2:有史次代の噴火記録
諏訪(1971)によれば,秋田駒ヶ岳火山の有史での噴火は4回あったとされています.807(大同2)年,1890年12月〜1891年1月, 1932年7月21日〜7月26日,それに1970年9月18日〜1971年1月26日の噴火です.このうち,前2度の噴火については,記述があいまいで,真偽のほどが不明です.具体的な活動記録があるのは,1932年噴火と1970-71年噴火の2回のみです.
- 1932年噴火 -
前兆:1932年当時,入山する人が少ない上,荒天であったことも災いして,噴火開始のタイミングはよく分かっていません.ですから,何時までが前兆なのかも不明です.
7月21日朝,国見温泉で人体に感じる地震が認められました.7月24日に荒天をついて横長根(カルデラの南東縁)を通過した登山者が,「曇天で周囲は全く見えないものの,衣服に灰が付着するのを不思議に思った」という証言をしています.
噴火の概要:視界の開けた7月25日に,登山者が新火口を発見しました.北東-南西方向に配列した11個ほどの火口が形成され(
図2),ここから火山岩塊・火山礫・火山灰が噴出しました.最大の火口の大きさは,長径約70 m,深さ約18 mと記録されています.降灰は東方約15 kmまで確認されました.火口近傍に落下した岩塊や礫はいずれも,火口周囲を構成している岩石で,熱いマグマ由来の岩塊(本質岩塊)は噴出しなかったようです.つまり,水蒸気爆発の可能性が高いと言えます.噴火は1ヶ月後にはほぼ完全に終息しました.
噴火の影響:死傷者や家屋の損壊などは皆無でした.ただ,国見温泉の泉温は従来36.5 ℃と,体温並みであったのが,同年8月に45 ℃に跳ね上がり,以後,おおよそその温度が保たれているようです(現在の源泉温度は約55 ℃).
- 1970-71年噴火 -
1970年噴火は比較的静穏な噴火であったため,多くの見物人が繰り出し,一種の観光スポットになった感がありました.研究者も一斉に観測や調査を行い,多くの研究が公表されています(
写真).
前兆:8月29日,女岳山頂付近で噴気と地温の上昇が観測されました.また,9月上旬には国見温泉の泉温が上昇し,西麓の水沢温泉の成分含有量が変化した記録があります.ただ,泉温や泉質の変化が噴火の直接的な前兆かどうかは不明確です.地震はほとんど無く,噴火前2週間ほどで起こった火山性地震は3回にすぎません.
噴火の概要:9月17日5時24分頃に観測された地震が噴火の開始とされています.9月18日の夜20時〜22時頃,女岳山頂の噴火が確認されました.翌19日11時30分頃,溶岩の流出が目視確認されたのです.
女岳山頂にある火口の内,西端のものから噴火しました.噴出したマグマはストロンボリ式噴火をし(
写真),周囲に溶岩餅やスコリアを600 m程度の高さまで噴き上げては降らせ(
図3),火口跡を埋積した上に小規模な火砕丘(底径約150 m,比高30 m)を作りました.
その中央部の新火口には灼熱したマグマが池を作り,火砕丘の内部を通って旧火口の西縁から溶岩流として流れ出しました.溶岩流の前進速度は,噴火後の3日間は1日あたり約100 mでしたが,それ以降の6日間は日速約20 mになりました.10月2日に最大延長530 mになり,前進は終わりました.その後は溶岩流の幅と厚さが次第に増加していき1971年1月末には完全に停止しました(
図4).
地震はほとんど全てが噴火時や爆発時に起こった地震で,火山性微動は活動の末期にわずか観測されただけです.観測された地震は約33,000回,1日あたりの最多回数は10月10日の614回でした.
噴火の影響:死傷者や家屋の損壊などは全くありませんでした.



