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霧島火山地質図 解説地質図鳥瞰図
2:霧島火山の活動史 - 歴史時代の噴火

霧鳥火山の活動史

古期霧島火山の活動
 古期霧島火山の噴出物は,その大部分が新期霧島火山の噴出物に覆われ,地表にはほとんど露出していない.そのため,この時期の噴火活動の詳細についてはよくわかっていない.しかし,地熱開発のためのボーリングでは,これらの噴出物が現在の霧島火山の下に厚く認められることから,霧島火山の骨格部分は古期霧島火山の活動によって作られたといってよいだろう.

新期霧島火山の活動
新期霧島火山の活動によって今日みられる霧島火山が完成した.新期霧島火山の活動史については,その東方に分布するテフラの層序( 第3図)をもとに比較的よく知ることができる.

30万年前から10数万年前の活動
 この時代の新期霧島火山の活動によって,霧島火山の北西麓~南西麓にかけて分布する噴出源不明の溶岩類や烏帽子岳(えぼしだけ),栗野岳,湯之谷岳,獅子戸岳(ししごだけ),矢岳や栗野岳南東の1046.9mの無名の山などの火山体が形成された.これらの火山体では,浸食が進み,明瞭な火口跡がみられないものも多い.この時期に噴出した溶岩からは0.2±0.04Ma(1Maは100万年前をさす)0.1±0.04Maの放射年代値が得られている.

 霧島火山東方におけるテフラの堆積状況,岩石の放射年代値,火山地形の保存状況から,10万年前ころにいくらかの活動休止期があったものと考えられる.

10万年前から2万5000年前の活動
 この時代の火山活動は,霧島火山のほぼ全域に分散して認められ,白鳥山(しらとりやま),えびの岳,龍王岳(りゅうおうだけ),二子石,大浪池,夷守岳,大幡山(おおはたやま)などの火山体が形成された.この時期に噴出した溶岩流には,溶岩末端崖などの大きな地形は比較的よく残されているが,溶岩じわ等の微地形は明瞭ではない.

 霧島火山東方に分布するテフラから,6万5000年前~3万5000年前の霧島火山は,爆発的な噴火を頻繁に繰り返していたと推定される.このうち,約6万年前に大浪池から噴出したイワオコシ軽石は,比較的規模が大きく,約50km離れた宮崎平野でもよく追跡できる.このときの噴火によって,現在の大浪池の火砕丘が形成されたものと考えられる.大浪池では,この噴火の前に溶岩を主体とした小型の成層火山を作る活動があったらしい.

 イワオコシ軽石の上位には,5万年前から3万年前くらいの問に噴出したと考えられるスコリア層が数枚認められる.これらはいずれも現在の夷守岳付近から噴出したものと推定される.夷守岳北麓に分布する岩屑なだれ堆積物は,これらのスコリア層の中にはさまれる.岩屑なだれ堆積物とその上に載るスコリア層のあいだに腐植層が認められないことから,山体崩壊後すぐに現在の夷守岳の活動が起こったと考えられる.夷守岳の山体崩壊の時期は,テフラの層位から約3万8000年前と推定され,その後の活動は,3万5000年前頃まで続いた.

 霧島火山周辺では,姶良カルデラ起源の入戸火砕流堆積物の直下に,厚い腐植層が存在することが多い.このことは,夷守岳の最後の活動から入戸火砕流噴出までの間(3万5000年前~2万5000年前)の霧島火山が比較的静穏な状態にあったことを示している.

2万5000年前から6300年前の活動
 この時期の火山活動によって,丸岡山(まるおかやま),飯盛山(いいもりやま),甑岳(こしきだけ),韓国岳,新燃岳,中岳,高千穂峰などの小型の成層火山や白鳥山新期の溶岩流のほか,六観音御池(ろっかんのんみいけ)などが形成された.これらは北西-南東方向に並ぶ傾向が著しく,霧島火山全体の伸張方向を決定している.

 約1万8000年前には,現在の韓国岳付近で噴火が起こり,韓国岳スコリアを噴出した.この活動によって現在の韓国岳付近に小型の成層火山が形成されたと考えられる.この活動と前後して甑岳および新燃岳が形成されたらしい.およそ1万5000年前には,韓国岳から小林軽石( 第4図のc)が噴出した.この噴火活動によって,現在の韓国岳が完成した.

 この韓国岳の噴火の後,1万5000年前から7000年前の間は,約9000年前に新燃岳で起こった瀬田尾軽石(せたおかるいし)の噴火をのぞけば,比較的静穏な状況が続いていたと推定される.そして約7000年前,霧島火山南東部で高千穂峰が活動を開始した.牛のすね火山灰は高千穂峰がその成長過程で噴出したもので,長期にわたる断続的噴火による堆積物と考えられる.鬼界カルデラから6300年前に噴出した鬼界-アカホヤ火山灰は,高千穂峰のこの活動中に降下堆積したため,牛のすね火山灰を上下に分けるようにはさまれる.

最近6300年間の活動
 最近6300年間の新期霧島火山の活動の場は,本火山の南東域に集中しており,そこでは高千穂峰の形成後,御池(みいけ)や御鉢が作られた.御池は,約4200年前に発生したプリニー式噴火によって生じたマールである.この噴火は知られている霧島火山の爆発的噴火の中では,最も規模が大きい.御池の周辺では御池軽石( 第4図のc)中にべ一スサージ堆積物が挟在している.霧島火山の中央域では,新燃岳の爆発的な噴火とともに,不動池,硫黄山,大幡山(新期)および中岳山頂部の溶岩の噴出があった.


歴史時代の噴火

 霧島火山には,742年(天平14年)以降,信憑性の高いものだけでも10を超える噴火活動が記録に残されており( 第2表),死傷者の数や寺社・家屋の焼失,農作物・家畜の被害などの記録も多く残されている.史料に残る噴火のほとんどは御鉢と新燃岳で起こっているが,1768年(明和5年)には韓国岳北西麓で硫黄山が形成された.788年(延暦7年)と1235年(文暦元年)の御鉢の噴火と新燃岳の1716-17年(享保元-2年)の噴火は,それぞれの火山体の地形を一変させるほどの規模であった.

御鉢の788年と1235年の噴火記録に対応する噴出物は,霧島火山の東麓に分布する,片添スコリアと高原スコリア( 第4図のb)である.高原スコリアには少なくとも3枚のユニットが認められ,大きな爆発が断続的に繰り返し起こったものと推察される.この1235年の噴火は,霧島火山の歴史時代の噴火では最大規模であった.御鉢はそれ以降も噴火を繰り返し,特に1800年代後半から1923年までは現在の桜島火山のように頻繁に爆発を起こし,登山客が死傷するなどの被害も多数生じている.近年,御鉢では山頂火口内で小規模な噴気活動がみられるだけで,表面的には静かな状態が続いているが,2000年前半には火口直下で顕著な地震活動が認められた.

 新燃岳の1716-17年の噴火活動は,水蒸気爆発に始まり,マグマ水蒸気爆発からマグマ噴火へと,時間の経過とともに活動様式が変化した.この噴火活動では軽石の噴出( 第4図のa)とともにべ一スサージ,火砕流,泥流が繰り返し発生したことが噴火堆積物からわかる.また,記録からは,この噴火によって東方の広い範囲に粗粒の火砕物が降下して火災や農作物への被害があったこと,約850km離れた八丈島でも降灰があったこと,噴火は断続的に1年半くらい続いたこと,などがわかっている.新燃岳では,1959年に水蒸気爆発があったほか,1991年にも顕著な地震活動の後,微噴火があった.


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