地域の情報
青森県
青森県太平洋岸は日本海溝のみならず千島海溝で発生した津波の被害も受けてきた地域です(例えば,渡辺,1998).しかし,当地域の津波被害の歴史記録は1611年の慶長三陸地震以降の最近400年間に限られ(都司・上田,1995),それ以前の津波の履歴は明らかになっていません.また,津波堆積物の報告も少なくMinoura et al. (1994, 2013)の2件のみです.以上のような背景から,青森県太平洋岸における長期的な地震・津波の履歴とその規模を明らかにすることを目的に,東通村・六ヶ所村・三沢市の海岸低地で津波堆積物調査を実施しました.
東通村
【青森県東通村で行った調査の結果は2014年にJournal of Quaternary Science(Tanigawa et al., 2014)に掲載されました.以下に記述する地域の情報はTanigawa et al. (2014) の解釈に基づくものです.】
東通村小田野沢では海岸から約700m内陸に位置する標高4~7mの低湿地において,ハンドコアラーやハンディジオスライサー(図1),機械ボーリングを用いて掘削調査を実施し堆積物を採取しました.調査地域の地質は地下約3mまで主に泥炭層および泥層で構成され,堆積物中に含まれる種や葉などの放射性炭素年代測定の結果から,これらの地層は約6000年間かけて堆積したとみられます.この泥炭~泥層には淡水生の珪藻化石が多く含まれることから,この低地では河川による流水の影響の小さい,淡水の湿地や湖沼などの環境が過去約6000年間にわたって継続していたと推定されます.
この泥炭~泥層中には数百mにわたって連続する5層のイベント砂層(上位から順にS1,S2,S3,S4,S5)が見つかりました(図2).これらの砂層は石英に富む中粒~粗粒砂を主体としています.また,下位の明瞭な地層境界,上方細粒化などの特徴が見られるものもあり,これら砂層が突発的な強い流れによって運ばれ堆積したことを示しています.これらイベント砂層に含まれる珪藻化石の分析からは,5層のうち3層(S1,S3,S4)でその上下の泥炭~泥層にはほとんど産出しない汽水生の珪藻が見つかりました.S1,S3,S4には内陸に向かって薄層化する特徴もみられます.よって,これら3層は海からの遡上流によって内陸に運ばれたと考えられます.このうち,最も新しい西暦1480~1770年に堆積したと推定されるS1は,堆積当時の海岸線からも約1km内陸まで約300mにわたって分布しています(データベース上の青色のアイコンの地点).よって,S1は,その産状と分布範囲から高潮ではなく津波により堆積した津波堆積物と考えられます.
津波高の記録が残る1896年の明治三陸地震以降,青森県太平洋岸北部で3mをこえる津波高が記録されたことはありません(例えば,チリ津波合同調査班,1961;梶浦ほか,1968;Tanioka et al., 2004).津波堆積物S1は標高5m以上まで分布しており,最近約120年間に記録された津波高ではその分布限界まで浸水が及びません.本地域には明治三陸津波以前の浸水の記録はないため,この津波堆積物は本地域でこれまで知られる限り最大の浸水範囲を示しているとみられます.また,S1の堆積した年代から,この津波を引き起こしたと考えられる地震は西暦1611年慶長三陸地震,あるいは17世紀に千島海溝で起こった連動型地震(Nanayama et al., 2003)の可能性が高いと考えられます.しかし,まだ知られていない巨大地震である可能性も否定はできません.
同じく海からの遡上流により堆積したとみられるS3とS4は,それぞれ5300~4870年前と5540~5320年前に堆積したと推定されます(データベース上の緑色のアイコンの地点).これらも津波堆積物である可能性がありますが,堆積当時の海岸線の位置が不明なため,現時点では高潮の堆積物と区別することはできません.
図1 東通村でのハンディジオスライサー掘削風景
図2 最も東側の地点の柱状図,放射性炭素年代および津波堆積物S1
三沢市
【青森県三沢市で行った調査の結果は2014年に第四紀研究(谷川ほか,2014)に掲載されました.以下に記述する地域の情報は谷川ほか(2014)の解釈に基づくものです】
三沢市織笠では,海岸線から約700m内陸の標高7~11mの沖積低地および低位段丘上において,ハンドコアラーやハンディジオスライサーを用いて堆積物を採取しました.また,ピットの掘削も実施しました.調査地域の地質は地下約2mまで主に砂質泥層,泥層および火山灰層で構成され,深さ1~2mに分布する十和田中掫(ちゅうせり)火山灰の噴出年代から約6000年前以降に堆積したとみられます.砂質泥層および泥層からは底生の淡水生珪藻が多く産出しており,これらの地層は淡水環境で堆積したと考えられます.
砂質泥層と泥層中には2層のイベント砂層(上位から順にS1,S2)が見つかりました.S1は中粒~粗粒砂からなり,表面の耕作土の直下にパッチ状に4地点で確認されました.S2は中粒~粗粒砂からなり,海岸線より約700m内陸の地点から約1 kmにわたって連続的に層状に堆積しています(データベース上の緑色のアイコンの地点).S2とその上下の砂質泥層との地層境界は不明瞭です.これらイベント砂層に含まれる珪藻化石の分析を行ったところ,S1とその上下の砂質粘土層からはともに淡水生種に加え約5~30%の割合で汽水生種も出現し,珪藻化石群集に明瞭な変化はみられませんでした.S2とその上下の砂質泥層では全体的に珪藻化石の保存状態が悪く含有量も少ないため,種構成に偏りがみられました.しかし,S2の下位ではほとんど出現しない汽水生種がS2とその上位で増加する傾向がみられました.これらの珪藻化石分析の結果は,S1とS2が海からの遡上流,あるいは掘削地点背後(西側)の海成段丘構成層からの流れ込みにより堆積した可能性を示唆しています.
S1は堆積構造などが見られず分布も限定的です.また,S1より下位の地層から採取した種子は放射性炭素年代測定により現代の試料と判断されました .S1直上の耕作土とS1を含む砂質泥層の境界は比較的明瞭でしたが,S1のパッチ状の分布と年代測定結果からみて,これらの地層は近年の耕作により人為的な擾乱を受けている可能性が高いとみられます.よって,S1の成因にはいくつかの可能性が考えられ,津波もその一つですがその特定は困難です.
S2は標高6.5~9mに約1kmにわたって連続的に堆積し,その堆積年代は上下の地層から得られた放射性炭素年代から約4800~2900年前と推測されます.S2には内陸への細粒化や,地形的な高まりの内陸側で砂層が厚くなる傾向もみられます.これらの特徴は海からの遡上流によりS2が堆積した可能性を示しています.海からの遡上流には津波と高潮の両方の可能性がありますが,S2の分布する標高および分布範囲から判断して,高潮の可能性は低いと考えられます.しかし,後背地の海成段丘からS2が供給された可能性も否定はできません.よってS2の成因が津波であるかどうかは,周辺地域でさらに調査を進め,同時代の津波堆積物が発見されるかどうかを考慮に入れ,慎重に議論していく必要があります.
六ケ所村
【青森県六ケ所村平沼で行った調査の結果は2017年に活断層・古地震研究報告(谷川,2017)に公表しました.以下に記述する地域の情報は谷川(2017)の解釈に基づくものです.】
六ヶ所村平沼では高瀬川河口左岸に南北に広がる海岸低地で,ハンドコアラーを用いた掘削調査と,低地を南流する市柳川沿いの露頭観察を計82地点で行いました.平沼低地の地質は,表層の耕作土の下位に泥炭質粘土層や泥炭層(深さ約30~150 cm)が広がっています.放射性炭素年代測定および珪藻化石分析の結果から,当低地では約2500 cal yr BP(西暦1950年を基準に2500年前,つまり紀元前550年)から淡水の湿地のような静穏な環境が継続したと考えられます.泥炭層中には多くのイベント砂層が確認されましたが,その分布は限定的で低地の広範囲に連続するような砂層は見られませんでした.市柳川沿いの露頭で確認されたイベント砂層は約1400-1050 cal yr BPに堆積したとみられますが,その成因が津波かどうかは現時点で不明であり,高潮や洪水であった可能性も考えられます.また,今回の調査では最近約1000年間はイベント堆積物が確認されませんでした.これは,耕作などの人為的擾乱により自然の地層が失われた影響も大きいと考えられます.