水文環境図 No.11「大阪平野」 説明書

井川 怜欧1, 益田 晴恵2, 新谷 毅2, 三田村 宗樹2

1 (国研)産業技術総合研究所 地質調査総合センター
2 大阪市立大学大学院理学研究科

  目次

第1章 はじめに

 本水文環境図は,大阪府と兵庫県の一部の地域を含む大阪平野を対象としている。大阪平野には,後期鮮新世から完新世における厚い地層が堆積しており,その中に蓄えられた豊富な地下水は人々の日常生活のみならず工業や農業といった幅広い分野で利用され,本地域における経済活動の発展に寄与してきた。今や本地域は西日本で最大の経済都市を包括する。経済発展に伴う過剰揚水により,地盤沈下や塩水化などの地下水障害が生じたため,一部の地域では現在でも地下水の揚水規制が実施されているが,地中熱利用をはじめ,資源として地下水が本地域の発展に果たすポテンシャルは大きい。このような背景にも関わらず,大阪平野では平野の規模や深部の地下水情報の乏しさから地下水流動に関する総合的な検討は実施されてこなかった。しかしながら2014年7月に施行された水循環基本法に伴う水循環基本計画では,流域単位での地下水を含む水資源の一体的かつ総合的な管理が推奨されており,学術的な知見に基づく,大阪平野における広域地下水流動系の把握は,今後の適切な地下水利用に向けて避けて通れない課題である。本水文環境図では,過去に実施された水文地質調査研究の結果をもとに,大阪平野における帯水層構造を4つに区分し,それぞれの帯水層における地下水の情報を整理・編集した。

*本稿には,大阪平野に位置する自治体や行政区等の固有名称が多数使われております。より文章を理解していただくために,末尾に付図として白地図を掲載しておりますので,適宜ご参照ください。

第2章 地形・地質・地域の情報

 大阪平野は大阪湾と合わせて周辺を低山地に囲まれた一つの堆積盆である。ここでは,この堆積盆を大阪盆地と呼ぶ。大阪盆地は北を北摂・六甲山地,西を淡路島,南を和泉山脈,東を生駒・金剛山地に囲まれた南北60 km,東西120 km程度のいびつな楕円形をしている(図1←ここをクリックするとマップ画面に対応する図が表示されます。)。盆地の西側を占める大阪湾に対して北東〜東に広がる陸域が大阪平野である。大阪湾の最深部は淡路島北東部の-60 mであり,大阪平野沿岸部に向かって水深が浅くなる。したがって,盆地全体を俯瞰して地形や地質史を概観すると,平野の成り立ちが理解しやすい。本章では,堆積盆地の一部としての大阪平野の現在の地形,表層と地下の地質,盆地の形成史を概説する。詳細については既存の教科書(例えば,日本地質学会編,2009など)や本稿の引用文献などを参考にしてもらいたい。


図1  大阪平野の地形図

2.1. 大阪平野と周辺の地形

 大阪盆地の周辺山地の最高標高は東南端の金剛山の1,125 mであり,西北部の六甲山の934 mがそれに次ぐ。さらに,六甲−北摂山地,生駒山地,金剛山地,和泉山脈,淡路島と300〜500 m程度の高さの稜線が連続している部分が卓越している。基盤岩が露出するのは概ね100 mより標高の高い場所で,それより低い部分は鮮新世後期〜第四紀の堆積物が分布している。特に山麓では,西北部から東まわりに伊丹台地,千里丘陵,枚方丘陵,寝屋丘陵,泉北丘陵,泉南台地と名付けられた地形が分布している。泉北丘陵は大阪平野南部に広がっており,その一部が北に延びて上町台地となっている。上町台地の標高は大部分が10 mを超える程度であり,大阪城周辺の自然地形で20 m程度である。大阪平野の低地部は上町台地を境として東西に分けられる。便宜的にここでは東部を河内平野,西部を西大阪平野と呼ぶこととする。海抜0 m地帯は大阪湾奥部に接する大阪市や尼崎市を中心に広がっている。後述するが,この地域は第二次世界大戦後の高度成長期に地盤沈下がもっとも進んだ地域である。

2.2. 大阪平野と周辺の気候

 大阪平野は瀬戸内式気候で年間を通じて比較的温暖である。記録のある1883年から2018年までの大阪市内の平均気温は15.8℃,年間平均降水量は1340 mmである。気候変動によって観測開始時から平均気温は上昇してきたが,2000年代以降は高止まりしている(図2)。また,大阪最北の自治体である能勢町などの山地や比較的人口密度の低い所では,平野部よりも平均気温が低い(図3)。ただし,関西空港や八尾市などの大阪湾や大阪平野内陸部では,大阪市内と気温は大きくは違わない。したがって,気温の変動は,単に社会活動だけでなく,地形にも大きく影響されると言える。大阪盆地は周囲を低山地に囲まれており,夏期には紀伊水道から南風が流入するが,北へ抜ける通路がない。このような地形的特徴が,気候変動やヒートアイランドによる大阪平野における気温の上昇を手助けする要因となっている。一方,近年,最高気温は年ごとの変動幅が小さくなっているが,最低気温はわずかではあるが低下する傾向が見られる。このことは,気候変動に伴ない,気温の変動幅が大きくなっていることを示している可能性がある。年間降水量は,年代ごとに変動はあるものの,現時点では特定の変動の傾向は見られない。


図2  大阪市内の気象データの変遷

図3  大阪平野における地域別気温変動

2.3. 大阪平野の水系

 大阪平野に流入する大規模河川は西から東まわりに,武庫川,猪名川,淀川,大和川であり(図4),最大の河川は淀川である。琵琶湖から流出する宇治川,布引山脈を源流とする流路99 kmの木津川,丹波高原を源流とする流路114 kmの桂川の三川合流地点より下流が淀川である。幹線流路延長(宇治川と淀川)は75.4 kmと日本で第44位であるが,大阪・兵庫・京都・滋賀・奈良・三重の2府4県を含む流域面積は8,240 km2と日本で8位,支流数は965本で日本第1位である。淀川はたびたび決壊して大規模な洪水を起こしている。現在の淀川本流の最下流部である新淀川は,この洪水被害の対策として1910年に完成した人工河川である。淀川最下流に1964年に長柄可動堰が大川と新淀川の分岐点の上流に作られた。この堰ができる以前は,京都盆地との境界に近い枚方大橋付近まで海水が遡上していた。現在の大堰はそれを改良して1983年に完成したものである。
 猪名川水系は北摂山地を源流域としている。北摂山地の小河川の多くは猪名川または神崎川を通じて大阪湾に流出するが,東側の小河川の一部は直接淀川に流入している。武庫川は六甲山地を迂回して大阪平野に流出している。
 大和川は大阪平野に流入する河川としては淀川に次ぐ規模である。笠置山地を源流域として流路延長68 km,流域面積は1,070 km2である。現在の大和川は大阪平野を東から西に流れて堺市で大阪湾に流出している。しかし,これは江戸時代(1704年)に開削された人工河川である。それ以前は大阪平野に流入直後に北流し,分岐して複数の河川となって淀川に流出していた。生駒山地にほぼ平行に北流する恩智川などが旧河道である。河内平野はこれらの河川に沿って低湿地帯が広く分布しており,洪水に悩まされていたため,洪水対策として流路変更が行われた。大阪平野周辺では,南の金剛山地・和泉山脈に源流を持つ石川が最大の支流であり,西を流れる西除川がそれに次ぐ。この地域には後述するように更新世の地層が広く分布し,水はけがよい。瀬戸内式気候で降水が少なく,大規模な河川が少なかったため,古代から農業用のため池が多く作られた。西除川・東除川の分岐地点である狭山池は行基が築造した日本最古のため池と伝えられる。大和川より南には大きな河川はなく,和泉山脈を源流とする小規模な河川が多く流れている。
 大阪平野の地形は網状に走る河川の水を排出しにくく,洪水などの水災害が発生しやすい構造を持っている。洪水などの水害については「付録A-2 大阪平野の開発と水災害」に述べる。


図4  大阪平野における水系図

2.4. 大阪平野における活断層

 大阪平野と周辺の地形は活断層が作ったと言っても過言ではない。この地域は,日本の中でも特に活断層が高密度に分布する地域である(図5)。活断層はフィリピン海プレートの沈み込みに伴う近畿地方全体を包含するテクトニクス場と関連して活動している。このことについては、「付録A-1 大阪平野のテクトニクス」に詳述する。大阪盆地の周囲を囲む低山地と平野との境界部は全て活断層である。後述するように過去の研究においてこれらの活断層は,表層から深部帯水層への涵養経路や深部流体の上昇経路として機能していることが報告されている。大阪平野の北の境界は川西-高槻断層帯である。この断層帯は西方の淡河-湯槽谷断層に連続して六甲山地の北端の境界となっている。大阪平野の東の境界は生駒断層帯と総称される。生駒断層帯の南には富田林断層帯(羽曳野起震断層)があり,東西方向に向きを変えて内畑断層帯につながっている。これら二つの断層帯は金剛山地−和泉山脈を挟んで東−南側の中央構造線とほぼ平行に走っており,中央構造線から派生する断層帯であるとみなされている(市原ほか,1986; 宮田ほか,1993)。大阪平野の低地から大阪湾南岸に沿って上町断層帯がほぼ南北に走っている。この断層帯は南部では二股に分岐し,大阪湾岸では泉南断層帯となる。上町台地は標高10~20 m程度の微高地で,西側は比較的急傾斜の坂であるが,これは断層崖ではない。断層崖が海岸浸食によって内陸側に削られた結果形成された海食崖である。平野の北部と南部における東西方向の走行を持つ断層は横ずれ成分の大きい断層であるが,南北方向の走行を持つ上町断層帯と生駒断層帯に属する断層の多くは逆断層であり,上盤側の地塊は東側に傾動している。


図5  大阪平野における活断層分布図
(産総研 地質調査総合センター活断層DBより引用)

2.5. 大阪平野と周辺の地質

 大阪平野ならびに周辺の地質は,大局的には,低地部を構成する後期更新世~完新世の堆積岩類,台地や丘陵を構成する更新世の段丘堆積物や堆積岩類,ならびに周辺の山脈などを構成する中新世以前の基盤岩類から成る(図6)。基盤岩は主に,花崗岩類と安山岩類で構成されており,山地に降った雨は基盤岩に沿って低地部へ集まるような構造となっている。
 大阪平野と大阪湾の基盤岩深度と地下の層序は,多くのボーリング調査や反射法地震探査・音波探査などの地球物理学的探査により明らかにされてきた。大阪湾内で最初に行われた音響探査によって,淡路島から東方7 kmほどの海底に甲陽断層につながると推定される大規模な断層を発見された(早川ほか,1962)。この断層は,後にエアガンを用いた音響探査により確認された大阪湾断層(図5)であろう。このとき,大阪湾断層東側の堆積物の最深部は3 kmに達するものと推定された(岩崎ほか,1990;1994)。その後行われた複数の反射法探査により,大阪湾断層直近では堆積層の厚さは最大で2,700 mを超えていることが確認されている。しかし,断層の南方と陸上の断層のつながりはよく分かっていない(横田ほか,1997; 横倉ほか,1998; 岩渕ほか,2000など)。この堆積物の厚さが大阪湾内での基盤岩深度に対応する。


図6  大阪平野の地質図(産総研地質調査総合センターシームレス地質図を一部簡略化)

 図7は,大阪府(2004)によって報告されている大阪平野における基盤岩の上面深度の標高データに未公開のデータを加えて作成した標高図である。大阪平野地下の基盤岩深度は低地では最大深度が1,500 mに達する。千里丘陵−上町台地をつないで地下では基盤岩が隆起しており,上町台地直下では基盤岩深度は-660 mである(吉川・三田村,1999)。上町台地はむしろ丘陵と呼ぶ性質の地形であり,藤田(1988)は,この地下山脈を「大阪山脈」と呼んだ。


図7  大阪平野における基盤岩上面の標高図

 平野に露出する地層は低地部から丘陵部に向かって古くなる。低地部には約1万年前以降,最終氷期最寒冷期終了後の海水面上昇に伴って形成された完新世の地層が広く薄く分布している(図6)。大阪平野の第四紀堆積物には,間氷期の海進時に堆積した20層の海成粘土層が認められ(吉川・三田村,1999),そのうちの15層に名前がつけられている(図8)。海成粘土層は,火山灰層とともに大阪平野の層序を組み立てる際の鍵層となった。最上位の海成粘土層(Ma13)は最終氷期後の温暖期の海進(縄文海進:約7,000年前)により堆積したものである(図9のBP 6,000-7,000)。この海成粘土層の分布域は,最近の洪水などの水災害の被災地域と重なることも多い。これについては付録A.2に詳述する。


図8  大阪平野における帯水層区分

図9  縄文時代初期以降の海域の変化(鈴木ほか, 2013より引用)

 平野周縁の山麓に広がる丘陵に分布する地層は更新世の地層からなる。その上位には,新しい時代から古い時代に向かって低位・中位・高位段丘層からなる地層が分布し,台地を形成している。これらの段丘層にはMa12~Ma9の4つの海成粘土層が挟在している。西大阪平野と河内平野を分けている上町台地にもこれらの堆積物が分布している。段丘堆積層の下位で,不整合で接する堆積物は大阪層群と総称されている(図8)。大阪層群の標準層序は,大阪北部・神戸・西宮・千里山・枚方などの丘陵地に分布する地層を対比して編纂された(市原,1993)。大阪層群は上位から下位に向かって,上部・下部・最下部と分類されている。上部は主に砂層・砂礫層からなり海成粘土層をはさむ。下部は河湖成層の砂礫層を主とし淡水成のシルト層をはさむ。最下部は河湖成層の礫層・砂礫層を主とし,砂層・シルト層をはさむ(宮地,2009)。
 図8に示した通り,平野低地部の地下の第四紀堆積物は,上位から難波累層・田中累層・都島累層の3つに分類されている。完新世の地層は難波累層である。難波累層中に存在するMa13の最上位面の深度は地表から10 m程度で,厚さも10 m程である地域が多い。最大深度は大阪湾岸で35mである(市原,1993; 伊藤ほか,2017)。大阪平野では完新世と更新世の境界が分かりにくいところが多いとされているが(市原,1993),境界は深度50 mより浅いところが多い。最下部は厚さ4~10 mの砂礫層を主体とし,淀川・猪名川・大和川の旧流路に沿って分布する。これらの河川の旧流路は下位の田中累層最上部を削剝しており,大阪港付近の地下ではMa12の上半部まで浸食している(三田村,2009)。この礫層は,大阪平野低地部では天満層と呼ばれ,低位段丘層に対応する地層であり,優良な地下水帯水層として知られている。
 難波累層下位の田中累層は,最下位海成粘土層であるMa-1(1.24Ma)を基底とする地層である。田中累層のMa9より上位の地層は,丘陵地における段丘層に対応する地層であり,一部が上町台地に露出している。田中累層の基底深度は上町台地直下では-200 m,低地部では-600m付近にあるが,西大阪平野では-680 m程度に到達する地点もある(図10;三田村(2004)に未公開データを加えて作成)。Ma-1より下位は淡水成の地層からなる都島累層である。都島累層の上部は主に砂・砂礫層からなる。中部は砂層主体の砂・シルト・粘土の互層,そして下部はシルト・粘土・砂の互層である(吉川ほか,1998; 吉川・三田村,1999)。


図10  大阪平野における田中累層基底面(Ma-1下面)の標高図

第3章 水文地質情報

3.1. 大阪層群層序と帯水層

 本項では,大阪平野の帯水層に着目して,地質構造との対応を説明する。先述したように,平野部には,最上位に完新世の難波累層,その下位に海成層−淡水成層の互層である田中累層,さらに下位には淡水成層のみからなる都島累層が分布する。不圧地下水は完新世の海成粘土層であるMa13の上位に存在するが,現在ではほとんど使われていない。理由としては,Ma13が分布する低地では,地下水取水規制がされている地域が多いことがあげられる。しかし,浅井戸の多くが取水規制にはかからない家庭用井戸であることを考慮すると,不圧地下水が使われなくなった最も大きな理由は,水質悪化による地下水開発の停滞ならびに既存井戸の廃止と推察される。実際に高度成長期には低地全体に地下水汚染が進むと同時に,西大阪平野では塩水化も進行していた。難波累層最下部より下位にある礫層は,大阪市内では天満礫層と呼ばれ,優良な帯水層(第一被圧帯水層)である。天満礫層の深度は−30 m程度までのことが多いが,厚い場所では−50 mまで見られることもある。この帯水層からはかつて大量の地下水が汲み上げられていた。天満礫層より下位の田中累層では幾層かの難透水性の海成粘土層が帯水層を分離している(図8)。自治体の水道や民間の専用水道などに用いられる井戸は深度100〜300 m程度のものが多く,田中累層の中で特に重要な帯水層は,低地ではMa6より上位に存在する。Ma6は河内平野で−200 m程度まで,沿岸部の最も深い場所で−280 m程度までの深度に分布する(吉川・三田村,1999)。田中累層下位の都島累層には難透水層となる厚い粘土層が欠如しているため,帯水層は上下で連続的である。
 本水文環境図では,粘土層の連続性に注目し帯水層区分を行った。平野内に広く分布するMa9とMa-1の下面,ならびに基盤岩上面を境に,上位から第1~第4帯水層と定義した(図8)。第1帯水層は不圧帯水層を含み,段丘層または段丘相当層を帯水層としている。第1帯水層には,河床底や海岸を通じて表層水圏との間で水の流出入が認められるが,それより下位の帯水層は,地表との接続が極めて局所的である。後述する複数の水文地質データについては,上述の帯水層区分に基づき,帯水層ごとにデータ整理を行った。

3.2. 大阪平野における各帯水層の比湧出量分布

 地下水の流動は降水量,地形,地質,動水勾配,帯水層の構成物質や構造など複数の要因に依存する。一般的に,帯水層の構成物質の粒径が大きい,すなわち透水係数が大きいほど,あるいは動水勾配が大きいほど,地下水の流動性は大きくなる。帯水層における透水係数の算出には,通常,揚水試験を行う必要があり,この試験は井戸の施工時に井戸の能力調査の一環として実施されるケースが多い。しかしながら,実務的には揚水量のみが着目されるため,データとして残されているケースは非常に少ない。大阪平野には,工業用水や農業用水など様々な用途で掘削された井戸が,1,000箇所以上存在することが国土交通省が発行の全国地下水資料台帳に記録されているが,これらの井戸における透水係数データは記録されていない。しかし,井戸の揚水能力を把握するために揚水量を水位降下量(自然水位-揚水水位)で除した比湧出量は掲載データより算出可能である。通常,帯水層における透水性が低いほど,揚水量の増加に伴って水位降下量は大きくなり,結果として比湧出量は小さくなる。このことから,比湧出量は間接的に帯水層における透水性の指標となりうると考えられ,この値は国内外の数多くの地下水データ集に記載されている。本水文環境図では国土交通省土地水資源局(2011)に記載されている揚水量,自然水位,揚水水位のデータから比湧出量を算出し,各帯水層における特徴(表1)と空間的な分布傾向(図11(a)~(d))を示した。
 大阪平野においては,主に第2帯水層からの取水が多い(表1)。また深度に依存して,最大比湧出量も増加する傾向があり,平野全体として高い地下水の供給能力を有している。一方で平均値を見ると基盤岩を主体とする第4帯水層の比湧出量が最も低い値を示しており,堆積層と比べて基盤岩からの多量の揚水は見込めないことがわかる。
 図11(a) に示されるように,第1帯水層における井戸の分布は図8や図10で示した大阪平野における各帯水層の基底面の低標高部と一致している。第1帯水層の基底面はMa9下面に該当するが,その形状は他の帯水層と同じである。このことは,堆積物が厚い地域において積極的な地下水開発が行われてきたことを意味する。西大阪平野において比湧出量は相対的に平野の北部や沿岸部で大きい傾向が見られ,河内平野では大きな地域差は見られない。図11(b) に示されるように第2帯水層から取水している井戸は非常に多い。そのため分布図から地域的な傾向を見つけるのは困難であるが,第1帯水層と同様に比湧出量は平野北部と沿岸部で比較的大きく,また千里丘陵や泉北丘陵などの丘陵地で小さいように見える。第3帯水層では井戸の分布は限定されるが,平野の中央部や淀川の源流である三川合流部から高槻の付近で高い比湧出量が見られる。また第2帯水層と同様に千里丘陵や泉北丘陵の付近では比湧出量は小さな値を示す(図11(c))。第4帯水層は基盤岩であるため,井戸の分布は平野の周辺地域に限られている(図11(d))とともに,極めて大きな比湧出量を持つ井戸は確認されないが,第3帯水層と同様に,三川合流部から高槻にかけて相対的に高い比湧出量が見られた。

表1  各帯水層における比湧出量の特徴


図11(a).第1帯水層における比湧出量分布

図11(b).第2帯水層における比湧出量分布

図11(c).第3帯水層における比湧出量分布

図11(d).第4帯水層における比湧出量分布

第4章 地下水位情報

4.1 大阪平野における地下水位変動

 4.2や4.3で詳述するが,大阪平野では地下水は貴重な水資源であったため,戦前から戦後にかけて大量に揚水が行われた。その結果,地盤沈下や塩水化などの地下水障害が発生した。1950年後半から1960年前半にかけて,平野に位置する複数の自治体では工業用水法に基づく揚水規制がなされ,また数多くの観測井が設置された。現在では,水資源の大部分を地表水へと転換したこともあり,観測井の数も減少傾向にある。本水文環境図では,地下水地盤環境に関する研究協議会(2017)にて報告されている国土交通省,大阪府,大阪市が管理する計60本の観測井の水位観測データから第1帯水層に該当するものを選別し,1980年から2015年までの合計5枚の地下水位分布図を作成した。今回作成した地下水位分布図は,本稿で定義したMa9下面までの第1帯水層に関するものであり,Ma9層より上位の段丘堆積物や砂礫層中の地下水の細かな挙動を示すものではない。さらに,使用した井戸の数についても新設や廃止などにより,年代ごとに状況が変化している。ここでは例として最も古い1980年と最も新しい2015年の地下水位分布図をそれぞれ図12(a)図12(b) に示す。これらの図からわかるように,1980年には大阪市と東大阪市と八尾市の境界部,ならびに大東市と東大阪市の境界部において大きな地下水位の低下が見られた。大阪市と堺市の沿岸部にも同程度の地下水位の低下があるように見える。しかし,いずれも2015年にはかなり解消している。大阪平野の第1帯水層中の地下水位は,25年以上の歳月をかけて自然状態まで回復したといえる。


図12(a).第1帯水層における地下水位分布図(1980年1月)

図12(b).第1帯水層における地下水位分布図(2015年1月)

4.2 大阪平野における水利用量の変遷

 大阪府域の上水用としての総取水量は1990年の年間14億m3をピークとして減少傾向にあり(図13:大阪府健康医療部環境衛生課,2016;大阪府総務部統計課産業構造グループ, 2016),2016年度(平成28年度)では11.29億 m3である。水源としては淀川への依存度が90%を超えている。これは,府内を流れる河川が小規模で流域が小さく,流況も不安定なためである。大阪府健康医療部環境衛生課(2016)によると大阪府内における上水道水源としての地下水取水量は上水道使用量の減少に伴って減少しており,水道原水としての井戸水や湧水などの地下水の年間取水量は2016年度で5,800万 m3である(図14)。
 大阪府では一部の自治体を除いて,自家水源を用いた専用水道を持つ自治体やそれらの水源井の数についての情報はインターネットを通じてデータが公開されている(www.pref.osaka.lg.jp/attach/4823/00015770/16.xls(2019/2/1確認))。公開データによると,専用水道を持つ自治体は北摂地域を中心として,山地を後背地に持つ地域の自治体に多く見られる。このような地域では,良好な水質を持つ地下水が豊富に得られる。一方で,地下水取水制限が行われている低地部の自治体では専用水道は多くなく,南部では水源井を持たない自治体が多い。4.3に後述するが,低地部や南部では,地下水が大量に得にくく,水質があまり良くないことなども開発が進められてこなかった理由であろう。
 近年,水道代節約と災害時用の緊急水源を目的として,地下水を水源とする専用水道を敷設する民間施設が病院などを中心として増加している。これらの専用水道は,府域全体に分布するが,大阪市内と堺市内には少ない。また,東大阪市と枚方市は全域で地下水取水を原則禁止しており,高深度の温泉井戸を除いては,地下水利用が行われていない。摂津市では1999年以降に新規の井戸掘削は禁止されている。


図13 大阪府の上水給水総量の経年変化
(大阪府総務部統計課産業構造グループ, 2016より引用)

図14 大阪府における上水道の水源別取水量
(大阪府健康医療部環境衛生課(2016)より転載)

 府内での工業用水使用量は1970年をピークとして減少している(図13)。その理由は1990年代後半から,施設内で回収・処理して使用する回収水の利用が進んだためである。回収水利用量が最後に公表されている2015年(平成27年)では,1日あたりの工業用水総使用量約422万m3に対して回収水は87.8%の約370万m3を占めていた(大阪府,http://www.pref.osaka.lg.jp/toukei/pref_mfg_top/land_water.html)。また,工業用の淡水の大部分は工業・上水用水道から供給されている。2016年度実績で,1日当たりの淡水使用量50万7,991 m3のうち,工業用水道32万9448 m3,上水道9万2571 m3に対して,地下水が占める割合は13%程度の6万6239 mm3であった(大阪府総務部統計課産業構造グループ, 2016)。水使用量が多い産業は化学・鉄鋼分野であり,工業用水道からの取水が大部分を占めている。一方,食料品・製紙・ゴム製品などの産業では,水使用量に占める地下水依存度が高い。大阪府の公表データから試算した割合は,2016年度で,それぞれの産業で,40.8,57.0,50.0 %であった(大阪府総務部統計課産業構造グループ, 2016)。


図15 大阪府・兵庫県阪神地区の地下水使用量の推移
(大阪府環境農林水産部エネルギー政策課企画推進グループ,2017より一部引用)

 大阪府は2008年に一定規模の地下水利用者に対して,年間取水量の届出を義務化した。その結果,府域での地下水利用量がそれ以前よりは正確に把握できるようになった(大阪府環境農林水産部エネルギー政策課企画推進グループ,2017)。2008年には届出業者が増加したために,取水量が見かけ上増えているが,その後は漸減の傾向にある(図15)。2016年では1日当たり26万m3である。このうち水道原水としての地下水量は日量約16万 m3であることから,府域の地下水の6割程度は飲用を主とする生活用水として用いられていると言える。また,取水深度が600 mを超える井戸は浴用目的で取水されている。府域には山間部も含めて,温泉として掘削された井戸が約170ある。これらの井戸には使われなくなって放置されたものも多く,現在使用されているものは100を超える程度である。枯渇や水質変化に伴って使用が停止されることもあることから,高深度の地下水は資源量そのものが少ない場合もあると推定される。図15に環境省(2018)から抽出した兵庫県阪神地区の上水(西宮市・伊丹市・宝塚市・川西市)と浴用地下水(神戸市,尼崎市,西宮市,芦屋市,伊丹市,宝塚市,川西市,三田市,猪名川町)の取水量の合計を示した。工業用水については届け出が義務づけられている尼崎市・西宮市・伊丹市で71井戸あり,取水量は平均約3.8千m3/日であった。このことから,大阪府域同様に,阪神地区においても上水や浴用水に比較すると工業用水の割合は小さいと言える。また,図15に示した通り,阪神地区では年々,地下水の揚水量が減少しているが,浴用の地下水取水量は大きくは変化しておらず,主に上水用地下水の取水量の減少(2005年:約11万 m3/日→2016年:4万 m3/日)が主な要因である。
 届出の義務のない浅井戸の数は把握できないが,災害時協力井戸の登録数は参考になる(図16)。これは,1995年の阪神・淡路大震災に機に開始された制度で,大規模地震災害などが発生した場合の緊急用水源を提供できる井戸を所有者の協力の下で自治体が管理・登録しているものである。大阪府健康医療部環境衛生課 水道・生活排水グループ(2019)のように一部の自治体では井戸の所在地をホームページで公開している。ただし,大阪市,堺市,東大阪市,高槻市,尼崎市,川西市では制度を設けておらず,伊丹市のように制度はあっても登録がなされていない自治体もある。また登録した後に井戸を破棄したとしても,登録解除の申し出は任意となっているため,この図から現存する完全な井戸数を把握できるわけではない。しかしながら,本図に示されている井戸の総数は1,500を超えており,平野全体にまんべんなく存在することから平野内の地下水が現在でも日常生活の中で一定の役割を果たしていることが伺える。登録制度を持つ地域内では人口の多い自治体で登録数が多いことから,井戸の地理的分布に自然的要因による大きな偏りはないものと推定される。登録井戸の多くは家庭用の浅井戸であり,普段は庭や菜園での散水などの雑用水として用いられているが,総揚水量はそれほど大きくないと推定される。


図16 大阪平野における災害時(震災時)協力井戸の登録件数分布

4.3 地下水障害 -地盤沈下と塩水化-

地盤沈下

 大阪平野の地盤沈下は1885年に当時の陸地測量部(現国土地理院)が行った一連の水準測量によりその兆候が見られた。地盤沈下現象が注目されたのは,東京では1922年(大正12年)の関東大震災直後,大阪では1928年(昭和3年)の丹後地震前後であったと言う。そのためか,地盤沈下は大地震の前兆現象と懸念されて水準測量が反復実施されたが,結果として住民の不安を高める社会現象になったと伝えられている(和達,1970)。1936年(昭和11年)に大阪に災害科学研究所が設けられた。1938年に天保山に最初の地盤沈下観測所が設置され,翌年には九条観測所も設置された(中町,1977)。この当時,明治以来の積算沈下量は1.2 mに達しており,西大阪と尼崎の海岸地帯で,年間沈下量が最大で18 cmに及んだ(和達・廣野,1942)。災害科学研究所初代所長であった和達らの一連の研究によって地盤沈下量と地下水位に明瞭な相関があり,地盤沈下の原因は地下水の過剰揚水による水圧低下とそれに伴う圧密加速であることが指摘された(廣野・和達,1939;和達,1940;和達・廣野,1942)。すなわち,地盤沈下の原因は過剰揚水による帯水層の水圧低下に伴って上下の固結していない粘土層から間隙水の絞り出しが起こることに起因している。固結していない海成粘土層は間隙水が減少すると間隙率が低下する。和達・廣野(1942)は最上位の被圧帯水層(天満層)からの取水のみを仮定して地盤沈下量を推定したが,その結果は沈下量の4割程度しか説明できず,さらに下位の帯水層からの取水の影響も考えなければならないことを指摘した。地盤沈下は地下水利用が低下した第二次世界大戦中にはいったん沈静化したが,終戦後は急速に進行した。このことは,和達らの説明の正しさを示すものであった。
 1956〜1957年(昭和31~32年)にかけて,工業技術院地質調査所(現産業技術総合研究所)によって地盤沈下対策のために淀川流域で総合的地下水調査が行われた。当時の地下水の最大の使用用途は冷却,ついで洗浄であった。表流水と比較すると水質がよく,年間を通じて水温が安定している地下水は有用であった。最初に報告されたのは尼崎市の調査結果である(蔵田ほか,1957)。尼崎市は北隣の伊丹丘陵の降水と猪名川を涵養源とする地下水豊富な土地であり,大正初年頃には中部や北部に多数の自噴井が存在した。当時の尼崎市は全国屈指の工業生産額を持ち,1925年(昭和元年)から認められ出した地盤沈下が戦後激化した。尼崎市による1933年(昭和8年)から1956年(昭和31年)頃までの記録では,海岸部でこの期間に平均2 mの地盤沈下が認められ,年間沈下量は最大で20 cmに達した。また,神崎川流域では局所的に4 mに達する沈下が指摘されている。この当時,深度30〜200 mまでに分布する6つの帯水層から取水されていたが,地盤沈下に大きな影響を与えていたのは深度100〜120 mより上位の4帯水層からの取水であり,その量は全体の取水量の90%であった。この調査を契機として,尼崎市は全国に先駆けて1957年に工業用水法に基づく指定地域となった。また,1962年に西宮市,1963年に伊丹市の一部でも指定を受けた。図17に尼崎市・伊丹市・西宮市の地下水位の経年変化を示す。多くの地点で1970〜1985年ごろまでに水位が大きく回復していることがわかる。しかし,尼崎市塚口本町や伊丹市北伊丹などのように最近も水位上昇が続いている地点もある。


図17 尼崎市,西宮市,伊丹市における地下水位の経年変化

 尼崎市に隣接する大阪市の調査結果が次に報告された(工業用水調査グループ, 1958)。大阪平野での地下水位低下は1953年以降に著しくなっており,当時の臨海部で地盤の積算沈下量が最大150 cmに達し,20 cm以上を示す面積は大阪市の面積の40%に相当する80 km2に及んでいた。大阪市内で最も地盤沈下量の大きな地域は西大阪平野の新淀川流域であった(図1図4を参照のこと)。3世紀頃まで上町台地の西側斜面近くまで海岸が迫っており,臨海部に広がる西大阪平野は淀川から運搬された土砂によって形成された三角州でもともと軟弱地盤であった。このような地域を流れる新淀川の流域では,深度100 m程度までの帯水層からの取水による沈下量が,それより下位の帯水層からの取水による沈下量を大きく上回っていた。また,臨海部での沈下量は,内陸の寝屋川流域より大きかった(工業用水調査グループ,1958)。この当時,多くの井戸は200 m程度までの深度であったが,既に500 mの深度のものも掘削されていた。
 ほぼ同時期に行われた大阪市を除く大阪府内市町の調査結果は村上ほか(1958)によって報告されている。この調査地域は府域の第四紀堆積層が分布するほぼ全域をカバーしていた。北部から東部にかけては内陸部が調査地域であった。しかし,南部では,工業地帯が沿岸部に限定されていたため,調査は海岸付近を中心として行われた。いずれの地域でも深度200 mよりも浅い井戸からの取水が多かった。北部では,猪名川からの供給を受けて比較的優良な水質の地下水が得られていた豊中市を除いて,淀川に近い地域(島本町・茨木市・高槻市・吹田市)では淀川本流からの涵養が多かったと推定されている。東部(枚方市・守口市・門真市・現東大阪市)では,鉄を多く含むなど水質に問題があり,取水費用よりも水質改善費用の方が高額な場合もあった。また,これらの地域では地下水の比湧出量も小さかった。大和川を除くと小河川しか流れていない南部(堺市・泉大津市・和泉市・岸和田市・貝塚市・泉佐野市・樽井町)では,廉価な地下水が重宝された。しかし,高濃度の鉄や,バクテリアが発生しやすいなど,水質に問題がある上に,比湧出量が小さい井戸が多かった。そのため,この地域では,井戸数の増設や,他地域よりも深層の地下水(320〜390 m)を開発することにより量を確保していた。
 大阪府内の観測点における累積地盤沈下量と地下水位の経年変化を図18に示す。大阪市内での累積最大沈下量は海岸近くの此花区(このはなく)で2.9 mに達する。本図に示されるように府全域において地盤沈下の進行と地下水位の低下との関係は明白である。大阪市は1959年(昭和34年)に工業用水法による地下水取水規制対象地域に指定された。その後もしばらく地下水位低下は続くが,1964年頃(昭和39年)から上昇に転じた。同時に,地盤沈下も沈静化した。大阪府域では1962年〜1978年にかけて順次規制地域が拡大した。規制に伴って地盤沈下量は減少し,1970年代には府内全域で地盤沈下が沈静化した。堺市や岸和田市の観測点に見られるように南部では隆起に転じているところもある(図18)。しかし,大阪市内ではわずかではあるが現在も沈降は続いており,今後も注視を続ける必要がある。

塩水化

 先述したように,大阪平野では難波累層と田中累層での過剰揚水によって地盤沈下が発生した。そのため,取水規制が行われている深度は田中累層の最深深度にほぼ一致している。過剰揚水による地下水位の低下は地盤沈下のみならず,揚水地点近傍の水の引き込みも生じさせる。沿岸地域では過剰揚水によって引き起こされた海水の引き込みにより,塩水化も同時に進行した。上述した1956~57年の地質調査所による総合調査では地下水の水質分析も同時に行われた。尼崎市では100 mまでの深度の井戸で広く塩水化が観測されたが,これより深い帯水層ではその兆候が見られなかった。また,河川に沿って海水が遡上する神崎川の支流である藻川と庄下川の周辺地域では海岸線から4〜5 km内陸でも塩化物イオン濃度(Cl-濃度)が300 mg/L程度の塩水が観測された(蔵田ほか,1957)。大阪市内でも100 mより浅い井戸に塩水化が見られ,Cl-濃度は臨海部ほど高くなった。特に西大阪平野の河川に近接する井戸から1,000〜12,000 mg/Lの範囲の高濃度の塩水が観測された。淀川や神崎川では河口から7 km程度遡上した地点でも40〜90 mg/L程度の濃度を示すことがあった。一方,こちらでも尼崎市と同様に100 mより高深度ではCl-濃度は10 mg/L以下であった。(工業用水調査グループ,1958;村下ほか,1958)。河内平野に位置する内陸部の地下水は多くがCl-濃度が10 mg/L以下の淡水である。東大阪市の90〜120 mの井戸2点に400~500 mg/L程度のCl-濃度が含まれており,海水混入が指摘されていたが(村下ほか,1958),その後,化石海水であることが指摘された(鶴巻,1972)。森川ほか(2014)による地下水年代の測定結果から,これらは縄文海進時の化石海水であると考えられる。一方,南部の沿岸部では多くの地下水が数十mg/L程度のCl-濃度を示し,一部は4,000 mg/Lを超えており,明らかに塩水侵入が生じていた(村下ほか,1958)。岩津ほか(1960)によって1956年から行われた大阪市内の詳細な地下水研究では,西大阪平野において深度30~40 mの帯水層をW1,60~70 mの帯水層をW2,100 m前後のものをW3と定義し,W1では海岸線から4〜5 km内陸まで1000 mg/Lを超えるCl-濃度をもつ地下水が出現すること,W3では塩濃度の高い地下水は,より海岸線に近い地域に限定されること,さらにこの濃度の地下水が出現する地域では1935〜1951年の15年間の沈下量が100 cm以上であることなどが報告された。


図18 大阪府内における(上図)累積沈下量と(下図)地下水位の経年変化

第5章 地下水質

5.1 各溶存成分の空間分布

 本水文環境図では,3.1で定義した帯水層区分に従い(図8参照),既存研究における水質データを収集し,帯水層ごとの分布図を作成した。井戸および水質データは大阪府(2008),中屋ほか(2009),牧野ほか(2010),国土交通省地水資源局(2011)および小林ほか(2013)を用いた。以下では特徴的な傾向が見られた水温,EC,pH,Cl-,SO42-およびHCO3-について検討を行う。なお,2000年以降は,主要溶存成分や水素・酸素安定同位体比のデータが揃っている。採水時期もそれほど大きく異なっていないことから,各研究の実施期間の違いにおける地下水の化学組成の変動は大きくないと判断し,出典にかかわらず,すべてのデータを同一の図面上にプロットした。なお,水源は,湧水(△),観測井(□),揚水井(○)で区別した。一方,国土交通省土地水資源局(2011)には,主に1955~1980年にかけての工業用水井と農業用水井に関するデータが収録されている。これらについては,用途や採水時期による井戸の区別は行わなかった。以下にそれぞれの成分の地理的分布の特徴を述べる。

水温

 一般的に地下水の水温はその地域の年平均気温に近い値を示す。目安となる年平均気温は平野部の大阪市の値である15.8℃とした(2.2に詳述)。周辺山地にある大阪府北端の能勢町の平均気温はこれより2℃ほど低い。また,図には示していないが,生駒山頂の平均気温は3℃程度低い。図19(a)に国土交通省土地水資源局(2011)を用いた第1帯水層における水温分布図を示す。水温データの多くは整数値であったため,本稿でも整数値として扱った。水温は,大半が16~20℃の範囲に分布しており,上述した年平均気温とほぼ同じ値を示している。平野東部の生駒山地の山麓部から泉北丘陵の南縁部で水温は15℃より低い値を示す地域もある。第2~第4帯水層についても第1帯水層と同様に大半の地下水は年平均気温と類似した水温を示す。11~15℃や21~25℃の水温を持つ地下水も平野全体に分布しているが,地域的な傾向は認められなかった(図19(b), (c), (d))。一方で,図20(a)に示すように2000年以降の水温分布には各帯水層や地域に特徴が見られた。第1帯水層では,2000年以前のデータと同様に年平均気温と同程度の水温をもった地下水が平野全体に分布している。しかし,1955〜1980年に見られた15°Cよりも低温の地下水は見られない。近年,都市温暖化の影響が地下水圏に及んでいるという報告があり(例えば,宮越ほか(2018)による埼玉県東部の例),その影響が大阪平野においても現れている可能性がある。水温が20℃を超える地下水は河川周辺に出現する傾向がある。特に淀川流域では内陸部にまでそのような地下水が現れる。後述するが,淀川流域河川からの涵養は顕著であることから,第1帯水層では涵養源となる河川水の水温の季節変動が影響していると推定される。
 第2帯水層でも第1帯水層と同様に15.1~20.0℃程度の地下水が多く分布するが,25.1℃を超える地下水も内陸部に見られる(図20(b))。第3帯水層の地下水温は平野の中心部で30.1℃を超えるものが多くみられ,明らかに浅層の地下水とは異なる水温分布を示す(図20(c))。第4帯水層でも平野の中央部で高い水温を持つ地下水の存在が確認される(図20(d))。これは大阪平野における大阪層群の高い地温勾配(3.6°C/100 m)に起因する(大阪府,2008)。したがって,平野地下の高深度の高い地下水温度は地温の影響によるものである。一方で,帯水層(基盤岩)が直接露出する山地の地下水温は年平均気温と同程度である。


図19(a) 第1帯水層における水温分布(1955~1980年代)

図19(b) 第2帯水層における水温分布(1955~1980年)

図19(c) 第3帯水層における水温分布(1955~1980年)

図19(d) 第4帯水層における水温分布(1955~1980年)

図20(a) 第1帯水層における水温分布(2000年代)

図20(b) 第2帯水層における水温分布(2000年代)

図20(c) 第3帯水層における水温分布(2000年代)

図20(d) 第4帯水層における水温分布(2000年代)

電気伝導度

 電気伝導度(Electrical Conductivity; EC)は水中の溶存電解物質のおよその量を表す数値であり,溶液中のイオンの当量の総計にほぼ比例することから,全溶解性物質(Total Dissolved Solids; TDS)とともに,地下水の流動や水質特性の概要を知るための指標として用いられてきた。国土交通省土地水資源局(2011)の記載項目にECは含まれておらず,また中屋ほか(2009)においても報告がなされていないことから,本稿で取り上げた他の水質項目と比較してプロットされるデータの数は少ないが,帯水層ごとの分布に地域的な特徴が確認された。第1帯水層の地下水に関して,平野の中央部を流れる淀川水系の河川(特に安治川周辺)でECは相対的に高い値を,平野の周辺部では小さな値をそれぞれ示した(図21(a))。丘陵地の麓に見られる湧水はさらに低い値を示すものが多い。これらのことは,平野周辺部ほど滞留時間が短い地下水が卓越していることを示している。図12(b)に示した地下水位分布図からも平野中心部は,極めて動水勾配が小さい停滞性の地下水であることが推測され,周辺地域と比較して相対的長い滞留時間をもつことを支持している。さらに高いCl濃度もEC値を増加させる要因となっている。第2帯水層ではデータ数が少ないが,第1帯水層と同様の地域で高い値が見られた(図21(b))。第3帯水層ならびに第4帯水層では,基盤岩が露出している山地の地下水や湧水については,相対的に低い電気伝導度を示し,滞留時間が短い地下水が卓越していることを示唆している。一方で,平野の低地部と山間の一部で高いECを持つ地下水の存在が顕著である(図21(c)および(d))。後述するが,ECの高い地下水の中にはNa+およびCl-濃度が高く,出現地点が断層の位置に近いものが多く見られる。


図21(a) 第1帯水層におけるEC分布(2000年代)

図21(b) 第1帯水層におけるEC分布(2000年代)

図21(c) 第3帯水層におけるEC分布(2000年代)

図21(d) 第4帯水層におけるEC分布(2000年代)

pH

 図22図23はそれぞれ1955〜1980年と2000年以降の第1帯水層と第2帯水層の地下水のpH分布である。図22では,大阪平野の低地の中心部から沿岸部にかけてpHが7.1以上と高い地下水が多く,周辺部では7.0以下の低い値を示すものが多い。図23ではプロットが少ないが,pHが8.0以下の地下水の分布は大きな違いはない。同様のpHの分布傾向は2000年以降の第3帯水層や第4帯水層でも確認された。ただし、淀川水系流域と沿岸部の第1・第2帯水層でpHが8.0を超える地下水がしばしば見られ,9.1を超えることもある(図23)。このようなアルカリ性の地下水の分布はECが高い地下水の分布(図21(a))とおよそ一致している.このことから,少なくとも一部では,海水が混入した地下水の変質に伴ってpHが増加する反応が進行したことが推定される。pH9.1以上の地下水は生駒山地や北摂山地の山麓部の第4帯水層においても確認された。


図22 第1および第2帯水層におけるpH分布(1955-80年代)

図23 第1および第2帯水層におけるpH分布(2000年代)

Cl-濃度

 Cl-は岩石中には限定的にしか存在しない元素である。多くの場合,地下水中に見られる高濃度のCl-は塩水侵入や海成堆積物からの溶出が起源とされている。国土交通省土地水資源局(2011)による1950~80年にかけての地下水データによると,Cl-濃度の分布は第1帯水層において,大阪市内を中心に湾岸で少し高い傾向が見られるが,大半の地下水の濃度は50 mg/L以下である(図24)。一方,2000年以降のデータでは,第1帯水層を対象とする大阪市内の地下水で1,000 mg/Lを超える値がしばしば観測されている(図25(a))。4.3で述べたように大阪平野では1950〜1970年代にかけての地下水の過剰揚水に伴って、湾岸の地下水に塩水侵入が生じている。しかし図25(a)における高Cl-濃度の地下水が見つかった観測井は,5,000 mg/L以上の高い濃度を示した湾岸部の観測井を除いて海岸から約10 km離れており,湾岸部からの直接的な塩水侵入は考えられない。一方で,これらの井戸が淀川水系の近くに位置していることから河川を介した遡上した海水の河床底からの侵入も考えられる。牧野ほか(2010)は,これらの地下水にVOCが含まれないことから,この塩水は高度成長期ではなく,1990年代以降に涵養されたものだと推定している。一方で,この頃には揚水規制の影響で,大阪平野の地下水位は回復傾向にあり,河川周辺において大きな動水勾配が生じにくいこと,また観測井以外の揚水井や最も地下水位の低下が大きかった1955~80年代の河川周辺の地下水においてCl-濃度が小さいことから,これらの要因を河床底からの塩水侵入と決定付ける根拠は乏しい,したがって,牧野ほか(2010)でも指摘されているように塩水の侵入経路については,今後より詳細な検討が必要と判断される。
 海岸線から遠い守口市や門真市にも,わずかにCl-濃度が高い地下水が複数見られる。これは,4.3で述べたとおり残存する化石海水と考えられ(鶴巻,1972),森川ほか(2014)による地下水年代測定により縄文海進時の海水中のCl-が残留した可能性が高いことが示唆されている。
 第3帯水層と第4帯水層において,平野中心部と南部の丘陵〜山地で1,000 mg/L以上のCl-を含む地下水がしばしば確認される。その中には,5,000 mg/Lを超えるものもある(図25(b))。これらの多くは浴用利用されてきた。また,南部の山間(河内長野市石仏)に湧出していたものは2010年ごろまで二酸化炭素採取に用いられていた。これらの高塩濃度地下水は,現在の海水との関係を考えにくく,特別な理由で帯水層に賦存されていると考えられる。これらの地下水に起源についての詳細はHCO3-の節で述べる。


図24 第1帯水層におけるCl-濃度分布(1955~1980年)

図25(a) 第1帯水層におけるCl-濃度分布(2000年代)

図25(b) 第3および第4帯水層のCl-濃度分布(2000年代)

SO42-濃度

 図26(a)は2000年以降の第1帯水層の地下水におけるSO42-濃度分布図である。SO42-は陸水においては好気的環境で高濃度となる。大阪府域の大和川で調査された結果では,支流の源流域では10 mg/L以下のところが多く,下流に向かって濃度が高くなる。西除川や東除川では30 mg/L以上,最も汚染の進んだ西除川下流でしばしば50 mg/Lを超える地点があるが,本流では40 mg/Lを超えることは稀であった(益田ほか,2007)。北摂地域を流れる河川167地点の分析結果では廃棄物処理場直下で170 mg/Lを記録した地点がある以外は,全ての河川で平均値が5〜8 mg/Lで最大値は43.5 mg/Lであった(Even et al., 2017)。これらの表層水から類推すると,第1帯水層中の地下水でSO42-濃度が50 mg/Lを超えないものは降水や河川水などの表層水圏から涵養された後に地下で大きなSO42-の付加や酸化還元反応による硫酸イオン濃度の付加が生じていない地下水だと言える。一方,淀川や安治川の河口から淀川水系中流にかけて分布するECやCl-濃度が高い地下水は,海水中のSO42-がCl-に次いで多い陰イオンであるにもかかわらず,低いSO42-濃度を示す。牧野ほか(2010)は特に大阪市内で海水が侵入したと思われる地下水でSO42-濃度が低いことを報告している。これら高Cl-濃度かつ低SO42-濃度の地下水ではCl-とHCO3-の間に正の相関が見られることから,彼らはこの地域で,微生物活動による硫酸還元反応が生じていると推察している。この他にも海水のSO42-濃度は堆積物中に浸透した直後から還元されて急激に低下することが一般的によく知られており,大阪層群の海成粘土層中においても海水からの沈殿により形成された黄鉄鉱が大量に含まれていることが市原(1960)などにより報告されていることからこれらの反応も低いSO42-濃度と関連しているかもしれない。SO42-濃度の低濃度域の分布範囲は帯水層の深度に伴い大きくなる傾向がある。
 第4帯水層の特に平野低地部の地下水ではSO42-濃度が10mg/Lより低いものが多く,検出限界以下の地下水もある(図26(b))。一方で,第4帯水層であっても,生駒山地や金剛−和泉山脈の山麓部においては10 mg/Lを超える相対的にSO42-濃度が高い地下水が見られる。これらは,基盤岩中を流れる,滞留時間の短い周辺山地の降水を起源とする好気的な地下水である。泉佐野市から南の平野南部の沿岸に見られる相対的に高いSO42-濃度をもつ地下水は,段丘堆積物の分布する地域に出現することから,第1帯水層に該当する地下水であると推測される。しかし,詳細な基底面深度が不明なため「3.2 大阪層群層序と帯水層」で記載したように,本水文環境図では第4帯水層に分類されている。


図26(a) 第1帯水層におけるSO42-濃度の分布(2000年代)

図26(b) 第4帯水層におけるSO42-濃度の分布(2000年代)

HCO3-濃度

 一般的に地下水中のHCO3-が増加する要因は1)地下水中に含まれる炭酸が関与した鉱物の化学的風化作用,2)微生物による有機物の分解,または3)両者が同時的に進行することなどがあげられる。化学的風化作用や微生物活動は時間経過とともに進行するため,HCO3-濃度は地下水の滞留時間を表す指標として用いられることがある。
 図27(a)に示すように,第1帯水層におけるHCO3-濃度はECやCl-濃度の分布と同じく淀川と安治川付近と淀川水系に沿った内陸部で際立って高い。これらの地下水は前述したようにSO42-濃度が小さいことから,牧野ほか(2010)は,硫酸還元を伴う微生物活動によるHCO3-の生成が,地下水中の高いHCO3-濃度の要因であると説明している。淀川と大和川に挟まれた平野の中央部では,周辺部よりも比較的HCO3-濃度が高い地下水が出現することから,これらの地下水は周辺部のものに比べて長い滞留時間を有していることが推察される。
 図27(b)には第3帯水層と第4帯水層でのHCO3-濃度の分布を示した。平野の低地部では第1帯水層と同様に淀川や安治川の周辺で500 mg/Lまでの高い値を示す。このことはこの地域の帯水層が停滞性の地下水を有していることを示している。また,和泉山脈や金剛山地の山麓部には1,000 mg/Lを超えるHCO3-濃度が高い地下水が見られる。北部でも平野と山地の境界部や山地で同様な地下水が出現する。これらの温泉は断層帯の近くに位置することが多く,またCl-濃度も高いことが多い。これらの地下水のうち河内長野市石仏に湧出するものは有馬型塩水と分類されており(Sakai and Matsubaya, 1977),マントル起源のヘリウムなどを含んでいることが知られている(例えば,Nagao et al., 1981 ; Sano and Wakita, 1985)。益田(2012)では,有馬温泉の二酸化炭素もマントル由来である可能性を指摘している。Morikawa et al. (2016) は和泉山脈南部の中央構造線に沿ってHCO3-濃度の高い地下水が出現することから,深部流体からの気体成分の分離がこの地域の地下で起こっていると述べている。大阪府側の和泉山脈は彼らの調査地域と隣接しており,同様な起源を持つ炭酸成分が断層に沿って上昇し,地下水に溶存している可能性がある。


図27(a) 第1帯水層におけるHCO3-濃度の分布(2000年代)

図27(b) 第3および第4帯水層におけるHCO3-濃度の分布(2000年代)

5.2 シュティフダイヤグラム

 前章では個別の溶存イオン成分について検討を行ったが,本章では地下水の主成分組成を総合的に比較する。シュティフダイヤグラムは,地下水の無機主要溶存成分であるK+,Na+,Ca2+,Mg2+,Cl-,HCO3-,およびSO42-の溶存量を六角形で図示したものであり,濃度および水質特性を,大きさと形状でそれぞれ表している。本水文環境図では多くのデータが一枚の図面で表示されるため,濃度に応じてダイヤグラムを6色に分類した。寒色系の色は低濃度を,暖色系の色は高濃度を表している。
 図28(a)は第1帯水層におけるシュティフダイヤグラムを示している。本図から淀川,安治川と内陸部の淀川水系周辺,ならびに大和川の河口部周辺には相対的に高い溶存イオン濃度をもった地下水が分布していることがわかる。また,大阪平野の第1帯水層における地下水の水質は,Na-Cl型,Na-HCO3型およびCa-HCO3型に分類される。Na+濃度とCl-濃度が高いNa-Cl型の水質特性を示す地下水は全て河口部に位置している。図28(b)に示すとおり,Na-Cl型の地下水は,第1帯水層の底であるMa9層の下面深度が深い地域に分布しており,塩水侵入の直接的な影響を受けていると思われる湾岸部の地下水を除き,厚い海成堆積層からの塩化物の溶出に起因している可能性がある。一方で,5.1節のCl-濃度の項目で記載した通り,河床底からの塩水侵入の可能性もある。牧野ほか(2010)は上町台地より西側の西大阪平野における海抜0 m地帯の深度100 m以浅の地下水は海水の影響を受けており,深度50~60 mに最も高い塩分濃度を持つ地下水が存在すると報告している。
 周辺地域と比較して溶存成分濃度が大きいNa-HCO3型の地下水は淀川水系の内陸部に位置している。この要因として中屋ほか(2009)は,1950~1960年代にかけて淀川と大和川に挟まれた地域では過剰揚水によりMa12~9の間の位置まで地下水位が低下し,その結果,難透水層(粘土層)からの間隙水の絞り出しが生じたためと考察している。また地下水の滞留時間が長い領域では,水質はCa-HCO3型からNa-HCO3型に変化することが知られている。これは帯水層中の粘土鉱物表面のNa+が地下水中に溶出するというイオン交換反応の影響が水質に強く現れるためである。このことから,図に見られる水質分布は低地では周辺と比較して地下水環境が停滞的になっていることを示している。
 溶存成分濃度の低いCa-HCO3型の水質を示す地下水は周辺部や丘陵地に見られ。Ca-HCO3型の地下水は湧水や浅層地下水など起源となる雨水が地下に浸透してから,それほど時間が経っていない,すなわち滞留時間が比較的短いと考えられる地下水の特徴である。このことから,大阪平野における涵養域に近い地点の地下水水質の特徴であると言える。
 一方,第2帯水層では図28(c)に示すとおり,淀川や安治川の河口周辺で高濃度のNa-Cl型の地下水は見られなくなる。一方で大局的には第1帯水層と同様に丘陵部でCa-HCO3型の水質が多く,平野の中央部ではNa-HCO3型が増える。
 第3帯水層では水質の違いによる溶存イオンの濃度差が顕著に見られる(図28(d))。青や紫の寒色で示される低い溶存イオン濃度を示す地下水はNa-HCO3型やCa-HCO3型である。山麓で一部Ca-HCO3型の地下水が見られるが,多くはNa-HCO3型であり,停滞性の地下水であることを示唆している。一方,赤やピンクの暖色で示される高い溶存イオン濃度を示す地下水はNa-Cl型の水質である。上町台地の東側の河内平野におけるNa-Cl型の地下水の分布は,図28(a)に示した通り, 河内平野の第1帯水層では見られないが,第3帯水層に多く分布している。これらを含む平野中央部のNa-Cl型の地下水の分布は図7で示した基盤岩の窪地(低標高地域)の位置と一致することから,地形的に窪地に貯留している古海水の可能性が高い。このように河内平野において第1帯水層に停滞性のNa-HCO3型の地下水が存在し,第3帯水層にNa-Cl型の地下水が存在するということは,河内平野では降水による地下水涵養が浅層部のみに限定されており,深部まで達していない可能性を示唆している。
 第4帯水層は基盤岩である。山地では湧水を含んで滞留時間の短いCa-HCO3型の水質を示す地下水がしばしば出現する(図28(e))。しかし,平野中央部や北部の千里丘陵ならびに南部の泉南台地を中心に高深度掘削された井戸ではNa-HCO3型の水質を持つ淡水が多い。この帯水層では北部と南部の山地にNa-Cl型ないしはNa-Cl-HCO3型の水質を持つ溶存成分の高い地下水が見られる。これらは前述した有馬型塩水との関係が疑われる。有馬型塩水はしばしば遊離二酸化炭素を含むことがあり,低温である場合にはHCO3-濃度が高くなる。河内長野市石仏については上述したが,北摂山地でも以前から類似の地下水の出現が知られていた(Masuda et al., 1985)。


図28(a) 第1帯水層におけるシュティフダイヤグラム分布(2000年代)

図28(b) 第1帯水層の基底面(Ma9下面)とシュティフダイヤグラムの分布

図28(c) 第2帯水層におけるシュティフダイヤグラム分布(2000年代)

図28(d) 第3帯水層におけるシュティフダイヤグラム分布(2000年代)

図28(e) 第4帯水層におけるシュティフダイヤグラム分布(2000年代)

第6章 同位体

 近年地球化学や環境科学の分野では物質の起源や移動過程を追跡するための強力なツールとして同位体が使用されるケースが増えている。同位体比は,ナトリウムやカルシウムのような無機溶存成分や法的な規制を受けている有機物質などと比較して,一般には知られていない。水循環の把握のために水のトレーサーとして同位体比(水素・酸素)が用いられるようになったのは1960年代半ば以降であるが,本稿で扱っている大阪平野とその周辺の地下水に関しては2000年より以前には測定データは多くない。本稿では,地下水の流動過程をより深く理解するために,冒頭で同位体について簡単に説明を行い,その後,各帯水層における酸素同位体比の分布について記述する。
 同位体とは,原子核内の陽子数(原子番号)は同じで,中性子数(質量数-陽子数)が異なる原子(核種)のことである。元素は同位体のグループ名であると言い換えることができる。原子が形成されたのちに崩壊を起こさない安定同位体と,不安定で時間ともに放射性崩壊を起こす放射性同位体が存在する。水(H2O)を構成する元素である水素(H)と酸素(O)には,表2に示したように,それぞれ,2つと3つの安定同位体が存在する。また水素には,トリチウム(三重水素)と呼ばれる12.3年の半減期をもつ放射性同位体が存在する。これは地下水の滞留時間(地表と接触していた時を0としてその後の経過時間を示す)の推定に用いられる。

表2  水素と酸素の安定同位体

 水の同位体が測定できるようになって以来,酸素(18O/16O)と水素(D/1H)の同位体比の違いを利用して地下水の起源や流動,移動時間などを明らかにする研究が広く行われている。また,1Hや16Oの存在比は全体の99%以上を占めており,Dや18Oとの比(安定同位体比)は,以下の式に表すように極めて小さい。
 D/1H=0.00015
 18O/16O=0.00199
 また,同位体比の変化量は小さいため,個々の分析値だけを列挙しても他の値と比較することが難しい。そこで,同位体比を比較する際には,慣例として標準物質の同位体比を基準として対象物質の同位体比が表される。水の場合,地上の循環する全ての水の起源は海水であるため,標準平均海水(Standard Mean Ocean Water: SMOW)を基準物質している。なお、現在の標準平均海水は国際原子力機関が作成して頒布しており,ウィーンの英語表記(Vienna)を頭文字にしてVSMOWと略記する。水素と酸素の安定同位体比は以下の式を使って千分率(‰)の偏差で表す。

 δD =[(D/1H)sample/(D/1H)VSMOW-1]×1000 (‰)
 δ18O=[(18O/16O)sample/(18O/16O)VSMOW-1]×1000 (‰)

 上記の式から明らかなように,もし試料(sample)の同位体比(D/1Hあるいは18O/16O)がVSMOWと同じであった場合には,δD値とδ18O値はともに0‰となる。
 海水からの蒸発により生じた水蒸気が気温の低下により雲となり,それが降水や降雪となって,河川や地下水を涵養する。このような水循環の過程において生じる蒸発や凝縮により同位体比に変化が生じる。この現象を同位体分別作用と呼ぶ。この同位体分別が影響することにより,標高(高度効果),緯度(緯度効果),海からの距離(内陸効果)により降水の水素・酸素安定同位体比に変化が生じることが知られている。これらにより,降水の水素・酸素安定同位体比は,高標高域,高緯度域,内陸部で相対的に小さな値を持つ。しかし,降水(雨・雪など)を原因とするすべての陸水はδDとδ18Oを軸としたグラフ上にプロットすると,ある直線の周辺に集まることが知られている。Craig(1961)はこの直線を天水線と定義した。
 水の安定同位体比に関する記載は松葉谷(1991)や酒井・松久(1996)を参考としている。更なる知見を必要とする場合は,直接文献で確認してもらいたい。

6.1 大阪野の地下水における同位体的特徴

 大阪平野の地下水の水素と酸素の安定同位体比の特徴については中屋ほか(2009),益田編(2011)ならびに深部地質環境研究コア編(2012)などで報告されている。彼らによると,地下水の水素・酸素安定同位体比の特徴から大阪府の地下水は一部の温泉水を除いて大半が降水(天水)起源である。また,以下に述べるように深部では非天水起源である複数の地下水(温泉水)が存在する。図29はδダイヤグラムと呼ばれる水素安定同位体比(δD)と酸素安定同位体比(δ18O)の関係を示したものであり,本稿では大阪平野の各帯水層における地下水,湧水,温泉水のδD値とδ18O値の関係を示した。図中に示した直線は先述したCraig(1961)によって発見された天水線(Meteoric Water Line)と呼ばれる線であり,δD = δ18O + 10で表される。一般的に天水線上あるいは,その周辺にプロットされる水は降水起源と解釈することができ,天水線から外れた位置にプロットされる水は,地表で蒸発の影響を受けた水を除いて,地下で水-鉱物反応の影響を受けた水かあるいは海水やマグマ水など他の起源をもつ水であり,非天水起源の水であると解釈される。天水起源の水と非天水起源の水が地下で混合した際も,混合した割合により大きく天水線から外れることもある。図29より,第1帯水層や第2帯水層では多くの地下水や湧水が天水線上にプロットされるのに対し,第3および第4帯水層における一部の温泉水が天水線上にプロットされず,水-岩石反応の影響を受けているか,あるいは非天水性の起源をもっていることがわかる。


図29 大阪平野の各帯水層における水のδダイヤグラム

6.2 各帯水層における酸素同位体比の空間分布

・第1帯水層における酸素同位体比分布

 図30(a)に第1帯水層の地下水(湧水,温泉水も含む)における酸素同位体比(δ18O)の分布を示す。第1帯水層においてδ18Oは-7.9~-4.9‰の範囲にあり-4.9‰以下の地下水も数点見られる。図29からもわかるとおり,多くの地下水は天水起源である。しかし,沿岸部の地下水では相対的に高い値の同位体比が見られる。沿岸部のδ118O値が-4.0‰以上の地下水は,Cl-濃度も高い(図25(a))ことから塩水侵入の影響が現れていることが明らかである。平野の内陸部には-7.9~-7.0‰程度の地下水が広く分布している。天水起源の地下水について,中屋ほか(2009)は大阪平野の平野部(低地,標高100m未満)と周辺山地(標高100 m以上)に降った降水の酸素同位体比(δ18O)の閾値を-7.1‰とした。一方で,標高20 m程度である平野中央部の上町台地でも,益田編(2011)により深度20 m程度までの地下水のδ18Oが-7.4〜-6.4‰であることが報告されている。したがって,この閾値は低地部ではそれほど厳密に涵養源推定に適用できるわけではないが,平野周辺部の-7.5‰より小さい値の地下水では,山地斜面における降水による涵養の指標として利用できる。


図30(a) 第1帯水層における酸素同位体比分布(2000年代)

・第2帯水層における酸素同位体比分布

 図30(b)に第2帯水層における地下水のδ18Oの分布を示す。第2帯水層では,第1帯水層で見られた-5.9‰以上の値をもつ地下水は1点のみであり,大半の地下水が-6.0‰以下の値を示している。-6.9~-6.0 ‰の同位体比をもつ地下水は,第1帯水層の層厚が薄い,平野北部の伊丹台地,千里丘陵ならびに枚方丘陵付近や平野南部の泉北丘陵付近において見られる。中屋ほか(2009)ではこれらの地下水のトリチウム濃度から地下水年代は30年前後であると結論付けている。
 第2帯水層には-8.0‰よりも小さい同位体比を持つ地下水がいくつか見られる。これらの地下水のうち,東の山麓のものは山地斜面の降水が涵養源であろう。第1帯水層において-4‰程度までの大きな同位体比が確認された沿岸部においても,第2帯水層では-8.0‰以下の同位体比を持つ地下水が確認される。これらの地下水はCl-濃度の低い淡水であることから,塩水侵入による影響は第2帯水層の沿岸部には及んでいないことがわかる。また,これらのことは低地の沿岸部では第1帯水層と第2帯水層との間で自然状態での地下水の交流はないことを示している。益田編(2011)は現在の降水による涵養では説明ができない平野深部に存在する小さい酸素同位体比(-8.5‰以下)をもつ淡水組成の地下水について,これらが存在する要因として過剰揚水による海成粘土層からの絞り出しの可能性を指摘している。その他にも安原ほか(2011)やIkawa et al. (2014)などのように,第四紀層が厚く堆積する平野部で見られる水素・酸素安定同位体比が小さい地下水の起源は,最終氷期の降水であると指摘する研究もある。これらの地下水の起源を特定するためには,地下水年代測定も進めて今後検討する必要がある。


図30(b) 第2帯水層における酸素同位体比分布(2000年代)

・第3帯水層における酸素同位体比分布

 図30(c)に第3帯水層における地下水のδ18Oの分布を示す。第3帯水層においても第2帯水層と同様に-7.0‰以下の低い同位体比をもつ地下水が大半であり,特に第1帯水層では,高い同位体比を持つ地下水が分布していた淀川水系の沿岸から内陸にかけて-8.0‰以下の小さな同位体比を持つ地下水が分布している。これらの地下水の一部は,基盤岩の凹地に滞留しているかなり古い地下水であるかもしれない。深部地質環境研究コア編(2012)は上町断層の東側の基盤岩の凹地(図7)に滞留性の地下水が存在していることを報告しており,Heから想定されるそれらの地下水の滞留時間は3~30万年の範囲であるとしている。


図30(c) 第3帯水層における酸素同位体比分布(2000年代)

第4帯水層における酸素同位体比分布

 図30(d)に第4帯水層における地下水のδ18Oの分布を示す。第4帯水層では,基盤岩が露出している周辺の山地で-8.0‰以下の低い同位体比をもつ地下水や湧水が存在している。湧水に限らず,これらの地下水の多くは浅所を流れる溶存成分に乏しい淡水であることから,山間の降水を起源としていることが明らかである。泉佐野市から南部で見られる相対的に高い同位体比を持つ地下水は,上述したように,本来はもっと浅層の帯水層の地下水として記載されるべきものであるため,第4帯水層の地下水の特徴を示しているものではない。一方,山地や丘陵地の第4帯水層中の地下水には第2・第3帯水層と異なり,-4.9‰以上の高い同位体比を示すものもある。特に,-3.0‰以上の特に高い同位体比をもつ地下水は,金剛山の麓(河内長野市石仏地域)に位置している。
 18を濃集する「酸素同位体シフト」は有馬型塩水の際立った特徴である(Sakai and Matsubaya, 1977)。有馬型塩水はプレート収束域で沈み込むスラブからの脱水に起源を持つ深部流体であると考える研究者もある(例えば,風早ほか,2014)。ヘリウム(He)の同位体を使ったMorikawa et al. (2008) の研究では、低地部の深度1,000~1,500mの帯水層下部(ここで第4帯水層と分類した層準)において上町断層を介した深部流体である有馬型塩水の混入を報告している。これらの塩水は,前述したような水質の特徴とともに,大阪平野の置かれたテクトニクス場と堆積盆深部の地下水形成の関連から興味深い問題である。


図30(d) 第4帯水層における酸素同位体比分布(2000年代)

第7章 おわりに

 本水文環境図では,既存の調査研究成果をもとに,沖積層から基盤岩に至る大阪平野の水文地質情報を帯水層ごとに分類して取りまとめた。本図は地中熱を含む大阪平野における新たな地下水利用や保全に資することを念頭において編集を進めたものである。今回の様々な整理・分類によって,大阪平野の浅部から深部における地下水の水質情報が研究者だけでなく,業務として地下水に携わる多くの人々にとって,より理解しやすく,また利用しやすいものとなったと考えている。一方で,時間的な制約から十分なデータの収集ができなかった地域もある。例えば,平野の周縁部にあたる兵庫県の各市町村や大阪府の南側の地域では,基盤岩を含めた各帯水層の基底面深度が明らかになっておらず,また地下水位や水質等のデータの収集も不十分であった。さらに地下水にとって重要な滞留時間に関するデータも限定的にしか学術雑誌等で発表されていない。大阪平野の深部地下水の起源についてはいまだに不明瞭な部分も多い。今後は将来第2版を出版することを念頭に置きつつ,現地調査を含めた更なるデータの収集と整理を続けていく所存である。最後に本図の作成に関してご助言をいただいた多くの方々にお礼を申し上げる。

謝辞

 立命館宇治中学校・高等学校の上村剛史氏には,大阪平野における地下温度測定データをご提供いただき,(国研)産業技術総合研究所の宮越昭暢主任研究員ならびに総合地球環境学研究所の谷口真人教授には地下温度プロファイル図の作成にあたり,貴重なご助言をいただいた。なお,本水文環境図の公開に係る図表のうち,必要なものについては全て転載に係る許可をいただいた。ここに記して深く謝意を表する。

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付録(Appendix)

A.1 大阪平野のテクトニクス

 大阪盆地(第2章参照)は広域のテクトニク場と関連して形成した構造盆地である。帯水層となる砂礫層を含む盆地全体の構造を理解するために,盆地の形成過程を知ることは意義のあることである。本章では,大阪平野の形成に関わるテクトニクス研究史を中心に記述する。
 Huzita(1962)は敦賀湾を頂点とし,琵琶湖・大阪湾・伊勢湾を含み,中央構造線を南端とする地域を近畿トライアングルと名付けた。この三角形で囲まれる地域は日本国内でもとりわけ活断層が密集した地域であり,活断層で区分された低山地と盆地が多く分布している(図A-1)。大阪盆地は近畿トライアングルの底辺の西南角付近を占めている。近畿トライアングル内では,鮮新世頃に伊勢湾から沈降が始まり,構造運動により南北の走行を持つ山地によって低地が分断されながら,西方に沈降が移動したとされる。大阪層群の堆積物は六甲山地を挟んで西側に隣接する播磨地域などにも分布するが,六甲山麓では断層運動による変形が激しく,近畿トライアングル内で第四紀地殻変動が際立って大きいことを示している。Huzita(1969)は更新世に近畿トライアングル内での地殻の応力場が南北から東西方向へ変化したことがその理由だと説明した。後に彼はプレートテクトニクス理論を取り入れ,西南日本内帯が太平洋プレートから東西圧縮を受けているのに対して,外帯はフィリピン海プレートによる南北圧縮場の影響下にあり,そのような応力場の影響によって近畿トライアングルに歪みが集中していていると説明した(Huzita et al., 1973)。しかしながら当時はプレートテクトニクス理論が完全には受け入れられていない時代であり,この説明を受け入れない研究者が多くいたようである(藤田,1977)。
 大阪平野南部の大阪層群基底部付近に岬火山灰が含まれている(吉川,1973)。この火山灰の降下年代は3.5Maと推定されており(Nagahashi and Satoguchi, 2007),これが大阪平野の沈降開始時期にほぼ等しいと考えられている。また,神戸市東灘区で掘削された1,700 mのコアの磁気層序からは,基盤岩直上に堆積する大阪層群最下部層の年代は3.2〜3.3Maである(Biswas et al., 1999)。大阪湾は当時,南北圧縮場に規制されて形成された瀬戸内低地帯の東端に位置しており,堆積盆地の最深部も淡路島中部から大阪平野南部の岸和田方面へかけてほぼ東西方向に延びていた。その後,2.5〜3.0Maに大阪湾断層中央部の活動が開始し,周辺部や分岐断層では1.5〜2.5Maに活動を開始した。これらの断層は逆断層で,大阪湾の堆積速度(すなわち沈降速度)を加速した。また,1.7Maからは淡路島の隆起が始まった。1Maからの六甲山地の隆起に伴って,大阪盆地は西側の播磨地域と分断された。大阪盆地はその後も沈降を続けているが,播磨地域では隆起に転じ,新しい堆積物は見られない(加藤ほか, 2008)。加藤ほか(2008)は1〜2 Maに開始した主として逆断層のセンスを持つ活断層の運動が,大阪湾の沈降と隆起による周辺山地の形成にとって重要であり,現在も沈降が継続している原因であると結論づけている。


図A-1 近畿トライアングル
(産総研・活断層データベース:https://gbank.gsj.jp/activefault/searchに加筆)

 上述のように,大阪湾沈降開始時に地殻応力場が変化し,少なくとも西日本全体に影響を与えるテクトニク・イベントがあったことが推定される。西南日本には南からフィリピン海プレートが沈み込んでいるが(図A-2),高橋(2006)は3Maにフィリピン海プレートの運動方向が変化したとしている。フィリピン海プレートはユーラシアプレートと太平洋プレートの間に沈み込んでいるが,日本海溝より東には沈み込むことができない。フィリピン海プレートが上下のプレートに挟まれてこれ以上動けなくなったときに,日本海溝と伊豆小笠原海溝は一体となって回転する,すなわち,3Maにフィリピン海プレートの東北端が太平洋プレートに接触して北向きに沈み込むことができなくなったのがその理由であると説明した。また,プレートの運動方向が回転し,太平洋プレートが西向きにユーラシアプレートを押したことが西南日本の東西圧縮場を生む力となった。地震波トモグラフィーの技術が発達し,南海トラフから西南日本に沈み込むフィリピン海プレートの上面深度が直線的でなく,大阪湾を中心とする近畿地方の直下で,周辺よりも急激に深くなっている現象が発見された(Nakajima and Hasegawa, 2007)(図A-2)。その後,大阪湾直下のプレート上面の東西における深度の大きな違いは沈み込むスラブの断裂によるものであると説明された。四国海盆の拡大軸である紀南海山列は14Maごろまで活動していた。紀南海山列の延長線は紀伊半島西部−大阪湾−鳥取県を通る南東−西北の直線となる。拡大軸はフィリピン海プレートの弱線であり,フィリピン海プレートの沈み込む方向が3.5~3Ma頃に北北西から北西に変化したときにプレートに断裂ができ,東側のプレートの先端が深く落ち込んだと説明されている(Ide et al., 2014)。大阪盆地は島弧地殻のたわみとして形成が開始され,大阪層群の堆積が始まった。その後,遅くとも3Ma以降はフィリピン海プレートの断裂と関係した南北・北東−南西方向の断層活動によって北に堆積盆の中心を移動させながら,とりわけ高深度の堆積盆として成長してきたと考えられる。


図A-2 フィリピン海プレートと太平洋プレートの沈み込むスラブの上面深度
(産総研・地質図ナビ上で国土地理院の色別標高図に斎藤(2017)によるスラブ上面深度を表示させたものに加筆:https://gbank.gsj.jp/geonavi/geonavi.php#6,36.552,138.712)

A.2 大阪平野の開発と水災害

 大阪盆地は概ね3Ma以降から沈降しながら堆積盆として発達してきた。最終氷期直後の温暖化に伴う海進(縄文海進)後に陸化が進んで現在の大阪平野となった。堆積盆の層序と構造に関しては本文2・3章で説明した通りである。ここでは,大阪平野の開発の歴史を水環境との関連から記述する。
 縄文海進時の大阪平野では内陸まで入り江が入り込んでいた。その海岸線はMa13の分布域とほぼ一致する(図9)。海退後も平野中央部には長い間低湿地が広がっていた。大阪平野の低地開発は治水の歴史である。淀川の南に広がる低地は海退後に河内湖と呼ばれる沼沢地となった。大和川から運搬される土砂の堆積により河内平野となったが,水はけの悪い土地であった。上町台地は北方に延びて淀川南端まで達していたが,上町台地の北側には砂州が延びていた(図A-3のD: 吹田砂堆とE: 天満砂堆)。そのため,河内平野の水は容易に大阪湾へは流出しなかった。日本書紀には仁徳天皇11年(5世紀頃)に,この地域の治水工事に関する記事が見られる。水を流れやすくするために,砂州を横切って排水するために難波の堀江(現在の大川:図4と図A-3)の開削が行われている。日本最古の堤防である茨田堤(まんだのつつみ)が渡来人の力を借りて作られたのもこの時代のことである(服部,1988)。茨田堤は枚方市から門真市にかけて古川・寝屋川沿いに遺構が点在している(上遠野,2004)。住吉大社は3世紀に海岸に造営されたと伝えられている。8世紀の古地理図には,沿岸に多数の島が現れる。運搬された土砂が作った浅瀬であったと考えられる。こうして,西大阪平野には三角州が発達する(服部,1988)。


図A-3 大阪平野低地部の地形区分(国土地理院(1983)に加筆)

 文禄3年(1594年)に豊臣秀吉により淀川に文禄堤(図A-3)が造営され,茨田堤はその機能を失った(鈴木,2009)。文禄堤の上の道は大阪と京都をつなぐ最短路としても重宝された。これらの堤防によって耕作地は増大した。また,当時の西大阪平野は淀川が分岐して三角州を形成していた。この地域の洪水被害を軽減するために,江戸時代(1684年)には河村瑞賢の主導によって安治川の開削を行い,淀川の水を一直線に大阪湾に導く改修工事を行った(宮本,2014)。大和川の付け替え工事は前述した通り,その後(1704年)に行われている。大和川の改修工事により河内平野での洪水は減少したが,開削された下流で洪水に悩まされた。一方で,改修後も明治までに十数回の洪水が記録されていると言う(土永・石川, 1996)。
 淀川流域に限定して比較的大規模な災害だけを取り上げても明治以降に18度の水害に見舞われている。そのうち,特に規模の大きいものは1885年(明治18年),1917年(大正6年),1950年(昭和25年),1953年(昭和28年),1961年(昭和36年)などである。図A-4には1885年・1917年・1953年の浸水域を示した。中でも,淀川左岸が決壊した1885年の水害は,最も規模の大きいものであり,河内平野と西大阪平野の北半部が水没している。このときは上流の京都盆地にあった小椋池(現在は埋め立てられて消滅)周辺部も水没した。浸水域が縄文海進時の海域が最大に拡大した地域(図9)と重なっていることがわかる。この洪水を契機に淀川には,ヤシの繊維を積み上げて作った粗朶(そだ)水制(すいせい)が導入され,水流を弱める工夫がされた。粗朶水制はワンドとなって今も河床に残っている。また,下流には新淀川が開削され(図4と図A-3),淀川の水を一気に大阪湾へ流出させた。新淀川の開削は,もともと淀川からの土砂が港を埋めて大阪港が機能しないために計画されたものであるが,1885年の洪水の後,水害対策のために工事が急がれた。開削が完了したのは1910年のことである(国土交通省淀川河川事務所HP-a)。
 1950年,1953年,1961年の水害は,ジェーン台風,台風13号,第二室戸台風と台風に伴って発生した。この時代は地下水利用が盛んであり,低地では地盤沈下が進行していた。1961年には,西大阪の海岸部で高潮による大きな被害を受けている。特に,福島区,西区,北区中之島・堂島地区ではジェーン台風や室戸台風(1934年)のときよりも大きな被害を受けているが,これは地盤沈下の波及によるものであった(国土交通省淀川河川事務所HP-b)。


図A-4 大阪平野における過去の出水による浸水地域
(国交省ホームページhttp://www.mlit.go.jp/river/toukei_chousa/kasen/jiten/nihon_kawa/0616_yodogawa/0616_yodogawa_02.htmlを加工して作成)

付図


大阪平野の自治体

大阪市の行政区