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第四紀火山>活火山>口永良部島
口永良部島火山地質図 解説地質図鳥瞰図
1:はじめに - 2:口永良部島火山の概要

1:はじめに

 口永良部島火山は口永良部島を構成する活火山であり,19世紀後半以降,1841年,1931〜33年,1966年に比較的大きな噴火が記録されている.最新の噴火は1980年で,それ以降の火山活動は表面上平穏な状態で推移しているが,活発な地震活動や山体を中心とする地殻変動が観測されるなど地下の火山活動は依然活発な状態にある(井口,2002,気象庁編,2005).

 口永良部島火山の地質学的調査は,昭和初期の活動期に本間(1934a,b),松本(1935),田中館(1938)などによってなされた.また1966年噴火直後には荒牧(1969)が地質報告を行なっている.最近小林・成尾(1998),小林ほか(2002),下司・小林(2006)などによる地質研究結果が公表されている.この火山地質図は口永良部島火山の火山地質についてこれら現在までの研究成果をまとめたものである.なお,地球物理的観測結果については諸機関による観測成果を総合したものであり,京都大学防災研究所編(2002)「薩摩硫黄島火山・口永良部島火山の集中総合観測」によるところが大きい.


2:口永良部島火山の概要

2.1 地形  口永良部島火山は琉球弧の火山フロント上に位置する安山岩質の成層火山で,薩南諸島の口永良部島を形成している. 口永良部島は長径約13 km,面積約38 km2であり,薩南諸島・トカラ列島の火山島の中では最大である.口永良部島の最高点の標高は657 m,周辺の海底は水深500~600 mで,火山体の比高は約1200 mである( 第1図).また,口永良部島の東約3 kmの海底には,口永良部堆と呼ばれる底径3.5 km,比高約420 m ,山頂部の水深約180 mの火山体と考えられる高まりが知られている( 第1図). 島の周囲の海岸線は,高いところで200m以上の高さの海食崖で囲まれており,砂浜は湾入部を除いてほとんど見られない.

 口永良部島は活動時期や噴出中心の異なる複数の火山体の集合からなる( 第2図).島の中央部は最近約15,000年以内に活動した野池,鉢窪,古岳,新岳火山からなる.これらの山頂部には明瞭な火口地形が認識でき,また山腹には新鮮な溶岩流地形が保存されている.また古岳火山には,南側と北西側に開いた2つの崩壊地形が認められる.

2.2 形成史の概要  口永良部島の活動開始時期は不詳であるが,50万年前頃までには後境火山は海面上まで成長していたと考えられる.口永良部島北西部を構成する番屋ヶ峰(ばんやがみね)火山は約20万年前以前に,島の北側海食崖に露出する後境(ごきょう)・城ヶ鼻火山はいずれも約 50 万年より前に形成された口永良部島火山の中では最も古い火山体である.これらの火山の形成後,現在の口永良部島の中心部~東部にかけて高堂(たかどう)森(もり),カシ峯(みね),野池(のいけ),鉢(はち)窪(くぼ),古岳(ふるだけ),新岳(しんだけ)の火山体が次々に形成された( 第2図).このうち,高堂森火山は約10万年前ごろまでに,野池火山の主部は約1万年前ごろまでに形成され,15,000年前から11,000年前にかけて2回の大規模な火砕噴火が発生した.

 完新世(最近約1万年間)の噴火活動は,主に古岳,鉢窪,及び新岳で発生し,山頂火口からの溶岩流出と爆発的噴火を繰り返した.目撃記録が残る19世紀後半以降の噴火はすべて新岳山頂火口及びその周辺から発生した爆発的噴火である.新岳及び古岳の火口及びその周辺では現在も噴気活動が活発である.


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