日光白根及び三岳火山地質図 解説目次
1:はじめに - 2:日光白根及び三岳火山と周辺の地質概要
3:三岳火山 - 4:日光白根火山
5:完新世の小規模噴火 - 6:最近の火山活動 - 7:火山防災上の注意点
謝辞 - 引用文献
3:三岳火山 - 4:日光白根火山
3:三岳火山
3.1 地形
三岳火山は,戦場ヶ原北部の湯元と光徳牧場の間に位置し,東西3 km,南北6 km あまりの大きさの溶岩ドームからなる.地形的に北部の刈込湖溶岩 (Kk) と南部の光徳溶岩 (Kt) の大きく2つの溶岩ローブに分けられる.刈込湖溶岩 (最高点1,945 m) が地形的に高く,南の光徳溶岩 (最高点1,752 m) へ低くなる.三岳火山周辺には,刈込湖,切込湖,涸沼,蓼ノ湖及び湯ノ湖などが,その活動によってつくられた堰止湖及び窪地として存在する.
3.2 活動史
三岳火山は溶岩微地形の保存は良いものの,噴火の歴史記録は知られておらず,噴気も認められない.
三岳火山の噴出物として,刈込湖溶岩及び光徳溶岩のほか,テフラ層が1層確認されている ( 第3図).北側の刈込湖溶岩を直接覆う古土壌の放射性炭素 (14C) 年代値は4.6千年前である ( 図3のM4地点).刈込湖溶岩の体積は1.35 km3 DRE (岩石換算) である.刈込湖溶岩の東端には,径70 m の火口様地形が2つ存在し,その周囲に火口周辺堆積物と考えられる不淘汰な角礫岩層が確認されることから,溶岩の流出後も水蒸気噴火があったことがわかる.刈込湖溶岩の中央部には径150 m の火口状の窪地が2つ,南端には,径60 m の火口状の窪地が1つあるが,火口周辺堆積物については未確認である.
光徳溶岩を直接覆う古土壌と,下位の河川堆積物に含まれる炭化植物片の14C年代値により,光徳溶岩の噴出年代は5.6~3.5千年前に制約される ( 図3のM1及びM2地点).体積は0.63 km3 DREである.光徳溶岩は, 地形的に刈込湖溶岩を覆う.しかしながら光徳溶岩と刈込湖溶岩との間には明瞭な時間間隙は確認されておらず,一連の噴出物の可能性もある.刈込湖溶岩,光徳溶岩とも,岩質は安山岩~デイサイトである.
三岳火山に由来する層厚35 cm のテフラ層 (三岳1降下火砕堆積物:Mt-1) は,東側の涸沼で確認された.Mt-1の構成物は主に細粒火山灰であるが,最上部は径1~3 cm の発泡したスコリア及び岩片である.下位の古土壌の14C年代値が5.0~5.3千年前であることから,三岳火山形成期には溶岩流だけでなく火砕物を降下させるような噴火も伴ったと考えられる.
4:日光白根火山
4.1 地形
日光白根火山は,中生代の奥日光流紋岩類及び中新世の鬼怒川流紋岩類を基盤として,チバニアン期の螢塚西火山を一部覆って発達した小型の複成火山で,東西5 km,南北4 km の広がりを持つ.主峰である関東最高峰の白根山 (奥白根山:2,578 m) のほか,火山体北東部に座禅山 (2,317 m),西部に螢塚山 (1,885 m) が位置する.周辺の第四紀火山と比べて溶岩ローブの形状が地形から明瞭に読み取れる,微地形の保存が良い溶岩が多い.東側には,鬼怒川流紋岩類からなる五色山 (2,379 m) と前白根山 (2,373 m)との間に五色沼が,北側には丸沼・大尻沼及び菅沼などの堰止湖が形成されている.白根山山頂部では複数の火口が西北西 -東南東方向に配列している ( 第4図 a~d及びe~h).座禅山山頂には直径200 m 深さ60 m のすり鉢状火口が存在する.白根山山頂部から西北西方向には顕著な谷が刻まれており,それは大広河原・小広河原を通って仁下又沢となり,白根温泉の下流付近で丸沼から流出する小川と合流する.小川は片品村鎌田付近で片品川に合流する.
4.2 活動史
日光白根火山の山体は,12ユニットの溶岩及び3層の火砕堆積物,1層の火砕流堆積物からなる ( 第5図).これらの火山体構成物はすべて,6世紀中頃 (Okuno et al.,2019) の榛名二ッ岳伊香保軽石 (Hr-FP) に覆われる.また,Hr-FPよりも下位に5層,上位に4層の日光白根火山起源の降下テフラが確認される ( 第6図).したがって本報告では,日光白根火山の活動史を,溶岩を噴出する活動が主である2万年~1.4千年前 (6世紀) と,テフラを放出する活動を繰り返す7世紀~現在の,2つの期間に分けて記述する.なお,火山体構成物の名称は佐々木ほか (1993) 及び高橋ほか (1995) と重複するものもあるが,本研究で再定義する.
日光白根火山の噴出中心は,火口地形が認められる白根山山頂部,座禅山山頂部及びその周辺,血ノ池地獄周辺の3つの地域に大きく分けられる.白根山及び座禅山山頂部には複数の火口地形が認められる( 第4図).血ノ池地獄周辺には顕著な凹地などの火口地形は認められないが,溶岩の微地形から血ノ池地獄溶岩の噴出中心はその周辺であったことがわかる.以下に示すように,最近7.6千年間では3つの地域の中で白根山山頂部が最も活動的である.
2万年前~6世紀までの活動
最下位の丸沼溶岩 (Mrn) は崖錐堆積物を挟んで鬼怒川流紋岩類を覆う溶岩流で,本溶岩直上の古土壌に浅間板鼻黄色軽石 (As-YP) が含まれる.As-YPは1.7万年前の男体今市テフラの下位に位置している (山元,2013) ことから,日光白根火山は2万年前頃には活動を開始していたと推定される.丸沼溶岩は丸沼東岸及び日光白根火山最西端に露出する,少なくとも2つの安山岩溶岩ローブからなる溶岩流であるが,噴出中心は不明である.丸沼高原スキー場周辺の溶岩ローブは,側端崖が明瞭に確認される.本溶岩流は丸沼高原スキー場近くのボーリングコアで層厚が86 m あることが確認され,体積は0.21 km3 DREと
見積もられる.丸沼溶岩から座禅溶岩噴出までの約1万年間には,少なくとも4ユニットの溶岩 (弥陀ヶ池溶岩 (Md),菅沼溶岩 (Sg),大広河原溶岩 (Ohg),七色平溶岩 (Nd)) を噴出した.これら4ユニットの合計体積は1.0 km3 DREである.
座禅山は,座禅溶岩 (Zn) と,溶岩を覆う座禅火砕堆積物 (Zp) により構成される.座禅溶岩は,座禅山山頂付近から北方へ流下した厚い安山岩溶岩流で,基盤の鬼怒川流紋岩類や,火山体を構成する弥陀ヶ池溶岩,菅沼溶岩,七色平溶岩を覆う.本溶岩と下位の鬼怒川流紋岩類との間の古土壌からは7.6 ka の年代値が,本溶岩を被覆する古土壌からは5.7 ka の年代値が得られている.座禅溶岩直下の古土壌の14C年代値より,座禅溶岩の噴出年代は約7.6千年前と考えられる. 座禅溶岩の噴出に続いて,冷却節理をもつ発泡の悪い火山岩塊からなる座禅火砕堆積物を放出し,山頂に火口 ( 第4図の火口l) を形成した.座禅溶岩と座禅火砕堆積物の合計体積は0.23 km3 DREである.
座禅溶岩及び座禅火砕堆積物と同時期に噴出した日光白根火山起源のテフラは2層ある.6.4~6.3千年前の日光白根H降下火砕堆積物(Nks-H) は,ブルカノ式噴火に特徴的な灰色で細~中粒砂サイズの火山灰層として白根山及び座禅山の東方約3 km に確認され,下位にはやや細粒な黄白色火山灰層を伴う.5.7~5.5千年前の日光白根G降下火砕 堆積物 (Nks-G) は,黄白色で粘土質な火山灰層で,座禅溶岩を覆う.どちらも径1 mm 以下の構成物として本質物と考えられる淡色~暗色の発泡した新鮮なガラス質粒子を含むが,火山体を構成する地質ユニットとの対比は不明である ( 第5 , 6図).
奥白根東溶岩 (Ose) は,白根山火山体の東部に分布するデイサイト溶岩流である.現在の白根山山頂付近から流出したと推定される.同様に白根山山頂付近から流出したと考えられる大広河原溶岩との層序関係は確認できないが,分布高度から大広河原溶岩よりも新しいと判断した.体積は0.02 km3 DREである.奥白根南溶岩 (Oss) は,白根山の南部から流出したと推定される,デイサイト~流紋岩溶岩ドームである.大広河原溶岩及び奥白根東溶岩よりも溶岩微地形が明瞭であることから,奥白根東溶岩よりも新しいと判断した.奥白根南溶岩は,日光白根火山の溶岩の中で最もSiO2に富む.体積は0.04 km3 DREである.
白根山の北側には,大広河原溶岩,七色平溶岩,座禅溶岩に囲まれる範囲に安山岩溶岩流である奥白根北溶岩 (Osn) が噴出し,これを覆って五色沼火砕堆積物 (Gp) からなる五色沼火砕丘が形成された. 奥白根北溶岩と前述の奥白根南溶岩との直接の被覆関係は確認できないが,分布高度からより新しいと判断した.五色沼火砕丘は白根山の北側にのみ露出する.本火砕堆積物は冷却節理をもつ発泡の悪い安山岩火山岩塊からなり,これと同質の火山礫・火山灰からなる日光白根F降下火砕堆積物 (Nks-F) に対比される.Nks-Fは座禅溶岩を覆うテフラで,上位に向かって細粒火山灰から火山礫・火山岩塊を伴う細~中粒砂サイズの灰色火山灰へと層相が変化する.Nks-Fの年代値と噴出物の特徴から,五色沼火砕丘は5.2千年前のブルカノ式噴火で形成されたと考えられる.体積は,奥白根北溶岩が0.04 km3 DRE,五色沼火砕堆積物が0.003 km3 DREである.
その後,現在の白根山山頂付近を噴出中心として奥白根中央溶岩(Osc) と白根権現火砕堆積物 (Sgp) からなる白根権現火砕丘が形成された.奥白根中央溶岩は,山頂を挟んで南西と北東~東に主に2枚のローブを形成した溶岩流である.白根権現火砕丘は現在の白根山山頂のやや南に中心をもち,北側を白根山溶岩に覆われた,円錐型の火砕丘として存在する.埋積された2つの火口 ( 第4図 火口 i 及び j ) をもつ.白根権現火砕堆積物は放射状節理をもつ発泡の悪い火山岩塊からなり,これと同質の火山礫・火山灰からなる日光白根E降下火砕堆積物 (Nks-E) に対比される.Nks-Eは,上位に向かって細粒火山灰から灰色の粗粒火山灰へと層相が変化する.Nks-Eの年代値及び噴出物の特徴から,白根権現火砕丘は,4.7千年前のブルカノ式噴火によって形成されたと考えられる.Nks-Eの8 cm 等層厚線を地質図に示す.白根山山頂から南東にある観測点で得られたボーリングコアにおいて,白根権現火砕堆積物と下位の奥白根中央溶岩の間が細粒火山灰質であることと,Nks-Eの層相が漸移的に変化することから,これら2つの噴出物は,地質学的に明瞭な時間間隙を持たない一連の噴火によって形成されたと考えられる.体積は,奥白根中央溶岩が0.19 km3 DRE,白根権現火砕堆積物は10-5 km3 DRE,Nks-Eが0.013 km3 DREである.
白根山溶岩 (Shs) は,白根山山頂の北~西側斜面に分布する安山岩~デイサイト溶岩で,日光白根火山の最も新しい溶岩ドームである.白根山の山頂西側の大広河原に延びる谷沿いには,層厚7 m 以上の地獄ナギ火砕流堆積物 (Ji) が確認された.本火砕流堆積物は非溶結の火山岩塊火山灰流堆積物で,随伴するサージ堆積物中には炭化木片を複数含み,高温で流下し定置した特徴を示す.また,火山岩塊は発泡が悪く,放射状冷却節理が発達するものもある.本火砕流堆積物中の火山岩塊の,かんらん石斑晶に乏しい特徴や全岩化学組成は白根山溶岩に類似し,白根権現火砕堆積物とはやや異なる.また,炭化木片の14C年代値は3.5~3.2千年前であることから,白根山溶岩及び地獄ナギ火砕流堆積物の形成年代も同時期であることを示す.白根山溶岩と地獄ナギ火砕流堆積物の合計体積は0.005 km3 DREである.
白根山溶岩とほぼ同時期のテフラとして,日光白根D降下火砕堆積物 (Nks-D) も認められる.Nks-DはHr-FPの下位に層厚約10 cm の古土壌を介して確認される火山灰層で,白根山の近傍ではやや発泡した安山岩火山岩塊を含む.Nks-Dの8 cm 等層厚線を地質図に示す.Nks-D直下の古土壌の14C年代が3.1~2.9千年前を示すことから,本テフラは白根山溶岩の流出後に噴出したと考えられる.体積は0.013 km3 DREである.
血ノ池地獄周辺を噴出中心とする血ノ池地獄溶岩 (Cj) は,日光白根火山の中で最も溶岩微地形の保存が良い溶岩流であるが,正確な噴火年代は不明である.本溶岩は古土壌とHr-FPから上位のテフラに被覆され,Nks-Dに覆われることが確認されないことから,Nks-Dとほぼ同時期かそれ以降の,3~1.4千年前に噴出したと考えられる.噴出体積は0.17 km3 DREである.以上の結果をまとめると,日光白根火山は最近7.6千年間に,少なくとも300~1500年に1回の頻度でマグマ噴火を発生していることになる.平均マグマ噴出率は,0.1 km3 DRE/千年となり,噴出率の低下傾向は認められない ( 第7図).
7世紀以降の噴火
6世紀中頃のHr-FP降下以後,日光白根火山は,4層のテフラを噴出した ( 第6図).これらは白根山山頂周辺のピット掘削調査によって確認されたテフラで,白根山山頂付近が給源であることが指摘できる.下位の3層は灰白色~黄白色の粘土質降下火砕堆積物を主体とし,本質物と考えられる砂サイズで未変質の発泡したガラス質粒子が含まれることから,マグマ水蒸気噴火によるテフラであったと考えられる(草野・石塚,2020;草野ほか,2021).最上位の1層には本質物が確認されないことから,水蒸気噴火によるテフラと考えられる.
日光白根C降下火砕堆積物 (Nks-C) は,白根山山頂周辺に層厚70 cm 前後で分布する,火山岩塊及び火山礫を含む火山灰層である.Nks-Cの50 cm の等層厚線を地質図に示す.下位の古土壌の14C年代値より,その噴火年代は7世紀中頃~8世紀初頭と考えられる.最近1.4千年間の降下テフラ中,白根山山頂周辺における層厚が最も厚いため,Nks-Cテフラの噴火規模が最も大きいと考えられる.
日光白根B降下火砕堆積物 (Nks-B) は,白根山山頂周辺に層厚1~10 cm で分布する,含火山礫火山灰層である.ごく薄い古土壌を挟んで1108年の浅間Bテフラ (As-B) を覆うことから,12世紀頃の噴出物であると考えられる.
日光白根A降下火砕堆積物 (Nks-A) は,日光白根~三岳火山周辺~戦場ヶ原にかけての広範囲に,地表から5~10 cm 下の,Hr-FP及びAs-Bよりも上位の土壌中に確認される噴出物である.現在の戦場ヶ原において,地表から10 cm ほどの深度に最大層厚20 cm の灰白色の粘土質降下火砕物層として認められる.16 cm 及び8 cm の等層厚線を地質図に示す.白根山山頂から1 km 以内では,最大層厚35 cm,平均最大粒径20 cm の火山岩塊を含む火山灰層として認められる.直下の古土壌の14C年代値より,15~17世紀の噴出物であると考えられ,古記録の記述と年代値,分布範囲及び層厚が整合的であることから,1649年噴火の噴出物であると考えられる (草野ほか,2021).テフラの総噴出量は,2×107~3×107 m3 であり,VEI (Newhall and Self,1982) 3の規模と見積もられる.またNks-A中には,本質物と考えられる砂サイズのガラス質で新鮮な発泡した粒子が含まれるため,噴火様式はマグマ水蒸気噴火であると考えられる (草野ほか,2021).Nks-Aを噴出した1649年の噴火推移については,歴史記録に基づいて次節で述べる.
日光白根Me降下火砕堆積物 (Nks-Me) は白根山山頂付近で層厚15 cm,山頂西側の数地点において層厚1~2 cm の1層の火山灰層として確認できる.草野・石塚 (2020) で報告した地点ではNks-Meが確認されなかったが,直下の古土壌の14C年代値が17~20世紀の間であること,草野ほか (2021) ではNks-Aの上位に確認されることと,歴史時代の噴火記録から,明治時代の噴出物であると考えられる.なお,Nks-Meが明治年間の3回の噴火 (
第1表) のうち,どの噴火によって形成されたかは明らかでない.個々の噴火のテフラの総噴出量は,概算で105 m3オーダーと見積もられ,VEI 1の規模の噴火であったと考えられる.
白根山山頂部に存在する複数の火口 ( 第4図の火口a~k) のうち,白根山溶岩の表面に明瞭に形成されており,江戸時代及び明治時代の火口 (次節に記載) よりも古い火口b~dが,Nks-CまたはNks-Bの火口であった可能性が高い.
4.3 歴史時代の噴火
日光白根火山の確かな噴火記録は,江戸時代の1649年と明治年間の1873,1889,1890年の噴火記録である (
第1表).また,噴火には至らなかったが,噴気活動の発生が1872,1952年に知られている.いずれも人的被害の記録はないが,噴火に伴って火口から水 (湯) があふれ出て発生する火口噴出 (溢流) 型ラハールによる土砂移動や河川の増水,降灰などの現象が発生している.これらの噴火について,1649年噴火の推移については草野ほか (2021),明治以降のものは及川 (2021)に基づきまとめる.なお,かつて9世紀や1625年に噴火した記録が残るとされていたが (震災豫防調査会,1918),これらの噴火記録は誤記ないし寺社の官位授与・昇官のみが記された記録なので,噴火記録とはしない.
1649 (慶安二) 年噴火
噴火は,1649年9月13日午前7~9時頃に白根山山頂で発生し,その時山麓では激しい震動を感じた.噴火により周囲の山々や東側の戦場ヶ原に多量の火山灰を降下させた.この噴火により山頂に長径200 mほどの火口が形成され ( 第4図 の火口 e,f ),記録によると噴火は数日間続いた.10月20日には火口付近までの登山記録が残るので,その時点では主な噴火活動は終了していたと考えられる.
1872~1873 (明治五~6) 年の活動
1649年の噴火以降,噴火記録のなかった日光白根火山は,長い間噴気・噴煙活動も認められない状態であった.明治年間の1872年5月14,15日から,山頂西側の幅270 m,長さ360 m ほどの大きさの火口( 第4図 の火口 a ) から噴気が立ち上るようになった.これ以降の噴火は,この西側火口から発生している.その後,噴気活動以外は特別な現象はなかったが,1873年3月12日午後1時頃から鳴動が発生し,午後3時頃に噴火が発生した.この噴火により,東側の日光市花石町で6時間余りの間,降灰があったことが記録されている.また,噴火直後に火口噴出型ラハールが発生し,仁下又沢,小川,片品川を流れ下った.このラハールによって運ばれた堆積物で,現在の沼田市利根町追貝あたりまでの小川と片品川の河床は平坦に埋め立てられたと記録に残る.さらに下流の埼玉県下の利根川においても,川の濁りや多数の魚の死骸が認められている.
1889~1890 (明治22~23) 年の活動
1889年12月5日夜明け頃に噴火した.噴火の30分余り前に東側山麓で鳴動が感じられたという.戦場ヶ原付近で層厚約6 mm の降灰が認められ,日光市街地や今市にも降灰した.火口噴出型ラハールも発生し,午後6時頃より片品川の水が濁ったが,その規模は1873年のものより小規模であった.顕著なラハール堆積物は仁下又沢と小川の合流点まで認められ,小川を一時堰き止めた.その後,1890年8月22日午前11時頃にも噴火し,降灰や火口噴出型ラハールが発生した.南風であったため,降灰は山麓の居住地域では認められなかった.また,火口噴出型ラハールも小川などで増水が認められる程度で,1889年のものより小規模であった.その後,1890年10~12月に山麓でたびたび鳴動を感じたとの記録を最後に,この時期の活動の記録は残されていない.
1952 (昭和27) 年の活動
1952年7月頃より西側の片品村鎌田から白根山山頂付近の噴気が見えるようになった.9月には山麓で鳴動が聞こえ,特に25日には強かった.なお,現在の日光白根火山では,小規模なものも含めて噴気孔や噴煙活動は存在しない.