1983年噴火噴出物

1983年10月3日,噴火開始のおよそ1時間15分前の13時58分ころから三宅島測侯所の地震計に前駆的微震が記録され始め(宇平ほか,1984),14時46分に測候所から村役場に火山性地震頻発の情報が伝えられた.関係防災機関が連絡態勢にはいった直後の15時15分ころ,雄山南西山腹二男山標高450m付近で噴火が始まった.噴火割れ目は上方,下方にのびていった.山腹上方の長さ3kmの範囲では初期に溶岩噴泉,晩期には少数の火口からストロンボリ式噴火を行なった.噴出したマグマの大半は溶岩になって谷沿いに流下した.溶岩流のうち最大のものは17時20分ころに都道を横切って阿古に流れ込んだ.阿古集落から最終の避難バスが通過した約10分後であった.阿古に残って孤立した80名は漁船によって避難した.この溶岩は340戸を埋没,焼き尽くした.一方,新澪池〜新鼻海岸付近の長さ1.5kmの割れ目火口は海抜100m以下〜海底で開口したため,16時38分以降激しいマグマ水蒸気噴火が起こった.噴出物の大部分が火砕物として坪田方面の住宅,農地,山林に降り積もって被害を与えた.22時33分には新鼻南方4.6km深さ15kmで発生したMJMA=6.2(三宅島測候所で震度5)の地震により,島内の数箇所で崖が崩れた.23時以降,噴火は間欠的になり,翌4日6時前には終了した.地震活動は10月6日の朝には衰え,1962年の噴火後とは全く異なる経過を示した.割れ目は延長4.5km,火口は90個所以上に達した(荒牧・早川,1984).
1983年噴火噴出物の分布
1983年火砕丘1983年火砕丘 1983年溶岩流1983年溶岩流 
図23 1983年噴火降下火砕物分布(早川ほか,1984を元に作成)
1983年火砕丘1983年火砕丘 1983年溶岩流1983年溶岩流
図24 1983年噴火割れ目火口,溶岩流,火砕丘の分布(曽屋ほか,1984a)
1:火砕丘.2:弾道火砕物.3:溶岩流.4:火口
図25 阿古集落を覆った1983年溶岩流.溶岩流は左下側の谷を流れ下り,阿古集落で広がり集落を覆った. 2002年撮影
図26 新澪池火口と1983年溶岩流.海岸線最も左側の新鼻にはタフリングが形成されたがすぐに波浪で侵食され失われた. 2003年撮影