活断層・火山研究部門地質調査総合センター



津波堆積物データベースホーム >地域の情報(静岡県)


地域の情報

静岡県 浮島ケ原

【静岡県富士市と沼津市にまたがる「浮島ケ原」で行った調査結果は,2006年から2008年 に活断層・古地震研究報告に掲載されました(藤原ほか,2006,2007,2008;小松原ほか,2007).また,それをまとめた結果は2016年にQuaternary Internationalに掲載されました(Fujiwara et al., 2016).以下に記述する地域の情報は,Fujiwara et al., 2016の解釈に基づくものです.】

 

浮島ケ原は,駿河湾の北岸に分布する砂丘で海から隔てられた低湿地です.浮島ケ原は非常に早い速度で沈降しており,これは駿河トラフや富士川河口断層帯に沿ったフィリピン海プレートの日本列島下への沈み込みや,この地域で起きる巨大地震と関連していると考えられています(たとえば,羽田野ほか,1979;Yamazaki et al., 2002).産総研では1990年代から,駿河トラフと富士川河口断層帯の活動性評価の一環として,この低地でボーリング調査などを実施してきました.特に平成17年度から21年度にかけては,浮島ケ原の堆積層から地震沈降の履歴を復元するため,多数の地点で掘削調査を行いました.

私たちの調査の結果,浮島ケ原の地層は泥炭層と粘土層の繰り返しからなることがわかりました.粘土層の堆積は,巨大地震に伴って低地が沈降し,そこに水域が広がって比較的乾燥した環境に生育する植物類(木本類など)が減少したためと考えられています(藤原ほか,2007;Fujiwara et al., 2016).地震に関係した沈降は100年から数百年に1回の間隔で繰り返していると考えられます.これらの報告は,歴史記録からは分からなかった駿河トラフや富士川河口断層帯の巨大地震の痕跡を見つけた点で画期的です.

浮島ケ原の泥炭層や粘土層には,時折,スコリアを主体とする砂層が挟まっています.その層厚は数㎜から厚いものでは数十㎝に達します.これらの砂層は浮島ケ原の内陸側に分布する扇状地に向かって厚く粗粒になる傾向があるので,低地に流れ込む河川からあふれ出た洪水の堆積物と解釈されています(Fujiwara et al., 2016).

引用文献

藤原 治・小松原純子・澤井祐紀(2006)静岡県浮島ケ原の湿地堆積物に見られる層相変化と南海トラフ周辺の地震との関係(速報).活断層・古地震研究,No.6, 89-106.

藤原 治・澤井祐紀・守田益宗・小松原純子・阿部恒平(2007)静岡県中部浮島ヶ原の完新統に記録された環境変動と地震沈降.活断層・古地震研究,No.7, 91-118.

藤原 治・入月俊明・三瓶良和・春木あゆみ・友塚 彰・阿部恒平(2008) 駿河湾北岸浮島ケ原の完新世における環境変化.活断層・古地震研究,No.8,163-185.

Fujiwara, O., Fujino, S., Komatsubara, J., Morita, Y. and Namegaya, Y. (2016) Paleoecological evidence for coastal subsidence during five great earthquakes in the past 1500 years along the northern onshore continuation of the Nankai subduction zone. Quaternary International, 397, 523-540.

羽田野誠一・津沢正晴・松島義章(1979) 駿河湾北岸の完新世垂直変動と測地的上下変動.地震予知連絡会会報,21,101-106.

小松原純子・宍倉正展・岡村行信(2007)静岡県浮島ヶ原低地の水位上昇履歴と富士川河口断層帯の活動.活断層・古地震研究報告,No.7, 119-128.

Yamazaki, H., Shimokawa, K., Mizuno, K. and Tanaka, T. (2002) Off-fault paleoseismology in Japan: with special reference to the Fujikawa-kako fault zone, central Japan. Geographical Reports of Tokyo Metropolitan Univ., no. 37, 1-14.

 

深さ0 mから4 mまでの柱状試料の写真(地点F-6).

深さ0 mから4 mまでの柱状試料の写真(地点F-6).黄色で示した部分には,厚い砂層や砂礫層が見られる.

コアの下部にあるObSは1500年前に富士山から噴出した大淵スコリア(藤原ほか(2007)の第3D図を改変).

 

静岡県 掛川市

【静岡県掛川市の海岸部(太田川低地)で行った調査結果は,2007年と2009年に公表しました(藤原ほか,2007,2009).また,太田川低地を含む南海トラフ沿岸の津波堆積物に関しては,Garrett et al. (2016) がまとめています.以下に記述する地域の情報は,藤原ほか(2007, 2009)の解釈に基づくものです.】

 

平成18年度から20年度にかけて,科学研究費補助金による調査「歴史・地質・地球物理学的アプローチが明らかにする想定東海地震震源域の地殻変動履歴」が行われました.これは,産総研が中心となった研究で,静岡県西部の海岸低地で地殻変動や津波の痕跡を検出し,安政東海地震および宝永地震の断層モデルを再検討するというものです.  

この地域を含む静岡県西部で歴史記録に残る最古の津波は,1096年永長地震によるものです.1498年明応地震,1605年慶長地震,1707年宝永地震,1854年安政東海地震でも,遠州灘沿岸には大きな津波が来襲したことが知られています.
太田川河畔に位置する元島遺跡では,湊を中心とした遺構が15世紀末で急に廃れることから,その原因として明応地震津波で被災したことが矢田(2005)などによって推定されていました.宝永地震については,元文四年(1739年)に書かれた『横須賀湊開水についての注進書』には,太田川低地周辺で強い揺れがあり,低地の南東部にあった横須賀湊周辺の土地が隆起したことなどが記述されています.また,17世紀に成立した『百姓伝記』と言う文書の中の『国々津浪物語』によれば,1680年の高潮で大波が横須賀湊の奥にあった横須賀城の土手(中土井)の前まで入ったとされます.この高潮によって太田川低地では大きな被害が出たことが,宝暦十一年(1761年)に書かれた『長溝村開発由緒書』から分かります.

一方,宝永地震の際に,太田川低地では津波による被害の記録は知られていません.また,文書記録では,安政東海地震による津波は太田川河口付近で一部の水田に浸水する程度だったようです.海岸の砂丘や川の土手を乗り越えて浸水被害を起こすほどは津波が大きくなかったのかもしれません.このように,遠州灘沿岸には繰り返し大津波が来襲しているにもかかわらず,太田川低地からは津波の確実な痕跡は未報告でした.そこで,歴史地震に伴う地殻変動や津波の痕跡を検出することを目的として,太田川低地で地層抜き取り装置(ジオスライサー)やハンドコアラーを使った掘削調査を行いました.

太田川低地では,低地東部の横須賀湊があったとされる周辺と,比較的沖積層が薄く掘削調査が容易と思われる低地西部で,ジオスライサー等を用いて計80地点で掘削調査を行いました.掘削深度は深いもので2.7 mです.その結果,粘土層やシルト層,あるいは有機質泥層中に砂層や砂質泥層が何層か確認されました.これらの多くは基底の侵食面や斜交層理を持つ,あるいは粘土礫を含むと言った特徴から,流水で形成されたイベント性の堆積物であることを示しています.約50試料の放射性炭素年代測定の結果によれば,これらの砂層の多くは過去2000年間に堆積したものです.これらのイベント堆積物のうち,歴史地震と時代が近いものが2つ有り,一つは15世紀後半~16世紀前半,もう一つは17世紀後半~18世紀のものです.前者は明応地震と時代が近いですが,年代推定に幅があるなど確実な対比には至っておらず,津波堆積物か否かはさらに検討が必要です.また, 後者は宝永地震と時代が近いですが,歴史記録との比較からは1680年の高潮による堆積物の可能性が高いと思われます.

太田川低地西部では,浜堤上に位置する遺跡から鎌倉時代よりやや古い地層から流水によると考えられる砂層が報告されています(磐田市埋蔵文化財センター編,1987).この砂層に対比される可能性がある堆積層が,遺跡の背後にある湿地からも報告されており,これは1096年永長地震による津波堆積物の可能性が指摘されています(藤原ほか,2008).永長地震の痕跡と判断できる堆積層は,横須賀湊周辺の地層からは現状では未確認です.

引用文献

藤原 治・小野映介・佐竹健治・澤井祐紀・海津正倫・矢田俊文・阿部恒平・池田哲哉・岡村行信・佐藤善輝・Than Tin Aung・内田淳一(2007)静岡県掛川市南部の横須賀湊跡に見られる1707年宝永地震の痕跡.活断層・古地震研究,No.7, 157-171.

藤原 治・小野映介・矢田俊文・海津正倫・鎌滝孝信・内田淳一(2008)完新世後半における太田川低地南西部の環境変化と津波堆積物.活断層・古地震研究,No.8,187-202.

藤原 治・小野映介・矢田俊文・海津正倫・岡村行信・佐竹健治・佐藤善輝・澤井祐紀・Than Tin Aung(2009)歴史と地層記録から確認された1707年宝永地震による遠州灘沿岸の隆起.月刊地球,31,203-210.

Garrett, E., Fujiwara, O., Garrett, P., Heyvaert, V. M.A., Shishikura, M., Yokoyama, Y., Hubert-Ferrari, A., Bruckner, H., Nakamura, A., De Batist, M. and the QuakeRecNankai team (2016) A systematic review of geological evidence for Holocene earthquakes and tsunamis along the Nankai-Suruga Trough, Japan. Earth-Science Reviews, 159, 337-357.

磐田市埋蔵文化財センター編(1987)浜部遺跡発掘調査報告書.14p.4図版,磐田市教育委員会.

矢田俊文(2005)1498年明応東海地震の津波被害と中世安濃津の被災.歴史地震,20,9-12.

 

OSK-19コアの写真.コア上部で,泥炭層を覆う泥質砂層が見られる.この砂層より上位では粘土層が堆積している.

砂層の堆積年代は17世紀後半~18世紀と推定されている(藤原ほか(2007)の第4図Aを改変).