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1983年の噴火の際に大きく沈降した山体は,一転して南西山腹を中心に膨張と隆起−マグマの蓄積−が続いた.1990年代後半には沈降分をほぼ回復し,近い将来に噴火が起こる可能性が高いと警戒されていた(津久井,1999). |
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| 図27 1979年〜1997年の三宅島の上下変動(国土地理院,1998) |
| 1983年噴火直後三宅島は沈降したが,その後定常的に隆起が続いていた.特に南西部の隆起量が大きい. |
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2000年6月26日18時30分頃から,活発な地震活動と急激な地殻変動が観測され ,19時33分緊急火山情報が発令された.翌日未明を境に山体は収縮・沈降に転じ(Ukawa et al., 2000b)、島内西部で開口性割れ目などの地変が認められたものの,6月28日朝には阿古沖の海底で小噴火があっただけで陸域では噴火は起こらなかった.地震の活動中心は三宅島から北西30kmにある神津島・新島近海に向かって移動していった.この変動はマグマの上昇とそれに引き続く側方への貫入をとらえたものである. |
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| 図28 2000年6月26日〜7月1日の地震活動の平面図,時系列および東西断面図.(酒井ほか,2001) |
| 震源が時間とともに西方へ移動している様子がわかる. |
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| 図29 2000年6月26日〜27日にかけて三宅島西部に形成された割れ目の分布. |
| アルファベットは割れ目群名称.(川辺ほか,2002a) |
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島内での地震活動は7月初めにはいったん沈静化したが,7月4日から山頂直下で地震活動が始まった.7月8日にはじめて小規模な噴火が山頂部で起こり,同時に雄山山頂付近直径1kmが陥没した.陥没火口では7月14〜15日,8月10日に噴火が起こった.8月18日夕方には直径50cmの岩塊が3.5km離れた都道にまで噴きとばされる噴火がおこり,そのときの噴煙は高度15,000mにまで上昇した.8月29日早朝には,30℃程度で時速10km以下と低温・低速度の“火砕流”が発生して北麓,南西中腹に流下した.山頂の陥没部分は日々拡大し,8月末には八丁平カルデラにほぼ重なる位置に,直径1.6km,深さ450mの大きさに達し,やや小さいがカルデラと呼べる大きさとなった(中田ほか,2001a,Geshi et al., 2002). |
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| 図30 主な噴火堆積物の層厚分布と8月18日投出物最大径(中田ほか(2001a)、総合観測班地質グループ長井雅史の原図による) |
| 陥没口の黒丸は推定される火口の位置 |
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| 図31 2000年噴火噴出物分布(伊藤ほか未公表資料) |
| 数字は2000年噴火の全噴出物の厚さ(単位mm) |
2000年噴出物の見かけ体積の総量はおよそ0.01km3(中田ほか,2001a)と,1940年,62年,83年に匹敵する噴出量であったが,その過半は既存の溶岩,変質した溶岩の砕屑物であって,本質物の割合は最も高い8月18日噴出物で40%程度である(宇都ほか,2001).一方,陥没した体積は噴出物の50倍以上に相当する0.6km3であった(中田ほか,2001a). 一連の火山・地震活動は1km3におよぶ大量のマグマが三宅島の地下の溜まりから北西へ移動したために陥没したと考えられる.神津島・新島2島間の距離はマグマの貫入と横ずれ変動によって1m近く伸びた(山岡,2000b). |
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| 図32 GPSによる水平変動ベクトル.2000年6月10-24日の14日間の平均と9月1-3日の3日間の平均とを比較.星印は気象庁発表のマグニチュードが6以上の地震の震源.(Kaidzu, et al. 2000) |
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2000年8月下旬からは噴煙及び二酸化硫黄などの火山ガスの放出量が増加し,降雨による泥流の多発などもあって,9月2日に三宅村から住民への避難指示が出され,全住民が島外に避難した.その後,世界的にもあまり例のない大量の火山ガスの放出が続いた(風早ほか,2001)ため,島民の全島避難が約4年半継続した.2005年2月1日に避難指示が解除され,ようやく住民の帰島が始まった. |
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| 図33 噴煙中の二酸化硫黄ガスの1日あたりの噴出量の変化.(気象庁,産総研,東工大データによる) |
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| 図34 北上空から見た三宅島火山2000年カルデラ |
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カルデラ内には,南部にカルデラ壁に寄りかかるような形で火砕丘があり,大量の火山ガスを放出している.カルデラ底北東部には2000年9月中旬に出現したマウンドがある.くわしい成因は不明だがここでは火砕丘とした.2000年9月以降大きな変化は認められないが,カルデラ壁の崩壊に伴い崖錐が発達し,特に大きな崩落に伴う岩屑なだれ堆積物がカルデラ底を広く覆う. |