1962年噴火噴出物

1962年8月24日の噴火では噴火開始の約2時間前,20時29分ころから三宅島測候所で微動が感知され,その数と振幅が増していった.噴火は22時20分の数分前に,東北東山腹の旧神着村,旧坪田村界の中腹で始まった.北山麓からみたスケッチ (気象庁,1964)によれば噴火開始は上部火口群の海抜400〜450m付近であり,そこから噴火割れ目が上方及び,中部(中央)火口群,下部(ヨリダイ沢)火口群へ向かい次々に拡大した.23時11分には赤場暁?ヨリダイ沢間の電灯線が断線し,火柱が山腹から海岸まで並んだ.23時39分には山頂側の噴火地点はさらに上方へ移動した.やがて火勢の中心は山腹下部へ移った.翌25日1時ころ上部火口群が活動を終えたのに続き,同日朝には中部火口群も衰えた.下部火口群だけが夜半まで噴石活動を続けたが,26日朝(3〜5時)には沈静化した.火口は1.8kmにわたって並び,その数は20あまりであった.火山弾,火山岩塊は火口から200m以内に堆積し,火山灰は北東山腹に積もった.下部火口群から放出された噴石によって,三七山スコリア丘が形成された.溶岩は三流が認められ(松田・森本,1962),新赤場暁溶岩は赤場暁へ,中部溶岩はひょうたん山の南へ,ヨリダイ沢溶岩は三七山の南へそれぞれ流れ込んだ.噴出物の総量はおよそ2000万トンであった(松田・森本,1962).
表面活動終了後は激しい地震活動に襲われ,8月26日15時48分には三宅島西海岸の深さ40kmを震源とするMJMA(気象庁発表マグニチュード)=5.9の地震(三宅島で震度5)が発生した.噴火のなかった島北西部で有感地震が頻発し,とくに8月30日には,伊豆地区で有感地震の数が2000回以上に達した.このため一部島民が島外に避難した.
1962年噴火噴出物の分布
1962年スコリア丘1962年スコリア丘 1962年溶岩流1962年溶岩流  
図20 1962年噴火噴出物の分布(松田・森本,1962を元に作成)
1962年スコリア丘1962年スコリア丘 1962年溶岩流1962年溶岩流
図21 1962年噴火割れ目火口,溶岩流(松田・森本,1962)
溶岩流周辺の破線は溶岩流の最高水位.白抜き丸線は特に火山弾の多いところ.左上図は降下ス コリア層の分布(単位cm).P:新期側火山溶岩.Pm: 1867年溶岩.Ps:1940年溶岩.C:中央火口丘溶岩.
図22 1962年噴火割れ目 黒矢印が1962年噴火割れ目 左すぐ隣に1940年噴火割れ目がある.