口永良部島火山地質図 解説目次
1:はじめに - 2:口永良部島火山の概要
3:口永良部島火山の活動史
4:噴出物の岩石学的特徴-5:記録に残る噴火活動
-6:最近の噴火活動
7:噴気活動及び温泉 - 8:火山観測体制 - 9:噴火活動の特色
引用文献
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4:噴出物の岩石学的特徴 - 5:記録に残る噴火活動 - 6:最近の火山活動
4:噴出物の岩石学的特徴
口永良部島火山の噴出物は,そのほとんどがカルクアルカリ系列に属する輝石安山岩である.径3~4mmの斜長石,径2~3mmの単斜輝石・斜方輝石の斑晶に富み,全岩SiO2量はほぼ54~62%に集中する( 第1表, 第7図).高堂森火山やカシ峯火山など島の東部の火山は全岩のFeOT/MgO比がSiO2量に対してやや高い.また,全岩SiO2量に対するK2O量の関係を見ると,最も古い後境火山から番屋ヶ峰火山,それ以降の火山体の順に,K2O量が減少する傾向が認められる.
約15,000年前に野池火山から噴出した野池-湯向テフラの全岩SiO2量は55~62.5%で,この組成範囲は口永良部島火山の噴出物の組成のほぼ全範囲に相当する.湯向テフラには縞状軽石が多く含まれ,噴火直前の苦鉄質マグマと珪長質マグマの混合が示唆される.13,000~11,000年前に噴出した古期古岳-メガ埼テフラの全岩SiO2量は53~59%に集中し,最近15,000年間の噴出物の中では最もSiO2に乏しい.最近約10,000年間に新期古岳及び新岳から噴出したマグマのSiO2量は59.5~63.5%で,直線的なほぼ単一の組成トレンドを形成している.新期古岳及び新岳の間で,全岩組成に顕著な違いは見られない.
5:記録に残る噴火活動
記録に残る最古の噴火は1841年で,それ以降1931〜35年ごろと1966〜80年にかけて噴火が頻発した活動期が認められる( 第2表).記録に残る噴火は全て新岳の山頂火口及びその周辺から発生している(井口,2002,気象庁,2005).
1841年には複数回噴火し,現在の前田集落付近に火山礫が降下したとの記録があるがその詳細は不明である.19世紀後半から20世紀初頭にかけてはほとんど噴火記録が残されていない.
1931年から35年にかけて新岳火口及びその周辺で噴火活動が活発化し,しばしば爆発的噴火が発生した.火山岩塊は新岳火口から約2km離れた向江浜集落付近まで到達したと記録されている.夜間の噴火では赤熱岩塊の投出が目撃され,また広範囲に森林火災が発生するなど,高温のマグマ物質が放出されたことが推測される.とくに1932年12月25日の噴火では火口から1.7km東麓の七釜集落に高温の火山礫が多数降下し,集落13戸が全焼し死者8名,重軽傷27名を出している(本間1934a,b,松本,1935,田中館,1938).また新岳から北西に流下する向江浜川にはたびたび二次的な土石流(ラハール)が発生した.主要な活動が終了して約1年後の 1935年4月4日には向江浜川で降雨による大規模なラハールが発生し,硫黄精錬施設が集中していた向江浜集落が被災し,死者5名の被害を生じた(田中館,1938).
1945年11月3日に発生した噴火については十分な記録は残っていないが,新岳山頂東側に開口した側火口及び割れ目火口から発生した水蒸気噴火と考えられている.火口の近傍には,変質した岩片からなる噴出物が局所的に残存している.
1966年11月22日には新岳山頂火口から爆発的噴火が発生した( 第8図). 島の南~東部を中心に降灰があったほか,北側山腹の広い範囲に投出岩塊が飛散した(荒牧,1969).新岳火口から約3.5 km北方に離れた寝待温泉の海上にまで多数の岩塊が到達し,本村―湯向間の道路が寸断された.また高温の火山岩塊の着地によって北側山麓を中心に広範囲で山林火災が発生した.降灰は屋久島・種子島まで到達した(鹿児島地方気象台・屋久島測候所,1967).その後,1970年代にかけて新岳火口から断続的に小噴火が発生し,新岳火口周辺に投出岩塊を飛散させたほか山麓に少量の降灰をもたらした.
1980年9月28日には,新岳山頂の東側を南北に走る既存の割れ目火口から噴火し,南西方向に火山灰が飛散した( 第9図:京都大学防災研究所ほか(1981)). 割れ目火口の近傍には,変質した岩片からなる噴出物が局所的に残存している.
6:最近の火山活動
1980年噴火以降も火山性地震活動は活発である(井口ほか2002a).京都大学防災研究所によって1990年以降継続されている地震観測によると,1996年3~6月,1999年8月~12月,2001年4月~2004年2月ごろにかけて火山性地震活動の活発化が見られた.とくに,1999年以降火山活動は活発な状態が続き,しばしば火山性微動が観測されている.火山性地震の震源は新岳火口直下から西側の海水面より浅い標高100~400mの火山体内に集中している(井口ほか,2002a).また1995,96年から2000年までのGPS観測により新岳火口を中心とする膨張が検出され,変動源として新岳火口東側の海面下数100mの浅い場所に存在する圧力源が推定されている(井口ほか,2002b).この場所は空中磁気測定によって検出された磁気強度の弱い部分(宇津木ほか,2002)とおおよそ一致しており,浅部に存在する熱水溜りに対応すると考えられている.更に,2001年4月ごろから新岳火口浅部において顕著な全磁力減少が検出され火口直下部分の温度上昇が続いていると考えられている.これらの観測結果から,1980年噴火以降新岳の東側の海面下0.5 km付近にある熱水溜りの膨張により熱水が新岳に向かって上昇し,火口浅部において火山性地震や熱的活動の活発化をもたらしていると解釈される(井口ほか,2002b).2005年1月には地震活動がやや活発化し,それに伴い新岳山頂部を中心とした山体の膨張が観測された(斎藤・井口,2006).この山体膨張の圧力源は新岳火口直下数100mの深さに推定されていることから,火口直下の熱水溜りの圧力上昇によって地震活動が活発化したものと推測される.2005年1月の地震活動の直後,新岳山頂の噴気活動が一時的に活発化した(斎藤・井口,2006).