1919年(大正8年)噴火 −大地獄谷で発生した水蒸気爆発− |
西岩手火山の大地獄谷で1919年(大正八年)7月に水蒸気爆発が発生した.その経過を当時の新聞記事を基に以下にまとめた. 松尾鉱山事務所の鉱山医が7月14日に岩手山から立ち上る白煙を認めた.7月15日には同社社員が現地付近で降灰と噴気を確認し,7月16日に岩手郡役場宛に異常を通報した.この異状報告を受けて,盛岡高等農林学校教師による現地調査が実施された. この噴火活動の後,しばらくの間,噴気活動が活発な時期が続き,火口の直径は噴火直後には約5-10mであったが,火口壁の崩落のため数ヶ月で拡大し,火口内は湯溜まりの状態となった.しかし,昭和2年頃には冷水になり,大地獄谷周辺の噴気活動は継続していたが,大正火口内の噴気活動は終息したようである. |
[大正噴火に関する記録に関する詳細情報] [大地獄谷の地熱記録に関する詳細情報] |
図1.西岩手−大地獄谷の大正火口 噴火直後からしばらくの間,湯溜まり状になった,現在では大正火口内ではほとんど噴気活動を認めることはできない.
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図2.大地獄谷周辺に露出する水蒸気爆発噴出物 現地表面の直下に,地層として明瞭な火山灰層はほとんど認められないが,白色変質岩片が散在する層準が存在する(写真の[1]).この散在する変質岩片層が,大正噴火の堆積物と考えられている(伊藤,1999a).
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