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口永良部島火山地質図 解説地質図鳥瞰図
3:口永良部島火山の活動史

 現在認識できる火山体の成長を,下司・小林(2006)を基に3つのステージに区分して解説する.


3.1 後境・番屋ヶ峰ステージ

 口永良部島で知られている最も古い火山体は,島北部の海食崖下部に露出する後境火山及び城ヶ鼻火山と考えられる.これらの火山体はより新しい火山に覆われており,その分布や活動中心などの詳細は不明である.後境火山噴出物は屋久島北東部に分布する小瀬田火砕流(約58万年前)に対比されるテフラに覆われている(小林・成尾. 1998)ことから,後境火山の活動は約50万年以上前にさかのぼると考えられる.

 番屋ヶ峰火山は口永良部島北西部を構成する火山で,異なる噴火中心を持つ複数の火山体の集合からなる.番屋ヶ峰火山は火山体の構造や岩相,熱水変質の程度から,下部の古期番屋ヶ峰火山噴出物と上部の新期番屋ヶ峰火山噴出物に分けられる.番屋ヶ峰火山の火山体の海岸部には,海食による地滑りと思われる大規模な崩壊地形が認められる.


3.2 高堂森・野池ステージ

 口永良部島の主要部北半分を構成する高堂森火山・野池火山・及び東端部のカシ峯火山が形成されたステージである.これらの中で高堂森火山が最も古い火山体である.高堂森火山は湯向南西の標高470.2mピークを中心に発達する火山体で,主に安山岩質の溶岩と火砕物から構成される成層火山である.高堂森火山表層部の噴出物の間には,鬼界カルデラから約95,000年前に噴出した鬼界(きかい)葛(とずら)原(はら)テフラ(長瀬火砕流堆積物)が見出されていることから,高堂森火山の大部分は約10万年前ごろまでに形成されたと考えられる.

 口永良部島東端部に発達するカシ峯火山は,湯向南方の256.6mピーク付近を中心とする火山体を構築している.カシ峯火山噴出物は城ヶ鼻火山・高堂森火山の噴出物を基盤とする.カシ峯火山の全ての噴出物はその中位に姶良(あいら)Tn火山灰層(AT)を挟むローム層に覆われていることから,ATが降下した約3万年前より以前,おそらく5万年ごろまでに活動を終了していると考えられる.

 野池火山は高堂森火山の西側を覆って成長した安山岩質の成層火山で,一等三角点口永良部島(600.1m)のピークをふくむ口永良部島中央部の北側を占める火山体である.北西側山麓の本村から東側の地域には厚い安山岩質溶岩流地形が認識できる.野池火山の山腹より上部は,山麓に発達する溶岩流群を覆うおもに火砕物からなる成層火山体からなる.野池火山の噴出物の大部分はATに覆われているため,ATが降下した約29,000年前までには野池火山はほぼ現在の大きさまで成長していたと考えられる.

 ATより上位には,約15,000年前に口永良部島から噴出した大規模な火砕噴火のテフラ(野池 - 湯向テフラ)が認められる( 第3図).野池―湯向テフラは野池山頂火口付近から噴出した軽石噴火堆積物で,野池火山の活動末期(約15,000年前)に噴出した.野池-湯向テフラは山頂火口周辺の野池火砕丘堆積物と,山腹に分布する湯向降下軽石層とそれを覆う寝待火砕流堆積物からなる.湯向降下軽石層は寝待火砕流に先行して噴出し,火口から約3km離れた湯向地区での最大層厚は3m以上である.湯向降下軽石層の分布は番屋ヶ峰地区を除く口永良部島のほぼ全域を覆っており,その主軸は野池火口から北北東方向に伸びている( 第4図).寝待火砕流堆積物は野池火山の北~北東山腹を広く覆い,一部は西側山腹にも流下した( 第5図).寝待火砕流堆積物は軽石質の火砕流堆積物で,寝待温泉付近では強く溶結し,軽石は圧密によりレンズ状になっている.非溶結部では直径数cm~数10cmの軽石塊を多く含み,細粒物に乏しい.山麓における寝待火砕流堆積物は湯向降下軽石を覆っているが,一部指交関係が認められる.野池山頂火口周辺から北側中腹にかけては,野池-湯向テフラが厚く堆積し,火砕丘地形を作っている.野池火砕丘堆積物は火口近傍に堆積した淘汰の悪い軽石質の降下火砕物と火砕流堆積物からなり,その内部は強く溶結している.野池-湯向テフラの大部分は海域に分布しているため,正確な噴出量の見積もりは困難であるが,噴出物の総量は0.6km3程度かそれよりも大きいと見積もられる.このうち,野池火砕丘堆積物が0.23km3,寝待火砕流堆積物が0.20km3,湯向降下軽石堆積物が0.18km3程度を占める.

 湯向テフラの噴出後,野池火山の活動はほぼ終了した.その後,野池火山の東山腹では小規模な水蒸気爆発が発生し,火口周辺に熱水変質した岩片や粘土からなる堆積物が部分的に分布している.


3.3 古岳・新岳ステージ

 約13,000年前以降,野池火山の南側で古期古岳火山が成長を開始した.13,000年前から11,000年前にかけて現在の古岳火口付近から玄武岩質安山岩マグマによるスコリア噴火が頻発した.この一連の噴火の噴出物を古岳―メガ埼テフラと呼ぶ.古岳―メガ埼テフラの噴火によって,現在の古岳火口を中心としてアグルチネートからなる火砕丘が形成された.またその周辺にはスコリア質火砕流(古岳スコリア質火砕流)が流下した.この噴火に伴い東部を中心として島のほぼ全域に降下スコリア層(古丘 - メガ埼降下スコリア層1, 2)が堆積した( 第5図). 一連の噴出物の総量は約0.6km3程度と推定される.

 古期古岳火山のアグルチネートの火砕丘はその形成後に南側に向かって馬蹄形に崩壊し( 第6図),崩壊地内部に新たに溶岩流と少量の火砕物からなる成層火山体(新期古岳火山)が成長を開始した.新期古岳火山の表層部に見られる最も古いテフラは約4500年前のものであることから,このころまでには新期古岳火山はほぼ現在の大きさまで成長していたと考えられる.その後,山頂火口から東山腹に南七釜溶岩,南山腹に平床溶岩が流下した.これら古岳火山からの溶岩流はいずれも安山岩質のブロック溶岩である.これらの溶岩流の流出と前後して,古岳山頂部ではブルカノ式噴火が繰り返され,古岳火山山頂部を覆う爆発角礫層が堆積し,火砕丘を形成した(新期古岳火砕丘堆積物1,2).これらの火砕物の一部は石質岩片に富む火砕流堆積物として山麓部まで流下している(新期古岳火砕流堆積物).古岳火山の最も新しい噴出物は約200年前に噴出し,古岳東側の山腹の一周道路沿いまで流下した七釜火砕流堆積物である.七釜火砕流堆積物は,直径数mにおよぶ本質岩塊を含む岩片に富む火砕流堆積物で,火口から約2km離れた地点での厚さは最大1m程度である.

 鉢窪火山は新期古岳火山の南側に位置する小規模な成層火山体である.鉢窪火山は新期古岳火山の溶岩流の上に成長しているが,鉢窪火山の山麓は新期古岳火山の表層部の溶岩流に覆われている.従って鉢窪火山は新期古岳火山の活動時期の途中に形成されたと考えられる.

 数千年前に新期古岳火山の北西側山腹が崩壊し( 第6図),その崩壊地内に新岳火山が成長を開始した.新岳火山は,9世紀あるいは11世紀ごろに相次いで噴出したと考えられている(味喜ほか,2002),複数枚の溶岩流ユニットからなる新岳溶岩と,その上を覆う新岳火砕丘からなる.新岳溶岩は少なくとも3枚のフローユニットから構成され,いずれも安山岩質のブロック溶岩である.新岳火砕丘は新岳火口からのブルカノ式噴火やマグマ水蒸気噴火の噴出物である爆発角礫層からなり,山腹部では岩片に富む火砕流堆積物に移行する.新岳火山山頂部には直径約250 mの中央火口が開口しており,また中央火口の周辺には径数10 m~100 mほどの小火口が多数認められる.そのうちのいくつかは1930年代の噴火によって開口したことが知られている(田中館,1938).また,新岳火山体の東側には,南北に伸びる延長約500 mの割れ目火口が開口しており,1945年及び1980年噴火はこの割れ目火口から発生したことが知られている.また新岳山麓の渓谷沿いには新岳溶岩の噴出後に堆積したラハール堆積物が広く分布している.このうち向江浜周辺には1931~35年に発生したラハール堆積物(田中館,1938)が分布している.

 新期古岳火山・新岳火山の成長に伴う噴出物は北西部を除く島のほぼ全域に降下した.古岳-メガ埼テフラより上位には,火山礫や火山灰を含むテフラ層が堆積している.その層厚は古岳新岳の山頂に向かって厚くなることから,新期古岳・新岳火山の成長に伴いブルカノ式噴火やマグマ水蒸気噴火が繰り返し発生したことが推測される.また新期古岳火山・新岳火山の山頂火口からおよそ3 kmの範囲の地表には,衝突クレーターを伴う直径数10cm以上の投出岩塊が多数みられる.投出岩塊には,しばしばパン皮状火山弾や放射状冷却節理が発達した岩塊が含まれる.一方,これらのテフラ層には降下軽石層などの火砕噴火を示すテフラは見られない. なお,新岳・新期古岳を除く口永良部島の全域には鬼界カルデラから7300年前に噴出した幸屋火砕流堆積物が分布している(地質図では略).その層厚は一般には1m以下であるが,谷部などでは局所的に厚く堆積している.


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