1732年(享保16-17年)噴火
 −焼走り溶岩を流出した山腹噴火−

 ー薬師岳火山の北東部で発生した山腹噴火である.噴火活動に先立つ前駆現象として1732年1月20日(旧暦:享保十六年十二月二十三日)頃から北東山麓部(平笠集落)周辺で地震が発生し始めた.その後,1月21日深夜から22日にかけて,この地震活動が活発化すると共に,山腹にほぼ一直線に配列する複数の側火口が開き,スコリア丘(y)を形成するとともに焼走り溶岩(Ya)が流出し始めた.溶岩流出は1月30-31日迄までのほほ1週間継続した.側火口あるいは溶岩流分布域からは噴気や火山ガスがわずかに放出されていた様で,これは同年10月頃まで継続したらしい.溶岩流出による直接的な被害はなかったが火山性地震が頻発した為,北東山麓の住民が一時避難した.


 以下に伊藤(1989a)に基づき,1732年噴火を簡潔にまとめた.

1) 前駆現象
 噴火活動に先立つ前駆現象として,享保十六年十二月二十三日(1732.1.20)から岩手山周辺での地震活動の発生が記録されている.当日の盛岡城下での記録には,地震の記述はなく,これらの地震は岩手山近傍だけの局所的なもので,噴火活動に関連する火山性地震の発生を示唆するものと思われる. 
2)噴火活動 
 東岩手火山北東山腹に火口列を開き,小規模のスコリア丘群が形成された.最も高位置の火口から溶岩流(焼走り溶岩)が流れ出した.
 噴火活動の開始は享保十六年十二月二十四日深夜〜二十五日未明(1732.1.21-22)である.享保十七年正月の初旬までは溶岩噴出が続いていたと思われる.享保十七年正月三日四日(1732.1.29-30)まで「火煙見える」と記述する史料もあるが,これが溶岩の噴出を意味するのか,火口列や溶岩流周辺からの噴気や樹木の火災を意味するのかどうかは不明である.
3)噴火の終息
 享保十七年八月十六日(1732.10.4)まで,「御山近処へ行ハ 煙立見える」との記述があるが,これが噴火活動の継続を示すものか,噴気が上がっているだけのものかは明確ではない.
4)噴火災害
 東岩手火山北東山麓の平笠村住民は,地震活動が激しかったために一時避難した.これ以外に人的・物的被害の発生を示す史料を現在のところみつかっていない.


1732年噴火関する古文書記録の詳細情報
1732年噴出物に関する詳細情報



図1.岩手火山北東斜面に開いた側火口列と焼走り溶岩


図2.1732年噴火により形成されたスコリア丘群

 スコリア丘からはいずれも溶岩流が流れ出したため,山麓側が破壊され,馬蹄形の外形を呈する.最上位の第1スコリア丘から下方に流下する溶岩側端崖をかすかに見ることができる.


図2.1732年噴出物の分布域