阿蘇カルデラ阿蘇3火砕流堆積物分布図 解説目次
1:はじめに
2:阿蘇カルデラと阿蘇3噴火
3:阿蘇3火砕流堆積物分布図
4:阿蘇3噴火の噴出量
5:謝辞・出典 / 引用文献
6:Abstract
付図
付録
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2:阿蘇カルデラと阿蘇3噴火
2. 1 阿蘇カルデラ周辺の基盤岩類及び火山岩類 注1)
阿蘇カルデラの位置する中部九州地域は鮮新世〜第四紀の火山噴出物に広く覆われている.大分県北東端の姫島から南南西方向に両子山(ふたごさん),鶴見岳(つるみだけ),九重山(くじゅうさん)そして阿蘇山(あそさん)の各火山が配列し,火山フロントをなしている.また,九州を東西に横断する別府–島原地溝(松本,1979)には,火山フロントから背弧に向かって鶴見岳,由布岳(ゆふだけ),九重山,阿蘇山,雲仙岳(うんぜんだけ)などの活火山が東北東–西南西方向に配列している(
第1図).
中部九州地域では,阿蘇カルデラ以外の地域でも大規模火砕流の噴出が繰り返し発生している.九重火山北方の猪牟田(ししむた)カルデラからは,耶馬溪(やばけい)火砕流(1.0 Ma)と今市(いまいち)火砕流 (0.85 Ma)が噴出した(Kamata,1989;鎌田ほか,1994).また由布川(ゆふがわ)火砕流(0.6 Ma;星住ほか,1988;星住・鎌田,1991)や九重火山起源の宮城(みやぎ)火砕流(0.15 Ma),下坂田(しもさかた)火砕流(0.11 Ma),飯田(はんだ)火砕流(0.054 Ma)(小野ほか,1977;鎌田ほか,1998;長岡・奥野,2015)などのカルデラを伴わない規模の火砕流の噴出も知られている.
注1) 2. 1 節「阿蘇火山周辺の基盤岩類及び火山岩類」,及び2. 2 節「阿蘇火山の噴火活動史」は,「大規模火砕流分布図3 阿蘇4火砕流分布図」,「大規模火砕流分布図4 阿蘇3火砕流分布図」で内容が共通するため,ほぼ同一の解説文を用いている.
2. 2 阿蘇カルデラの噴火活動史
阿蘇火山は,九州中央部に位置する複成のカルデラ火山である.阿蘇カルデラの地形的カルデラ壁は,南北約25 km,東西約18 km,比高300〜700 mであり,国内最大級の大きさを誇る.カルデラの内側には堆積物で埋積された平坦なカルデラ底が広がり,その中央部には東西に延びる後カルデラ中央火口丘群(以下,中央火口丘群)がある.中央火口丘群は,現在も活発な噴火活動を繰り返す中岳のほか,いくつもの完新世の若い火山体を含む活火山群である(小野・渡辺,1985).本論では,阿蘇カルデラとそれに伴う中央火口丘群を阿蘇火山と総称し,4回の大規模火砕流噴火によって形成された陥没凹地及び陥没構造を阿蘇カルデラと呼ぶ.
阿蘇火山噴出物は,全岩化学組成がカリウムやナトリウムなどのアルカリ元素に富み(小野ほか,1977;小野・渡辺,1983など),阿蘇火山周辺に分布し阿蘇火山より古い先阿蘇火山岩類(小野,1965)や,阿蘇火山と同時代の九重火山などの火山岩とは明確に異なる特徴を示す.
阿蘇火山は,繰り返し大規模火砕流を放出し,現在の阿蘇カルデラを形成した.小野ほか(1977)は,間に顕著な休止期を挟まない一連の噴火活動を噴火サイクル”と呼び,阿蘇火山では大規模な火砕流を放出する“噴火サイクル”が4回あったことを明らかにし,それぞれの噴火サイクルで噴出した火砕流堆積物を古い方から阿蘇1,阿蘇2,阿蘇3,阿蘇4火砕流堆積物 注2)と呼んだ.本報告ではこれらの大規模火砕流噴火を,それに伴う降下テフラの活動も含めて,阿蘇1噴火,阿蘇2噴火,阿蘇3噴火,阿蘇4噴火と呼ぶこととする.阿蘇1,2火砕流堆積物は,カルデラからおよそ20〜30 kmまで分布を確認できる.阿蘇3火砕流堆積物は九州東岸にまで,阿蘇4火砕流堆積物は長崎県島原半島や山口県にも分布する.これらの大規模火砕流噴火の間には,大規模火砕流噴火よりは小規模な降下火砕物や溶岩を放出する噴火活動が知られている(小野ほか,1977;星住ほか,2022).
注2) 阿蘇3火砕流の表記として,“Aso-3火砕流”(小野ほか,1977;小野・渡辺,1985など)や“阿蘇–3火砕流”(今井ほか,1982;星住ほか,1988など)という表記がこれまで使われてきたが,火砕流に由来する広域火山灰は阿蘇3火山灰と呼ばれ(町田・新井,1992,2003など),表記が統一されていない.ここでは,星住ほか(2015)などと同様に,“阿蘇3火砕流”という表記を用いる.阿蘇1,2,4火砕流なども同様に表記する.
阿蘇火山噴出物の層序の概略を
第2図 にとりまとめた.阿蘇火山の最初期の噴出物は,阿蘇カルデラ東縁に分布する約28万年前に噴出した古閑(こが)溶岩である.古閑溶岩は安山岩溶岩で,他の阿蘇火山噴出物と同様に,先阿蘇火山岩類に比べてアルカリ元素に富む全岩化学組成をもつことから阿蘇火山の噴出物とみなされる.古閑溶岩は土壌層をはさんで阿蘇1火砕流堆積物に覆われる(田島ほか,2017).
阿蘇1噴火は約27万年前(松本ほか,1991)に発生した阿蘇火山最初の大規模火砕流噴火である.その堆積物の基底部には降下軽石層を伴う(小野ほか,1977).田島ほか(2017)は,阿蘇1噴火堆積物を下位から阿蘇1P降下火砕堆積物,阿蘇1火砕流堆積物の主部であるデイサイト質の阿蘇1A火砕流堆積物,阿蘇1噴火末期の玄武岩質安山岩質の阿蘇1B火砕流堆積物に区分した.
阿蘇1噴火と阿蘇2噴火の間には,溶岩流(阿蘇2/1溶岩)や降下火砕物(阿蘇2/1テフラ群)の噴火が知られている.阿蘇2/1溶岩は,カルデラ東方の玉来川(たまらいがわ)溶岩(小野ほか,1977),カルデラ北縁の象ヶ鼻溶岩及び北西縁の的石溶岩(小野・渡辺,1983),カルデラ西縁付近の外牧(ほかまき)溶岩(渡辺 ほか,2021)のほか,カルデラ西方では秋田溶岩(渡辺・小野,1969)が知られている.また同じくカルデラ西方の赤井火山もこの時期に砥川(とがわ)溶岩を流下させた(渡辺・小野,1969).阿蘇2/1テフラ群は,小野ほか(1977)にその存在が記されているが詳細な層序は報告されていない.
阿蘇2噴火は約14万年前(松本ほか,1991)に発生した.その噴出物は下位から阿蘇2A火砕流堆積物,阿蘇2B火砕流堆積物(渡辺・小野,1969),阿蘇2T降下スコリア(小野 ほか,1977)である.阿蘇2A火砕流堆積物の下位には,阿蘇2R火砕流堆積物(小野・渡辺,1974),阿蘇2TL降下軽石,阿蘇2V 降下スコリア(小野ほか,1977)が報告されている.これらのユニットは,2A火砕流の噴出に先行する噴火堆積物であるが相互の噴出順序はよくわかっていない.
阿蘇2噴火と阿蘇3噴火の間には軽石を含む降下火砕物(阿蘇3/2テフラ群)の噴出が知られており,その噴出物は下位から S,R,OPQ,Uと呼ばれる(小野ほか,1977).このうち,3回目のOPQテフラが最も規模が大きい.
阿蘇3噴火は約13万年前に発生した大規模火砕流噴火である.阿蘇3噴火の推移や年代の詳細については次章で記述する.
阿蘇3噴火と阿蘇4噴火の間には,3層以上の降下火砕物(阿蘇4/3テフラ群)を噴出した活動が認められる.この間の噴火活動は苦鉄質スコリア噴火から始まり,徐々に噴火間隔が短くなってから珪長質軽石噴火へ変化し噴火規模が大きくなった.阿蘇4火砕流噴出の約1万年前からは噴火頻度が低下し,斑晶組み合わせも変化した(星住ほか,2022).また,阿蘇カルデラ西方の大峯(大峰)火山 注3)は,阿蘇4噴火前の近い時期に噴出したもので,火砕丘と厚い溶岩流から構成される(渡辺・小野,1969).
注3) 渡辺・小野(1969)は大峰火山と表記したが,地理院地図の地名表記にあわせて大峯火山と表記する.
阿蘇4噴火は約9万年前に発生した阿蘇火山最大の噴火である.松本ほか(1991)は,阿蘇4火砕流堆積物のK–Ar年代測定値として 89±7 kaを報告した.長橋ほか(2004,2007)は琵琶湖の湖底堆積物や長野県高野層中の阿蘇4火山灰の層位と酸素同位体比との対応から,阿蘇4噴火を88.0 kaとした.Aoki(2008)は北西太平洋海洋底のコア中の阿蘇4火山灰の層位と酸素同位体比から,阿蘇4噴火の年代を87 kaとしている.Albert et al.(2019)は,阿蘇4火砕流堆積物中の角閃石結晶の40Ar/39Ar年代値として86.1±1.1 kaを報告している.阿蘇4噴火は下位から第1期〜第4期の4つのステージに区分される(星住ほか,2023).第1期の噴出物は黒雲母斑晶を含む降下軽石と同質の小規模な火砕流堆積物(阿蘇4X)である.第2期の噴出物は青灰色火山灰層(阿蘇4L)とそれを覆う角閃石をわずかに含む火砕流堆積物(阿蘇4S)である.第3期は,阿蘇4噴火の大部分を占めカルデラ周辺では顕著な岩片濃集層を伴う.カルデラ東側では阿蘇4A,カルデラ西側では6つのユニットに細分され,最上部にスコリア流堆積物を伴う.第4期は,強溶結の阿蘇4B火砕流堆積物,非溶結で薄く遠方まで流走した阿蘇4T火砕流堆積物,及び小規模なスコリア流堆積物である阿蘇4KS火砕流堆積物から構成される.
阿蘇4噴火のあと,カルデラ内に現在の中央火口丘群が生成された.中央火口丘群は,高岳(標高1592.3 m)中岳(1506 m),烏帽子岳(えぼしだけ)(1336.7 m),杵島岳(きしまだけ)(1326 m),往生岳(1237.5 m),米塚(こめづか)(954 m)などの山体の集合体であり,玄武岩質からデイサイト質の成層火山体,火砕丘,溶岩ドームからなる.また,これらの火山体の下位にはもとの火山体の形がわからないより古い噴出物が一部に露出している(小野・渡辺,1983,1985).
中央火口丘群の噴火活動では,数10層にも及ぶ降下火砕物の噴出が認められる(宮縁ほか,2003,2004;Miyabuchi,2009,2011).その多くは降下スコリア層であり,降下軽石層を伴っている.20世紀後半以降の噴火活動は,すべて中岳第1火口で起きている(気象庁,2013).黒色砂状の火山灰を放出する灰噴火(小野ほか,1995;Ono et al.,1995)のほか,活発な時期にはスコリアを放出するストロンボリ式噴火やマグマ水蒸気爆発をしばしば起こしている(渡辺・池辺,1996;池辺ほか,2008;Miyabuchi et al.,2018).
2.3 阿蘇3噴火の推移と阿蘇3火砕流堆積物
阿蘇3噴火は,降下軽石層(阿蘇3W降下軽石)を噴出する活動で開始し,大規模火砕流の噴出に移行した.阿蘇3火砕流堆積物は,本質物の種類や斑晶量の違いによって下位から3A,3B,3Cのサブユニットに区分される(小野ほか,1977).具体的には,3Aが無斑晶状のデイサイト軽石,3Bが無斑晶状の安山岩スコリア,3Cが斑状の玄武岩質安山岩〜安山岩スコリアを主体とする.あとで述べるように,3Aと3B,3Bと3Cの中間的な岩相を示すものも多い.Kaneko et al.(2015)は,阿蘇3噴出物の全岩化学組成と同位体組成から,珪長質,中間質,苦鉄質の3層からなる成層マグマ溜まりを推定した.
これらのサブユニット間には長い時間間隙を示す土壌層や顕著な侵食間隙などは認められないことから,ほぼ連続的に噴出・堆積したと考えられる.これらのユニットのうち,3Bがもっとも規模が大きく遠方まで流走した.カルデラ東北東方向の大野川沿いや東南東方向の五ヶ瀬川沿いでは海岸近くまで阿蘇3B火砕流堆積物の分布が認められる(吉岡ほか,1997;奥村ほか,2010).カルデラ北西方向の最遠方筑紫平野地下でも阿蘇3B火砕流堆積物とよく似た岩相を示す(下山ほか,2010).また熊本県北西部の和水町(なごみまち)付近でも阿蘇3B火砕流堆積物を確認した.阿蘇3A及び阿蘇3Cは概ねカルデラ壁から20〜30 km以内の地域に主に分布している.
阿蘇3W降下軽石は,淘汰のよい白〜灰白色の軽石層からなる.軽石はデイサイト質でスポンジ状に発泡し,微量の径1 mm以下の斜長石,直方輝石,単斜輝石を含む.軽石と同質の黒色ガラス質岩片をよく伴っている.また,ごくまれに黒色のスコリアが混入する場合がある.層厚はカルデラ南東方で最も厚い地点が観察されているので分布の主軸は南東方向なのであろう(
第3図).
阿蘇3A火砕流堆積物は,無斑晶状の輝石デイサイトの軽石流堆積物である.阿蘇3W降下軽石層を直接覆う.阿蘇3Aは基本的には非溶結であるが,堆積物が厚い場合には弱〜強溶結である.阿蘇3Aの代表的な岩相は,非溶結の火山灰基質中に白〜淡褐色の軽石を含むものであり,カルデラ東方の竹田市西部では軽石の最大粒径が30 cmに達する場合がある(小野ほか,1977).阿蘇3Aは本質物として白色軽石のほか,黒色スコリアやスコリアと軽石が縞状に混じった縞状軽石が観察される(藤本,1996;鎌田,1997).黒色スコリアは後述の阿蘇3Bに含まれるものと同様に無斑晶状である.黒色スコリアや縞状軽石の量は阿蘇3Aの基底付近ではまれで上方に向かって増える傾向がある.カルデラから15〜20 km以上離れた地域では阿蘇3Aは層厚数m程度と薄くなり,さらに遠方では阿蘇3Bの基底部に薄く軽石に富む部分が観察されるだけとなる傾向がある.
カルデラ南東方の阿蘇3Aには全体が黒色ガラス質に強溶結した特徴的な岩相が観察される(小野ほか,1977).カルデラ南東方の熊本県高森町草部のボーリングデータでは,厚さ約10 mの阿蘇3Aのうち基底2 mが強溶結でその上位8 mが非溶結である(矢ヶ部,1986).同じくカルデラ南東方の熊本県山都町旅草では阿蘇3Aの強溶結部の下位に非溶結部が観察されるため,この阿蘇3Aの強溶結部は阿蘇3Aの基底近くの層準なのであろう.また,カルデラ南方の長谷(ながたに)峠付近やその南方では,阿蘇3火砕流堆積物の基底に岩片濃集層が確認される.岩片濃集層には白色軽石を含むほか黒色ガラス質岩片や,カルデラ壁に露出する先阿蘇火山岩類に由来するとみられる安山岩片や未固結の土壌ブロックなどを多量に含んでいる.
阿蘇3B火砕流堆積物は無斑晶状の輝石安山岩のスコリア流堆積物である.阿蘇3A火砕流堆積物を直接覆うが,明瞭なフローユニット境界はなく,含まれているスコリアの量の変化でおよその境界が認識できる場合が多い.阿蘇3Bは堆積物が厚い場合は全体が溶結するが,基底部に厚さ10〜20 m程度の非〜弱溶結部があってその上位で強溶結となる場合がある.スコリアは安山岩質でスポンジ状に発泡し,微量の径1 mm以下の斜長石,直方輝石,単斜輝石を含む.また,白〜淡褐色の軽石や縞状軽石を含む場合がある.軽石は阿蘇3Aに含まれるものと同様に無斑晶状である.阿蘇3Bにはほとんど軽石を含まず無斑晶状スコリアから構成される場合と,軽石を多く含み阿蘇3Aと中間的な岩相を示す場合がある.両者の関係ははっきりしないが阿蘇3全体の岩相変化を考慮すると軽石を多く含む阿蘇3Bの方がスコリアのみからなる阿蘇3Bよりも下位なのであろう.阿蘇3Bのうち最も遠方の,カルデラ東側の大分川,大野川下流域やカルデラ北西側の和水町付近,カルデラ南側の緑川下流域などでは,軽石を多く含んでいる.よって阿蘇3Bのうち軽石を含む岩相のものがもっとも遠方まで流走したのであろう.一方カルデラ北壁近傍では阿蘇3Bを欠いて阿蘇3Aを直接阿蘇3Cが覆うとされる(鎌田,1997).この地域の阿蘇3Aには黒色スコリアをやや多く含んでおり,その位置づけについては再検討が必要であろう.大野川下流域やカルデラ北西側の和水町付近,カルデラ南側の緑川下流域などでは,軽石を多く含んでいる.よって阿蘇3Bのうち軽石を含む岩相のものがもっとも遠方まで流走したのであろう.一方カルデラ北壁近傍では阿蘇3Bを欠いて阿蘇3Aを直接阿蘇3Cが覆うとされる(鎌田,1997).この地域の阿蘇3Aには黒色スコリアをやや多く含んでおり,その位置づけについては再検討が必要であろう.
阿蘇3C火砕流堆積物は,多斑晶の発泡度の低いスコリアを本質岩塊とする安山岩質の火砕流堆積物である.阿蘇3Bや阿蘇3A火砕流堆積物を直接覆うが,明瞭なフローユニット境界はなく,含まれているスコリアの量やサイズ,含まれる斑晶量の変化でおよその境界が認識できる場合が多い.阿蘇3Cは基本的には非溶結である.スコリアは主に安山岩質で発泡が悪くやや緻密で,径2〜8 mm程度の斜長石や輝石斑晶を多く含む.阿蘇3Bと阿蘇3Cのスコリア中の斑晶鉱物の大きさやサイズは漸移する.阿蘇3Bでは肉眼ではほとんど斑晶を見えないが,径2 mm程度の斑晶が目立つものをへて,径4〜8 mmの斑晶を含むものへと漸移する.小野ほか(1977)は阿蘇3Bと阿蘇3Cの中間的なものを阿蘇3BCと呼んだ.ただしこの3BCが3Bの一部なのか3Cの一部なのかについての記述はない.
2. 4 阿蘇3火山灰及び阿蘇3噴火の年代
阿蘇3火山灰は,日本海西部,本州西部から中部地方などに分布する阿蘇3火砕流噴火に伴うco-ignimbrite ashである(町田・新井,1992,1994)(
第4図).海域では,日本海西部(Chun et al.,2004),本州南方や福島県沖(町田・新井,1994)などで確認されている.中国地方では,山口県山口市の中位段丘堆積物中(相山ほか,2022)で確認されている.山内・白石(2014)は,川崎(1995)が阿蘇4だとした段丘堆積物に挟在する山口市の火山灰層を阿蘇3に対比した.四国の愛媛県宇和島市では宇和盆地を埋積した湖成層である宇和層中(Tsuji et al.,2018)に,大阪平野では大阪層群Ma12層中部(吉川ほか,1993;長橋ほか,2004)に,琵琶湖では湖底堆積物中(町田ほか,1991;吉川・加 2001;長橋ほか,2004;竹村ほか,2010)に産出する.中部地方では,水月湖のSG06-6412火山灰層(Smith et al.,2013)が阿蘇3火山灰に対比されている(Maruyama et al.,2019).長野県王滝村御岳高原でOn-Pm1(御岳第1軽石層)の直下にある木祖火山灰(竹本ほか,1987)を町田・新井(1992)は阿蘇3火山灰に対比している.また長橋ほか(2007)は,長野県長野市の高野層で阿蘇3火山灰を確認している.静岡県小山町においてもOn-Pm1の下位で確認された(町田・新井,1994).ただし,大阪層群や琵琶湖では,阿蘇3火山灰と特徴が類似した火山灰層が近い層準に複数あり(長橋ほか,2004),どの火山灰層が阿蘇3火山灰に対比されるのか研究によって見解が分かれている.なお,町田・新井(1994)によって阿蘇3火山灰とされた秋田県男鹿半島安田(あんでん)海岸のものは阿蘇1火山灰であることが判明している(白井ほか,1997)ため,本報告では除外している.
阿蘇3火砕流堆積物の絶対年代としては,110.5±3.0 ka(TL年代;長友,1990),123±6 ka(K–Ar年代;松本ほか,1991)が報告されている.テフラ層序や酸素同位体比との対応から,町田・新井(1994)は,阿蘇3火山灰がMIS(海洋酸素同位体ステージ)5d期にあると考えた.町田・新井(2003)は,中部から関東に分布する阿蘇3火山灰の層準は5eから5dまでの間の120 ka前後と推定した.Tsuji et al.(2018)は,愛媛県宇和島での湖成層コア層序から,阿蘇3を112.7 kaと推定している.それに対して,下山ほか(1999)は九州各地の阿蘇3火砕流堆積物と海成層の層位を検討し阿蘇3は5eより下位の約130 kaと考えた.吉川・加(2001)は,琵琶湖湖底堆積物中の火山灰層序から,阿蘇3を133 kaと推定した.また,Chun et al(2004)も,日本海の海底コア層序から阿蘇3火山灰を133 kaと推定した.町田(2006)は,Chun et al(2004)などで報告された阿蘇3の年代と中部・関東地方での阿蘇3火山灰の層準が合わないため,両者を別のものであるとして中部・関東地域のものを「Aso-3’」と呼んだ.ただし本報告では,これまで阿蘇3火山灰として報告されてきた各地点のテフラについては,町田(2006)の報告の「Aso-3’」かどうかはっきりしないものもあるため,区別せずに取り扱っている.
以上のように阿蘇3噴火の年代の推定値は約113〜133 kaとかなりの幅がある.Hyodo(1999)は,琵琶湖湖底のコア試料から阿蘇3火山灰がBlake event(地磁気エクスカーション)より前であると報告している.Blake event は約120 ka(Singer,2014)であることから,阿蘇3の噴火は120 ka以前の年代であることは間違いない.本報告ではChun et al.(2004)などに従い133 kaとする.阿蘇3噴火時は,低海面期のMIS6から高海面期のMIS5へと海水準が急変する時期のため(Yokoyama and Esat,2011),当時の海岸の位置を限定することは難しい.下山ほか(1994)が示したように,阿蘇3火砕流堆積物が筑紫平野で-40 m近いところに堆積しているため,当時の海水準は-40 mよりは低いのであろう.本報告の火砕流分布図では,参考として-50 mの等深線を示した.



