,最大厚さ数m,南軽井沢東部で2~3mの厚さがある.東方には群馬県北部一帯まで追跡される.この特徴的な互層は,軽石流の主体が噴出した後,火口から小規模の火山灰の噴出が繰り返されたためではないかと考えられる.


前掛山(新期成層火山)

前掛山の成長
 軽石流の噴出,そして火口付近の陥没の後,浅間火山には活動の休止期が訪れた.その次に起きた事件は前掛山の誕生であった.噴出地点は黒斑成層火山の中央火口から東へ約2kmへだった地点である.普通輝石紫蘇輝石安山岩質(SiO2=60-63%)の火砕物質と溶岩流がくりかえし噴出され,円錐形の成層火山,前掛山が急速に成長していった.現在の前掛山は浅間火山全体の最高点(海抜2,560m)を占めているが,その比高(鞍部からの高さ)はわずかに1,200mに過ぎない.


東麓の軽石・火山灰堆積物

 前掛山の降下軽石・火山灰堆積物は,浅間山の東の麓一帯に広く分布する.これらは仏岩期の軽石・火山灰層を不整合に覆い,現在の地表面にほぼ平行に分布する.約10層の軽石層が識別されるが,その最上部のもの(A層と略称)は1783年(天明3年)の活動の産物であり,その直下の軽石・スコリア層(B層)は1108年(天仁元年)に噴出したものと推定される.従ってA・B2枚の軽石・スコリア層は,最近880年間位に堆積したものだが,その合計の厚さは前掛期全体の厚さの数分の1に相当する.このことは,前掛山の年齢がきわめて若く,おそらく数千年位でしかないことを示している.前掛山が噴出した降下軽石・スコリア・火山灰の総量は約3km3と推定され,前掛成層火山本体とほほ同量である.古期成層火山黒斑山の活動様式に比べて,前掛山のそれは,火砕物質の占める比重がはるかに大きい.


前掛火口

 現在の前掛山の山頂火口は2重になっていて,外側の火口は東西1,300m,南北900mの直径をもつ.この火口は,1108年の大活動の際,追分火砕流の噴出にひきつづいて起こった,山頂部の陥没によって生じたものらしい.火口壁は西側に発達し,東側は南東部にわずかの高まり(東前掛山2,463m)を残すだけで,急な崖の露出はない.この火口の内に中央火口丘釜山(比高170m)が少し北に偏って存在し,その東,南,西側にわずかに浅い窪地を残すのみで,前掛火口を殆ど埋め立てた状態にある.西側火口壁の中央をしめる,柱状節理の著しい2枚の岩体(屏風岩)は,一見溶岩流のように見えるが,実際は溶結した火砕岩(凝灰角礫岩)である.

小滝火砕流(M2)
 舞台の西側,鬼押出溶岩流の東側の斜面や,舞台南東方の崖には,比較的古い火砕流堆積物が露出しているが,これらをまとめて小滝火砕流と呼ぶ.堆積物の基地が赤褐色に酸化している特徴がある.


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