薬師岳−第4活動期
構成
ユニット
薬師岳第4期溶岩(Y4),一本木原岩屑なだれ堆積物(Di),薬師岳溶結火砕岩(Yu),妙高岳スコリア(Ym),1686年噴出物(Iw-KS, Yk),1732年噴出物(Ya, y)

図1.薬師岳 第4期噴出物の分布図
 薬師岳−第4活動期は最近1千年前から現在に至るまで継続している噴火ステージで,14-15世紀および1686年,1732年にマグマ物質を放出する噴火活動が発生した.


14〜15世紀の噴火による堆積物
  この時期の噴火活動に関する古記録は現在のところ見いだされておらず,地質調査の結果に基づいた噴火活動の推移を伊藤ほか(1998)は以下の様に考えている.
 薬師火口から細粒のスコリアを放出する活動が繰り返された.この結果,山体の植生が破壊され,土石流が頻発するようになっていた.その後,比較的規模の大きな噴火活動が起こり,尻志田スコリアが噴出された.尻志田スコリアはそれまでの噴火活動により植生が失われていた山体に降り積もり,薬師岳火口丘上部では不安定さが増した表層部が一気に東部山麓に滑り落ちた.薬師火口東部の崩落壁がこのときの表層崩落の痕跡と考えられる.崩壊物は,山腹部の表土や火山灰層を巻き込みながら流下し,東部山麓に小規模な岩屑なだれ堆積物(一本木原岩屑なだれ堆積物:Di)として東部の山麓に堆積した.尻志田スコリア噴出後,薬師岳火口内でごく小規模な噴火活動が継続し,薬師岳山頂部に薬師岳溶結火砕岩(Yu)が堆積した.このほかに,スコリア丘および溶岩からなる妙高岳中央火口丘(Ym)が薬師岳火口内に形成されたと考えられる.また,この一連の活動とほぼ同時期に,西岩手−大地獄谷において小規模な水蒸気爆発が発生している.


図2.14-15世紀の噴火活動とそれに引き続く表層崩壊のプロセス

一本木原岩屑なだれ堆積物(Di)
 土井(1990a)が定義.尻志田スコリアを覆い,刈屋スコリアに覆われる.岩手火山東部の山麓部に分布する小規模な岩屑なだれ堆積物.構成物は,山腹から山麓の地表部で認められる降下テフラおよび黒ボク土・風化火山灰土に火山礫が散在するものが主体で,火山体中心部を構成している溶岩や溶結スコリアの成層部からなる岩塊相はほとんど認めることはできない.空中写真判読によると,複数のローブからなることが判断できる.
 伊藤(1999d)や土井ほか(1999c)により岩屑なだれ堆積物に含まれる木片の14C年代測定が行われ,14世紀〜15世紀中葉の結果が得られている.


図3.一本木原岩屑なだれ堆積物
 地表面近くのスコリア層を変形させているものが一本木原岩屑なだれ堆積物で,降下スコリアや黒ボク土を挟んで,黄土色の平笠岩屑なだれ堆積物を覆う

 図4.一本木原岩屑なだれ堆積物に認められるパッチワーク構造
 写真で黄褐色に見えているのは生出スコリア,淡黄白色の火山灰は大地獄火山灰1である.これらの火山灰層が黒ボク土と共に,折り畳まれ,小断層が発達する不規則な形状で取り込まれている.

薬師岳溶結火砕岩(Yu)
 薬師火口の標高点から北東斜面にかけての地域に分布する.溶結した火砕岩層.一部は薬師火口内に垂れ下がるように分布する


図5.薬師岳山頂部を覆う,溶結火砕岩層

 薬師岳標高点付近において,薬師岳火口内に垂れ下がるように分布する.単層層厚1m弱のスコリア層からなるが,強溶結と弱溶結が層理面に沿って繰り返す.

図6.薬師岳スコリア丘表層部を覆う,薬師岳溶結火砕層

 薬師岳スコリア丘の西〜北西斜面の地表部には,降下堆積したスコリア層が溶結し,覆っている.
[薬師岳火口北縁部]

妙高岳スコリア丘(Ym)
 薬師火口内に形成された火口丘で,溶結した火砕物および溶岩からなる.尻志田スコリア噴出後の噴火活動により形成されたと考えられる.1686年噴火により,南西山腹に新たな火口(御室[オムロ]火口)が開いた.



図7.妙高岳スコリア丘

 御室火口の開口により内部構造が露出する.主に強溶結した火砕岩互層からなり,東部の岩手山神社奥宮付近にはごく小規模な溶岩が流出している.東部山腹は噴気活動により,変質作用を被り,白色粘土化している.表面部は1686年噴出物に覆われる.

1686年噴出物
  江戸時代に薬師岳火山で発生した山頂噴火で,古文書記録から火山活動の時間的推移が判る.前兆現象として,噴火活動の10日ほど前から,柳沢集落周辺では岩手火山方向から鳴動があったとの記録が残されているが,詳細は不明である.西暦1686年3月26日(旧暦;貞享三年三月三日)には,山頂から噴煙がたち登っているのが盛岡城から目視され,噴火が確認された.ただし,前日(3月25日)早朝には盛岡城下に大音響が届き,北上川に樹木や家屋の一部が流れ着いていることから,爆発的な噴火はこの頃から始まっていたと思われる.降灰をもたらす噴火活動は,3月27日未明には終了していることから,噴火活動のクライマックスは数日間しか継続しなかった(伊藤,1989).
 この噴火は薬師火口内の妙高岳火口丘の側面に開いた御室火口で起こり,ベースサージ堆積物を伴う刈屋スコリア(Iw-KS)を噴出した.3月25日の大音響が,噴火初期のマグマ水蒸気爆発に対応される可能性がある.ベースサージ堆積物は,薬師火口東縁から不動平方向に流下したが,一部は南西側にも分布する.刈屋スコリアは山頂から北東および南東方向降下し,盛岡城下でも降灰が記録されている.刈屋スコリアが薬師岳火口丘頂部に厚く堆積した地域(地質図上でYkとして図示)は現在も裸地のままである.最盛期の噴火活動の後,数ヶ月間は御室火口から山頂部周辺に降灰やスコリアを放出したり,火口壁を広げる様な水蒸気爆発が小規模ながら継続していたが,これらの活動も年内に終息している.この噴火では3月25日〜27日に融雪型泥流が発生し,山麓部(現在の一本木周辺)で家畜と家屋4軒が被災した.

刈屋スコリア(Iw-KS)
 Inoue and Yoshida(1980)が定義した,岩手火山の南東から北東部を覆う,地表部付近の降下スコリア層で,薬師岳北東方向と南東方向に分布軸をもつ(土井,1990).スコリア層粒度組成の相違から少なくとも6つの降下ユニットから構成される.不動平付近では粒径3cm大の降下スコリアが認められるが,山麓部では火山礫サイズ以下の比較的細粒のスコリア層として認められる.下部には細粒火山灰.火山砂からなる火砕サージ堆積物を伴うが,その分布は薬師岳火山近傍域に限られる.



図8.山麓部に露出する刈屋スコリア

 刈屋スコリアはスケールがおいてある部分.境界が明確ではない層構造が認められるスコリア互層.粒度組成の相違から複数の降下ユニットに区分される.この露頭では上面が泥質の二次堆積物(地表から層厚約40cmのコゲ茶色で細かな層構造が認められるユニット)により覆われる.
[岩手火山東部山麓]


図9.8合目不動平周辺に露出する刈屋スコリア下部の火砕サージ堆積物

 刈屋スコリア下部の火砕サージ堆積物.8合目登山道沿いで層厚20cm〜数cmで,最大1mに達する部分もある.この露頭ではサージ堆積物の直上に粗粒スコリア層(狭義の刈屋スコリア)が覆い,両者が一連の噴火活動によって発生したことを示している.
[岩手山8合目付近の登山道沿い]

1732年噴出物
  薬師岳火山の北東部で発生した山腹噴火である.噴火活動に先立って,前駆現象として1732年1月20日(旧暦:享保十六年十二月二十三日)頃から北東山麓部(平笠集落)周辺で地震が発生し始めた.その後,1月21日深夜から22日にかけて,この地震活動が活発化すると共に,山腹にほぼ一直線に配列する複数の側火口が開き,スコリア丘(y)を形成するとともに焼走り溶岩(Ya)が流出し始めた.溶岩流出は1月30-31日迄までのほほ1週間継続した.側火口あるいは溶岩流分布域からは噴気や火山ガスがわずかに放出されていた様で,これは同年10月頃まで継続したらしい.溶岩流出による直接的な被害はなかったが火山性地震が頻発した為,北東山麓の住民が一時避難した(伊藤,1989).

焼走り溶岩(Ya)
 桜井(1904)が,岩手火山の寄生火山から噴出した最新期の溶岩流として初めて紹介した.植生が進出しておらず,溶岩流の原地形が良く保存されている.
 東部山腹の標高1200m付近に開いた側火口列から噴出した玄武岩質安山岩のアア溶岩流.刈屋スコリアを覆うことが確認されている(土井ほか,1986). 


図10.北東山麓から見た焼走り溶岩とその噴出源

 溶岩流の表面は直径数十センチの発泡した岩塊(アアクリンカー)に覆われるが,まれに,表面に丸みのある「溶岩球;lava boll」が認められることが橘(1978a)で報告されている.

[焼走り自然観察教育林遊歩道より撮影]


図11.噴出源付近から見た焼走り溶岩

 比較的急な山体斜面を流れ下る部分では,流路が限定され幾筋もの細い流れとなっている.これらの溶岩の流れは原地形に従って離合集散し,その過程で溶岩流の中に残された地域が点在することがある.このような溶岩の流れに取り残された地域は「キプカ;Kipuka」と呼ばれ,富士山や伊豆大島,ハワイ島の様な流動性の高い玄武岩質の溶岩流においてよく認められる.焼走り溶岩においても,中流域にキプカが発達しており,現在では溶岩流の中の植生が繁茂した島状地域として認められる.
[岩手山焼走り登山道より撮影]

焼走り溶岩を流出したスコリア丘(y)
 東岩手−薬師岳火山の東部山麓の側火口列に沿って,地形的に5つ(最下位のスコリア丘は植生に覆われて不鮮明)のスコリア丘が知られている(土井,1998).ただし,これらはいづれも,複数のスコリア丘が複合したもので,5つの火口グループが認められるといった方がより正確であろう.



図12.1686年噴火による側火口群と焼走り溶岩

 写真では,上位から下方に,第1スコリア丘(ここでいうスコリア丘は近接した複数のスコリア丘が一体化したものを意味する)から第4スコリア丘が認められる(第5スコリア丘は,この写真では認められない).焼走り溶岩の大部分は最も上位の第1スコリア丘から流出していると思われる.
 第2スコリア丘から第5スコリア丘はN62E方向に配列し,これらは一連の割れ目火口に形成された火口列と考えられるが,第1スコリア丘はこの配列方向の延長線上には存在しない.噴火様式・噴出物量の相違と火口配列から,第1スコリア丘と第2〜5スコリア丘は,それぞれ平行する2つの火口列からの噴火活動と考えることができる.
[焼走り自然観察教育林遊歩道より撮影]


図13.第2スコリア丘を構成する,最も山麓側の馬蹄形のスコリア丘と焼走り溶岩



図14.山麓側の馬蹄形スコリア丘を覆う小スパッターコーン

 山麓側に馬蹄形に開いた低平なスコリア丘で火口中央部は溶結している.写真手前の溶結部は,このスコリア丘を覆うスパッターコーン.第2スコリア丘におけるスコリア丘,スパッターコーンの複合状況は,山麓側から山頂側に噴火中心が推移した事を示している.
[岩手山焼走り登山道「第2噴出口跡」]