1970年噴火は比較的静穏な噴火であったため,多くの見物人が繰り出し,一種の観光スポットになった感がありました.研究者も一斉に観測や調査を行い,多くの研究が公表されています(写真).
写真 1971年の「地質ニュース」表紙(正井,1971).
前兆:8 月29日,女岳山頂付近で噴気と地温の上昇が観測されました.また,9月上旬には国見温泉の泉温が上昇し,西麓の水沢温泉の成分含有量が変化した記録があります.ただ,泉温や泉質の変化が噴火の直接的な前兆かどうかは不明確です.地震はほとんど無く,噴火前2週間ほどで起こった火山性地震は3回にすぎません.
噴火の概要:9月17日5時24分頃に観測された地震が噴火の開始とされています. 9月18日の夜20時〜22時頃,女岳山頂の噴火が確認されました.翌19日11時30分頃,溶岩の流出が目視確認されたのです.
女岳山頂にある火口の内,西端のものから噴火しました.噴出したマグマはストロンボリ式噴火をし(写真),周囲に溶岩餅やスコリアを600m程度の高さまで噴き上げては降らせ(図3),火口跡を埋積した上に小規模な火砕丘(底径約150m,比高30m)を作りました.
その中央部の新火口には灼熱したマグマが池を作り,火砕丘の内部を通って旧火口の西縁から溶岩流として流れ出しました.溶岩流の前進速度は,噴火後の3日間は1日あたり約100mでしたが,それ以降の6日間は日速約20mになりました.10月2日に最大延長530mになり,前進は終わりました.その後は溶岩流の幅と厚さが次第に増加していき1971年1月末には完全に停止しました(図4).
地震はほとんど全てが噴火時や爆発時に起こった地震で,火山性微動は活動の末期にわずか観測されただけです.観測された地震は約33,000回,1日あたりの最多回数は10月10日の614回でした.
噴火の影響:死傷者や家屋の損壊などは全くありませんでした.
図3 火山弾の到達範囲と溶岩の分布(小坂・平林,1971)
図4 溶岩流の形状変化(小坂・平林,1971)